星を掴む
そしてもう一枚の食パンを乗せて挟む。
朝食なのか昼食なのか判然としない食事。
よく考えれば布団から出て時計を見ていない。
今が太陽が照りつける時間帯なのは分かる。
兎に角何か、塩味のするたんぱく質を食べたかった。
疲労と眠気で知能が低下している今の公乃では、この程度のメニューを搾り出すのが精一杯。
その適当すぎるサンドウィッチを皿に乗せて冷蔵庫で冷えていたリキッドコーヒーをブラックのままマグカップに注ぎ、冷房が効いている布団が敷きっぱなしの部屋へ行く。
寝室扱いの布団が敷いてある4畳半の和室で敷き布団に胡坐を書いて座ると、兎に角、喰らった。
好みの硬さにトーストされた食パンのサクサク加減が歯に心地よい。胡瓜の瑞々しい弾力が噛むたびに口の中で広がる。遅れてロースハムが岩塩を纏って台頭して動物性たんぱく質らしい歯ごたえと風味を撒き散らす。
岩塩と共に砕かれて混ぜられているハーブや黒胡椒などが発汗で疲労した体に染み入るように美味さを叫ぶ。咀嚼する事すら面倒になっても疲れた胃袋を労わってよく噛む。
最後までほんの3分で完食しマグカップ一杯分のリキッドコーヒーで一気に口から喉から食道から押し込んで胃袋を満足させる。
それでも尚、胃袋が塩分を欲したので、冷蔵庫で転がっていたカットしていない生のトマトに岩塩を振りかけて台所で貪った。
口元から水分が顎先を伝って滴る。
果物を食べているというより、血液交じりの生肉に齧りついている貪欲さだった。
皿に先ほどスライスした胡瓜の残りにもマヨネーズを直接塗りつけて齧る。
食材のはずのロースハムも適当に包丁でスライスしてそのまま齧る。時折、賞味期限切れが今日の牛乳をパックに口をつけて、喉を鳴らして飲む。
食事と云うよりも益々、エサと云う表現が近くなってきた。
高校時分に読んだハードボイルド小説でも、負傷した主人公は眠りを貪った後に必ず肉の塊にかぶりついてワイルドな栄養補給をしていた。当時はその野性味に中てられて腹が減ったものだが、自分がそれを図らずも経験することになるとは思わなかった。
これも全て暑い夏が悪い。
額に汗の粒が吹き出る。暑さなのか必死ゆえか、汗が止まらない。胃袋を満足させた後に再び冷房の点いた涼しい部屋に戻り、胡坐を書いて一呼吸。
やっと人間らしくなったと実感。
吹き出る汗を体拭き用にドラッグストアで買っておいた消毒剤入りの使い捨て紙タオルで全身を拭く。
序に脇腹の絆創膏も張り替える。勿論、まだ瘡蓋は出来ていない。高校時分に読んだ野獣のような男が主人公のハードボイルド小説では、半日で薄皮が張るほどの回復力を見せていたのにな……と詮無き事を考えながら思考を分散させて痛みを有耶無耶にする。
その隙に抗生物質の軟膏を塗り、新しい大判の絆創膏を張る。まだまだ鋭い痛みと熱い感覚を覚える。
※ ※ ※
脇腹の負傷から一週間が経過。
脇腹には薄皮が張り、もう出血は無い。触れれば少し違和感に近い痛みがする程度だ。もう軟膏は使っていない。
あれからヘルワン・モデル・ブリガーディアを抱いたまま眠る毎日だったが、敵襲らしいものはない。
それどころか、その夜の事件は『無かった』事になっている。
自分が発砲して、人が死んで負傷したのだから闇医者に駆け込む闇社会の人間も居るだろうと考えたが、自分の情報網ではヒットしなかった。同業者や仲間だと思っているマキにもメールで聞いてみたが、『誰も興味を惹く事件として』認識していなかったのだ。
確かに事件として存在しているが、情報網で売買されている形跡は無い。
