キサラギ・バラード

 状況を分析。脳内でまとめる。
 ポストに『何かが当たる』以前に既に狙撃されていたが、命中せず。そして、2発目がポストに当たる……。発砲音はしなかった。然し、強い風が硝煙の臭いを運んできた。馴染んだ臭いだ。硝煙以外の臭いでは無い。
――――サプレッサー?
――――そんな物を持っていたの?
――――じゃあ何故今まで使わなかった?
――――私の襲撃に備えられなかった……装着していなかった?
 減音効果の高いサプレッサーなら極度に発砲音を抑える事も出来るだろう。
 それでも無音とはいかない。いかなる銃声でも早々のことでは判別不能になる耳を持っていないと自負する三代。
 三代の耳に察知できないほど優秀なサプレッサーを、三下の喧嘩屋が持っているのは不自然だ。
 暗い夜。
 街灯と自動販売機の灯かりだけが頼りの極々狭い区域で、お互いの尻尾を追い掛け回す真似を何と無くイメージしてしまう三代。
 自分達が形成した戦闘区域を脳内の地図で照合する。
 表通りをメインにした細長い戦闘区域。端から端までで考えると、ベルサM25の22ロングライフルも、田沼博久の懐中拳銃の弾頭も届くだけで、当たるだけで、致傷させるには程遠い。
 ベルサM25の弾頭がハイベロシティのイエローチップでも25m以上先の人体に命中させることは出来るが、致命傷は全く期待できない。 筋肉の薄い部分に命中させられたなら、激痛を与える致傷は可能。その中途半端に弱いエネルギーのお陰で先に4人を負傷させてその場から動けなくさせることに成功している。
 兎も角……田沼博久の得体の知れなさに拍車が掛かった。
 現に今までシルエットは幾らでも見た。
 腕や足といった体の一部分は見た。顔を見たが街灯の下に浮かぶ影の濃い顔だった。
 人の形をした、怪異現象やフォークロアに立ち向かっている気味の悪さ。
――――ホラー映画かな。
――――そう言えば、最近のホラー映画って演出の怖さじゃなくて突然大きなBGMがスピーカーから出るから、ホラーじゃなくてドッキリ企画になってない?
 なぜか最近のホラー映画の傾向を心の中で語り出す。
 数秒後に、背後で風のせいで立てかけてあった小さな板切れが倒れたのを切っ掛けに、脳内からホラー映画の話題が消えた。
「……」
――――いけない!
 自分の思考が解離を始めていることを悟り、奥歯で自分を叱り付けるように舌を噛む。
 集中力が途切れたのではない。
 意識が散漫になっているのではない。
 解析すべきポイントが多過ぎて脱線したのだ。
 忙しくて海馬部分がストを起こしたというより、デモを起こしたのに近い。
 正体が知れない。得体が知れない。
 たったそれだけで人間の思考は簡単に掻き乱され、逃避行動へと移る。
 元からこの業界にマニュアルはない。
 セオリーならある程度有る。
 そのセオリーから導かれるパターンは飽く迄基本形だ。殆どの場合、応用と変化と利用と発展と逆説が用いられる。
 自分は攻撃されているという張り詰める神経に、仕留めねばならないという重圧。
 心臓に鉛を注がれたようなストレス。胃袋の物を吐き戻しそうだ。鳩尾が不快。喉が渇く。汗が氷水のように冷たい。
 進める足が泥のように重い。ベルサM25が何十kgにも思える。
 耳の端がまたも、何かが何かに当たり弾ける音が聞こえる。その音に反応して地面に伏せる。
「…………」
 今の三代はプロ意識だけで立って歩いている人形だ。
 あやふやな意識。敵を察知しているのは本能。本能に従う反射神経。反射神経が為す行動。
 自分から地面に伏せておいて、その自重の衝撃で胸を強打し、少し頭がはっきりする。
――――たかが……喧嘩屋なんかに!
