星を掴む

 連中に気取られた今、鉄火場は不可避。
 左手にがっしり掴んで携えた機材を守らなければ! 自分の今わの際を使ってでも集めた情報はクラウドへ転送させなければ!
 一瞬でアドレナリンが吹き出る。呼吸は浅く短く速くなる。折角鎮静していた自律神経が叩き起こされて。全身が命懸けで戦う為の準備を完了した。
 脳天から背筋を伝って四肢に鋭い電流が走るのを感じる。
 続いて、脳内でカミソリのように鋭く神経が研がれる。
 反して耳の奥が痛いほど鼓膜が張り詰める。
 時間が止まるのに似た遊離感。瞬きすら忘れる緊張。頭頂部に一滴の冷水が落とされた感覚。
 刹那。
 体が駆け出す。足が、ではなく、体が前のめりに前傾した途端に弾丸のようにドアに向かって駆け出す。
 その場にどさりと落とされて残される機材と機材を包んでいたボストンバッグとデイパック。
 無駄な荷物をすり抜けるように脱ぎ捨てた公乃は、4m前方のドアに飛び込むとヘルワン・モデル・ブリガーディアを右手側に一杯に伸ばして発砲した。
 予想通りにその方向50cmの位置に人の影を見たが、公乃は『その方向を見ながら発砲したわけでは無い』。
 セオリーなら利き手側の影に潜んでいる方が、潜伏している襲撃者は襲撃し易い。
 右手に拳銃を構えていると、左手側へは大きく動かせるが、右手側は銃口を振るモーションが大きい上に、人体の構造上、顎先を右手側に向けなければ標的を捉えづらい。
 発砲した瞬間にその人物は顔を押さえて悶えて尻餅を搗く。銃弾の直撃は免れたが、銃口から噴出する銃火やガスや火薬滓をまともに顔に浴びたらしい。
 最早こうなってしまっては消音器など意味が無い。さりとて、外すだけの時間を稼げるとは思えない。
 公乃の冴え渡る頭脳は、視界に入る全ての情報を生体微電流の速度で計算した。
 約75平米。板間フローリング。右手に暖炉、ホームバー。天井にシーリングファンが3基。部屋の中央に4人掛けソファが2つを中心とした豪勢な応接セット。
 そこのソファに座るスーツ姿の中年と壮年。そのスーツの男の背後に立つ黒いスーツの警護要員と思しき男がそれぞれ一人ずつ。2人。今し方1人を無力化した。
 会談を交わしていたのは中年と壮年。
 それ以外は全て警護要員と看做すべきだ。
 エアコンの効いた部屋。僅かに気流を感じる。シーリングファンが心地よく部屋の空気をかき混ぜているからだ。
 自分に向く銃口。部屋に居た2人。
 大きなバルコニーに通じる大きなガラス戸の近くに立つ、黒いスーツの男。警護要員。
 これで『まともに戦える敵対戦力』は3人居ると断定した。
 中年と壮年はどう見ても守られるのが自分の仕事だと思っている高級幹部だ。気になるのは2人の表情が読み取れないことだ。
 混乱しているのか? 反応が遅れているだけか? 2人ともソファに座ったままこちらを見ている。……いや、『この動きが見えているのか?』
 2人の警護が左右に分かれながら銃を構える。
 瞬き半分ほどの時間、思考が淀む公乃。
 公乃に向かってドアを開いておき、右手側に先手を打つために迎撃要員を潜ませ、プロの警護要員が左右に展開してバルコニー側の黒いスーツの男も暖炉側に寄り、遮蔽を確保しようとしているのに『どうして守るべき中年と壮年の幹部はソファに座ったままなのだ?』
 今まさにこの部屋が鉄火場に変貌しようとしているのに、中年も壮年も微動だにしない。
 中年の男など、我関せずと云う顔でテーブルの上のシガーアシュトレイからパナテラの葉巻を手に取り口に銜える始末。
 そして始まる銃撃戦。
 この間、4秒ほどしか経過していない。
 パナテラの葉巻を銜えている中年の幹部を基準に推理するなら、開いたドアから公乃が吶喊してきた時点で全てを知っていたことになる。
