深淵からの咆哮
不気味な人間はどう転んでも不気味。不思議な人間はどう転んでも不思議。
その理不尽な公式が何故か成り立つ。『彼女』にはそんな『魅力があった』。
このまま彼女に委ねたい。イサカ・オート・バーグラーが安心感のある重量を与えてくれているが、数秒後には全身が脱力しているかもしれない。
道の駅で彼女と出会ったときと同じ奇妙な状態に陥る京。薄っすらと目に霞がかかる。
両者が対峙して2分が経過。
「……どうして? ……ねえ、どうして……」
装弾数2発。
2回しか引き金が引けない。何れも散弾。一撃必殺の距離はこの10m程度。
撃つのなら今しか無い。撃つと必ず外れる。
当たったとすれば? 外れたとすれば? 可能性に恃む部分が大きいのが散弾銃の弱点の一つ。
足止めさえできればこの場を離脱できる。
この場を? どのように? どうして? 先ず弾薬の補充。セーフハウスに移動。
自分が見張られている事を前提に、全ての行動を。
選択肢の選択は基本的に3つしかない。
『目の前に選択肢が有ると気付く思考』。
『出来る限り多くの選択肢を思いつく思考』。
『選択肢の中から最も適切な物を選ぶ判断力』。
この3つしかない。
今はどれがどのように適切か選ぶ事を繰り返す。
思考のループに陥ってはいけない。自分を戒める言葉が必ず脳裏にある。
撃つか否か。逃げるか否か。
……どんどん、どんどん、深く思考が進んでいく。
「また……反射神経だけで撃たれたら敵わないわ……どうしてか……解る?」
いつの間にか歩みを進めて距離を静かに詰めていた『彼女』。
『彼女』は優しく深く静かに忍び込むように囁きながら、京の真正面に立ち、熱くいきり立つモノに触れるように白く長い指先でイサカ・オート・バーグラーの銃口を静かに上から押した。
ゆっくりと『彼女』から遠ざかる銃口。
選択に継ぐ選択。
脳内で数え切れないほどの棋譜が描かれ、生体電流の速さでシミュレートされる京。
脳疲労で知恵熱が出そうなくらいに頭脳が回転している。目の前では自分と『彼女』が壮絶なイニシアティブの奪い合いを展開してどちらも一進一退。互角の勝負に持ち込めていた。
蹴りは防がれた。
想像以上に軽く蹴りが防がれた。
『彼女』の手刀は鋭く素早く軌道が読めない。
それも間一髪防ぐ。
瞬き一回分遅れていれば鳩尾に文字通りに風穴が開きそうだ。
重さは感じないが剣呑さを感じる打撃術を使うのか……こちらの打撃は重く筋は単純だが当たれば必ず一撃で挽回できる可能性が大きい。
打撃を当てろ。相手の攻撃は全て躱せ。体裁き。重心移動。小刻みなバックステップで相手の視点を定めさせるな。
『イサカ・オート・バーグラー? 足元に落ちているはずだ』。
今はそんなことより、彼女との格闘戦に勝利することだけを考えろ。……『それにしても、いつの間に自分の間合いに入ってきたんだ?』
瞼が半分落ちている京の脳内では、『彼女』と壮絶な戦いを展開していた。
勿論、それは『彼女が得意とする分野』の罠に落ちた結果だ。
京は神経を研ぎ澄ましすぎた。
『彼女』の声が脳髄を直撃した。
鼓膜を甘く振るわせる心地よい声は、催眠術と同じ効果を持っていた。京の脳内の世界では京自身の棋譜の世界でのみ戦いが行われていた。
『彼女』はイサカ・オート・バーグラーの銃身を静かに握り込むと軽く手首を捻って、熟したリンゴを刈るようにその水平2連発を奪い取り、静かに足元に置いた。
京の肩や腰が先ほどから小刻みに左右に捻っている。
何かに反応したように体が震えるその様子からして、脳内ではさぞかし凄惨な戦いが繰り広げられているのだろう。
