キサラギ・バラード
友原三代(ともはら みかえ)。先月で23歳になった。この業界では若過ぎる方だ。
最も、若いから腕前も若いとは限らない。後ろの暗い業界では人を外見と年齢で判断するのは危険だ。
何もかもが平均的。それが彼女の外見上の最大の特徴。
優れた体躯を持たない。優れた美貌に恵まれない。特筆すべき点が見つからない。雑踏に紛れ込めば、明るい世界の住人と見間違えても仕方が無い。
顔は知られている。知られているのは顔。
名前は聞けば思い出す。特徴のある名前なのに記憶に残らないぬるりとした印象と発音の名前。
彼女の身の上調書は、それ以上に特筆するところが無い。
その仕事ぶりと彼女を比較しても、あの平均的な23歳女性の何処にそんな力が有ったのかと、誰もが首を傾げる。
恐ろしいのは……彼女は自分が平凡で、何の変哲も無い姿をしていると云う自覚が有ることだ。
この業界で生きていくのに必要とされるスキルは様々だが、街中を歩いていても誰にも気に止められない雰囲気を纏っているというのは大きな武器だ。
そして、彼女の仕事は……暴力のレンタル屋だ。
鉄火場を主にする荒事師に分類される職業。
コロシが仕事ではない。飽く迄、暴力だけだ。
殴りもするし締め上げもする。ナイフで突き刺す事もあるし、焼け火箸を押し当てる事もする。
だが、コロシ専門ではないし拷問係でもない。殺し屋ではない。
髪の毛一本分の匙加減で、絶妙な暴力を撒き散らすだけの鉄砲玉と紙一重の職掌だった。
故に、加減のできる拳銃を常に懐に呑んでいた。
彼女は職掌柄、フリーランスだ。何処の組織にも属さない。フリーランスという事は常にスケジュールやタスク管理は自分で行う。
それだけに留まらず、出納管理も行うので、他業種の事業者と連絡を取って連携する打ち合わせも一人で行っている。
だからこそ、この業界で若いのだ。
年齢が若いうちは必ず何処かの組織の庇護を受けながら実力をつけて独立をする。そのまま組織の出張所を任されることも多い。
僅か23歳で実力もネームバリューもここまで広く浸透させるのは数少ない。
間違い無しに腕利きだった。
彼女の腕利きを証左する事柄として、如何にも素人が場当たり的に行った暴力犯罪を撒き散らすことだろう。
プロが行ったと判断するのは難しい。
報復活動を行おうにも、彼女が遂行したと判断される事態は少ない。
それに誰もが知っている……彼女は誰かに雇われた末端で、彼女を殺しても何の解決にもならないと。
その仕組みを教えてもらったのか会得したのか、彼女は名前と仕事振りが流布されている割に、彼女の名前と顔を同時に覚えられることは少ない。
顔を晒し、仕事振りが評価されているのに、名前は誰の記憶にも印象が薄く残るだけ。
間違い無しに、裏の世界を渡り歩く為に生まれてきたような天才気質だった。
尤も……天才気質であるか否かを判断する材料すら数が少ない。
三代は今夜も二月の寒風の中、男性用フライトジャケットを着て路地を歩く。
口に銜えたチョコレートフレーバーのシガリロと、フレームレスの眼鏡。
それと高校生の陸上部員のようにさっぱりとしたショートカット。
成年とも未成年とも伺える風貌。やや抽象的な美貌。メイクを施せば大きく化ける可能性を無限に秘めた逸材。
それを台無しにする彼女の手腕。
左手を尻ポケットに伸ばして、そこに突っ込んでいた黒いニット帽を取り出し、無造作に頭に被る。
左手首にキラリと純金の紳士用ロレックス・デイデイトが光る。彼女の細い腕には厳しく腕枷のように重厚だった。
明らかなオーバーサイズのフライトジャケットとロレックス。
顔の輪郭を曖昧にさせるフレームレスの眼鏡。
これだけ特徴のあるアイテムがバラバラに体に『付属』していると逆に、顔そのものの印象が薄くなる。例えば彼女の獰猛な目つきも何度か振り返って確認し直さなければ、只者ではないと認識できない。
彼女の顔に興味を持つ人間が現れても、薄いルージュが引かれた、隠れるように可憐な唇に視線が注がれて、目を直視するのは後回しになる。
特徴のある物を身に纏う事で、顔の印象を薄くさせる。更に、平凡な体躯、平凡な顔……を演出。実際の彼女を……何も纏わぬ彼女を目にするのは運が良いのか悪いのか。
メンズ物のフライトジャケットを着ているのも、体躯の隠蔽に一役買っているのは言うまでも無い。
三代はドブの排水溝に銜えていたシガリロを吐き捨てた。
フライトジャケットのハンドウォームに手を突っ込んだ。使い捨てカイロがじんわりと温熱を提供してくれる。口から白い息が漏れる。
路地を歩く。脳内には既に今夜の仕事場への地図と見取り図、それに撤退ルートも投影されている。
