星を掴む

 公乃は住宅部分に土足で踏み込むと、窓から差し込む僅かな光源を頼りに宅内を走る。
 台所に勝手口が有ればそこから遁走を計るつもりだった。
 尾行者の数は気配の上では3人。
 それ以外に伏兵が潜んでいる可能性も考慮する。
 連中が虚を衝かれて、公乃がこの建物に飛び込むのはさすがに計算していないだろう。計算づくだと云うのなら、飛び込んだ内部を窺うためにポンプアクション式ショットガンの男は顔を覗かせはしなかった。
 この場合のセオリーとしてはトリッキーな挙動で撹乱させ、隙を見て逃走しかない。
 連中が追剥じみた路上強盗ではないのは明らかだ。1万円を脅し取るのに中古価格でも5万円もする銃を使いはしない。しかもそれなりの人数を揃えている。
――――来たね……。
 建物内部に侵入してくる気配を感じた。
 気配はやがて足音や呼吸を纏う。
 複数最低2人。連携が取れているのか話し声は聞こえない。
 その瞬間だった。
 台所に踏み込んだ時だった。
 台所に向かってヘルワン・モデル・ブリガーディアを翳そうかと考えていた時だ。
 銃声が連なる。
 蜂の羽ばたきのような銃声。耳障り。短機関銃。おなじみの9mmパラベラムを用いる銃声ではなかった。少し甲高い。
「!」
――――そんな!
 台所の勝手口を見つけた。
 そのドアの向こうから銃撃される。
 短機関銃の一連射。
 短機関銃の真正面からの洗礼は味わうと必ず夢に出る。大口径マグナムや散弾銃とは違う恐怖を覚える。
 その連射は木製のドアを激しく叩いてミシンを縫ったような跡を拵えた。明らかな盲撃ち。肝を冷やされた公乃。反撃の余地があると悟ったのは瞬き一回分の後。
 ドアに向かってヘルワン・モデル・ブリガーディアの引き金を引く。3発。これも盲撃ち。ドアの向こうに敵は立っている。銃弾は曲がらない。銃弾の直線上に必ず射手が居る。
 ドア一枚を挟んで推測で4m以下の距離。その距離でも互いを視認していなければ、どんなに短機関銃を連射しても対象を仕留めるのは難しい。
 それは公乃も同じく、たった3発でドア向こうの敵を無力化以前に命中させるのは天運に賭けるしかない。
 じわり、と右脇腹が熱くなる。焼け火箸を軽く押し当てられた痛みに変化する。擦過傷を負ってしまったらしい。致命傷とは程遠い。行動に支障はない。支障はないが、怪我をしたと云う精神的衝撃は大きかった。負傷箇所を無意識に庇いながらの行動になってしまう。
 人間とは勝手なもので、他人の血を見るのは大したダメージを追わないが、自分は指先を切っただけで内心が穏やかでなくなる。
 それの大元が短機関銃だと恐怖も加算されて後にトラウマとなる。今はアドレナリンが沸騰しているので不感症気味だが、それでも被弾した事実から目を反らせられない。
「……痛っ」
 アドレナリンや脳内麻薬のお陰で大して痛くは無いが、脇腹を伝う流血の不快感が脳内で誤作動を起こし、痛みのような苦痛を公乃の感覚に与える。
 公乃は左手に保持していたままの予備弾倉と交換した。
 悠々と突っ立っているのは自殺行為ほかならない。直ぐに遮蔽を探すべく背後を振り向く。ドア向こうからの反撃の短機関銃が静かだ。
 振り向き様に予備弾倉をポケットに捻じ込み、ヘルワン・モデル・ブリガーディアを右手一本で突き出して、背後に向き直り睨む。
「…………」
 やや暗い室内。夜の廃屋では光源の確保が命題になる。
 静けさ。静寂。気配が、幽鬼が立ち消えるかのように消え去っている。
 確かに『背後に居たはず』。
 背後に居たはずの気配に対して先制をかけるつもりだったのに、そこには虚無の空間が広がるだけで、廃屋の内部でしかなかった。
