キサラギ・バラード
個人の戦績戦果や腕前の程は無いのと同じ。
組織とはそう言うものだ。胸にバッジが付いて初めて個人の『指揮官としての能力のみ』が評価される。組織上層にとっては末端の命の遣り取りなど取るに足りない問題だ。
問題にしているのは、その結果、版図が広がる話しに繋がるか否かだ。
そのような背景なので、元からはみ出し者で構成されたような三下や同類の喧嘩屋は組織の上に対して、含むものや思うものを誰もが抱いている。逃げ出したくもなる。
またそのような構造だから、三代の暴力のレンタル屋も商売として成立する。
「……さて、と」
三代はコンパクトを引っ込めると、足音を殺して路地の奥へと進んだ。
店舗兼住宅の狭い隙間を抜けると、路地裏通りに出た表通りの半分ほどもない道幅だ。
田沼博久は表通りをこちら向きに歩いていた。
こちらの動きを察しているはずだ。
戦う必要は無く、遁走へ移行できるのに充分なアドバンテージを捨てて三代を追う理由は容易に予想できた。
三代を返り討ちにするのが目的だ。
三代をやり過ごすのは簡単だ。だが、更に多くの人員や情報屋を割いて組織は田沼博久を追うだろう。
『組織のブツを横領した』田沼博久を大勢で追いかけて殺すには充分な理由だ。
そして……田沼博久は逃げる為に戦う覚悟が出来たらしい。その嚆矢として、三代を返り討ちにすることを選んだ。それは三代の推測ではない。了察だ。
三代も同じ立場なら同じ思考で今後を考えるだろう。
三下の身分は御免だが、三下相手に暴力を振るう段階で組織の末端と身分は代わらぬ。
足音を殺して裏通りを走り、田沼博久の背後に回り込もうとする。彼も同じ事を考えているだろう。
田沼博久が拳銃遣いで無いから、自分が有利とは限らない。
寧ろ出会い頭に腕を取られたり、横っ面に拳を叩き込まれたら、その時点で勝負はつくだろう。
どう考えても喧嘩屋相手に膂力で勝てるはずが無い。
田沼博久は22ショートか25口径の懐中拳銃を持っているはずだが、それも至近距離からまともに喰らえば致命傷に到る。
昔、飲食チェーン店の社長が早朝に1m余りの至近距離から5発の25口径を叩き込まれて死亡した事件が世間を騒がせた。慣れた人間が使えば25口径とて馬鹿に出来ない。
それに使い道の無い銃弾など製造されない。需要が有るから様々な懐中拳銃とその弾薬が開発されて製造され続けている。
ベルサM25で使用する22ロングライフルも、銃身の長さが違えば脅威だ。
嘗ての左翼過激派が冬の山荘に立て篭もった際に使用していた銃火器の中に、銃砲店で売られていた22口径の5連発のライフルが有った。それに用いられていた実包は22ロングライフルで機動隊の楯を貫通したのだ。銃身の重要性が伺える逸話だ。
使い方が影響しない道具など存在しない。
それを念頭に置けば、懐中拳銃の脅威は天井知らずに跳ね上がる。勿論、畏敬はしても恐怖と戦慄と敬遠で只管、『距離を計る真似』はしない。
路地裏を走りながら弾倉交換。
残りの予備弾倉は4本。
一人の人間を仕留めるのに、普通なら充分な量だ。
「…………」
――――気配が、近い。
路地裏を走りながら、体の各部を触って予備弾倉が確かに存在することを確認。尻のポケットに捻じ込んだ2本の空弾倉。
「!」
田沼博久が路地の遮蔽から腕を素早く伸ばしてくる。
拾った物だと思われる鉄パイプを片手で振る。
田沼博久の鉄パイプを握る腕しか見えないが、咄嗟に牽制の発砲をする。3発。2発は虚しく空を切り、1発は鉄パイプの端に掠って火花を散らした。
――――気配が有るのに気配が読めない!