殺す必要は無い。クライアントが望む暴力を撒き散らせばいい。
人が死ぬのは、結果的に訪れる話であって、彼女には殺害の意思は低い。
降りかかる火の粉を払ったとして、それで相手が死んでもそれは結果でしかない。
防御する為の無力化行為ではなく、攻撃的な遅滞戦術の一端を担っているだけなのだ。それゆえに三下ヤクザと共に組事務所へのカチコミも多い。クライアントが彼女の職掌を勘違いしているのではない。鉄砲玉行為も職掌の内なのだ。
今夜は単純に拠点の無力化。
短時間で家屋内部に控えるヤクザの『予備戦力』を負傷させ、使い物にならないように『工作』するのが仕事だ。
左手首の黄金の腕枷を思わせるロレックス・デイデイトを見る。
午後11時を経過。
予定通りなら、この街の外れに有る別の場所で小規模な銃撃戦が展開されているはずだ。
三代が引き受けた依頼は、その銃撃戦の一方の組織からで、敵が増援の呼び出しを掛ける前に、増援の戦力が控える豪奢な洋館に侵入して戦力に数えられそうな人員を全て負傷させることだった。
負傷させるだけといえば多少は人道的に聞こえるが、実際には死者を製造するよりも残酷で非人道的な作戦だ。
死者は死体清掃人を呼ぶだけで用が済む。負傷者は生きている限り救命しなければならない。
足手まといだからと組織の上層が『処分』の命令をくだせば、下位で働く部下や末端の求心力を失い、組織の瓦解に繋がる。
従って、組織の上層としては、出来る限り負傷者は手厚く療養させねばならない。
救急救命に町中の闇医者や、非合法に足を突っ込んでいる医療従事者を掻き集めなければならないだろう。
負傷者の治療と救命と療養。
負傷者が回復するまで人員の穴埋めが難しく、負傷者を助ける為に大金を投入して治療させて、闇医者や非合法と繋がりのある医療従事者に口止め料を払わなければならないのでこれもまた、大金が叩かれる。
即ち、組織に抗争で負傷者が出ることは、人的財政的に苦しくなる事を意味する。
路地、真っ直ぐ往く。
豪邸や大型の家屋が立ち並ぶ、住宅街としては一等地にあたる。
それぞれの物件の間隔が広いのと、真冬なので窓を閉め切っているお陰で多少の鉄火場なら通報される時間も稼げるだろう。
右手はハンドウォームに突っ込んだままで、指先を使い捨てカイロで温める。
最も、若いから腕前も若いとは限らない。後ろの暗い業界では人を外見と年齢で判断するのは危険だ。
何もかもが平均的。それが彼女の外見上の最大の特徴。
優れた体躯を持たない。優れた美貌に恵まれない。特筆すべき点が見つからない。雑踏に紛れ込めば、明るい世界の住人と見間違えても仕方が無い。
顔は知られている。知られているのは顔。
名前は聞けば思い出す。特徴のある名前なのに記憶に残らないぬるりとした印象と発音の名前。
彼女の身の上調書は、それ以上に特筆するところが無い。
その仕事ぶりと彼女を比較しても、あの平均的な23歳女性の何処にそんな力が有ったのかと、誰もが首を傾げる。
恐ろしいのは……彼女は自分が平凡で、何の変哲も無い姿をしていると云う自覚が有ることだ。
この業界で生きていくのに必要とされるスキルは様々だが、街中を歩いていても誰にも気に止められない雰囲気を纏っているというのは大きな武器だ。
そして、彼女の仕事は……暴力のレンタル屋だ。
鉄火場を主にする荒事師に分類される職業。
コロシが仕事ではない。飽く迄、暴力だけだ。
殴りもするし締め上げもする。ナイフで突き刺す事もあるし、焼け火箸を押し当てる事もする。
だが、コロシ専門ではないし拷問係でもない。殺し屋ではない。
髪の毛一本分の匙加減で、絶妙な暴力を撒き散らすだけの鉄砲玉と紙一重の職掌だった。
故に、加減のできる拳銃を常に懐に呑んでいた。
彼女は職掌柄、フリーランスだ。何処の組織にも属さない。フリーランスという事は常にスケジュールやタスク管理は自分で行う。
それだけに留まらず、出納管理も行うので、他業種の事業者と連絡を取って連携する打ち合わせも一人で行っている。
だからこそ、この業界で若いのだ。
年齢が若いうちは必ず何処かの組織の庇護を受けながら実力をつけて独立をする。そのまま組織の出張所を任されることも多い。
僅か23歳で実力もネームバリューもここまで広く浸透させるのは数少ない。
間違い無しに腕利きだった。
彼女の腕利きを証左する事柄として、如何にも素人が場当たり的に行った暴力犯罪を撒き散らすことだろう。
プロが行ったと判断するのは難しい。
報復活動を行おうにも、彼女が遂行したと判断される事態は少ない。
それに誰もが知っている……彼女は誰かに雇われた末端で、彼女を殺しても何の解決にもならないと。