このようなケースは偶にある。
全くニュースとしての価値が無いので、ネットの海の底に消えたままサルベージ不可能になる場合だ。
自分がその事件の渦中にいるかと思うと、怪談話の主人公のように寒気がした。
あの夜に命を落としていれば自分と云う存在は誰もが知っている人間なのに、誰も知らない存在としてデータで残って埋没し、骨も墓も残らない状態で消えてしまうのだ。
午前9時。
朝から警報が出るほどに灼熱。太陽光線は最早兵器だ。歩いているだけで熱中症になり行動に支障が出る。
闇社会の人間でも、人間であるからにはたんぱく質だ。熱で変形すれば元には戻らない。即ち、そのような人間が行動してはいけない時間帯に公乃は外出して、下駄履き感覚で乗り回している黄色いルノー・カングーで約束の場所に出向く。
エアコンが効いてくるまでに目的地付近に到着し、10分ほど歩く。今日の気温は40度近くなる。その午前9時過ぎの日光は衣服とキャップで防御していても肌が痛い。
ジャッジ帽と頭の間に保冷ゲルを挟み、首周りに冷却材を仕込んだスカーフを巻く。肘から下は紫外線カットの効果が有る日焼け防止カバー。
白いサマーカーディガンに袖を通しているが、万が一に備えてヘルワン・モデル・ブリガーディアを隠匿している。
ヘルワン・モデル・ブリガーディアを隠すと云うより直射日光の侵入を防ぐ目的の方が大きい。
自宅を出る前にヘルワン・モデル・ブリガーディアを通常分解でクリーニングしてきた。
基本的な構造は伝統的なベレッタの大型自動拳銃と変わらない。無くすほどの細かな部品も無く、銃身にブラシを通し、スライドスペースに溜まった火薬滓を拭き取り、可動部位にオイルを吹き付けて作動確認専用の薬莢を詰めてドライファイヤで引き金を引く。
銃火器を2挺以上持たない人間にとっては、クリーニングの時間が一番危険な時間だ。
最強最後の武器が使えない状態で、敵襲を受けると殴りかかるか手元の物体を投げつけて反撃するしかない。万が一に備えてナイフを手元に置く人間も居るが、ナイフを選択するような手練は多くは無い。殆どがバックアップやホームディフェンス用に同じ銃か、それに相当する銃を手元に置いて銃をクリーニングする。
ナイフを器用に扱える人間にしても、殆どが複数の銃を手元に置いている。荒事稼業になればなるほど、臆病なほどに慎重になる。
公乃は情報屋でしかない。護身用レベルの火力が有れば良い。その護身用レベルが使えない場合は矢張り緊張するものだ。
過去に一つの銃を長く愛する腕利きの殺し屋が、銃火器のクリーニング中に襲撃を受けて呆気なく殺害された例を幾つも知っている。
闇社会では腕利きだから長生きとは限らないし、荒事は職掌で無いから命の危険が無いとも言い切れない。
公乃としては襲撃であったとしても反抗して死ねるのなら本望だ。問題はクリーニングの最中は引火する揮発性のクリーニングリキッドを用いるので窓を全開にしなければならないことだ。暑さで熱中症にかかってダウンする事が命懸けに思えたのだ。
戦う前に熱中症で死ぬ……そんな闇社会に於ける夏の死亡例として長く語り継がれたら死んでも死に切れない。成仏できずに年がら年中化けて出る自信が有る。
今の時代、エアコン、冷房は贅沢品でも唯の白物家電でもなく、揶揄的表現無しで夏場の生命維持装置だ。人間が人間として生きている限りは生命の維持と保護に最大限、傾注しなければならない。
頭が茹でられる暑さや汗でシャツが肌に張り付く不快感と戦いながら、ヘルワン・モデル・ブリガーディアをクリーニングするのは業腹ながら付き合うしかない。
