星を掴む
海崎マキと田井中。
どちらが本名でどちらが正体なのかどうでもよくなっている。
今は真相を知りたいだけで、それ以上は全て蛇足だった。
友人だと思っていたマキに対しては怒りを覚えていたが……。
感情よりも、理性の方が働く静かな怒りだった。
だから、田井中とも呼ばれるマキの台詞を待った。
「先ずは謝罪いたします、高矢部公乃さん。元から『万が一に備えて』使える駒として貴女や他にもたくさんのこの世界の住人を『飼って』おりました。今回の一件では部長……私の上司の、平井が企画した業界の冷え込みを回復させるプロジェクトを円滑に進めて早く収束させる為に有能な情報屋に『協力』を仰いだのです。勿論、平井が申しましたとおりに我が社で働く気が有るのならそのまま椅子を約束します。そこで私が以前から有用な人材だと思っていた貴女を推挙して今に到ります。貴女だけでなく、他にも強力な情報収集能力と経験と勘を備えた『この世界の住人』ともこうして交渉中です」
マキの声。
無機質で感情を感じさせない、説明する為だけの発声器官。人間と対面して話しを聴いている気がしなかった。
つまり……上司のプロジェクトに一枚乗っかって、自分の為だか会社の為だか他人の為だか、企画を盛り上げる片棒を担ぎたい時に偶々、公乃と云う、都合のいい使い捨てが手元に居たのでテストして使えるのなら雇って、使えないのなら何も知らぬままに全てを終わらせてからその辺に放り出す算段。
結局、使える人間は取引して使う。
使えない人間には用は全く無いから姿すら見せない。
それは正しい在り方だと納得した。組織を守るためにも末端からの綻びを防ぐための策としては理想的だ。
必要な駒を必要なだけ確保し、捨て駒は処分せず、野に戻す。
『保護』された情報屋は経済的打撃は受けても、誰も死んだ訳ではないので割と丸く収まる……強大な何かに関わりたく無い人情が生理的に働くので、何も無かったことにして知らぬ存ぜぬを通す人間の方が多いだろう。
素晴らしい。全く以って素晴らしい。
巨大組織はそれくらい非人間的に効率だけを求めなければ維持できない。
持続可能な組織運営と云う側面から見ても、正しい判断で王道な作戦。非の打ち所が無い。
……公乃が、自分が捨て駒にされる可能性があった、『飼われていただけの何も知らぬ人間』扱いだったと云う点を除けば。
ヘルワン・モデル・ブリガーディアが気の抜けたような発砲音を小さく響かせる。
表情が伺い知れない……限りなく無表情のまま、海崎マキと名乗る田中井と云う女性は額に射入孔を作って、頸が後部へ直角に折れた。
ゆっくりと仰向けに倒れる。
更にその即死に近い最期を遂げたマキと思っていた田中井と云うらしい女の顔面に2発と心臓に2発叩き込む。それを能面よりは愛想のいい顔で眺めながら葉巻を吹かす平井一。
「……別に……私に全てを話していなかった事が気に入らないんじゃない。私は何も怒ってはいない……怒っていたよ。最初はね……だけど何から何まで正しいんだ。少数が不幸になっても大多数が恩恵に与って世界が上手く廻ればそれは大成功だよね……あんたたちは正しい。私もそうするし、それに従うし、誰かが助けてくれないか待っていたわ……」
公乃の声に抑揚は無い。
ヘルワン・モデル・ブリガーディアを左脇に挟んで、尻のポケットからいつもの黄色い紙箱のシガリロを取り出す。スプリンクラーの水が滴り、へしゃげて中身を見るまでもなく無残なものだった。
「ハバナでよければ?」
平井一は暖炉の上からヒュミドールを手にしてホームバーのほうへ歩いてくる。それをカウンターに置く。
公乃はシガリロの紙箱を捨てるでなく、ポケットに仕舞うと平井一の近くのストゥールに座り、ヒュミドールから葉巻を一本頂戴した。
高級な葉巻には興味が無いので詳しいブランドは知らないが、艶やかなラッパーの美しさは機械巻きのシガリロなど勝負にならないほど美しい。
平井一から手渡されたシガーカッターで吸い口を切り、口に銜えてシガーライターで無作法に炙りながら吸う。本来なら先端をゆっくり炙って満遍なく焦げたところで初めて口に銜えて遠火で炙りながら吸い込むのが作法とされている。
口の中に杉を焦がしたような、それでいて土の香りと甘味の残る芳醇な煙が広がる。たまにはこういうのもいい。
平井一は公乃の隣に座って、シガーシュトレイを差し出した。
公乃は無造作にヘルワン・モデル・ブリガーディアをカウンターに置く。セフティはかかっていない。
足元ではマキとも呼ばれる田中井と云う女の無残な亡骸が、水浸しのカーペットの上で転がっている。
「怒ってなんかいない。ただ……」
言葉が途切れる。
公乃の心に去来する思いの丈は吐き出すのは簡単だった。
吐いた言葉の意図を伝えるのが難しかった。
