深淵からの咆哮

 今度は牽制では無い。『殺す心算で』発砲した。
 狭い廊下に20番の咆哮。連中の銃声を押し退ける。
 イサカ・オート・バーグラーの撒き散らした散弾は柱の陰でスコーピオンの32口径を、ホースで水を撒くように発砲していた男の両手から肘先に満遍なく被弾する。
 スコーピオン短機関銃もフレームに数発被弾して大きく凹む。スコーピオンが床に落ちる。
 蜂の羽音のような耳障りな銃声が止む。
 もう1人の自動拳銃が一瞬、黙る。その隙に反撃に出たいが、京は遮蔽から飛び出して身を守る物が無い廊下を、距離を詰めながらイサカ・オート・バーグラーの再装填を行う。
 この瞬間は何度経験しても決して慣れない。
 危険に身を晒さねば得られない物があるのを知っているからこその行動だ。イサカ・オート・バーグラーの薬室を閉じた瞬間に右手側給湯室への廊下の角に到着、靴の裏を床にこすり付けて急ブレーキ。
 予想通りに目前の角からグロックと思しきシルエットの自動拳銃が槍のように突き出される。
 このグロックの遣い手は、こんな短時間で距離を詰められるとは思っていなかったのだろう。
 先ほどのスコーピオンの男はぼろきれのようにぶら下がっているだけになっている両腕の苦痛と凄惨な光景から恐慌状態に陥り、言葉をなさない言葉で喚き散らしているだけだ。人間は他人の負傷や流血には鈍感だが、自身の流血には感覚以上に動揺し正常な判断を失う。
「!」
 グロックを握る手首を左手で捕まえ、角から引きずり出しつつ右足の爪先を角から足裏一枚ほど突き出す。
 すると、重心を大きく崩されたグロックを遣う護り屋は踏ん張るつもりの軸足と反対側の爪先に、急激に重心を移動させようとした瞬間に彼女の邪魔な爪先に躓き、体勢を更に大きく崩されて無様に顔面から床に倒れる。
 受身を取りたいが右手は完全に握られて自由が利かない上に左手は何処にも掴む物が無く、彼の全体重が凶器となり鈍い音を立てる。
 床に顔面をぶつけた瞬間に脳震盪を起こしたのだろう。グロックの彼は白目をむきながら痙攣するように身悶えするだけの無害な存在になった。
 スコーピオンの男は自身の負傷に罵声を浴びせていたが、京に対する罵詈雑言は一切口にしなかった。
 依頼を遂行できなかった事実のみに対して呪詛を垂れ流す。この期に及んで京を金で買収しようとする台詞の一つが出てこないのはさすがプロだった。
 その負傷では暫く日常生活にも支障が出るだろう。護り屋の仕事は休業するしかない。
 給湯室へと向かうと、換気用の小窓が枠ごと外されて無人だった。
 小窓に近寄り足元で捨てられたように転がる窓枠や、外された窓枠の縁に新しい指紋の痕跡を見つけると一瞬で推理が終わる。
 表情の無い顔で、イサカ・オート・バーグラーの薬室を開放してスラッグ弾装填し、窓枠に胸から凭れて左手をサッシ跡に沿わせその上にイサカ・オート・バーグラーを委託する。
 心の中で数えて7秒。
 小窓の向こうに広がる雑多な倉庫街への入り口へと向かう細い路地に標的の背中が見えてきた。
 現場から逃走して、潜伏して、時期を待つには倉庫街への進入が不可避。
 素人ならそう考える。そして素人だから護り屋を雇った。
 鉄火場で命の遣り取りに慣れた人間なら、『背中を見せながら直線距離を走る必要が有る』路地には進まない。
 呼吸が止まる。呼吸を止める。呼吸は止める。
 引き金を、引く。
 夕暮れ時を過ぎた計量事務所の裏手口2階の小窓から、オレンジ色のマズルフラッシュが咲く。
 その数瞬後にはサイトの向こうで、やや小太りな男が後頭部を破壊され、前のめりにつんのめって大の字に倒れるのが見えた。
 この後、京は男の死亡を確認し、男の死に顔をスマートフォンで撮影してクライアントに送信した。
