キサラギ・バラード

 何も焦りは無い。
 寧ろ、職務遂行中にリラックスさえしていた。
 引き金は非常に軽い。心の蟠りがほどけたように軽い。
 冷たいが風は弱く、少しばかり的が左右に揺れる射的ゲームの感覚で1発撃つ。
 外れる。
 男は走る。
 それでも焦りは無い。
 両手で握り直す。カップ&ソーサー。軽く頸の骨を鳴らす。大きく息を吸い、息を吐かずに止めて1秒。再び引き金を引く。
 馬が駆けるような軽い発砲音と共に、30m先の男は確かに被弾して確かにその場に膝から落ちた。
 止めていた息を吐く。口から白い息が大きく漏れる。
 自分の戦果を確認すべく、最後に仕留めた男の元まで歩く。足は軽い。人殺しを愉しむ趣味は無いが、書類整理から逃げる口実が出来て心が軽くなっているので機嫌がいい。
 人間、過剰なストレスを背負うと現実逃避の行動を取る。皮肉にも仕事をこなす事が現実逃避の手段に繋がっただけだ。
 帰宅すれば今夜、消費した弾薬を購入すると、またも提出する書類の項目が増えたり修正が迫られたりと面倒が増えるのだが、屋外で冷たい空気を吸うだけでもリフレッシュできた気分になる。
 ……その鼻歌すら歌いそうな三代の顔が凍りつく。
 最後に仕留めた男の顔を見ると、『別人』だった。
 否、『データに無い顔』だった。
 今夜仕留める予定の男達4人の顔は全て頭に叩き込んである。
 そんな馬鹿な、とフラッシュライトを取り出して、今まで仕留めてきた男達の顔を確認した。
「…………」
――――1人、『違う!』
 仕留めて負傷し悶えている男達4人のうち、3人は脳内のデータと照合できた。
 1人だけ、データに無い男を仕留めてしまった。
 間違えて仕留めた? 警護要員? 逃走の手引きをしている逃し屋?
 軽いパニックを起こす三代。
 その三代を襲う銃声。
 直後、左上腕部に擦過傷が出来る。
「!」
 擦過傷の度合いを確認せず、反射的に体を左手側に有る、路地裏へ滑り込ませて息を吸い込む。
「…………罠」
 舌打ちして呟く。
 データに該当しない男は、4人に加担加勢した闇社会の人間だと一時的に仮定する。
 今はそれ以上のデータは無い。
 最後に仕留めたその男はコルト25オートかそれに類する懐中拳銃を持っていたが、鉄火場に慣れたバイタルでもフィジカルでもなかった。
――――撃たれた?
 自分の左上腕部を見ながら言う。出血は少ない。
 表皮を薄く削っただけのようだ。鞭で打たれたようなジンジンと熱い痛みは有るが、銃弾の直撃ならばそれどころではない。
――――撃たれた……わね。
 パニックを起こして熱くなりかけていた頭脳が、二月の夜風によって冷却されていく。
 背中を壁に任せる。
 脳内の冷却ファンが作動した感覚。CPUがメモリがストレージが次々と起動。左腕の擦過傷から概念や気配や感情をダウンロードして解析する。
――――罠……よね。
 狙撃手は近い距離。発砲音からして22口径。それも22ショート。或いは25ACP。
 弱装弾ではない。ハイベロシティ。
 プリンキング程度ならば充分な威力。国の内外問わずに22ショートは公式の射的競技で使用されているほど『素直に飛ぶ』。
 連中が使っている拳銃はどれもこれも22ショートか25ACPの懐中拳銃ばかり。空薬莢を回収しないと22ショートか25ACPかは判別できない。
 ベルサM25のロングライフルの方が、『対人停止力は上』……でも、豆鉄砲には違いない。……豆鉄砲同士の喧嘩でもまともにバイタルゾーンに命中すれば致死の可能性は高い。そのエネルギーを充分に発揮するには、お互いの息が掛かる距離まで近付かなければならないが。
 足音、聞こえる。
