星を掴む
1人を早々に脱落させていなかったら、公乃は既に床で冷たくなっているだろう。
決して、公乃が狭い空間で3人のプロ以上の速度で移動しているわけではない。
壁から突き出た柱を主な遮蔽にし、調度品や観葉植物を蹴り倒して連中の視界を阻害して移動を繰り返しているだけだ。
この3人の連携の要が読めてきたのが大きな理由だった……3人は互いがカバーし合える位置に標的が居ないと発砲しないのだ。
つまり、3人同時に視界に捉えないと発砲する機会と看做さない。
接している標的を確実に仕留める為に、3人同時に発砲する機会が無いと手元が止まる。
その僅かな隙を、永い間カメラ型機材を構えて撮影していた公乃の目が見逃すはずがなかった。
観察眼やタイミングを計る事に関しては誰にも負けないと云う自負がある。身体能力では劣っているがそれ以外も全て劣っているとは限らない。
不気味だったのは矢張り、ソファで寛ぐ中年と壮年の男。何者か?
移動を繰り返しながら、時には堂々と連中の射線の真ん中に立った。この方が連中は発砲しない事を突き止めた。同士撃ちを避けるためだ。 それに、1人の真正面に立つとなれば、他の2人からはその直線上に近い公乃の向こうに居る1人の姿が目視し辛く、銃口の動きが止まる。自分や自分たちの流儀にこだわりのある昔気質なプロほど自分勝手なルールの中で勝負をして勝ちたがる。
窓ガラスが被弾して派手に割れる……こともなく、大きなクモの巣状の皹が入る。
壁にかけていた絵画に孔が開く。
ホームバーの酒瓶が被弾して脆く割れる。
硝煙が渦巻く空間。鼻の奥が痒くなりくしゃみをしそうだ。エアコンとシーリングファンの気流で換気をしているわけではないので、3人の銃撃が続けば続くほど部屋の空気は汚れる。
「!」
体から火が吹きそうなほどの体温上昇を感じていて、喉がからからに渇いていたその時だ。
天井からスプリンクラーの消火水が激しく溢れ出す。3人の殺し屋の『姿が燻るほどに濃密なシャワーのカーテンだった』。
右手前方6mに1人。左手前方7mに1人。その3m右側に1人。
曇る姿だけがスプリンクラーのシャワーの向うに見える。
3人が一瞬だけ、スプリンクラーの作動と警報のけたたましい音に反応して天井を見たシルエットを見逃さなかった。
発砲。3発。公乃のくしゃみを代行するかのような発砲音。
僅かにくぐもった、気の抜けたような発砲音。
銃声と云う鋭く破裂するイメージとは違う。
特大の紙風船を尻相撲で叩き割ったような、そんな発砲音だった。
牛乳瓶ほどの大きさの消音器は、それなりの消音効果を発揮した。鼓膜を激しく叩く音量ではない。
それが3発。
照門照星は覗いていない。
無駄だ。
消音器の外周が太すぎて照準の延長を完全に阻害している。
全ては経験と勘と運による、初めてのイニシアティブからの攻撃。
数瞬遅れてスプリンクラーのカーテンの向こうで、3体のシルエットが膝から沈むように崩れ落ちた。
頭から土砂降りの雨のように水を浴びせられて体が心地よく冷却される。
「…………」
肩で息をする公乃。
鼻先を伝って唇を濡らす消火水を舌先で舐める。
ゆっくりとヘルワン・モデル・ブリガーディアの銃口を下げる。
耳に僅かな足音が届く。濡れたカーペットを踏む音。一歩。二歩。三歩。
シャワーがまだ止まぬ中、右手側からの大きな回転で振り向き様にヘルワン・モデル・ブリガーディアを背後に振りながら体を大きく銃口を向ける。
そこに……ソファで座っていたはずの壮年が、好々爺のような人懐こい顔で立っていた。
左手に剣呑なカーブを見せるカランビットナイフ。
カランビットナイフが公乃の左脇下から右肩へ向かって切りつけるはずの軌道は途中で止まった。
公乃の体を切り上げて、彼女に致命的ダメージを与えることは叶わなかった。
「やれやれ……」
その、濡れそぼった上等な夏物のスーツに身を包んだ壮年は口元と目尻に笑みを零したまま少し困ったように眉を下げた。
「…………」
「……さあ、撃ちなさい」
壮年はそう言った。