 その上でテーブルの上のシガーアシュトレイから葉巻を取ったのだ。 4秒。情報量の多い4秒。
 情報は多いが、解答は無限に存在する錯覚を感じる。
 誰も彼もがプロの挙動。
 緩やかに公乃を囲む3人の警護要員の距離は、それぞれ10m以下に収まる。
 中年と壮年が対面で座るソファまでは6m。
 自分たちだけはこの鉄火場の中で無関係だと言う顔。
 『安全地帯に居る、ではなく、無関係だという顔』。
 右手側の男が発砲。
 グロックと思しき突起の少ない撃鉄が見えない大型自動拳銃。
 銃弾は公乃の右肩の肉をかする。浅い。激しい痛みが直ぐに湧き出る。ごくごく浅い擦過傷。その証拠に負傷をものともせずにヘルワン・モデル・ブリガーディアが反撃しながら体が左手側に、壁にタックルを仕掛ける体勢で移動。
 ろくに見ない牽制に似た1発の発砲。
 弾き出された空薬莢が床に落ちるまでに、左手側に居た男と暖炉を遮蔽にしていた男が殆ど同時に発砲。
 今し方まで公乃が立っていた……コンマ数秒前に公乃が立っていた場所に弾痕を穿つ。
 ドアに2個の孔が開く。
 3人の警護。
 反撃、迎撃、応戦、防御。攻撃ではなく、後手からの挽回に慣れたプロ。
 警護専門の人員でないことは明らかだ。
 警護の職掌に先制を掛ける攻撃も、攻め来る敵を殲滅する任務も負わされない。逃げることだけに特化した否定的戦闘が主たる任務となる。
 警護はアクティブに戦ってはいけない。戦う素振りを見せて、仲間が連携して警護対象を後方に下がらせて安全を確保した後に、その場より速やかに退避させる。
 なのに、この3人は警護の皮を被ったプロの拳銃使いだった。
 少なくとも連携が取れている。
 公乃が『この建物に侵入している事を前提に』組み合わされた人員の挙動だ。
 顔色が変わらない中年と壮年は囮か? 公乃に何の価値がある? 囮を務める割には肝が据わりすぎている。銃撃戦のど真ん中で美味そうに葉巻を吸う人間を見た事が無い。
 待ち構えていた。この現場は公乃を釣るためのエサだ。
 釣られた事実は認識したが、何故釣られたのかは心当たりが無い。
 狭い空間で頻繁にランダムなジグザグ軌道でステップを踏む公乃。
 グリップには残弾7発。この顔ぶれは悠長に再装填させてくれる顔付きではない。
 公乃の移動した直後の地点に銃弾が叩き込まれる。
 全員の武装は9mmのグロック。発砲音で分かる。
 銃弾と同じくらいに驚異なのが、この狭い空間では銃弾に当たらなくとも銃火とガスと火薬滓の噴出が恐ろしい。眼に入れば失明も免れない負傷をする。顔をガスで撫でられれば酷い火傷を負う。
 何よりも……銃声が怖い。人間と云うより、理性を持つ知的生物である人類である以上、目前付近で突然の銃火の瞬きで瞼を閉じない人間は居ない。
 ヘルワン・モデル・ブリガーディアを扱い慣れた公乃でさえ、発砲する瞬間は生理的反応として、一瞬だけ眼を閉じる。命の遣り取りの現場で視界を一瞬でも閉ざすのはイコール死を意味する。
 目前の3人は戦う。
 戦う人間だ。
 警護の姿をしているが、そう見せかける演技をしていただけだ。
 いずれも調べれば、名のある荒事師として検索できるだろう。
 『4人とも』同じ拳銃を使っているのが全てを物語っている。長丁場の鉄火場でも同じ銃ならば弾倉を共用できるので、柔軟に所持している弾薬を再分配して戦闘力を平均化させる事が可能だ。
 次々と壁に孔が開く。
 ヘルワン・モデル・ブリガーディアは発砲による牽制すら叶えさせてくれない。隙が無い。
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