深淵からの咆哮

 その背中に銃口を定めようとすると、健在な取り巻きが自動拳銃を乱射した。乱射でもまともに銃口の前に立つのは拙い。
 右手側に転がりながら、銃口を定めさせないようにトリッキーな移動を行う。
 側転からの立ち上がり。立ち上がりからの前転。燃え盛るドラム缶を遮蔽にしたと見せかけて後転し、地面に伸びて呻き声を上げていた初弾の被害者と同じ高さ……うつ伏せに体を地面に任せて呻き声は一丁前だがビクとも動かない負傷者を遮蔽にし、更にその体にイサカ・オート・バーグラーを委託して発砲。
 ドラム缶を貫通したスラッグ弾は、その向うでドラム缶ごしに此方を伺おうとしていた取り巻きの青年の胸部に命中し、青年は大の字になって後方へ吹っ飛ばされた。
 いつまでも冷たい氷のような地面に転がっていないで、立ち上がりながら足元で残弾を呻いている青年の頭部を力一杯に蹴り飛ばす。青年の首は不自然な方向へと曲がったまま呻き声すら挙げなくなった。
 残りの、負傷していた青年の付近で、安っぽい中型自動拳銃が転がっていた。32口径のベルサでワルサーPPKのコピーだ。
 それを拾い、無造作に引き金を引いて負傷して動けないでいた青年の頭部と頚部に凄惨な孔を開ける。
 弾倉に装填されている実包を8発、吐き出すとスライドが後退して弾切れを報せた。その銃はその場に棄てる。
 表の駐車場でバイクのエンジンがかかる。
――――遊びすぎたか!
 流石に顔色を変えて標的の逃走を防ぐべく、イサカ・オート・バーグラーの薬室に新しい実包を詰めながら表に出る。
「!」
 走って表に出た。決して遅い駆け足ではない。間に合わなかった。
 間に合わなかったのだ。
 逃げられた。
 誰の手も届かない場所へと。
 京のイサカ・オート・バーグラー以外で仕留められたのだ。
 咄嗟にイサカ・オート・バーグラーを右半身の腰溜めで構える。
 目前に人影があった。
 その人物は女だ。
 右手にコルトウッズマンと思しきシルエットの拳銃を携えている。
 銃口はだらりと下げられている。
 その銃口から薄く長い紫煙がゆらりと溢れている。
 バイクのエンジン音で銃声が半分ほど掻き消されたが、確かにこの銃で、このコルトウッズマンで標的の半グレの青年は殺害された。
 延髄部分に1発。
 人間の人体的弱点の一つ。
 針の一刺しで、絶命する部分。
 人影は確かに笑った。
 白い息が淫猥な唇から静かに流れる。
「……女」
 京は思わず呟く。
 女と思しきシルエット。
 ハーフコートらしい。丈の長いスカートらしい。腰まであるロングヘアらしい。
 外灯を背負っての登場。顔は逆光で翳って見えない。
 口元辺りから白い吐息。右手に22口径の自動拳銃。足元に後頭部付近に小さな射入孔を開けた半グレの青年。
 それは京の標的。標的を横取りされた。
 直ぐに引き金を引かねば危険だと、京は背筋に寒気を覚える。左手がイサカ・オート・バーグラーのハンドガードを強く握る。
 不意にシルエットの主は口を開いた。口元だけに僅かに光が差したかのような錯覚。
「どうして? 撃つの? ……自分の標的が横取りされたから? ……自分の命が危ないから? ……私が怖いから? どうして? ……どうして……」
 耳奥に、鼓膜から侵食し脳髄を直接甘く蝕むかのような『魅力的』な声。
 その声は聞いた事がある。
 最近? 昔? 知っている。聞いた事がある。
「…………」
 目前の彼女は静かに静かに、只管静かに「どうして?」と甘く囁きながら台詞を継ぐ。
 その語りかけの文言に深い意味は感じられない。
 どうしてそうなのか? とどうして撃とうとするのか? どうして危険だと判断したのか? 自分の信じた直感が融解する。融解した物がマドラーでぬるりと攪拌されていく。
