星を掴む

 三下が死んでも上役の情報屋が死ななければ問題ない。つまり、公乃は個人経営主なのに、互助会の理事の一人なのに、未だに現場で情報を集めている『働き者』なのだ。
 具体的な情報収集は昔ながらの出歯亀だ。
 現場に潜入し影から音声や映像や画像を収集して気取られずに撤収する。それだけの仕事だ。
 最近ではドローンで空中からの撮影を警戒して屋内での密談が増えた。
 屋内に忍び込むのに何人もの歩哨をやり過ごさなければならない場合が多い。殺しては駄目だ。怪我をさせては駄目だ。敵対勢力と看做されて途端に銃弾が撃ち込まれる。
 公乃は大きく息を吸った。
 愛飲のシガリロは数分前に吸った。
 吸い込んだ大気は真夏特有の熱気を孕んでいて、肺腑の奥まで焼け爛れそうだ。
 日中の殺人的な猛暑を考えれば今の時間帯……深夜2時はそこそこ空気が凌ぎ易い温度まで下がっているはずなのに、異常気象の延長でこの時間帯でも31度を記録している。
 頭から冷水をバケツでかぶりたい。
 衣服が腕や足や体に汗で纏わり付く。少しの挙動で汗が吹き出る。携行している撮影機材より半分ほど凍らせた2リットルのミネラルウォーターが嵩張って動き難い。肩から機材を提げて背中のデイパックに氷水。
 彼女自身は夏物生地で拵えられたデニムパンツに黒いTシャツと黒いサマーカーディガン。サマーカーディガンは出来るものなら着たくは無いが、左脇のヘルワン・モデル・ブリガーディアを隠蔽させるのに必須だった。
 状況、深夜。熱帯夜も甚だしい。動くだけで汗が吹き出て何度も氷水を呷る。
 深夜2時。
 海岸線に沿った位置に建てられた別荘でなるリゾート地。
 合計で7軒の豪奢な邸宅が贅沢な距離を置いてぽつんぽつんと点在している。それぞれの邸宅に壁は無い。『遠くから全てが見えるので壁は邪魔』と云う米国式の防犯体制だ。
 遮蔽が無いからこそ不審者は隠れる場所が無く、近付くのも難しい。これが仕事でなければ、涼しげな潮騒が聞こえる海辺に駆け出して全裸で海水に没したい。
 今夜の獲物は目前100mの位置に在る一際大きな邸宅で山荘のロッジ風にアレンジされた家屋。
 ディスプレイを掌で覆いながらスマホの画面に見取り図を表示させて脳内の見取り図と照らし合わせ、事前の情報の齟齬を修正する。
 月明かりは無い。光源は外灯と街灯のみ。光量に問題は無い。暗視装置やサーマルカメラは用意できなかった。
 歩哨が居ない楽な仕事。
 サマーカーディガンやデニムパンツの肘膝が汚れるのも気にせずに匍匐前進で建物に近付く。
 目標の建物の殆どから光が漏れている。その他の建物は寝静まって静かなものだ。機材やデイパックに振り回されながら荒くなる息を殺して芝生の上を這い、建物の正面を迂回する。まるでゴキブリが這うように無様に勝手口に近付く。
 彼女が通過したルートは監視カメラの死角となるポイントばかりだ。全方位から建物が見える立地条件と防犯体制。だからこそ『歩哨を立てれば逆に近隣からは怪しく見える』。
 勝手口の監視カメラを封殺するのは簡単だ。高性能な監視カメラほど顕著になる弱点がある。それは……。
「…………」
――――チョロい。
 ヘルワン・モデル・ブリガーディアを素早く抜き、引き金にもセフティにも指を掛けずにグリップを握り込んで軽く左から右へ薙いだ。
 ヘルワン・モデル・ブリガーディアのスライド下部にアダプタを用いて装着させたレーザーポインターが過剰なほどの発光でカメラのレンズを一瞬で『焼く』。