朝食なのか昼食なのか判然としない食事。
よく考えれば布団から出て時計を見ていない。
今が太陽が照りつける時間帯なのは分かる。
兎に角何か、塩味のするたんぱく質を食べたかった。
疲労と眠気で知能が低下している今の公乃では、この程度のメニューを搾り出すのが精一杯。
その適当すぎるサンドウィッチを皿に乗せて冷蔵庫で冷えていたリキッドコーヒーをブラックのままマグカップに注ぎ、冷房が効いている布団が敷きっぱなしの部屋へ行く。
寝室扱いの布団が敷いてある4畳半の和室で敷き布団に胡坐を書いて座ると、兎に角、喰らった。
好みの硬さにトーストされた食パンのサクサク加減が歯に心地よい。胡瓜の瑞々しい弾力が噛むたびに口の中で広がる。遅れてロースハムが岩塩を纏って台頭して動物性たんぱく質らしい歯ごたえと風味を撒き散らす。
岩塩と共に砕かれて混ぜられているハーブや黒胡椒などが発汗で疲労した体に染み入るように美味さを叫ぶ。咀嚼する事すら面倒になっても疲れた胃袋を労わってよく噛む。
最後までほんの3分で完食しマグカップ一杯分のリキッドコーヒーで一気に口から喉から食道から押し込んで胃袋を満足させる。
それでも尚、胃袋が塩分を欲したので、冷蔵庫で転がっていたカットしていない生のトマトに岩塩を振りかけて台所で貪った。
口元から水分が顎先を伝って滴る。
果物を食べているというより、血液交じりの生肉に齧りついている貪欲さだった。
皿に先ほどスライスした胡瓜の残りにもマヨネーズを直接塗りつけて齧る。
食材のはずのロースハムも適当に包丁でスライスしてそのまま齧る。時折、賞味期限切れが今日の牛乳をパックに口をつけて、喉を鳴らして飲む。
食事と云うよりも益々、エサと云う表現が近くなってきた。
高校時分に読んだハードボイルド小説でも、負傷した主人公は眠りを貪った後に必ず肉の塊にかぶりついてワイルドな栄養補給をしていた。当時はその野性味に中てられて腹が減ったものだが、自分がそれを図らずも経験することになるとは思わなかった。
これも全て暑い夏が悪い。
額に汗の粒が吹き出る。暑さなのか必死ゆえか、汗が止まらない。胃袋を満足させた後に再び冷房の点いた涼しい部屋に戻り、胡坐を書いて一呼吸。
やっと人間らしくなったと実感。
吹き出る汗を体拭き用にドラッグストアで買っておいた消毒剤入りの使い捨て紙タオルで全身を拭く。
序に脇腹の絆創膏も張り替える。勿論、まだ瘡蓋は出来ていない。高校時分に読んだ野獣のような男が主人公のハードボイルド小説では、半日で薄皮が張るほどの回復力を見せていたのにな……と詮無き事を考えながら思考を分散させて痛みを有耶無耶にする。
その隙に抗生物質の軟膏を塗り、新しい大判の絆創膏を張る。まだまだ鋭い痛みと熱い感覚を覚える。
※ ※ ※
脇腹の負傷から一週間が経過。
脇腹には薄皮が張り、もう出血は無い。触れれば少し違和感に近い痛みがする程度だ。もう軟膏は使っていない。
あれからヘルワン・モデル・ブリガーディアを抱いたまま眠る毎日だったが、敵襲らしいものはない。
それどころか、その夜の事件は『無かった』事になっている。
自分が発砲して、人が死んで負傷したのだから闇医者に駆け込む闇社会の人間も居るだろうと考えたが、自分の情報網ではヒットしなかった。同業者や仲間だと思っているマキにもメールで聞いてみたが、『誰も興味を惹く事件として』認識していなかったのだ。
確かに事件として存在しているが、情報網で売買されている形跡は無い。
このようなケースは偶にある。