それは矛盾した現象ではない。
そこに存在するのに、何を考えているか分からないと言い換えられる。
得体が知れないのだ。
喧嘩屋は喧嘩をする前から、喧嘩をする相手が居ないのに常に先走る血気を抑えようとしない人間が多い。
なのに、ここまで冷徹な喧嘩屋は初めてだ。なるほど、これだけの腕前なら追撃者と腹を括って戦い続ける覚悟が出来て当然だ。
田沼博久は拳銃を持っている。少なくとも懐中拳銃。
なのにそれに固執せずに鉄パイプを用いて、白兵戦じみた戦術に切り替える柔軟性を持っていた。
冷静。場数を踏んでいるのが分かる。
三代の背後……自動販売機の灯かりが見えた辺りから計算して20mほど離れた位置から、発砲して三代の左上腕部に掠らせるだけの腕も持っている。
狭い空間では戦いたくない相手だ。
尚江頼子とは違う脅威のタイプだ。
頭脳が回り、膂力があり、豆鉄砲を及第点以上に扱える喧嘩屋。喧嘩屋ではなく荒事師として現場に出ていれば必ず名を挙げるだろう。
田沼博久の鉄パイプは直ぐに遮蔽に引っ込んで、三代も地面に伏せながら変形プローンでベルサM25を両手で構えた。
衣服を汚してまで黴臭い地面に体を任せたのは、追いかけて遮蔽から出た途端に頭部を鉄パイプで殴られることと、至近距離から出会い頭に胴体に拳銃弾を叩き込まれるのを警戒してのことだった。
「……」
――――早い!
もうその薄暗い路地には田沼博久の気配は無かった。
路地の向こうの明るい表通りが見える。直線上に障害は無い。
それを確認すると地面から跳ねる様に飛び起きて、再びベルサM25を構えて左手側の壁に沿いながら小走りに前進する。
黴臭い匂いが乾燥した寒風と共に呼吸器に侵入する。掌がじっとりした汗をかく。アドレナリンが噴出しているのを感じる。
暗い路地を抜ける時もコンパクトを左手で翳す。
呼吸を鎮める。……呼吸を鎮めないと対処できない相手と対峙している事実が重く圧し掛かる。
先に負傷させた4人の男は複数の人間に担がれなければ動けないだろうし、暫くは激痛や苦痛がまともな思考を遮断してくれる。
それは人間の凶暴性の裏返しで、他人の血を見ても平気な人間が、自分の鼻血を見ただけでパニックに陥るのと同じ理屈だ。
暴力の世界で中途半端な覚悟で望むと、自分の攻撃のみが押し付ける事が出来て、相手の暴力は自身に受けるはずが無いと信じ込んでいるとこのパニックの度合いが大きくなる。
裏の世界でもそれが起因して、半グレと呼ばれる半端者は嫌われているのでいつも都合のいい使い捨てとして利用される。
相手は半グレではない。
喧嘩慣れした、場数を踏んだ、知恵が働く喧嘩屋だ。はみ出し者だ。
足が重い。
ベルサM25までズシリと重い。
緊張で神経が昂ぶっているのに、感覚が麻痺しそうなほど脳内麻薬が吹き出しているのに、相棒のベルサM25まで重く感じる時は嫌な予感がしている時だ。
それを右手が感じ取ると、負の精神が伝達されるように末端神経の隅々まで、拒否反応に似たサボタージュを叫ぶ。それが足が重くなる原因だと考えている。
角を曲がる度にガラスの破片で突付かれたような緊張。糸が切れれば即座にその場に座り込みそうな『冷たい空気』。
「!」
――――この臭い!
――――硝煙!
次の瞬間、遮蔽から出るなり、左手側に有った、色褪せた郵便ポストに『何かが当たって弾けた』。小石が勢いよく当たった音に酷似。
――――撃ってきた!