だから途切れてしまった。
暫く、二人の吐き出すフルボディな紫煙が漂う。
正常に作動し出したシーリングファンとオゾン脱臭気が静かに作動する。
無言の空間。
部屋中、スプリンクラーの水で冷たくなっている。
広々とした空間で、無言で紫煙を吐く時間だけが過ぎていく。公乃も平井一もただの一度も目を合わせていない。
何分、何時間経過したか判然としない緩やかな雰囲気だけが、中空を漂う。
そこに僅かに混じる、血液や硝煙の香り。
ドア付近では、顔にヘルワン・モデル・ブリガーディアの発砲でガスを浴びて大火傷をした男が手探りで床を無様に這っている。両目の視力を失ったのだろう。
「平井……って言ったかしら?」
「ああ」
「私をどうしたい?」
「どうとでもしたいし、どうとでもなれと思っている」
「つまり?」
「田中井君が説明してくれた、想像以上の働きを齎すが、それ以上のリスクを来たす人間かもしれないので、正直、触れるべきでなかった。今、交渉中の情報屋や荒事師と地道に駆け引きをしている方が安全だと感じている」
「……ありがとう。最高の褒め言葉だと受け取らせてもらいます」
公乃は半分ほどの長さになったコロナシェイプのハバナシガーをシガーアシュトレイに置く。ストゥールを立ってヘルワン・モデル・ブリガーディアを懐に仕舞い、水で湿ったカーペットを踏みしめて部屋を出た。
「…………」
残された平井一はこう独りごちた。
「なあ、田中井君。君は殺された理由が分かるんだろ……彼女は君の事を……いや、考え違いかな?」
顔を大火傷した男のいる方向……部屋の出入り口にぴちゃぴちゃと足音を立てて、平井一は近付くと落ちていたグロックG17で四つん這いのまま呻き声を絶やさない男の頭部を撃ち抜いて黙らせる。
グロックG17を捨て、部屋を出た。
部屋を出る前にドア付近のスイッチを押して室内の灯かりを消す。
バタンとドアは閉じた。
※ ※ ※
この業界で繰り広げられた一連の、情報屋が事件と闇社会全体が活気を取り戻した二つの出来事を関連付けて調査する者は、必ず『脈絡不明』の壁に阻まれて全貌を解明できないでいた。
理路整然とした作戦に挟まれた小匙一杯の感情論が、その全てを幻惑し韜晦していたのだ。
公乃は今日も、今夜も機材を背負って夜陰に紛れてスクープを狙って情報収集活動に勤しんでいた。
《星を掴む・了》
どちらが本名でどちらが正体なのかどうでもよくなっている。
今は真相を知りたいだけで、それ以上は全て蛇足だった。
友人だと思っていたマキに対しては怒りを覚えていたが……。
感情よりも、理性の方が働く静かな怒りだった。
だから、田井中とも呼ばれるマキの台詞を待った。
「先ずは謝罪いたします、高矢部公乃さん。元から『万が一に備えて』使える駒として貴女や他にもたくさんのこの世界の住人を『飼って』おりました。今回の一件では部長……私の上司の、平井が企画した業界の冷え込みを回復させるプロジェクトを円滑に進めて早く収束させる為に有能な情報屋に『協力』を仰いだのです。勿論、平井が申しましたとおりに我が社で働く気が有るのならそのまま椅子を約束します。そこで私が以前から有用な人材だと思っていた貴女を推挙して今に到ります。貴女だけでなく、他にも強力な情報収集能力と経験と勘を備えた『この世界の住人』ともこうして交渉中です」
マキの声。
無機質で感情を感じさせない、説明する為だけの発声器官。人間と対面して話しを聴いている気がしなかった。
つまり……上司のプロジェクトに一枚乗っかって、自分の為だか会社の為だか他人の為だか、企画を盛り上げる片棒を担ぎたい時に偶々、公乃と云う、都合のいい使い捨てが手元に居たのでテストして使えるのなら雇って、使えないのなら何も知らぬままに全てを終わらせてからその辺に放り出す算段。
結局、使える人間は取引して使う。
使えない人間には用は全く無いから姿すら見せない。
それは正しい在り方だと納得した。組織を守るためにも末端からの綻びを防ぐための策としては理想的だ。
必要な駒を必要なだけ確保し、捨て駒は処分せず、野に戻す。
『保護』された情報屋は経済的打撃は受けても、誰も死んだ訳ではないので割と丸く収まる……強大な何かに関わりたく無い人情が生理的に働くので、何も無かったことにして知らぬ存ぜぬを通す人間の方が多いだろう。
素晴らしい。全く以って素晴らしい。
巨大組織はそれくらい非人間的に効率だけを求めなければ維持できない。
持続可能な組織運営と云う側面から見ても、正しい判断で王道な作戦。非の打ち所が無い。
……公乃が、自分が捨て駒にされる可能性があった、『飼われていただけの何も知らぬ人間』扱いだったと云う点を除けば。