 このタイプの監視カメラは一定以上の発量を出す赤外線を当てられるとレンズ奥の精密機器を守るために一旦、撮影が遮断される。勿論、このレーザーポインターは照準を定めるための純正レーザーサイトではない。公乃がこの時のために特別に取り寄せて今夜、取り付けたばかりの『新兵器』だった。
 監視カメラの作動停止を報せる赤色LEDがぽつんと点灯したのを見ると直ぐに勝手口のドアノブに近付く。
 ありがちなステンレススチールのドアではなく建物の外見を崩さない木造のドア。ドアノブの鍵自体も簡素な作りだ。今では少し時代遅れなシリンダー錠。シリンダー錠にしてはレベルの高い構造だったが、ピッキングツールがあれば数秒で開錠できる。
 様々な太さや硬さの針金を曲げて自作した使い捨てのピッキングツールで開錠すると、自作ピッキングツールを放り投げてドアを静かに開けて侵入する。
 建物の殆どの窓から灯りが漏れているが、それもブラフだ。
 この家屋の人間は未だ就寝していないことをアピールする為の古臭い防犯対策だ。普通のコソ泥ならそれだけでこの家屋は標的として選ばないだろう。
 勝手口から入ったその部屋はキッチンへと続く廊下で、廊下までもが明々と電灯が照らしていた。
 この建物は2階建てで6LDK。
 山荘風の外観を持つ瀟洒な造りの、『表向きの別荘』。実際には非合法な取引や商談を開く為の議場として使用される。名義は一般人。カタギから合法的に脅し取った物件だ。
 ここで行われる密談の内容を事細かに記録するのが目的だ。
 人の気配だらけ。
 一階では薄っすらとビールの匂いが漂う。先ほどのヘルワン・モデル・ブリガーディアは左脇に仕舞って無用な発砲は控えるように心掛ける。
 ビールの匂いが強くなる。
 一階の警備を任された不寝番が、退屈すぎてビールを飲んでいるのだろう。建物の角に来るたびに息を殺し、コンパクトを足元の高さから突き出してその角の向うを確認。
「…………」
 耳を澄ますとイビキが聞こえる。
 話し声が聞こえたかと思ったが、テレビの音量を下げていなかっただけだった。
 イビキの数は2人。ドアの前に立つと左掌を当てて神経を集中させる。人の気配は感じるがアクティブとして認識できる気配は皆無。
 1階の風呂場やトイレなども確認したが気配は無い。足音を殺して2階へと進む。階段を昇りながら機材をバッグから取り出す。汗で背中や腋が不快だ。
 取り出した機材は一眼レフデジタルカメラの形をした、やや特殊なカメラ。作動音が一切しないように調整されているだけのカメラだが、盗撮防止や作動確認の為の作動音が一切しない上に動画や音声も同時に記録できるので公乃は愛用している。
 国内メーカーではない。外国のイリーガルな組織が作らせて地下で流通させている特殊な経歴を持つカメラだった。ファインダーを向けなくともマイクを作動さて集音機能を調整すれば壁の向こうの震動を解析して音に変換し、音源として記録する。
 そのカメラを両手に構えて目標の部屋へと進む。
 監視カメラを監視しているはずの警備要員は眠りこけている。どんなに優秀なカメラでもモニターからダイレクトに変化を窺う人間が目を閉じていると有り難い機能も半減だ。
 話し声。
 ひそひそと話す様子は無く、談笑を交えての歓談に近い。声の数からして4人。
 勿論、室内に警護担当の人員も配置しているだろう。今夜の会合も『表向きはスケジュールに存在しない会合』なのだ。
 話し合っている勢力はこの街を取り仕切る幾つかの勢力でも、下から数えて3番目くらいの、組織としての危険度は低いが、目の上の瘤と感じている同レベルの組織からすれば叩き潰したくて仕方ない。
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