キサラギ・バラード

「そうそう。別に。本当に他意は無いわ。フリーランスで可哀想だから雇ってあげようなんて思っていないわ。その気が有ればどう? って言ってるだけ。断られたのなら、この話はここまで」
「社長さんがわざわざどうも」
 軽口の一つですら間違えると刺し殺されかねない殺意。
 悪意や敵意が消え、純粋な殺意のみが伝わる微笑を湛える雪代貴子。ロフスト杖を衝いた軸足が不自由な体だというのに、右手に提げた短機関銃は銃口が床を向いていると云うのに、勝てる気が全くしない。
 綾音の存在は更に不気味だ。殺意すら感じない。街角の自動販売機で缶コーヒーを買う気軽さで得物のベルサM85を抜いて発砲する気配がするのに、ニヤニヤと笑っているだけの明らかに馬鹿にした笑顔で完全に本心を覆い隠している。
 この二人の表情から先手を読むのは不可能!
 銃弾が交わされているとすれば、それはまだ楽な方だったのかもしれない。
 殺す以上に殺される圧力を感じるからだ。
 雪代貴子と対峙して10分が経過。敵意が無い事を示す為に挙げた両手が疲れてきた。
 そんなことには構っていられない。右手の指先に掛けたままのベルサM25が重いがそれにも構っていられない。重量に耐えている間は自分の命が保障されている錯覚がした。
 真正面に雪代貴子。距離7m。
 左手側に綾音。距離10m。
 3人とも銃を所持している。
 3人とも既に交戦状態だと思われる。
 三代は雪代貴子を敵だと認識している。
 雪代貴子は三代を本当はどのように扱いたいのか不明。
 綾音は雪代貴子の命令があれば、何であっても容赦も遠慮も躊躇も逡巡もしない。
 二月の風が身に染みる。
 なのに、防寒対策で後ろ腰に貼っている使い捨てカイロが熱いのか冷たいのか分からない。
 アドレナリンが大量に分泌されて新陳代謝が停止しているのだろう。鳩尾辺りや喉の置くに異物感を覚えることから、自律神経が正常に作動していないのが分かる。
 ストレス。
 意識していないレベルで過剰な圧力に神経が蝕まれているのだ。
 急激なストレスは正常な判断を狂わせる。
 今直ぐにでも撃つべきだ。
 刺し違えても発砲すべきだ。
 討ち死にであっても討ち死にの方がマシな気がする。
 ……今すぐ撃てとメタ認知の自分が騒ぐ。
 メタ認知の自分が現れるほど神経が磨り減っている。
 足の裏が本当に根を張ったように動かない。……動かないように釘付けにされているのか?
 緊張が高まる。
 緊張しているのは三代だけ。あの二人は全く動じていない。真正面の雪代貴子を睨みつつ時折、綾音に視線を走らせる。
 撃てと命令するもう一人の自分と、まだダメだと反対する自分。
 この場に居る3人とも、『即座に銃を構えて発砲するのに向いていない格好なのだ』。
 三代はホールドアップで、右手人差し指にベルサM25のトリガーガードを掛けた状態。
 雪代貴子は左手はロフスト杖を保持し右手のスコーピオン短機関銃は銃口を床の方を向いている。
 両手が自由な綾音は、ヤクザ映画の悪役のように腹のベルトに深くベルサM85を差し込んでいる。
 雪代貴子の言葉を信じるなら、もうこの場で三代には用は無いはずだ。
 それでも徒ならぬ圧力を感じる。動けば殺すと云う空気が伝わる。この二人にとっては『撃ち殺す』とは限らないだろう。この場で三代を即死させる方法など幾らでも用意していると見たほうがいい。
「!」
 ふと、『答えの一つ』に辿り着く。
――――まさか……。
――――まだ『テスト』の最中?
――――それに賭けるなら『それ』しかない!
 三代はベルサM25を掛けた右手の人差し指を少し、ゆっくり折る。
――――やっぱり!