 数を数え間違えたか? 表から飛び出るのは危険と考えて、よりリスクの少ないはずの勝手口から意を決して飛び出る。賭けが負ければここで公乃は蜂の巣になる。
 だが、短機関銃の攻撃は皆無で、商店街の路地裏に通じる狭い路地が左右に延びるだけだ。
 足元ではスコーピオンを握った腕が転がっていた。右肘下がスコーピオンを握ったまま引き千切れて放置されている。
 右手側に、この千切れた肘下の持ち主は逃げ去ったのだろう。ペンキを振りまいたような大粒の血液が痕跡を残している。咄嗟に発砲した3発の9mmパラベラム。そのうちの1発がスコーピオンを使う人間の戦闘力を奪い去ったのは明白だ。
 自分が狙われた状況が良く理解できないまま、警戒を解く事無く2時間近く、この建物を中心に辺りを窺っていたが、気配も影も見当たらない。
 やがて、自分は無事だと確信すると、自動販売機の根元に置いた撮影機材を回収して帰宅した。真っ直ぐ帰宅せずに2時間以上も遠回りをして複雑怪奇なルートを辿っていたが、不審な影は皆無だった。
 自宅にも罠や見張りも見つからず、盗聴器や不審物も見つからなかった。
 明け方近くになって自分が負傷している事を思い出して、火が点いたように大慌てで応急処置して湧き上がる痛みと戦っていた。
 痛みに耐えながら、万が一に備えたセーフハウスの重要性を思い知っていた。今度まとまった収入があったら潜伏用に1Kマンションを借りようと心に誓った。
 脇腹の負傷は闇医者に頼るほどでもなく、抗生物質の軟膏を塗りたくったあとに掌ほどもある大判の絆創膏を貼り付け、様子を見ることにした。
 浅く皮が裂けた程度で骨や肉に異常は無い。この程度の負傷なら3日ほど安静にしていれば瘡蓋が完全に止血してくれる。
 その日……正体の分からない気配に襲撃されて負傷し朝方に帰宅した一日は、完全に生活のリズムが乱されて酷い眠気を伴う頭痛に悩まされて布団で倒れこむように眠っていた。
 食事も摂らずに排泄時だけ起きて眠る。布団に入るたびに、惰性と眠気に負けてしまい、今襲撃されても、もうどうでもいいと云う捨て鉢な思考が頭を占拠する。
 眠気と頭痛と鉛のような倦怠感に完全に敗北してしまい、ヘルワン・モデル・ブリガーディアを枕元にホルスターごと放り出したまま眠っていた。
 丸一日その状態で、やはり空腹に堪えられずにのそのそと起き上がり、台所に行く。体が汗臭い。冷房は効いているはずだが、断熱材が薄い壁なので夏は下手をすると熱中症で死んでしまう。実際にこの物件は何人も熱中症患者が発生して救急搬送されている。過去には死者も数人出ている。
 ……幸いにも死者が出て事故物件となった部屋を1年間、安く借りる事が出来た。
 エアコンの付いていない台所で冷蔵庫を漁る。
 吹き出る汗を流す為にシャワーを浴びたかったが、脇腹の流血はまだ止まっていないはずなので控える。
 兎に角、茹で卵を作る。卵は消費期限を計算し忘れたので火を通す。
 冷蔵庫から4枚切りの食パンと胡瓜、ロースハム、トマト、マーガリンを取り出す。
 茹で卵が茹で上がるまで、上半身ブラ一枚で下は水色のホットパンツ姿になる。暑すぎて台所で熱源を扱うと冗談抜きで熱中症になる。この時期はいかに熱中症を予防するかが鍵だ。政府に言われなくとも熱中症には過敏になる。
 5枚切りの食パンを2枚トーストしてマーガリンを壁のように塗る。そこへスライスした胡瓜を10枚ほど貼り付ける。次に少し厚めにスライスしたロースハムとエッグスライサーで薄く切った茹で卵を乗せて、ハーブ、黒胡椒の粉末を含んだ少し荒い岩塩を振りかける。
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