「あ…………」
 イサカ・オート・バーグラーの銃口が一呼吸ごとに下がっていく。
 目の前で確かに彼女は、右手のコルトウッズマンの銃口をこちらに向けようとしている。だのに、冷静に考える自分。何も考えられない自分。
――――22口径……。
――――当たっても威力は大したことは無い……。
――――この距離……銃口が此方を向いた瞬間が……。
――――勝負……。
 京の瞳孔は霞が掛かったように精気が無い。
 確実にこの距離で目前の人物に対処する方法が頭に浮かぶ。将棋を指すように次から次へと応戦や対処や反撃が手に取るように視得る。
 なのに体が、鉛のように重い。
 重いのに、意識が重いと認識していない。まるで心地よく眠りに落ちるような安堵感。リラックスが極まって眠気を覚えるのに似ている。
 何から何までスローモーションの世界。世界自体がぐにゃりと音を立てて歪む。
「…………」
 涎を垂らしそうな状態に陥る。
 目の前のシルエットが鈍く光るコルトウッズマンの銃口を此方に向けた瞬間に、左手がイサカ・オート・バーグラーを離してしまい、右手にぶら下がり、自重で右手の指に掛かり即座に暴発した。
「!」
 20番口径の暴発音。意識が瞬間に復帰する京。
 イサカ・オート・バーグラーを抱きかかえるようにして右手側にステップを踏み3mほど移動。
「!」
 女のシルエットにも驚愕と焦りが見えた。
 女の放った22口径は京のフィールドコートの襟を掠った。
 京はステップとバックステップを繰り返し、先読みされないように廃工場内部へと後退する。そのステップの踏み方は危機を回避すると云うより生存本能の方が強かった。
 得体の知れない何かが目前に立っている、名状し難い恐怖。
 そもそも、自分がなにゆえに勘と思考が欠落する状態に陥ったのか全く解らなかった。安っぽいマジックの客にでもなったかのように滑稽だったろう。
 廃工場に引き篭もるとイサカ・オート・バーグラーの薬室を開き空のシェルを弾いて再装填。
 ドアの陰に潜む。息を殺す。屋外の気配を感知しようと気を鋭く尖らせる。
「……?」
 気を探るが呼吸や砂利を踏む足音すら聞こえない。
 彼我の距離が曖昧だったのは京の失策だ。黒い彼女との距離が思い出せないのではない。距離感が掴めなかったのだ。
 近いのか遠いのか。
 会話できたのだから近いのだろう。
 歪んだ世界に見えた彼女は、蜃気楼のように幽鬼のように鬼火のように、小さく揺らめいているようにも思えた。
 未だに耳の奥に彼女の「どうして?」と云うウィスパー気味な声がこびり付いている。
 優しく優しく耳掃除されているようなくすぐったさや快感を覚える。思わず京は左右の耳孔に左手の小指を乱暴に差し込んで掻き毟るように押し込む。
 正体不明の女……と思われる存在は何処にも確認できない。
 ポケットからコンパクトを取り出し、工場の外を探る。駐車場には誰も居ない。地面には半グレの……本来の標的の青年が死体と化して転がっている。
 青年の死体で漸く距離が掴めた。15m。工場の正面で入り口からたったの15mしか離れていない。
 その横に彼女は立っていた。
 地面をコンパクトの世界で舐める。
 地面に暴発させた20番口径の弾痕がある。
 その距離は半グレの死体の距離から目算で8m。
 たった8mの距離で、遮蔽も何も無く、突っ立ったまま命の遣り取りをしていたと実感すると背中に冷たい汗が吹き出る。
 結局、都は彼女を見つけることは出来なかった。膠着したかと思ったが、どんな挑発にも反応が無く、彼女がこの場から去ったと断定したのは空が白み始めた頃だった。
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