星を掴む
相手の体に消音器の先端……銃口を強く押し付けて発砲。勿論、ショートリコイルで作動する拳銃でこれを行えば2発目は必ず空薬莢の排莢不良を招いて次弾が素早く撃てなくなる。
男の驚愕した顔。青いTシャツにオリーブドラブの短パンを穿いたニキビ面の若者だった。
若者の顔色は恐怖が張り付いたまま硬直する。自分の左胸に銃口が押し付けられている感触を悟った瞬間に口が開いた。その時には既に発砲が終わっていた。
消音効果は限りなく高く……。
青年の体内に硝煙と銃火が弾丸と共に吹き込まれる。青年の胸骨は叩き割られて心臓に9mmがめり込んで、破裂させて背中から射出孔を作る。飛び出た銃弾は程好くマッシュルーミングしてエネルギーも殺されて壁にめり込む。
「…………ごめんね」
公乃は表情を崩さず小さく口を開いた。
一発で絶命した青年の崩れる体を左手で受け止め、静かに横たえる。胸部の孔から溢れる血液に触れないように気を配る。
ヘルワン・モデル・ブリガーディアは想像通りに2発目が薬室に送り込まれる前に、初弾の空薬莢を排莢口で噛み縛っていたので、慌てずにスライドを勢いよく引く。
鼓膜を刺す甲高い作動音と共に、噛んでいた空薬莢が排出されて次弾が装填される。セフティをかける。転がっている空薬莢を拾ってポケットに捻じ込む。
床に転がったままの青年の死体を台所に引き摺って壁にもたれさせると侵入を再開。
この騒ぎは上階には伝わっていないらしい。この1階フロアにもまだ警備の人員が潜んでいるかもしれないと、一通り足音を殺して歩くが呼吸や寝息も聞こえなかった。
階段の踊り場まで難なく上がれる。
小銃を構えるような緊張感で機材のカメラを両手で構え、慎重に進む。
チラリとビクトリノックスの腕時計を見る。秘密の会合が始まるまで15分。もう軽い応酬は始まっているだろう。
緊張で喉が渇く。
現場を前にして背中のデイパックから冷水を取り出して飲むのは時間が勿体無い気がした。
エアコンが効いているので暑さは感じないが、緊張が原因の脂汗が背中や腋を濡らして不快だった。滲み出る汗に気が取られるすぎているので仕方なく、ポケットにいつも放り込んでいるタブレット型の塩飴を口に放り込み、ミニキッチンへ入る直前のウォーターサーバーで冷水を拝借する。生理的欲求を抑えられるほどの訓練は自らに課していないので仕方が無いと、自分に言い聞かせる。
暢気にウォーターサーバーの水を味わっている暇は無い。
直ぐに機材を構え直して目標の部屋へ進む。足音を殺しながら集音機の調整をする。壁越しに音を拾うためだ。この集音機は目的の部屋だけでなく、辺りの雑音なども拾うために即席の索敵装置になる。
ファインダー内部に投影される様々な数値やパラメーターを見るだけで音源の推定の距離が分かる。カメラ部のレンズがその方向を向いていないのに、雑音を拾う事があればそれは公乃の死角に誰かが潜伏していることを報せる。
サーモグラフ搭載モデルが欲しかったが、輸入しようとしたら地下の機材屋に高額な金額を吹っかけられたので購入を見合わせた。
確かにこれから先に制定されるであろう、スパイ防止法が広まった後の国内ではただでさえイリーガルな機材なのに余計に違法性が増す。失くした時の精神的ダメージも計り知れないだろう。
「…………?」
違和感が漂う。
『邪魔者』が居ないのだ。
これだけ大きな現場なのに同業者が誰も居ない。
建物に侵入して情報を収集するのは公乃の専売ではない。違和感を振り切れずに脳内の片隅が、この現場に赴く切っ掛けになった前後から思い出して一つずつ解析する。
――――大きなヤマ……マキからのリーク。
――――安い元ネタの代金。
――――その割りにハイリターンで現場まで楽勝。
――――何か忘れている?
――――何かが?
――――他の情報屋がこのヤマを掴んで浮かれている様子を聞いた事が無い。
――――自分だけがこのヤマを素直に独り占めできるなんて怪しい……。
――――嫌な事が続いているから神経が参ってるのかな?