その仕組みを教えてもらったのか会得したのか、彼女は名前と仕事振りが流布されている割に、彼女の名前と顔を同時に覚えられることは少ない。
顔を晒し、仕事振りが評価されているのに、名前は誰の記憶にも印象が薄く残るだけ。
間違い無しに、裏の世界を渡り歩く為に生まれてきたような天才気質だった。
尤も……天才気質であるか否かを判断する材料すら数が少ない。
三代は今夜も二月の寒風の中、男性用フライトジャケットを着て路地を歩く。
口に銜えたチョコレートフレーバーのシガリロと、フレームレスの眼鏡。
それと高校生の陸上部員のようにさっぱりとしたショートカット。
成年とも未成年とも伺える風貌。やや抽象的な美貌。メイクを施せば大きく化ける可能性を無限に秘めた逸材。
それを台無しにする彼女の手腕。
左手を尻ポケットに伸ばして、そこに突っ込んでいた黒いニット帽を取り出し、無造作に頭に被る。
左手首にキラリと純金の紳士用ロレックス・デイデイトが光る。彼女の細い腕には厳しく腕枷のように重厚だった。
明らかなオーバーサイズのフライトジャケットとロレックス。
顔の輪郭を曖昧にさせるフレームレスの眼鏡。
これだけ特徴のあるアイテムがバラバラに体に『付属』していると逆に、顔そのものの印象が薄くなる。例えば彼女の獰猛な目つきも何度か振り返って確認し直さなければ、只者ではないと認識できない。
彼女の顔に興味を持つ人間が現れても、薄いルージュが引かれた、隠れるように可憐な唇に視線が注がれて、目を直視するのは後回しになる。
特徴のある物を身に纏う事で、顔の印象を薄くさせる。更に、平凡な体躯、平凡な顔……を演出。実際の彼女を……何も纏わぬ彼女を目にするのは運が良いのか悪いのか。
メンズ物のフライトジャケットを着ているのも、体躯の隠蔽に一役買っているのは言うまでも無い。
三代はドブの排水溝に銜えていたシガリロを吐き捨てた。
フライトジャケットのハンドウォームに手を突っ込んだ。使い捨てカイロがじんわりと温熱を提供してくれる。口から白い息が漏れる。
路地を歩く。脳内には既に今夜の仕事場への地図と見取り図、それに撤退ルートも投影されている。
殺す必要は無い。クライアントが望む暴力を撒き散らせばいい。
人が死ぬのは、結果的に訪れる話であって、彼女には殺害の意思は低い。
降りかかる火の粉を払ったとして、それで相手が死んでもそれは結果でしかない。
防御する為の無力化行為ではなく、攻撃的な遅滞戦術の一端を担っているだけなのだ。それゆえに三下ヤクザと共に組事務所へのカチコミも多い。クライアントが彼女の職掌を勘違いしているのではない。鉄砲玉行為も職掌の内なのだ。
今夜は単純に拠点の無力化。
短時間で家屋内部に控えるヤクザの『予備戦力』を負傷させ、使い物にならないように『工作』するのが仕事だ。
左手首の黄金の腕枷を思わせるロレックス・デイデイトを見る。
午後11時を経過。
予定通りなら、この街の外れに有る別の場所で小規模な銃撃戦が展開されているはずだ。
三代が引き受けた依頼は、その銃撃戦の一方の組織からで、敵が増援の呼び出しを掛ける前に、増援の戦力が控える豪奢な洋館に侵入して戦力に数えられそうな人員を全て負傷させることだった。
負傷させるだけといえば多少は人道的に聞こえるが、実際には死者を製造するよりも残酷で非人道的な作戦だ。
死者は死体清掃人を呼ぶだけで用が済む。負傷者は生きている限り救命しなければならない。
足手まといだからと組織の上層が『処分』の命令をくだせば、下位で働く部下や末端の求心力を失い、組織の瓦解に繋がる。
従って、組織の上層としては、出来る限り負傷者は手厚く療養させねばならない。
救急救命に町中の闇医者や、非合法に足を突っ込んでいる医療従事者を掻き集めなければならないだろう。
負傷者の治療と救命と療養。
負傷者が回復するまで人員の穴埋めが難しく、負傷者を助ける為に大金を投入して治療させて、闇医者や非合法と繋がりのある医療従事者に口止め料を払わなければならないのでこれもまた、大金が叩かれる。
即ち、組織に抗争で負傷者が出ることは、人的財政的に苦しくなる事を意味する。
路地、真っ直ぐ往く。
豪邸や大型の家屋が立ち並ぶ、住宅街としては一等地にあたる。
それぞれの物件の間隔が広いのと、真冬なので窓を閉め切っているお陰で多少の鉄火場なら通報される時間も稼げるだろう。
右手はハンドウォームに突っ込んだままで、指先を使い捨てカイロで温める。
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