 夕食時に送りつける画像ではないと思ったのは、現場を後にして近くのコンビニで夕食の海苔弁当を買っている時だった。
   ※ ※ ※
 黄色く平たいスチール缶からシガリロを取り出す。
 ハバナ葉を50%もブレンドしているシガリロだがその他のインドネシア葉の主張が少し強い。
 人によってはどっちつかずの中途半端な香りで評価が微妙だ。盲目的なハバナ至上主義者からは散々な評価をされるいつものシガリロに使い捨てライターで火を点けて口腔に一服。
 数秒間、口中で煙を転がした後にゆっくりと長く紫煙を吐く。
 イサカ・オート・バーグラーは構成部品が少なくメンテナンスが楽だった。
 基本的には水平2連発の中折れ散弾銃と同じだ。
 1930年代の骨董品でも、手入れとこまめなパーツの交換をしていれば現役で働いてくれる。尤も、ここまでパーツの交換を繰り返せばオリジナルの部品はどれが残っているのか悩むところだ。
 手元のイサカ・オート・バーグラー自体も中古品の訳有り商品で、米国のオークションでもコンディション上の問題から値段が付かなかったジャンク同然。
 それを米国の好事家が買い取って、改修に改修を重ねてまともに使えるように調整した。
 そして強盗が押し入り、このイサカ・オート・バーグラーが奪われ、長い間行方知れずだった。
 それが今、京の手元にある。
 京はこの銃の身の上は知らない。懇意にしている武器屋に散弾銃を寄越せと言ったらこれが届いた。
 見た目が古ぼけた、瑕だらけのイサカ・オート・バーグラー。
 何か曰くが有りそうだが、京には関係が無い。狙って引き金を引いて当たればそれでいい。
 幸い、20番口径のシェルは国内でも手に入れられる。銃砲店に行けば幾らでもある。強盗に押し入るわけではないが横流ししてもらえば9mmパラベラムや44マグナムよりも安く簡単に早く手に入る。
 イサカ・オート・バーグラーだけに命を懸けているわけではないので、バックアップに豆鉄砲をいつも所持しているが、此方はイサカ・オート・バーグラーより更に頼り無い。
 矢張り自分にはイサカ・オート・バーグラーのパワーが必要だと実感する。
 だからこそ入念にメンテナンスをする。
 時間に余裕が有る時は必ずイサカ・オート・バーグラーに触れている気がする。右手やその反対の左手で構えることも有る。銃弾が解決できる問題は所詮その程度の問題で、極々狭い世界で通用する矮小な力だ。その狭い世界で命の切り売りに似た生き様で生きる事を目指しているのだから、相棒たるイサカ・オート・バーグラーは自分の指の延長線として捉えねばならない。
 イサカ・オート・バーグラーのメンテナンスが終わり、部屋の空気も充分に換気した。
 それからのシガリロを一服。
 辺りにある可燃性の物は厳重に仕舞われている。ここは賃貸ハイツの一室。市内から少し離れた場所に有る閑静な住宅地だ。
 午前10時。
 イサカ・オート・バーグラーのメンテナンスも終わり、3LDKの一室を出る。3つある部屋はそれぞれ、メンテナンスや弾薬をストックする銃火器専門の部屋、依頼の確認や情報をネット経由で交換する仕事用の部屋、寝室と分けている。
 表向きには高神京と云う人物は、在宅ワークで仕事をこなすベンチャー企業の社員と云う身分になっている。
 そのベンチャー企業も実態は無い。闇社会で身分やアリバイを作るのに必要な人間の為に手配されたゴーストカンパニーの一種で書類上は『正しい』ので、隠れ蓑にするのに脛に瑕の有る多数の人間がゴーストカンパニーに『勤めている』。
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