深淵からの咆哮

 銃身下部に縦一列に並んだ予備カートホルダーが印象深い。予備弾薬が銃身下部にあるのに操作性は意外に低く、即座に再装填するのは難しい。コンシールドとしてパックマイヤー・ウォレットホルスターグリップを装着して使用するのなら、再装填も命懸けだ。
「え!」
 はたと、目が覚める京。
 いつの間にか、4m以上も離れた位置で、吐血しながら悪鬼のような形相で『彼女』がコルトウッズマンを震える手で持ち上げようとしていた。
 反射的。発作的。脊髄反射。
 京の右足の爪先が地面を滑り、イサカ・オート・バーグラーを踏みつけて足の甲で掬い上げ、そのまま目線の高さまで蹴り上げる。『……確か、地面にイサカ・オート・バーグラーが転がっていると思った』。
 幻覚なのか夢の中なのか現実なのか不明だが、イサカ・オート・バーグラーが近くの地面にあるはずだと認識していた。
 イサカ・オート・バーグラーを左手で掴むと左半身に体を捻り、銃口を大きく突き出して引き金を一気に引き絞った。
 爆発に似た銃声。
 一斉に発砲された20番口径は充分な威力を保ったまま『彼女』の頚部から上に襲い掛かり、彼女の首が後方に直角に折れた。
 同時に『彼女』も発砲。
 彼女の放った22口径の弾頭は京のフィールドコートの襟元に風穴を開けた。
 ゆっくりと仰向けに倒れる『彼女』。
 肉袋が落ちたのと同じ音がしたのに、その死体はマネキンが転がっているように無機質な存在に見えた。
 夢か幻か解らない世界で、脳内なのか挙動なのか不明な世界で、京はまず、バックルピストルで距離を開かせて、更に距離を保つ為に尻ポケットからS&W M36チーフスペシャルを引き抜いて連射した。
 そこで目が覚めた。
 そして体が勝手に動いた。
 地面に転がっていると勝手に思い込んでいたイサカ・オート・バーグラーを爪先で直感だけで探ると、本当に有ったのでそれを蹴り上げて手にして疲労していない左腕で発砲した。
 無理に疲労した右腕を用いていたのなら、体が右半身になっており、『彼女』が放った最後の22口径に被弾し、負傷していたに違いない。
 何もかもが全て自分のたなごころに有ると思い込んでいたのが『彼女』の敗因だろうか? 京がこんなにも『寝相が悪い女だとはリサーチできていなかった』のが敗因だろうか?
「…………さよなら」
 京は寂しさを含まない、渇いた声で呟いた。
 疲労の顔色だが、寂寞の色は欠片も見えない。
 京はそんな女だった。
 左手にイサカ・オート・バーグラー。右手にS&W M36チーフスペシャル。
 左手には20番口径の反動が今でも生々しく残っている。
 右手の人差し指には5度引いた引き金の重さが圧し掛かっている。
 両手の銃にもバックルガンにも即応できる実包は装填されていない。
 疲労。倦怠感。足が重い。心が重い。体が重い。
 夢から覚めたと言うより、夢から出てきた感じだ。
 何処の誰が何のために私を?
