キサラギ・バラード

 ミトンで白飯のパックを取り出して、更にもう一つの白飯を追加で温め出した。
 2つの缶のプルタブを引いて、後先何も考えずに、その2つにマヨネーズを垂らす。
 脂肪分。油脂分。雑多な動物性たんぱく質。そこへレタスと人参、胡瓜を混ぜただけの雑なサラダ。味付けも減った暮れもなく、マヨネーズだけで風味を変える。
 電子レンジで温めた保存食の白飯を茶碗に移す手間すら惜しんで、箸を持ち出し、卓袱台に全て運ぶと無心に掻っ込む。
 兎に角、塩分。カロリー。空腹を満たしたい。脳裏を過ぎる違和感はこの時ばかりは消え去る。
 マヨネーズを垂らしたツナ缶をぐちゃぐちゃに掻き混ぜ、缶に直接口をつけて流し込むように啜る。
 口中の脂分を洗うわけでもない、ボウルに入ったサラダを齧って歯応えのアクセントにする。
 何度か白飯を口に押し込む。炊飯器で炊いた米ではないので粘り気も甘味も普段なら不満足だろうが、この時ばかりはただただ、炭水化物を欲しているだけの活動だった。味わいなどは忘れた。
 マヨネーズを垂らしたツナ缶を空にすると、今度は同じくマヨネーズを垂らしたハッシュドコンビーフを荒く掻き混ぜて野菜サラダにぶちまける。
 ぶちまけてから顔が半分埋まる勢いでサラダボウルに顔を埋めて、箸でハッシュドコンビーフを乗せた野菜サラダを胃袋に流し込む。咀嚼など考えていないように。
 思い出したように白飯を口に押し込む。
 偶々、卓袱台の近くに置いてあった電気ケトルにセットで置いていたペットボトルの水を500mlほど入れて湯を沸かす。
 湯を沸かしながら、餌のような食事を再開する。
 犬や猫が残飯を漁っているような食事風景。食欲を満たすより空腹を埋めたいだけの食事。
 湯が沸くとその熱湯を空になったサラダボウルに注いで、ペットボトルの水を少し足す。そして……喉を鳴らしながらその程好く冷ました湯を一気に飲む。
「……かーっ!」
 思わずそんな声が出た。23歳独身女性の自宅での独り飯とは思えないほどに下品で乱雑だった。
 後片付けもせず、重い胃袋のまま、寝室に向かい、またもベッドに倒れ込む。いまだに相棒のベルサM25は放置されたままである。
 そしてまた、泥のように眠る。
 彼女の頭の何処にも、昨夜の依頼の顛末を報告する書類の作成は浮かんでいない。生命維持のための活動しか優先していない証拠だった。
 再び目が覚めたのは夕方近くだった。まだ充分に作動しているロレックスは午後5時45分を報せていた。
「……」
 目を擦る。
「……?」
 瞬きをする。
「!」
 目が覚める。一瞬で。
「はあ?!」
 素っ頓狂な声が出る。
 ロレックス・デイデイトの日付を見ると、二日近くも眠っていたことに漸く気が付いた。
 市倉と吶喊した夜、尚江頼子と死闘を繰り広げたその夜明け近くに帰宅して数時間程度の眠りを貪っていたと思っていたのに、ロレックス・デイデイトは確かに48時間近い未来を差していた。
 泥のように眠っていた時間……実際には48時間も眠っていた事になる。
 眠っていたのか、疲労で気を失っていたのかそれは分からない。
 充分に栄養が回ってきていた頭脳は自分の仕事を思い出し、仕事用の部屋に、下着にドテラ姿のまま飛び込み、パソコンを起動させて関係各所に連絡をした。
 冷や汗をかきながらの電子メールでの連絡だった。
 仕事の顛末について記憶があやふやで何も覚えていない。
 報告をしようにも何も纏められない。
 背中に脂汗がじっとりと浮かぶ。
 ……然し。
 意外にも、返信は肯定と絶賛の言葉が羅列されていた。
「?」
――――え? え?