全くニュースとしての価値が無いので、ネットの海の底に消えたままサルベージ不可能になる場合だ。
自分がその事件の渦中にいるかと思うと、怪談話の主人公のように寒気がした。
あの夜に命を落としていれば自分と云う存在は誰もが知っている人間なのに、誰も知らない存在としてデータで残って埋没し、骨も墓も残らない状態で消えてしまうのだ。
午前9時。
朝から警報が出るほどに灼熱。太陽光線は最早兵器だ。歩いているだけで熱中症になり行動に支障が出る。
闇社会の人間でも、人間であるからにはたんぱく質だ。熱で変形すれば元には戻らない。即ち、そのような人間が行動してはいけない時間帯に公乃は外出して、下駄履き感覚で乗り回している黄色いルノー・カングーで約束の場所に出向く。
エアコンが効いてくるまでに目的地付近に到着し、10分ほど歩く。今日の気温は40度近くなる。その午前9時過ぎの日光は衣服とキャップで防御していても肌が痛い。
ジャッジ帽と頭の間に保冷ゲルを挟み、首周りに冷却材を仕込んだスカーフを巻く。肘から下は紫外線カットの効果が有る日焼け防止カバー。
白いサマーカーディガンに袖を通しているが、万が一に備えてヘルワン・モデル・ブリガーディアを隠匿している。
ヘルワン・モデル・ブリガーディアを隠すと云うより直射日光の侵入を防ぐ目的の方が大きい。
自宅を出る前にヘルワン・モデル・ブリガーディアを通常分解でクリーニングしてきた。
基本的な構造は伝統的なベレッタの大型自動拳銃と変わらない。無くすほどの細かな部品も無く、銃身にブラシを通し、スライドスペースに溜まった火薬滓を拭き取り、可動部位にオイルを吹き付けて作動確認専用の薬莢を詰めてドライファイヤで引き金を引く。
銃火器を2挺以上持たない人間にとっては、クリーニングの時間が一番危険な時間だ。
最強最後の武器が使えない状態で、敵襲を受けると殴りかかるか手元の物体を投げつけて反撃するしかない。万が一に備えてナイフを手元に置く人間も居るが、ナイフを選択するような手練は多くは無い。殆どがバックアップやホームディフェンス用に同じ銃か、それに相当する銃を手元に置いて銃をクリーニングする。
ナイフを器用に扱える人間にしても、殆どが複数の銃を手元に置いている。荒事稼業になればなるほど、臆病なほどに慎重になる。
公乃は情報屋でしかない。護身用レベルの火力が有れば良い。その護身用レベルが使えない場合は矢張り緊張するものだ。
過去に一つの銃を長く愛する腕利きの殺し屋が、銃火器のクリーニング中に襲撃を受けて呆気なく殺害された例を幾つも知っている。
闇社会では腕利きだから長生きとは限らないし、荒事は職掌で無いから命の危険が無いとも言い切れない。
公乃としては襲撃であったとしても反抗して死ねるのなら本望だ。問題はクリーニングの最中は引火する揮発性のクリーニングリキッドを用いるので窓を全開にしなければならないことだ。暑さで熱中症にかかってダウンする事が命懸けに思えたのだ。
戦う前に熱中症で死ぬ……そんな闇社会に於ける夏の死亡例として長く語り継がれたら死んでも死に切れない。成仏できずに年がら年中化けて出る自信が有る。
今の時代、エアコン、冷房は贅沢品でも唯の白物家電でもなく、揶揄的表現無しで夏場の生命維持装置だ。人間が人間として生きている限りは生命の維持と保護に最大限、傾注しなければならない。
頭が茹でられる暑さや汗でシャツが肌に張り付く不快感と戦いながら、ヘルワン・モデル・ブリガーディアをクリーニングするのは業腹ながら付き合うしかない。