 近い。足幅から考えて慎重175cm前後。重心移動のタイミングから男だと分かる。
 左上腕部の擦過傷より得た情報をまとめる。
 明らかな殺意。憎悪や怨念は無い。
 身内や同業者ではなく、ここで三代を仕留めようとする気概を感じることから、殺し屋や護り屋といった荒事師ではない。荒事師ならもっと強力な火器でさっさと三代を片付けている。
 擦過傷の程度から22ショートか25ACPだと判明。擦過傷の幅が細長く浅い。9mmや45口径ならもっと傷の幅が深く削られる肉の量も多い。
 負傷箇所から血が滲み出すが、止血するほどでもない。生きていれば、明日の今頃には瘡蓋が出来ている程度だ。
 敵……相手の男の失策は『弱い弾』一発で、三代の頭部や頚部や腰椎に命中させられなかったこと。
 三代ほどの遣い手になれば負傷したからと、一方的に恐慌状態に陥ることは少ない。寧ろ、負傷具合から敵の実力を推し量る良い要素を得たと喜ぶ。
 路地の角遮蔽にして、左手でコンパクトを足元の高さから差し出して街灯の光を反射させないように気をつけて死角を伺う。
 足音の主は……居た。
 まさかとは思っていたが、先ほど撃ち倒した4人とは明らかに雰囲気が違う。拳銃使いと云うより、喧嘩慣れした人間特有の危うさを感じる。
 肩幅と歩幅、それと顎の向き。
 近寄れば一発で三代の頸を圧し折るパンチを繰り出す骨格だ。
 引き締まった体躯を、灰色の冬用ブルゾンとウッドランド迷彩柄のカーゴパンツで包んでいる。
 身長175cmほど。体重は目算で75kg前後。街灯の下を通過した時に伺えた表情から20代後半だと思われる。
 精悍な顔。男らしさよりも優男に近い風貌。髪は恐らく染めた茶色。今頃の若者風を気取っているのか紛れ込むためなのか飾った要素が無い。
 この『風体』をした人間は今までに何度か出会った事が有る。
 それは『用心棒』と呼ばれる組織の三下と共に働く外注だ。そしてそれをアルバイトにする『喧嘩屋』が彼のような人間だ。
 その顔には見覚えが有る。確実に有る。脳内で全てのデータが一致する。
 探していた4人目の男だ。
 名前は田沼博久(ぬま ひろひさ)。28歳。クライアントから拷問を依頼されている対象。
――――あー。あー。なるほど。
 からくりが理解できた。
 今回の依頼では組織の見せしめでの拷問と殺害が目的だ。全員のプロフィールは三下の中では比較的腕が立つ喧嘩屋ばかりだ。
 荒事師の中でも、素手での分かり易い具体的暴力で誇示するために選ばれて鍛えられた者たち。
 拳銃を使うよりもナイフや警棒、ドスを使うのが得意な連中。組織の最下層ではゴロゴロと居る。
 気性が荒い分、組織が肌に合わずに勝手に離縁する『親不孝』も多い。
 その組織に背く『親不孝』を働いたから見せしめの対象に選ばれたのだろう。
 4人の男達の中にも『頭が使える』奴が居た。
 自分達が追われる身分になったのを悟って、集団で抜け出したときに組織の内外は不明だが、友好関係にあった男を一人、仲間に加えて人数の韜晦を計った。
 暗い夜に、その手に乗った三代は4人、撃ち倒したと安心して悠々と歩いている背後から拳銃で狙われた。
 最初にここへ来た時、ミニバンの停車位置やその意味合いを知っている人間が居たことをもっと重要視するべきだった。
 クライアントからもらった情報と資料では、唯の末端構成員としか書かれていなかった。
 巨大な組織からすれば末端の実力など平坦に感じるのだろう。
 その個人の差異を見分けるのは不可能だ。だから『末端構成員の拷問と殺害』としか電子書面では書かれていない。
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