『彼女』は京の体に密着する直前の距離まで近付き、耳元で囁き続ける。触れそうで触れない。その距離こそが『彼女』の絶対を誇る距離だった。
京の体がピクピクと痙攣するように震える。
「……貴女は誰と戦っているんでしょうね……誰? ……誰? ……誰なの? ……それはどうして? ……どうして戦ってるの? ……どうして…………どうして…………」
『彼女』の右手がスローモーションを描くように自らの左脇に滑り込み、財布でも取り出すような自然な仕草で6インチ銃身のコルトウッズマンを抜き放つ。
普通なら、この距離で抜く拳銃ではない。
そもそも拳銃を抜くと云う選択肢は、間違いにもほどがある。
相手に制され易い距離。相手が殴りかかった方が早い距離。相手に殴りかかった方が有効な距離。
今の京なら今直ぐに喉を掻き切られても、自分が絶命したことに気がつかないだろう。
打ち込め! 今だ! 蹴りが駄目でも肘打ちと膝蹴りがある! 距離を保て! 一旦、離れろ! 頭突きは使うな! 脳震盪を起こせば元も子もない。だが、相手の頭突きは用心しろ! 距離を保たなければ体当たりの一つも繰り出せない! 距離だ! 距離を! 距離を!
スポーツじゃないんだ! 『アレを使え!』
『彼女との距離が開くのなら何でもいい』。
敵か味方か、それも判然としない中で、京は兎に角、格闘で戦っている『彼女』との距離を開くのに躍起だった。
体が小刻みに痙攣するように震える。
その京が発作的に体が大きくビクンと跳ねた。
「!!」
「!!」
腹部で発砲。
誰が? どのように? どうして? どうして?
京と『女』の距離が2mほど後ずさり。
京はその位置から一歩も離れていない。
右手で『刀を抜くよう』にやや上半身を捻っていただけだ。
「……」
「……く……」
『女』は臍の辺りから溢れる自分の血液を顧みず、右手にしたコルトウッズマンをよろよろと持ち上げる。
京の目には霞がかかったままだ。
京の体が再び大きく跳ねた。今度は愛用のフィールドコートが大きく翻るほどの大きなモーションだ。
銃声。5発。
2mの距離から。
1発叩き込むごとに『女』は大きく一歩ずつ後退する。
体に襲い掛かる衝撃を耐えるかのように。
京は脳内で未だに戦っていた。
自分が、万が一の想定外に備えて豆鉄砲を持ち歩いていたのを脳裏に置いていたのだ。
それの使い道は今しか無いと博打をするつもりで、『引き金を押したのだ』。
そして尻ポケットに突っ込んでいる豆鉄砲を引き抜き、『彼女』の胴体のバイタルゾーンに的確に叩き込んだ。
京の腹部から薄っすらと紫煙が昇る。
バックルピストル。
嘗ての護身用仕込み拳銃としてヨーロッパで広まった変り種の銃火器だ。
22口径ロングライフルを同時に4発発射する。外観はベルトのバックルそのもの。
スイッチを押すと、ベルトのバックルが大きく展開し、同時に22口径の弾頭を一斉に発砲する仕組みだが、命中精度は皆無に等しく、『抱き合う距離でもなければ有効な打撃は期待できない』。
更に彼女は得意でない豆鉄砲を尻ポケットから引きずり出して発砲した。
イサカ・オート・バーグラーより扱いが苦手だというだけでズブの素人ではない。予備の弾薬を持ち歩くほど頼りにしていないだけだ。それに予備の弾薬は『銃に付属している』。
パックマイヤーのTACウォレットホルスターグリップを装備したS&W M36チーフスペシャルの2インチ。
パックマイヤー・TACウォレットホルスターグリップは独特の形状は、見た人間の印象から中々離れない。
銃全体を四角いフォルムに落とし込み、そのままホルスターなしでポケットに突っ込んでおき、使用時に引き抜いて即応するためのデザインだ。
