星を掴む

 自宅で命懸けの通常分解を行った後に公乃は愛車でこの場所に来た。 コーヒーチェーン店。約束された店に、約束の時間。同業者で仲間だと思っているマキと落ち合う。
「…………」
 マキは姿を見せないのではない。
 視界に居るはずだが、その姿を認識するのは至難の業なのだ。
 公乃は店内のエアコンが効いた席に就き、カウンターで買ったばかりのブラックのアイスコーヒーをストローで吸う。
 昨今の疫病騒ぎが収束の兆しを見せ始めたとはいえ、店内では杓子定規な間隔で着席することを強いられる。
 視線を左右に振って、店内に居るであろうマキを探す素振りは見せない。
 探すだけ無駄だ。
 あの女は確実にこの店のどこかに居る。
 ぽつんぽつんと座る客の中に居るのか、等間隔で並ぶ客の列の一人なのかは分からない。
 あの女はデジタルとアナログを状況に応じて使い分ける事を知っている腕利きの情報屋だ。この場所に、この時間に公乃を呼び出したのに自らが姿を見せないのも、彼女の考えが有ってのことだろう。奥ゆかしい性格の人間ばかりの情報屋界隈では珍しくない。
 いつものことだと、アイスコーヒーを啜る客の振りをしてスマホを取り出してメールチェック。
 今開いているメールも覗き見されても問題ない、世間への目晦まし用のメールで自作自演の遣り取りが延々と続いている。
 人畜無害の人間を演じる為に用意した一人芝居用のメールボックスに新着が来る。公乃が自分でランダムに送信しているbotからの送信ではない。
「……」
――――ふーん。今回は『こう』来たか……。
 公乃はクスっと笑うとメールを開封して内容を読む。
 マキからのメール。内容はアナグラムと乱数を用いた文字化けソフトで作成されている。
 公乃は文字化けの一定のアルゴリズムから脳内で平仮名に変換していく。
 メールの内容としては、この店内でもう15分も待っているとマキが可愛らしく怒っている様子と、以前話題になっていた『謎のクライアント』の件についてだ。
 『謎のクライアント』と接触して『消えて』しまった情報屋の条件はつい最近まで現場を走り回っていた情報収集請負人だったことと、何度も鉄火場を潜ったはずなのに痕跡を消すのが得意で情報網に名前すら挙がらない情報屋だと云う事だ。
 そして一番注目したのが、『消えた』情報屋はことごとく『武力偵察』じみた強襲を受けていることだ。
 それは、つい先日経験したことだ。……今はまだ『謎のクライアント』の接触は無い。


 たったそれだけの情報だ。
 それだけの情報なのに、詳細が一切情報網に引っ掛からないのが恐ろしい点だった。『消えた』情報屋にしても生死不明だ。
 自分が尾行者に襲撃される真意は不明だが、自分が標的になったのは明らかだった。
 間違いなく第2波が来る。マキの寄越してくれた情報は新しく解析するヒントになった。
 自分が襲撃されたということは、他にも襲撃されて生き延びた者が居ると云う事だ。そして……何より恐ろしかったのは、奥ゆかしくて素顔すら晒さない人間が多い情報屋を洗い出し、先手を仕掛ける手並みだった。
 真意が不明なだけに反抗するのに名案が浮かばないが、自分がこうして生き残ったのだから誰か生き延びた人間も居るだろう。
 幸い自分は情報屋の互助会で理事を務めている。臨時で会合を開いて注意喚起をより一層強く訴えることも可能だ。
 メールの内容からは情報提供者のマキ自身が襲撃されたり尾行されたりした形跡は無いらしい。それだけでも安心した。
   ※ ※ ※
 脇腹の瑕が完全に塞がった。
 幸いだったのは負傷箇所から雑菌が入って感染症にならなかった事だ。夏場の暑くて湿気が高い時期は、汗をかいて不潔な状態が続くので感染症にかかり易い。
 公乃はコーヒー店でマキと間接的に出会って、幾つかの話をした中から有用なワードを拾って何度もパソコンで検索していた。ダークウェブの梯子に次ぐ梯子で眼精疲労に悩まされる。
 勿論、互助会で注意喚起も行った。
 否、行おうとしたら、何人かの理事の情報屋が欠けていた上に理事長が由々しきことだと憤慨して率先し、加盟する情報屋全てに注意を促していた。
 かなり強い言葉での注意喚起だったので、数日間は『護り屋』界隈が季節外れの書き入れ時のように儲かって、それでも足りないから荒事を生業にする拳銃使いや殺し屋の中でも、仕事にあぶれている連中がボディガードの真似事をさせられる。
 一時的とはいえ、疫病の災禍の煽りを受けて冷え込んでいた闇社会の業界が活性化を見せ始めた。
 襲われる者が居れば闇医者が儲かり、情報収集専門の三下は自分を『安全な場所に運ばせる』ために『運び屋』も大忙しだった。
 それに伴い、護身用火器を求めて地下の武器屋も賑わい、購入資金やセーフハウスの確保などで入用の金額を右へ左へと移動させる『地下の銀行』も手数料で儲けが鰻上りとなる。
 何もかもが……正に何もかもが、『正常な日々』となっていた。
 昨今、流行し出した疫病は加速して表の世界どころか表裏一体の裏の世界にまで影響を及ぼし、弱体化した組織は強者に飲み込まれて激しい淘汰が始まった。
 それからと云うもの、内通者の炙り出しや顧客の再調査、業者の選定のし直しなどで倒産する【会社】や個人事業主が多発した。
 次に何処の業種が危ないか、自分の職場は大丈夫かと云う疑心暗鬼や猜疑心が働いて、情報屋が情報屋から情報を買い、その情報を相場から外れた高い金額で情報屋に売りに出して、結果として内外に情報屋不信すら生み出していた。
 情報屋と云う聖域に住んでいる人間を敢えて狙うことで『経済』が回復した。
 この効果を狙って情報屋界隈に危機感を持たせた人間が居たのなら、それはこのような暗い世界で頭と腕を振るわずにもっと明るい世界で活躍するべきだ。
   ※ ※ ※
「まさか」
 平井一は軽く肩を竦めて口角を少しばかり上げる。
 秘書の田中井裕子が最近の闇社会の動向を報告した後に、自分の思うところとして、全ては情報屋の命を狙う算段を立て始めた頃から状況が好転している事を発言し、自分の上司である平井一は最初からこれを狙っていたのでは? と疑ったのだ。
 なのに、一笑されてそれは違うと否定される。
「本当に情報屋が欲しいだけさ。腕の立つ、現場を知る、パソコンを弄ること以外に才能がある情報屋が欲しかったんだよ。だから企画書を書いて提出した。企画課の仕事だが、アイデアの提出は全社員に課せられた義務だよ。自助努力無しでこの【企業】に席を置いている人間は居ない……私はね、ただ、『凄い情報屋が欲しいのでこのような方法で選別しても良いでしょうか?』と上層部に具申しただけだよ」
 呆れた顔しか作れない田中井裕子。
 益々上司の思考の奥行きが掴めなくなった。
 平井一自身こそデスクから動いていないではないか。なのに自分たち【企業】の業績も右肩上がりを見せている。
 勿論、搾取する対象は表の世界の住人なので全世界の人間が救えたわけではない。組織が助かると云うことは、その負を押し付けられる界隈が有ると云う事だから。
 今更心が痛むことは無いが、自分たちの世界と【企業】を守るためにこの街の裏の世界全部を巻き込むスケールの大きさに呆れるばかりだった。
    ※ ※ ※
 皮肉にも活気が戻る業界。
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