 ギリッと奥歯を噛む。
 聞こえない、見えない狙撃に心が慄いている自分を叱責する。
 伏せたまま、動かずに居た。
 またも風が……風下に居る三代の元に硝煙を運ぶ。
 三代の頭側直線上15mの位置に自動販売機。
 4人の男達を背後から狙撃する際に依託射撃をした、あの自動販売機だ。
 後で水でも買おうかと考えていた、あの自動販売機だ。
「…………?」
 自動販売機側を睨む。その向うに等間隔で並ぶ街灯を眼で追う。
 少しの謎掛け。
 『こんな時、自分ならどうするだろう?』とセオリーの逆説を脳内で引く。
 自分から攻めるより、攻められた場合。
 不利なのに有利に見せる方法。
 灯かり風向きなどの、自律神経に訴える効果が自分の味方をしていない場合の否定的戦法……。
――――錯覚? ……『違和感』、よねぇ。
 すっくと三代は立ち上がり、ベルサM25をウイーバースタンスで構えて自動販売機の灯かり目指して歩く。眼はその向こうの街灯の列を見ている。
 またしても耳が細かな弾ける音を拾う。そして遅れて硝煙の臭い。
 三代は歩みを止めなかった。
 違和感が確信に変わる。
 『状況が自分の味方でなかったら?』
 圧倒的不利を有利に見せる為に主導権を握るには?
 その時、靴の裏がさくっと柔らかい物を蹂躙する感触を伝えた。その場にしゃがんで足裏を確認する。
「……」
 三代は凄惨な笑みを浮かべた。
 そこには燃焼を終えて灰燼となった小さな灰の山があった。
 傍にリムが突き出た小さな未使用の空薬莢が1個。
 謎が解けた。
 田沼博久はサプレッサーを所持も使用もしていない。
 アスファルトの皹の間に見た燃焼跡。
 手持ち花火を押し付けたような白い燃焼痕。
 三代の錯覚を倍増させる為に22ショート弾の弾頭を外し、炸薬を地面に盛ってライターで着火したのだろう。
 そうすれば爆発も起きずに静かに燃焼する。その時に発生する硝煙の臭いで三代を錯覚させた。
 それと同時に小さな疑問も解消した。
 硝煙の臭いを構成する大部分は雷管が燃焼する臭いだ。その成分が混ざって独特の臭いを発生させる。なのに燃焼後のガスが風で薄まり、風下に居る三代の鼻に届く頃には判別が難しく、炸薬の燃焼後の臭いとしか認識できなかった。
 何かが弾ける音はもっと簡単だ。
 ボルトやナットといった22ショートの弾頭よりも重い小さな金属を投げて態と、派手な音が鳴る物体にぶつけたのだと判断できた。
 そうすれば姿の見えない射手がサプレッサーを用いて死角の……暗闇から狙撃しているという簡単なトリックが成立する。
 見られている!
 見破られた瞬間を見られた!
 田沼博久がそこに……自動販売機の向こう10mの位置に立っている。
 街灯の下。
 右手に長銃身の懐中拳銃――独特のシルエットからしてベレッタ・ミンクスのロングバレルモデル――を持ち、左手に鉄パイプを提げている。
「…………」
「…………」
 三代はゆっくりと立ち上がり、頸の骨を鳴らした。
 三代の目前4mの位置に自動販売機。
 相対で14mの距離。
 『互いの口径は22口径』。
 この距離では薬莢の長さによる炸薬の量など殆ど関係ない。
 当たった方が負けだ。負傷した方が『負けに限りなく』近くなる。
 両者、二月の凍りそうな夜風の中、対峙して睨み合う。
 二人とも殺意を隠さない。
 拷問の後、殺害というのがクライアントの依頼だが、この場合はそれが遂行できずに報酬が何パーセントか引かれても言い訳はしないつもり心算だった。
 無言。重くも軽くも無い時間。両者とも先制の機会を見計らっている。背後を見せた方が撃たれる。
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