 『彼女』が殺し屋稼業の人間なのは確実だ。嘗てない強敵と云う言葉が具現化したらあのような存在を言うのだろう。
 果たして、京が射殺した『彼女』は本当に『生きていたのか?』……幽霊か霞に向かって発砲したように、『射殺したと云う手応えと実感が無い』。
 ふと、裏世界のフォークロアで囁かれる『レブナント』の語源が脳裏を過ぎる。
 勿論、直ぐに鼻で自嘲して歩みを始める。そんな馬鹿な。
     ※ ※ ※
 セーフハウス。あの夜から1週間後。
 1Kマンションの一室。
 万が一に備えて用意していた隠れ家。
 この時のために毎月、高い金を出して確保していた。名義や書類上の操作と維持が高額なのだ。
 何度考えても、どんな角度から考察しても、自分が狙われた理由が判然としない。
 正体が解らないと云う事実自体が恐怖だ。何処の誰にどういう理由で狙われているのかが判明すれば対処も出来るし、最悪の場合、真相を知ってこの世を去る事が出来る。
 何も解らない恐怖。
 京は小さなキッチンの直上に有る換気扇の傍でシガリロを吸っていた。いつもシガリロだけは手元に有った。吸い始めた年齢や理由は思い出せない。
 京はショルダーホルスターにイサカ・オート・バーグラーを差し、右手側の尻ポケットにパックマイヤー・ウォレットホルスターグリップを装着したS&W M36チーフスペシャルを差し、バックルガンにも装填している。
 衣服も直ぐに飛び出られるように、動き易いトレーナーとジーンズパンツだ。上着を羽織れば直ぐに外出できる。腰にも弾薬ポーチを巻きつけている。
 一日の終わりでさえ、ベッドには毛布にシーツを被せて人体の形状に近い膨らみを作り、自身はベッドの下で寝ている。前の拠点に置いてきた愛車の商用カローラワゴンが恋しい。
 床は冷たい。
 暖房が稼動しているが、部屋の壁が薄いのか外気の影響を受け易い。
 午前9時。
 短くなったシガリロをクシャクシャに潰してシンクに落として水で流す。
 さてどうするか。大きく息を吐く。溜息。
 キッチンの90cm横が玄関。その玄関の前に靴の音が止まる。
「!」
――――来たか!
――――特徴的な足音。
――――歩幅からして身長は175cmくらいか?
――――重心の移動……男か。
 ドアスコープから覗くのはどう考えても危険。
 ゆっくり、足音を立てずに一歩、後退する。
 ドアに鍵はかけていない。
 この業界では一般的な鍵は無いに等しい。侵入したがる奴はピッキングなどと上品な手段は使わずに蝶番とドアノブを爆破してさっさと侵入し、銃弾をばら撒き、仕上げに手榴弾を数個転がして去る。
――――殺し屋……?
――――雰囲気……気配が違う……『圧力』を感じる……。
 目前のステンレススチールのドア越しからでも解る、押し倒されるような圧力。
 危険か否かは別として、たじろくほどに『大きなモノ』を目の前にした気配。
「開けてもいいか」
 ドアの向こうの壮年に近い男の声は、引き篭もりの子供にかけるような優しい口調で喋り出した。
「少し話がしたい」
「…………」
 京は『敵意が無い振り』をする為に両手に何も銃を持たず、再びドアに近付いた。
 足裏からひやりと冷たさを感じる。靴下だけの足で玄関のコンクリを踏んだのだ。
 ドアノブを捻る。
 感情も抑揚も込めずに、来客に応対するような気配で押し返そうと試みる。
 このドア一枚では何も変わらない。若しかしたら今日が命日かもしれない。若しかしたら今日もまた新しい死体を作るのかもしれない。
 ドアは僅かに軋んで開いた。
「!」
 冷気がドアの間から奔流となって室内に流入する。折角温めた室温が台無しだ。
「……あんた……」
「やあ」
 ドアを開け放った向こうに居たのは、忘れもしない忌々しい顔だった。
「仕方ないんだ。落とし前をつけるのも私の仕事でね」
 スーツ姿の壮年は白髪が少し混じったオールバックを優しく左手で撫で、世間話のように言う。
「まあ、なんだ。少し話をしよう。このフロアは『人払い』を命じたよ」
「……」
 今直ぐ両手に銃を抜いてこの男の顔面に叩き込みたかった。
 過去が、追いかけてきた。
 京の父親、その人だ。
 『今は何と名乗っているのだ?』
 京は自分の父親が名前を変えてこの界隈で稼業を開いていたことに混乱したが、名前を変えていなければ即座に京はこの界隈で父親の名前を知っていたはずだ。
「!」
「……」
 両者、1mの距離で膠着。
 互いに右手をベルトのバックルに走らせた状態で。
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