 先ほどからの圧力や殺意の正体が判明した。
 三代の右手人差し指が鍵だった。
 用が無いのなら、直ぐに踵を返して立ち去ればいい。
 そこで立ち去れば容赦なく背後から撃たれていた。
 だが、三代は殺意の中に違和感を覚えて意識的に硬直し、ホールドアップのまま動かなかった。
 殺意の笑みだけで三代の戦闘意欲を消失させ、ホールドアップさせたのは流石、雪代貴子だった。
 そしてテスト続行。
 違和感を『覚えさせたい』のが……違和感の正体を『見破って欲しいのが』次のテスト内容。
 三代が反撃の意思やその機会を窺えば伺うほど、雪代貴子は白魚のような指先でスコーピオンの引き金にそっと触れていた。
 視界の端に映る綾音は、右肘を僅かに動かしていた。
 喋らなくとも、態度で示さなくとも、小さな所作を繰り返すことにより、三代に違和感を覚えるように意識の下に刷り込んでいた。
「……なるほどねえ。綾音、見破られたわ。ここまでにしましょう」
「はーい」
 雪代貴子は肩の力を更にストンと抜くと、何も警戒せずに、三代が発砲する可能性も考えずにスコーピオンに安全装置を掛ける。
 左耳が小さな金属音を聞いたので視線を走らせると、綾音がベルサM85を抜き、セフティを掛けていた。
「まあ、あなたも楽にしなさいな」
 雪代貴子が三代に話しかけている最中に、三代は既にベルサM25を下ろし、大きな溜息を吐く。『この場では用が無くなった』ベルサM25を左脇に滑らせる。
 本当に、それだけで用が済んだ。
 三代に堂々と踵を返してロフスト杖を衝いて歩きだす雪代貴子。
 彼女の黒いロングヘアが寒風に舞う。
 その後ろを子犬のように着いて歩く綾音。
 雪代貴子はそのまま、このフロアの階段へと向かった。エレベーターは勿論稼動していない。あの不自由な軸足で1階から最上階まで昇ってきたらしい。
 全てが『謎かけ』だった。
 スカウトしたがっていた話も本当だろうし、断ったから殺すという多くを語る無言の圧力も本物だった。
 ……そして、全ての事象現象が本当である中に、嘘ではないが悪意の無い引っ掛け問題を組み込んでいた。
 それが、違和感。
 違和感に気付くかどうかを調べていたのだ。
 事実上の面接試験だ。
 『違和感にすら気が付かない馬鹿に用は無いのだろう』。
 面接試験に合格したから『この場で殺されなかったのだろう』。
 恐らく本当に、誰からも三代殺害の依頼の受けていないからだ。
 然し、この先に殺害対象として依頼を受けた場合はその限りではない。
 有能な人材で有ろうと無かろうと、プロなら躊躇わず殺す。
 依頼を遂行する。
 三代も『ビルに潜む対象を拷問して死に到らせる』という依頼以外にも、増援戦力との応戦排撃も依頼の範疇に含まれていたらプロとして戦っていただろう。
 逃げる為に戦っていただろう。
 三代の戦意はあっという間に挫かれた時点で、面接試験スタートで最終的に、或る種の合格判定を貰ったらしい。
 二人が去ってから、緊張の糸が切れて両肩と腰と太腿に突然錘を付けられたように体が重くなり、その場に膝を衝いて四つん這いで耐えた。
 これならば、背後から撃たれるなり切り付けられるなりされた方がマシだった。
 三代は暫く四つん這いのまま極度の精神的疲労を堪えながら、このフロアを這って歩き、壁や手摺を頼りに立ち上がって千鳥足で階段を降りた。
「?」
 ふと視線が廊下や階段や手摺に止まる。
――――え?!
 埃の跡が……三代と潜んでいた殺害対象のものしか見当たらない。
 非常階段のドアは鎖で施錠されている。
 どうやってこの最上階からあの二人は階下へと降りたのだ? それとも疲労が極まって三代の眼がまともに情報を集められなかったのか?
 再び、三代は恐怖に取り付かれて、倍以上の重苦しい疲労を背負った。
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