――――いや……。
――――硝煙の臭いが先だった。
――――『その直前から狙われて狙撃された? 2発目がポストに当たった?』
組織とはそう言うものだ。胸にバッジが付いて初めて個人の『指揮官としての能力のみ』が評価される。組織上層にとっては末端の命の遣り取りなど取るに足りない問題だ。
問題にしているのは、その結果、版図が広がる話しに繋がるか否かだ。
そのような背景なので、元からはみ出し者で構成されたような三下や同類の喧嘩屋は組織の上に対して、含むものや思うものを誰もが抱いている。逃げ出したくもなる。
またそのような構造だから、三代の暴力のレンタル屋も商売として成立する。
「……さて、と」
三代はコンパクトを引っ込めると、足音を殺して路地の奥へと進んだ。
店舗兼住宅の狭い隙間を抜けると、路地裏通りに出た表通りの半分ほどもない道幅だ。
田沼博久は表通りをこちら向きに歩いていた。
こちらの動きを察しているはずだ。
戦う必要は無く、遁走へ移行できるのに充分なアドバンテージを捨てて三代を追う理由は容易に予想できた。
三代を返り討ちにするのが目的だ。
三代をやり過ごすのは簡単だ。だが、更に多くの人員や情報屋を割いて組織は田沼博久を追うだろう。
『組織のブツを横領した』田沼博久を大勢で追いかけて殺すには充分な理由だ。
そして……田沼博久は逃げる為に戦う覚悟が出来たらしい。その嚆矢として、三代を返り討ちにすることを選んだ。それは三代の推測ではない。了察だ。
三代も同じ立場なら同じ思考で今後を考えるだろう。
三下の身分は御免だが、三下相手に暴力を振るう段階で組織の末端と身分は代わらぬ。
足音を殺して裏通りを走り、田沼博久の背後に回り込もうとする。彼も同じ事を考えているだろう。
田沼博久が拳銃遣いで無いから、自分が有利とは限らない。
寧ろ出会い頭に腕を取られたり、横っ面に拳を叩き込まれたら、その時点で勝負はつくだろう。
どう考えても喧嘩屋相手に膂力で勝てるはずが無い。
田沼博久は22ショートか25口径の懐中拳銃を持っているはずだが、それも至近距離からまともに喰らえば致命傷に到る。
昔、飲食チェーン店の社長が早朝に1m余りの至近距離から5発の25口径を叩き込まれて死亡した事件が世間を騒がせた。慣れた人間が使えば25口径とて馬鹿に出来ない。
それに使い道の無い銃弾など製造されない。需要が有るから様々な懐中拳銃とその弾薬が開発されて製造され続けている。
ベルサM25で使用する22ロングライフルも、銃身の長さが違えば脅威だ。
嘗ての左翼過激派が冬の山荘に立て篭もった際に使用していた銃火器の中に、銃砲店で売られていた22口径の5連発のライフルが有った。それに用いられていた実包は22ロングライフルで機動隊の楯を貫通したのだ。銃身の重要性が伺える逸話だ。
使い方が影響しない道具など存在しない。
それを念頭に置けば、懐中拳銃の脅威は天井知らずに跳ね上がる。勿論、畏敬はしても恐怖と戦慄と敬遠で只管、『距離を計る真似』はしない。
路地裏を走りながら弾倉交換。
残りの予備弾倉は4本。
一人の人間を仕留めるのに、普通なら充分な量だ。
「…………」
――――気配が、近い。
路地裏を走りながら、体の各部を触って予備弾倉が確かに存在することを確認。尻のポケットに捻じ込んだ2本の空弾倉。
「!」
田沼博久が路地の遮蔽から腕を素早く伸ばしてくる。
拾った物だと思われる鉄パイプを片手で振る。
田沼博久の鉄パイプを握る腕しか見えないが、咄嗟に牽制の発砲をする。3発。2発は虚しく空を切り、1発は鉄パイプの端に掠って火花を散らした。
――――気配が有るのに気配が読めない!