振り向き様に直感だけを頼りに構えたヘルワン・モデル・ブリガーディアは壮年の額にぴたりと合わせられており、壮年のカランビットナイフの切っ先は、公乃の右腹で停止していた。
刃の先端が、再装填するつもりで左手で抜いて、待機させていたヘルワン・モデル・ブリガーディアの予備弾倉に当たって停止していた。
『予備弾倉を抜く余裕を与えられた』と錯覚していなかったら、この白髪頭の壮年に一瞬で切り殺されていた。
気配を察知できるのに、殺意も敵意も悪意も含まれていない奇妙な気配。
正確にはカタギの人間と同じ匂いが漂うので、警戒を解いてしまう気配。
さすがは『暗殺専門の部署でリーダーを任される人間』だと思った。 椅子に座ってふんぞり返っているだけではこの地位には辿り着けないと云うことか。
「撃ちなさい」
もう一度、好々爺の顔をした壮年は言う。
公乃は、引き金を引いた。
仰向けに倒れる壮年。後頭部から脳漿の欠片を撒き散らして頸を不自然な方向に折り曲げてゆっくり仰向けに倒れる。
その顔から人懐こい笑みの壮年の表情は消えていなかった。
この壮年は自分の死を悟ったのだ。
銃口を向けられ、自らの切っ先を停止させられたのを、『偶然ではなく、公乃の実力だと推し量った結果、自分はここで討たれるべきだと』悟ったに違いない。
「あーもしもし。私だが……ああ、警報機は誤作動だと消防の方に伝えてくれ。今取り込み中でな……ははは、『大事な商談』の最中に水浸しだよ。高い葉巻が台無しになってしまった」
全く場の空気にそぐわない軽い声。
葉巻を吸っていた中年の男が、いつの間にかスマホを取り出して通話をしている。彼はそれだけ言うと通話を切って、スマホをテーブルの上に置いた。
「……!」
「まあ、そう警戒しなさんな」
中年は飽く迄軽い口調。
この男は事前の調査が正しければ、【企業】と呼ばれる全貌不明の組織で勤めている人物だ。
秘書課なる部門を隠れ蓑に、殺し屋を始めとした荒事師のヘッドハンティングを主な職掌としている人物で、今夕からの会合も対立する組織の殺し屋部門の長と、全貌不明、謎の組織の『殺し屋を集めている部門』のリーダーが話し合いをして、何かしらの密約が交わされるらしいとの海崎マキからのリークだった。
確かに市場の趨勢をひっくり返さんばかりの巨大組織同士の一部門に居る長が、上層に連絡無しで密約を成立させるのは有ってはならない。 大きなスクープだ。
そうなるはずだった……これすらも、海崎マキがこの場をセッティングして公乃を釣り上げたのだとしたら……。彼女は一体……。
「ほう。流石に怪しいと思ってるな」
中年は静かに立ち上がり、暖炉に向かう。
無防備な背中を見せる。
先ほどの壮年とは違う……異質としか形容のしようが無い圧力を滲ませる。
背中から撃てばこちらが死ぬ、と云うような危険を感じさせる圧力ではない。
それこそ床が抜けたり、天井が落ちてきたり、壁から槍が突き出したり、ヘルワン・モデル・ブリガーディアが鳩になって飛び立ったりと云う突拍子も無い事が起きそうな圧力だ。
やがてスプリンクラーは停止して警報も止む。
水浸しの空間で二人。
公乃はヘルワン・モデル・ブリガーディアを再装填した。
弾倉に8発。薬室に1発。
決して、公乃が狭い空間で3人のプロ以上の速度で移動しているわけではない。
壁から突き出た柱を主な遮蔽にし、調度品や観葉植物を蹴り倒して連中の視界を阻害して移動を繰り返しているだけだ。
この3人の連携の要が読めてきたのが大きな理由だった……3人は互いがカバーし合える位置に標的が居ないと発砲しないのだ。
つまり、3人同時に視界に捉えないと発砲する機会と看做さない。
接している標的を確実に仕留める為に、3人同時に発砲する機会が無いと手元が止まる。
その僅かな隙を、永い間カメラ型機材を構えて撮影していた公乃の目が見逃すはずがなかった。
観察眼やタイミングを計る事に関しては誰にも負けないと云う自負がある。身体能力では劣っているがそれ以外も全て劣っているとは限らない。
不気味だったのは矢張り、ソファで寛ぐ中年と壮年の男。何者か?