ヘルワン・モデル・ブリガーディアが気の抜けたような発砲音を小さく響かせる。
表情が伺い知れない……限りなく無表情のまま、海崎マキと名乗る田中井と云う女性は額に射入孔を作って、頸が後部へ直角に折れた。
ゆっくりと仰向けに倒れる。
更にその即死に近い最期を遂げたマキと思っていた田中井と云うらしい女の顔面に2発と心臓に2発叩き込む。それを能面よりは愛想のいい顔で眺めながら葉巻を吹かす平井一。
「……別に……私に全てを話していなかった事が気に入らないんじゃない。私は何も怒ってはいない……怒っていたよ。最初はね……だけど何から何まで正しいんだ。少数が不幸になっても大多数が恩恵に与って世界が上手く廻ればそれは大成功だよね……あんたたちは正しい。私もそうするし、それに従うし、誰かが助けてくれないか待っていたわ……」
公乃の声に抑揚は無い。
ヘルワン・モデル・ブリガーディアを左脇に挟んで、尻のポケットからいつもの黄色い紙箱のシガリロを取り出す。スプリンクラーの水が滴り、へしゃげて中身を見るまでもなく無残なものだった。
「ハバナでよければ?」
平井一は暖炉の上からヒュミドールを手にしてホームバーのほうへ歩いてくる。それをカウンターに置く。
公乃はシガリロの紙箱を捨てるでなく、ポケットに仕舞うと平井一の近くのストゥールに座り、ヒュミドールから葉巻を一本頂戴した。
高級な葉巻には興味が無いので詳しいブランドは知らないが、艶やかなラッパーの美しさは機械巻きのシガリロなど勝負にならないほど美しい。
平井一から手渡されたシガーカッターで吸い口を切り、口に銜えてシガーライターで無作法に炙りながら吸う。本来なら先端をゆっくり炙って満遍なく焦げたところで初めて口に銜えて遠火で炙りながら吸い込むのが作法とされている。
口の中に杉を焦がしたような、それでいて土の香りと甘味の残る芳醇な煙が広がる。たまにはこういうのもいい。
平井一は公乃の隣に座って、シガーシュトレイを差し出した。
公乃は無造作にヘルワン・モデル・ブリガーディアをカウンターに置く。セフティはかかっていない。
足元ではマキとも呼ばれる田中井と云う女の無残な亡骸が、水浸しのカーペットの上で転がっている。
「怒ってなんかいない。ただ……」
言葉が途切れる。
公乃の心に去来する思いの丈は吐き出すのは簡単だった。
吐いた言葉の意図を伝えるのが難しかった。
だから途切れてしまった。
暫く、二人の吐き出すフルボディな紫煙が漂う。
正常に作動し出したシーリングファンとオゾン脱臭気が静かに作動する。
無言の空間。
部屋中、スプリンクラーの水で冷たくなっている。
広々とした空間で、無言で紫煙を吐く時間だけが過ぎていく。公乃も平井一もただの一度も目を合わせていない。
何分、何時間経過したか判然としない緩やかな雰囲気だけが、中空を漂う。
そこに僅かに混じる、血液や硝煙の香り。
ドア付近では、顔にヘルワン・モデル・ブリガーディアの発砲でガスを浴びて大火傷をした男が手探りで床を無様に這っている。両目の視力を失ったのだろう。
「平井……って言ったかしら?」
「ああ」
「私をどうしたい?」
「どうとでもしたいし、どうとでもなれと思っている」
「つまり?」
「田中井君が説明してくれた、想像以上の働きを齎すが、それ以上のリスクを来たす人間かもしれないので、正直、触れるべきでなかった。今、交渉中の情報屋や荒事師と地道に駆け引きをしている方が安全だと感じている」
「……ありがとう。最高の褒め言葉だと受け取らせてもらいます」
公乃は半分ほどの長さになったコロナシェイプのハバナシガーをシガーアシュトレイに置く。ストゥールを立ってヘルワン・モデル・ブリガーディアを懐に仕舞い、水で湿ったカーペットを踏みしめて部屋を出た。
「…………」
残された平井一はこう独りごちた。
「なあ、田中井君。君は殺された理由が分かるんだろ……彼女は君の事を……いや、考え違いかな?」
顔を大火傷した男のいる方向……部屋の出入り口にぴちゃぴちゃと足音を立てて、平井一は近付くと落ちていたグロックG17で四つん這いのまま呻き声を絶やさない男の頭部を撃ち抜いて黙らせる。
グロックG17を捨て、部屋を出た。
部屋を出る前にドア付近のスイッチを押して室内の灯かりを消す。
バタンとドアは閉じた。
※ ※ ※
この業界で繰り広げられた一連の、情報屋が事件と闇社会全体が活気を取り戻した二つの出来事を関連付けて調査する者は、必ず『脈絡不明』の壁に阻まれて全貌を解明できないでいた。
理路整然とした作戦に挟まれた小匙一杯の感情論が、その全てを幻惑し韜晦していたのだ。
公乃は今日も、今夜も機材を背負って夜陰に紛れてスクープを狙って情報収集活動に勤しんでいた。
《星を掴む・了》
19/19ページ