それは矛盾した現象ではない。
そこに存在するのに、何を考えているか分からないと言い換えられる。
得体が知れないのだ。
喧嘩屋は喧嘩をする前から、喧嘩をする相手が居ないのに常に先走る血気を抑えようとしない人間が多い。
なのに、ここまで冷徹な喧嘩屋は初めてだ。なるほど、これだけの腕前なら追撃者と腹を括って戦い続ける覚悟が出来て当然だ。
田沼博久は拳銃を持っている。少なくとも懐中拳銃。
なのにそれに固執せずに鉄パイプを用いて、白兵戦じみた戦術に切り替える柔軟性を持っていた。
冷静。場数を踏んでいるのが分かる。
三代の背後……自動販売機の灯かりが見えた辺りから計算して20mほど離れた位置から、発砲して三代の左上腕部に掠らせるだけの腕も持っている。
狭い空間では戦いたくない相手だ。
尚江頼子とは違う脅威のタイプだ。
頭脳が回り、膂力があり、豆鉄砲を及第点以上に扱える喧嘩屋。喧嘩屋ではなく荒事師として現場に出ていれば必ず名を挙げるだろう。
田沼博久の鉄パイプは直ぐに遮蔽に引っ込んで、三代も地面に伏せながら変形プローンでベルサM25を両手で構えた。
衣服を汚してまで黴臭い地面に体を任せたのは、追いかけて遮蔽から出た途端に頭部を鉄パイプで殴られることと、至近距離から出会い頭に胴体に拳銃弾を叩き込まれるのを警戒してのことだった。
「……」
――――早い!
もうその薄暗い路地には田沼博久の気配は無かった。
路地の向こうの明るい表通りが見える。直線上に障害は無い。
それを確認すると地面から跳ねる様に飛び起きて、再びベルサM25を構えて左手側の壁に沿いながら小走りに前進する。
黴臭い匂いが乾燥した寒風と共に呼吸器に侵入する。掌がじっとりした汗をかく。アドレナリンが噴出しているのを感じる。
暗い路地を抜ける時もコンパクトを左手で翳す。
呼吸を鎮める。……呼吸を鎮めないと対処できない相手と対峙している事実が重く圧し掛かる。
先に負傷させた4人の男は複数の人間に担がれなければ動けないだろうし、暫くは激痛や苦痛がまともな思考を遮断してくれる。
それは人間の凶暴性の裏返しで、他人の血を見ても平気な人間が、自分の鼻血を見ただけでパニックに陥るのと同じ理屈だ。
暴力の世界で中途半端な覚悟で望むと、自分の攻撃のみが押し付ける事が出来て、相手の暴力は自身に受けるはずが無いと信じ込んでいるとこのパニックの度合いが大きくなる。
裏の世界でもそれが起因して、半グレと呼ばれる半端者は嫌われているのでいつも都合のいい使い捨てとして利用される。
相手は半グレではない。
喧嘩慣れした、場数を踏んだ、知恵が働く喧嘩屋だ。はみ出し者だ。
足が重い。
ベルサM25までズシリと重い。
緊張で神経が昂ぶっているのに、感覚が麻痺しそうなほど脳内麻薬が吹き出しているのに、相棒のベルサM25まで重く感じる時は嫌な予感がしている時だ。
それを右手が感じ取ると、負の精神が伝達されるように末端神経の隅々まで、拒否反応に似たサボタージュを叫ぶ。それが足が重くなる原因だと考えている。
角を曲がる度にガラスの破片で突付かれたような緊張。糸が切れれば即座にその場に座り込みそうな『冷たい空気』。
「!」
――――この臭い!
――――硝煙!
次の瞬間、遮蔽から出るなり、左手側に有った、色褪せた郵便ポストに『何かが当たって弾けた』。小石が勢いよく当たった音に酷似。
――――撃ってきた!
――――いや……。
――――硝煙の臭いが先だった。
――――『その直前から狙われて狙撃された? 2発目がポストに当たった?』