――――何かしたっけ……?
 特に尚江頼子に関して。
 実情はこうだ。
 クライアントは尚江頼子が現場で外部から雇われて待機していたのを知っていた。
 そして、鉄砲玉の本懐を遂げる主人公は市倉だったが、それを隠して、主導権を三代に渡した体をなして吶喊し、三代と尚江頼子を戦わせている間に市倉が『効率よく』鉄砲玉行為を隠れ蓑にしてテナントビルに待機する、敵組織の戦力の壊滅を計っていた。
 ……元から尚江頼子を足止めするための要員として三代が雇われただけだったのだ。
 その使い捨てのつもりで雇った三代が、『切裂く兎』の二つ名を持つ名うての殺し屋である尚江頼子を撃退したのは計算外に上出来な仕上がりだった。
 市倉だけを撤収させる予定だったが、三代の働きが見事だったので、運び屋に三代を自宅の近くまで『運ばせて』放置したら、三代は勝手に立ち上がり千鳥足で帰宅したという。
 何から何まで不思議な依頼だった。
 自分が使い捨てに扱われるのは初めてではないし、武闘派の組織として妥当な配置だ。
 依頼前に決めてあった報酬とボーナスが、上乗せされて地下の銀行に振り込まれているのを確認した。
 脳疲労で倒れていただけの価値が有る仕事をしたのは確かだ。
 脳疲労で前後不覚に陥るのは実に悪い体質を見つけたと、今後の仕事の配分に気をつけようと誓った。
   ※ ※ ※
 銃弾が降り注ぐ。
 激しく、悪意の有る銃弾。
 銃撃戦の最中。廃ビルの最上階で潜んでいた逃亡者を見せしめのために、足の指先から22口径で弾き飛ばして散々命乞いをする様を録画し、最後に腹部に至近距離から5発の弾丸を叩き込んだ。
 依頼は組織の逃亡者に対する『プロモーションビデオの撮影』だった。
 見せしめの対応を『実演』した動画を組織内部で共有し、逃走する人間はどのような扱いを受けるかを知らしめる為だ。
 それ自体に問題は無かった。
 携帯電話で録画したデータは早速クラウド経由で共有ファイルにアップロードされて、依頼人たる『何処かの組織』のサーバーに溜め込まれただろう。
 それで仕事は完遂のはずだった。
 帰路に就くべく死体同然の被害者に踵を向けると、そこには短機関銃を構えた警護要員が……否、増援が待ち構えていた。
 警護する為の人員ではなく、被害者が三代に足止めされていた隙に呼び寄せたのだろう。
 突然の短機関銃の洗礼で始まった銃撃戦。
 『処刑用プロモーションビデオの制作』のためにタカを括っていたので残弾は心許無い。
 ポケットに突っ込んでいるバラ弾を集めれば20発分有るが、悠長に装弾させてくれている時間は無いだろう。今し方の弾倉交換で残りの弾倉は1本。
 無駄な弾は使えない。
 ……そして、現在。咄嗟に遮蔽に飛び込んだところで膠着させられる。遮蔽のコンクリの柱が32口径だと思われる短機関銃の洗礼に為す術が無い。
――――何者?!
――――否……何故?
 左足を引き摺り、右手にスコーピオンを携えたショートカットの女性が、悠々と弾倉を交換しながら距離を保つ。
 その女は左手にロフスト杖を嵌めていた。左足が不自由なようだ。だが、右手と両手の腋や肘裏を使って器用に片手で弾倉交換をする。
 銃使いの中でも、中口径小型の短機関銃スコーピオンを扱う人間は多い。
 その中でも女性は少ない方だが、この業界にこれだけの遣い手が居たのは意外だった。
 片足を引き摺る時点で銃を握る仕事には向いていない。脳裏に片足を引き摺る女の情報は有るには有るが、その人物は事務仕事が専門で現場に出る事は無い人物だった。
 そしてその人物の仕事は、殺し屋や護り屋の斡旋を行う手配師で腹心の部下の女性をイの一番に現場に送り込むのが常だった。
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