その理不尽な公式が何故か成り立つ。『彼女』にはそんな『魅力があった』。
このまま彼女に委ねたい。イサカ・オート・バーグラーが安心感のある重量を与えてくれているが、数秒後には全身が脱力しているかもしれない。
道の駅で彼女と出会ったときと同じ奇妙な状態に陥る京。薄っすらと目に霞がかかる。
両者が対峙して2分が経過。
「……どうして? ……ねえ、どうして……」
装弾数2発。
2回しか引き金が引けない。何れも散弾。一撃必殺の距離はこの10m程度。
撃つのなら今しか無い。撃つと必ず外れる。
当たったとすれば? 外れたとすれば? 可能性に恃む部分が大きいのが散弾銃の弱点の一つ。
足止めさえできればこの場を離脱できる。
この場を? どのように? どうして? 先ず弾薬の補充。セーフハウスに移動。
自分が見張られている事を前提に、全ての行動を。
選択肢の選択は基本的に3つしかない。
『目の前に選択肢が有ると気付く思考』。
『出来る限り多くの選択肢を思いつく思考』。
『選択肢の中から最も適切な物を選ぶ判断力』。
この3つしかない。
今はどれがどのように適切か選ぶ事を繰り返す。
思考のループに陥ってはいけない。自分を戒める言葉が必ず脳裏にある。
撃つか否か。逃げるか否か。
……どんどん、どんどん、深く思考が進んでいく。
「また……反射神経だけで撃たれたら敵わないわ……どうしてか……解る?」
いつの間にか歩みを進めて距離を静かに詰めていた『彼女』。
『彼女』は優しく深く静かに忍び込むように囁きながら、京の真正面に立ち、熱くいきり立つモノに触れるように白く長い指先でイサカ・オート・バーグラーの銃口を静かに上から押した。
ゆっくりと『彼女』から遠ざかる銃口。
選択に継ぐ選択。
脳内で数え切れないほどの棋譜が描かれ、生体電流の速さでシミュレートされる京。
脳疲労で知恵熱が出そうなくらいに頭脳が回転している。目の前では自分と『彼女』が壮絶なイニシアティブの奪い合いを展開してどちらも一進一退。互角の勝負に持ち込めていた。
蹴りは防がれた。
想像以上に軽く蹴りが防がれた。
『彼女』の手刀は鋭く素早く軌道が読めない。
それも間一髪防ぐ。
瞬き一回分遅れていれば鳩尾に文字通りに風穴が開きそうだ。
重さは感じないが剣呑さを感じる打撃術を使うのか……こちらの打撃は重く筋は単純だが当たれば必ず一撃で挽回できる可能性が大きい。
打撃を当てろ。相手の攻撃は全て躱せ。体裁き。重心移動。小刻みなバックステップで相手の視点を定めさせるな。
『イサカ・オート・バーグラー? 足元に落ちているはずだ』。
今はそんなことより、彼女との格闘戦に勝利することだけを考えろ。……『それにしても、いつの間に自分の間合いに入ってきたんだ?』
瞼が半分落ちている京の脳内では、『彼女』と壮絶な戦いを展開していた。
勿論、それは『彼女が得意とする分野』の罠に落ちた結果だ。
京は神経を研ぎ澄ましすぎた。
『彼女』の声が脳髄を直撃した。
鼓膜を甘く振るわせる心地よい声は、催眠術と同じ効果を持っていた。京の脳内の世界では京自身の棋譜の世界でのみ戦いが行われていた。
『彼女』はイサカ・オート・バーグラーの銃身を静かに握り込むと軽く手首を捻って、熟したリンゴを刈るようにその水平2連発を奪い取り、静かに足元に置いた。
京の肩や腰が先ほどから小刻みに左右に捻っている。
何かに反応したように体が震えるその様子からして、脳内ではさぞかし凄惨な戦いが繰り広げられているのだろう。