そろそりそろりと移動。
カメラのレンズが角で停止。
その機材だけを角の遮蔽から突き出して音声を収録。手元の機材のスピーカーは勿論オフにしてある。
機能の殆どの設定状況を表示して一望できるファインダーを覗く。
狙撃銃に似たレティクルの周囲に、様々な数値やモードの設定状況が並ぶ。
音声は確かに拾っている。壁越しのくぐもった喋り声でもこの機材が電子的に解析してSDカードに書き込んでくれる。
余裕が有れば、クラウドに上げる前に自分の耳で収録した内容を最初から最後まで聞いて無編集で売りに出したい。
どんなに重要で貴重な情報でも、ほんの一箇所でも編集箇所が見つかると途端に価値が下がる。何処の業界でも無修正は偉大だ。
収録開始から1時間が経過した。部屋からの出入りは無い。警護要員は全てこの部屋に集合しているらしい。
会話の内容は残念ながら現場では詳細が聞こえない。
故に、情報屋界隈ではドローンを購入して、窓の外から撮影したり高性能な指向性集音マイクで会話を拾ったりするのが一般的になりつつある。
及第点の機能と性能を具えた機材を手に、現場に密着する情報収集を行っているのは公乃を含めて極少数だ。それが強みになる面でもある。
現場に潜入してネタを掴む度胸のある情報屋は居ないとタカを括った、『ネタにされる側』の人間は、ジャミング発生やワイヤレスの妨害や赤外線の対策に腐心し、『窓から空へ向かって』警戒している場合が多くなった。
公乃のような古臭い技法を用いる情報屋に対しては、それほど力が注がれていない。
公乃のようなレガシーに片足を突っ込んでいる情報屋に対しては警備を増量することで対処している。
先ほどからの違和感はそれだった。警備が全く増量されていない。
同業者とも会っていない。同業者の遠距離撮影すら感知できない。
和やかな雑談のような笑い声が、ドアの向こうから溢れる。密談がこんなにスムーズに進んでいるのにどうして『自分独りだけが知っているネタ』なのか不思議だ。
マキ?
ふと脳裏にこの情報をリークしてくれたマキの顔が過ぎる。いつも気前よく情報をリークしてくれる同業者。全ては彼女の……マキのネタの提供から始まった。
海崎マキ。自称25歳。全ては自称。
公乃も高矢部公乃と自称しているが本名ではない。
騙し騙されの世界で、本物のプロフィールを公開する人間は居ない。 特に情報屋になる前提条件として、プロフィールがばれていないかプロフィールを完全抹消できている事が挙げられる。
基本的に情報屋はミステリアスキャラだ。性別年齢すら不明の人間も居る。非実在だと囁かれる存在も居る。
友人だと思っている海崎マキは勿論本名ではないだろうし、25歳と云うのも嘘だ。確かに風貌は25歳だと言われればそう見える。それ以上の詮索は不要の世界なので今まで考えもしなかった。
『海崎マキとは何者なんだ?』
あの異常な情報のリークはなんだ?
いつもネタの鮮度は高い。
いつもネタの重要度は高い。
いつもネタの秘匿性も高い。
何処の誰からどのようにしてそのネタを掴んでいる? そして、どうして……否、『どのようにして彼女と出会ったのだ?』
気がつけば、マキが友人の顔をして公乃の傍に居た。
いつも物理的距離を介せず、『心理的距離感』として近くに居る。
男の驚愕した顔。青いTシャツにオリーブドラブの短パンを穿いたニキビ面の若者だった。
若者の顔色は恐怖が張り付いたまま硬直する。自分の左胸に銃口が押し付けられている感触を悟った瞬間に口が開いた。その時には既に発砲が終わっていた。
消音効果は限りなく高く……。
青年の体内に硝煙と銃火が弾丸と共に吹き込まれる。青年の胸骨は叩き割られて心臓に9mmがめり込んで、破裂させて背中から射出孔を作る。飛び出た銃弾は程好くマッシュルーミングしてエネルギーも殺されて壁にめり込む。
「…………ごめんね」
公乃は表情を崩さず小さく口を開いた。
一発で絶命した青年の崩れる体を左手で受け止め、静かに横たえる。胸部の孔から溢れる血液に触れないように気を配る。
ヘルワン・モデル・ブリガーディアは想像通りに2発目が薬室に送り込まれる前に、初弾の空薬莢を排莢口で噛み縛っていたので、慌てずにスライドを勢いよく引く。
鼓膜を刺す甲高い作動音と共に、噛んでいた空薬莢が排出されて次弾が装填される。セフティをかける。転がっている空薬莢を拾ってポケットに捻じ込む。
床に転がったままの青年の死体を台所に引き摺って壁にもたれさせると侵入を再開。
この騒ぎは上階には伝わっていないらしい。この1階フロアにもまだ警備の人員が潜んでいるかもしれないと、一通り足音を殺して歩くが呼吸や寝息も聞こえなかった。
階段の踊り場まで難なく上がれる。
小銃を構えるような緊張感で機材のカメラを両手で構え、慎重に進む。
チラリとビクトリノックスの腕時計を見る。秘密の会合が始まるまで15分。もう軽い応酬は始まっているだろう。
緊張で喉が渇く。
現場を前にして背中のデイパックから冷水を取り出して飲むのは時間が勿体無い気がした。
エアコンが効いているので暑さは感じないが、緊張が原因の脂汗が背中や腋を濡らして不快だった。滲み出る汗に気が取られるすぎているので仕方なく、ポケットにいつも放り込んでいるタブレット型の塩飴を口に放り込み、ミニキッチンへ入る直前のウォーターサーバーで冷水を拝借する。生理的欲求を抑えられるほどの訓練は自らに課していないので仕方が無いと、自分に言い聞かせる。
暢気にウォーターサーバーの水を味わっている暇は無い。
直ぐに機材を構え直して目標の部屋へ進む。足音を殺しながら集音機の調整をする。壁越しに音を拾うためだ。この集音機は目的の部屋だけでなく、辺りの雑音なども拾うために即席の索敵装置になる。
ファインダー内部に投影される様々な数値やパラメーターを見るだけで音源の推定の距離が分かる。カメラ部のレンズがその方向を向いていないのに、雑音を拾う事があればそれは公乃の死角に誰かが潜伏していることを報せる。
サーモグラフ搭載モデルが欲しかったが、輸入しようとしたら地下の機材屋に高額な金額を吹っかけられたので購入を見合わせた。
確かにこれから先に制定されるであろう、スパイ防止法が広まった後の国内ではただでさえイリーガルな機材なのに余計に違法性が増す。失くした時の精神的ダメージも計り知れないだろう。
「…………?」
違和感が漂う。
『邪魔者』が居ないのだ。
これだけ大きな現場なのに同業者が誰も居ない。
建物に侵入して情報を収集するのは公乃の専売ではない。違和感を振り切れずに脳内の片隅が、この現場に赴く切っ掛けになった前後から思い出して一つずつ解析する。
――――大きなヤマ……マキからのリーク。
――――安い元ネタの代金。
――――その割りにハイリターンで現場まで楽勝。
――――何か忘れている?