移動を繰り返しながら、時には堂々と連中の射線の真ん中に立った。この方が連中は発砲しない事を突き止めた。同士撃ちを避けるためだ。 それに、1人の真正面に立つとなれば、他の2人からはその直線上に近い公乃の向こうに居る1人の姿が目視し辛く、銃口の動きが止まる。自分や自分たちの流儀にこだわりのある昔気質なプロほど自分勝手なルールの中で勝負をして勝ちたがる。
窓ガラスが被弾して派手に割れる……こともなく、大きなクモの巣状の皹が入る。
壁にかけていた絵画に孔が開く。
ホームバーの酒瓶が被弾して脆く割れる。
硝煙が渦巻く空間。鼻の奥が痒くなりくしゃみをしそうだ。エアコンとシーリングファンの気流で換気をしているわけではないので、3人の銃撃が続けば続くほど部屋の空気は汚れる。
「!」
体から火が吹きそうなほどの体温上昇を感じていて、喉がからからに渇いていたその時だ。
天井からスプリンクラーの消火水が激しく溢れ出す。3人の殺し屋の『姿が燻るほどに濃密なシャワーのカーテンだった』。
右手前方6mに1人。左手前方7mに1人。その3m右側に1人。
曇る姿だけがスプリンクラーのシャワーの向うに見える。
3人が一瞬だけ、スプリンクラーの作動と警報のけたたましい音に反応して天井を見たシルエットを見逃さなかった。
発砲。3発。公乃のくしゃみを代行するかのような発砲音。
僅かにくぐもった、気の抜けたような発砲音。
銃声と云う鋭く破裂するイメージとは違う。
特大の紙風船を尻相撲で叩き割ったような、そんな発砲音だった。
牛乳瓶ほどの大きさの消音器は、それなりの消音効果を発揮した。鼓膜を激しく叩く音量ではない。
それが3発。
照門照星は覗いていない。
無駄だ。
消音器の外周が太すぎて照準の延長を完全に阻害している。
全ては経験と勘と運による、初めてのイニシアティブからの攻撃。
数瞬遅れてスプリンクラーのカーテンの向こうで、3体のシルエットが膝から沈むように崩れ落ちた。
頭から土砂降りの雨のように水を浴びせられて体が心地よく冷却される。
「…………」
肩で息をする公乃。
鼻先を伝って唇を濡らす消火水を舌先で舐める。
ゆっくりとヘルワン・モデル・ブリガーディアの銃口を下げる。
耳に僅かな足音が届く。濡れたカーペットを踏む音。一歩。二歩。三歩。
シャワーがまだ止まぬ中、右手側からの大きな回転で振り向き様にヘルワン・モデル・ブリガーディアを背後に振りながら体を大きく銃口を向ける。
そこに……ソファで座っていたはずの壮年が、好々爺のような人懐こい顔で立っていた。
左手に剣呑なカーブを見せるカランビットナイフ。
カランビットナイフが公乃の左脇下から右肩へ向かって切りつけるはずの軌道は途中で止まった。
公乃の体を切り上げて、彼女に致命的ダメージを与えることは叶わなかった。
「やれやれ……」
その、濡れそぼった上等な夏物のスーツに身を包んだ壮年は口元と目尻に笑みを零したまま少し困ったように眉を下げた。
「…………」
「……さあ、撃ちなさい」
壮年はそう言った。
