キサラギ・バラード

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 またもチョコレートを齧る。次にブラックのコーヒー。
 朝からパソコンの前に座って地下銀行への支払いと表の世界向きに経理関係の書類の作成に余念が無い。
 人は自分の金の流れには疎いが、他人の金の流れには敏感だ。
 税金の支払いが書類上完璧でも、ゴミ箱から見つかる煙草の吸殻を多角的に解析すればその人間の収入と納税が判明する時代だ。
 裏の世界で抜かりは無くとも、表の世界に対して自分を韜晦する技能を修得していないと警察ではなく、税務署が押しかける事もよく聞く。どんなに確かな腕っ節の殺し屋でも、表の世界の税務署員一人を満足に追い返せないことなど珍しくないのだ。
 二月末日を前にして、前から尻を叩かれていた地下銀行の書類仕事をやっと片付けられる時間が出来た。
 肉体的に問題なくとも、脳疲労が立て続けに発生すると仕事の効率が低下して満足に依頼遂行ができない。
 脳を休めようと思ったのに、皮肉にも今度は書類を片付けるのに脳を使っている状態だ。
 表の世界向けに書類を偽装してくれる代行業を兼業している地下銀行は頼もしいが、新年度を前にした納税に関する書類整理だけは、殺意を覚えた。
 頭に冷却ジェルのシートを張る。
 またデスクに戻りパソコンの画面を見ながら、携帯電話と同期させた画面を見ている。
 携帯電話の画面には買い物をした際にもらうレシートをカメラで撮影して取り込んだものが映し出されている。
 この時期ばかりは……不謹慎にも、地下銀行を爆破してやりたいと心から思う。
 三代の或る日の、休日とは言えない休日。
 二月末日まで目前だった。
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 大事な納税関係の書類を放り出してまで請け負った仕事。
 地下銀行に賄賂は効いても、表の世界の税務署には賄賂は効かない。
 電子化された書類の山を蹴り飛ばしそうになった直前に依頼が舞い込んだ。
 実を言うと書類から逃げたかった。
 そこへ逃げる口実とも言える暴力のレンタル屋としての仕事が舞い込んだのだ。自分に、これはプロの仕事だから、と嘯いていそいそと装備を整えて現場に向かった。
 深夜0時。
 三寒四温が始まった時期。
 まだまだ冬の寒さは健在。
 気圧の乱高下で耳鳴りが酷い。
 いつものオーバーサイズのフライトジャケット。……実は何着も同じフライトジャケットを持っている。
 左脇にベルサM25。右脇と後ろ腰の予備弾倉ポーチには合計6本。いつも通りに衣服の各部のポケットには合計20発のバラ弾。
 暴力のレンタルサービスの本懐は殺害ではない。
 然し、実際は殺害に等しい行為だ。
 今、暗闇に近い無人の路地を走り回って4人の男を追撃している。
 廃屋が並ぶ山間部の廃村。
 30軒もの家屋が連なるが、何れも無人。街灯や客の来る可能性が低い自動販売機が、有り難い光源を提供してくれている。
 弾倉2本を消費して、集団で潜んでいた男達を家屋から追い出した。家屋内部で仕留めるには暗すぎたからだ。それに、クライアントは拷問の末に凄惨な死を希望している。
 男達は200mほど離れた場所にミニバンを停車させていたが、その時の路に対しての車の向きやタイヤの跡、それに『普通なら』近くに潜伏しているはずなのに気配を感じなかったので三代は直感で、態と離れた位置にミニバンを置き、潜伏場所が発見されても自前の足で逃走し易いように工作していたと看破した。
 要するに、大事なミニバンを囮に自分達が逃げる時間を稼ぐつもりだったのだ。
 自分ならば、と、三代は息を殺し、廃屋の軽トラが2台並べられる程度の細い通りの路地裏を渡りながら男達の潜伏する家屋を発見し、弾倉を1本使い擬似フルオートのパンプファイアで威嚇射撃をして家屋から、驚いた野鳥のように飛び出してくる男達を追いかけていた。
 連携がなっていないのが一目瞭然。
 散り散りに逃走するのではなく、明るい表通りを走ってミニバンと反対方向に向かっているのだ。
 恐慌状態の人間は、一番意識の奥底にある理念を優先する。
 誰もが生き残りたい一心で、誰もが自分ならこう逃げると一人で心の中で立てていた計画を発作的に実行する。それは応戦する意識より優先されたことから、男達はどうしようもない三下だと知れる。
 尤も、クライアントから得ていた情報から、逃げ出したのは末端構成員で組織の麻薬を勝手に持ち出して売り捌いていた。
 丁度見せしめが欲しかった時期でもあるので、組織の害悪はいかなる末路を辿るかと云う『引き締め』だった。
 逃げる男達。
 20代前半から後半まで。背格好も様々。ヤクザのレッテルを貼るには初過ぎる顔。時折反撃の銃声が聞こえるが、22口径程度の弾薬を使うらしい。……だからと言って手加減はしない。
 視界の直線上に、男達の最後尾が見える。
 走りっぱなしの三代は心拍を激しくて、仕留めるのに影響が出ると判断し、左手側を先ほどの自動販売機に委託して、ベルサM25の引き金を2度絞った。
 10m先の男が一人、軸足太腿と腰に被弾して前のめりに倒れる。太腿と腰に被弾すれば、どんなに体力が有っても機動力は限りなく皆無になる。
 続けて3発撃ち、修正。
 等間隔で並ぶ街灯の下を男達が走ってくれているので、視界に納め易い。
 更に3発発砲。最後尾の男が右足を突然引きずりだしたと思ったら右側に転倒した。右側の尻や太腿に被弾したらしい。
 三代は走り出そうと踏み出すと、誰かに強くズボンのベルトを引っ張られたような衝撃を覚えた。
「!」
 背後からの伏兵か!と焦ったが、自動販売機に括りつけていたゴミ箱の針金がズボンの尻ポケットを突き破っただけだった。
 22ロングライフルのバラ弾が何発か零れ落ちたが、伏兵で無い事を確認すると構わず走り出す。
 乾燥した空気の中での全力疾走は異常に喉が渇く。
 後でさっきの自動販売機で水でも買おうと考える。
 日本の自動販売機は優秀だ。人が居ない村でも電気が通じている間は飲用物を確実に保存する。
 残り、二人。割と簡単な仕事だったな。
 後の二人を『停止』させて……。
 2発発砲。
 ベルサM25は快調に作動し、20m前方の男の背中に命中した。肩甲骨を叩き割られたと思われる、その男はその場で派手に転んで大声で喚き出した。日本語を為していない唯の絶叫だ。
 弾倉交換。
 薬室に常に1発残した状態で、弾倉を交換するように心掛けている。
 スライドリリースレバーが付属していないベルサM25は、スライドリリースのためにスライドを数mm引いてやらねばならない動作が特徴の一つだった。
 表通りの真ん中を大胆に走りながら先頭を行く男の背後を追う。時々振り向いて出鱈目な発砲をするが当たりも掠りもしない。その銃弾は虚しく空に消える。
 人を殺すのは慣れていても、殺される羽目に陥ったことは無いらしい。
 途中、次々と道路の真ん中や端で芋虫のように苦痛に悶える男達の背中を確認した。あの出血量なら2時間以内に救急外来に駆け込めば助かるレベルだ。
 場数と体力の差で先頭を行く男との距離が短くなる。
 その最後の男を足止めして、丁寧に全員を撮影しながら拷問して止めを刺せば終わりだ。
 地下銀行への書類整理の合間に丁度いい息抜きが出来た。
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