――――何かが?
――――他の情報屋がこのヤマを掴んで浮かれている様子を聞いた事が無い。
――――自分だけがこのヤマを素直に独り占めできるなんて怪しい……。
――――嫌な事が続いているから神経が参ってるのかな?
そろそりそろりと移動。
カメラのレンズが角で停止。
その機材だけを角の遮蔽から突き出して音声を収録。手元の機材のスピーカーは勿論オフにしてある。
機能の殆どの設定状況を表示して一望できるファインダーを覗く。
狙撃銃に似たレティクルの周囲に、様々な数値やモードの設定状況が並ぶ。
音声は確かに拾っている。壁越しのくぐもった喋り声でもこの機材が電子的に解析してSDカードに書き込んでくれる。
余裕が有れば、クラウドに上げる前に自分の耳で収録した内容を最初から最後まで聞いて無編集で売りに出したい。
どんなに重要で貴重な情報でも、ほんの一箇所でも編集箇所が見つかると途端に価値が下がる。何処の業界でも無修正は偉大だ。
収録開始から1時間が経過した。部屋からの出入りは無い。警護要員は全てこの部屋に集合しているらしい。
会話の内容は残念ながら現場では詳細が聞こえない。
故に、情報屋界隈ではドローンを購入して、窓の外から撮影したり高性能な指向性集音マイクで会話を拾ったりするのが一般的になりつつある。
及第点の機能と性能を具えた機材を手に、現場に密着する情報収集を行っているのは公乃を含めて極少数だ。それが強みになる面でもある。
現場に潜入してネタを掴む度胸のある情報屋は居ないとタカを括った、『ネタにされる側』の人間は、ジャミング発生やワイヤレスの妨害や赤外線の対策に腐心し、『窓から空へ向かって』警戒している場合が多くなった。
公乃のような古臭い技法を用いる情報屋に対しては、それほど力が注がれていない。
公乃のようなレガシーに片足を突っ込んでいる情報屋に対しては警備を増量することで対処している。
先ほどからの違和感はそれだった。警備が全く増量されていない。
同業者とも会っていない。同業者の遠距離撮影すら感知できない。
和やかな雑談のような笑い声が、ドアの向こうから溢れる。密談がこんなにスムーズに進んでいるのにどうして『自分独りだけが知っているネタ』なのか不思議だ。
マキ?
ふと脳裏にこの情報をリークしてくれたマキの顔が過ぎる。いつも気前よく情報をリークしてくれる同業者。全ては彼女の……マキのネタの提供から始まった。
海崎マキ。自称25歳。全ては自称。
公乃も高矢部公乃と自称しているが本名ではない。
騙し騙されの世界で、本物のプロフィールを公開する人間は居ない。 特に情報屋になる前提条件として、プロフィールがばれていないかプロフィールを完全抹消できている事が挙げられる。
基本的に情報屋はミステリアスキャラだ。性別年齢すら不明の人間も居る。非実在だと囁かれる存在も居る。
友人だと思っている海崎マキは勿論本名ではないだろうし、25歳と云うのも嘘だ。確かに風貌は25歳だと言われればそう見える。それ以上の詮索は不要の世界なので今まで考えもしなかった。
『海崎マキとは何者なんだ?』
あの異常な情報のリークはなんだ?
いつもネタの鮮度は高い。
いつもネタの重要度は高い。
いつもネタの秘匿性も高い。
何処の誰からどのようにしてそのネタを掴んでいる? そして、どうして……否、『どのようにして彼女と出会ったのだ?』
気がつけば、マキが友人の顔をして公乃の傍に居た。
いつも物理的距離を介せず、『心理的距離感』として近くに居る。