振り向き様に直感だけを頼りに構えたヘルワン・モデル・ブリガーディアは壮年の額にぴたりと合わせられており、壮年のカランビットナイフの切っ先は、公乃の右腹で停止していた。
刃の先端が、再装填するつもりで左手で抜いて、待機させていたヘルワン・モデル・ブリガーディアの予備弾倉に当たって停止していた。
『予備弾倉を抜く余裕を与えられた』と錯覚していなかったら、この白髪頭の壮年に一瞬で切り殺されていた。
気配を察知できるのに、殺意も敵意も悪意も含まれていない奇妙な気配。
正確にはカタギの人間と同じ匂いが漂うので、警戒を解いてしまう気配。
さすがは『暗殺専門の部署でリーダーを任される人間』だと思った。 椅子に座ってふんぞり返っているだけではこの地位には辿り着けないと云うことか。
「撃ちなさい」
もう一度、好々爺の顔をした壮年は言う。
公乃は、引き金を引いた。
仰向けに倒れる壮年。後頭部から脳漿の欠片を撒き散らして頸を不自然な方向に折り曲げてゆっくり仰向けに倒れる。
その顔から人懐こい笑みの壮年の表情は消えていなかった。
この壮年は自分の死を悟ったのだ。
銃口を向けられ、自らの切っ先を停止させられたのを、『偶然ではなく、公乃の実力だと推し量った結果、自分はここで討たれるべきだと』悟ったに違いない。
「あーもしもし。私だが……ああ、警報機は誤作動だと消防の方に伝えてくれ。今取り込み中でな……ははは、『大事な商談』の最中に水浸しだよ。高い葉巻が台無しになってしまった」
全く場の空気にそぐわない軽い声。
葉巻を吸っていた中年の男が、いつの間にかスマホを取り出して通話をしている。彼はそれだけ言うと通話を切って、スマホをテーブルの上に置いた。
「……!」
「まあ、そう警戒しなさんな」
中年は飽く迄軽い口調。
この男は事前の調査が正しければ、【企業】と呼ばれる全貌不明の組織で勤めている人物だ。
秘書課なる部門を隠れ蓑に、殺し屋を始めとした荒事師のヘッドハンティングを主な職掌としている人物で、今夕からの会合も対立する組織の殺し屋部門の長と、全貌不明、謎の組織の『殺し屋を集めている部門』のリーダーが話し合いをして、何かしらの密約が交わされるらしいとの海崎マキからのリークだった。
確かに市場の趨勢をひっくり返さんばかりの巨大組織同士の一部門に居る長が、上層に連絡無しで密約を成立させるのは有ってはならない。 大きなスクープだ。
そうなるはずだった……これすらも、海崎マキがこの場をセッティングして公乃を釣り上げたのだとしたら……。彼女は一体……。
「ほう。流石に怪しいと思ってるな」
中年は静かに立ち上がり、暖炉に向かう。
無防備な背中を見せる。
先ほどの壮年とは違う……異質としか形容のしようが無い圧力を滲ませる。
背中から撃てばこちらが死ぬ、と云うような危険を感じさせる圧力ではない。
それこそ床が抜けたり、天井が落ちてきたり、壁から槍が突き出したり、ヘルワン・モデル・ブリガーディアが鳩になって飛び立ったりと云う突拍子も無い事が起きそうな圧力だ。
やがてスプリンクラーは停止して警報も止む。
水浸しの空間で二人。
公乃はヘルワン・モデル・ブリガーディアを再装填した。
弾倉に8発。薬室に1発。