『彼女』は京の体に密着する直前の距離まで近付き、耳元で囁き続ける。触れそうで触れない。その距離こそが『彼女』の絶対を誇る距離だった。
京の体がピクピクと痙攣するように震える。
「……貴女は誰と戦っているんでしょうね……誰? ……誰? ……誰なの? ……それはどうして? ……どうして戦ってるの? ……どうして…………どうして…………」
『彼女』の右手がスローモーションを描くように自らの左脇に滑り込み、財布でも取り出すような自然な仕草で6インチ銃身のコルトウッズマンを抜き放つ。
普通なら、この距離で抜く拳銃ではない。
そもそも拳銃を抜くと云う選択肢は、間違いにもほどがある。
相手に制され易い距離。相手が殴りかかった方が早い距離。相手に殴りかかった方が有効な距離。
今の京なら今直ぐに喉を掻き切られても、自分が絶命したことに気がつかないだろう。
打ち込め! 今だ! 蹴りが駄目でも肘打ちと膝蹴りがある! 距離を保て! 一旦、離れろ! 頭突きは使うな! 脳震盪を起こせば元も子もない。だが、相手の頭突きは用心しろ! 距離を保たなければ体当たりの一つも繰り出せない! 距離だ! 距離を! 距離を!
スポーツじゃないんだ! 『アレを使え!』
『彼女との距離が開くのなら何でもいい』。
敵か味方か、それも判然としない中で、京は兎に角、格闘で戦っている『彼女』との距離を開くのに躍起だった。
体が小刻みに痙攣するように震える。
その京が発作的に体が大きくビクンと跳ねた。
「!!」
「!!」
腹部で発砲。
誰が? どのように? どうして? どうして?
京と『女』の距離が2mほど後ずさり。
京はその位置から一歩も離れていない。
右手で『刀を抜くよう』にやや上半身を捻っていただけだ。
「……」
「……く……」
『女』は臍の辺りから溢れる自分の血液を顧みず、右手にしたコルトウッズマンをよろよろと持ち上げる。
京の目には霞がかかったままだ。
京の体が再び大きく跳ねた。今度は愛用のフィールドコートが大きく翻るほどの大きなモーションだ。
銃声。5発。
2mの距離から。
1発叩き込むごとに『女』は大きく一歩ずつ後退する。
体に襲い掛かる衝撃を耐えるかのように。
京は脳内で未だに戦っていた。
自分が、万が一の想定外に備えて豆鉄砲を持ち歩いていたのを脳裏に置いていたのだ。
それの使い道は今しか無いと博打をするつもりで、『引き金を押したのだ』。
そして尻ポケットに突っ込んでいる豆鉄砲を引き抜き、『彼女』の胴体のバイタルゾーンに的確に叩き込んだ。
京の腹部から薄っすらと紫煙が昇る。
バックルピストル。
嘗ての護身用仕込み拳銃としてヨーロッパで広まった変り種の銃火器だ。
22口径ロングライフルを同時に4発発射する。外観はベルトのバックルそのもの。
スイッチを押すと、ベルトのバックルが大きく展開し、同時に22口径の弾頭を一斉に発砲する仕組みだが、命中精度は皆無に等しく、『抱き合う距離でもなければ有効な打撃は期待できない』。
更に彼女は得意でない豆鉄砲を尻ポケットから引きずり出して発砲した。
イサカ・オート・バーグラーより扱いが苦手だというだけでズブの素人ではない。予備の弾薬を持ち歩くほど頼りにしていないだけだ。それに予備の弾薬は『銃に付属している』。
パックマイヤーのTACウォレットホルスターグリップを装備したS&W M36チーフスペシャルの2インチ。
パックマイヤー・TACウォレットホルスターグリップは独特の形状は、見た人間の印象から中々離れない。
銃全体を四角いフォルムに落とし込み、そのままホルスターなしでポケットに突っ込んでおき、使用時に引き抜いて即応するためのデザインだ。