深淵からの咆哮

 その構築されたスタイルを崩すには、更に上のテクニックは必要ない。右斜め上程度のトリッキーな戦術に切り替えれば単純に足元を掬える。
 今までに標的の男が何度逃げ果せたのかは明記されていなかった。依頼人は素人を装っていたが、その依頼人の背景に幾つかの不明瞭な記述も見つかった。
 怪しいと思っていたが……こう言う仕組みで怪しかったのか、と納得もした。殺し屋の斡旋業者がピンはねにピンはねを重ねて安い報酬で適当な殺し屋を雇って、標的の男を殺す殺し屋を紹介した結果だろう。
 つまり、はした金で手軽に雇える殺し屋モドキは始末屋の京しか居ないと舐められていた訳だ。
 今此処で料金表の書き換えを検討しても仕方が無いので、前金で料金を貰った以上の働きをして『何も知らない振りをしてニコニコと後金をもらい、またのご利用を! と気持ちよく依頼人らしき人物』と対応する事を考えた。
 金を貰ったからにはその分の仕事は最低限こなす。
 仕事は100%できて当たり前。世間では100%以上の仕事をしてこそ初めて評価の対象にする。
 料金に関するプロ意識を抱けば抱くほど、京の心はクールダウンする。
 この先に両者のどちらがどのように出て何処で何がどうなった結果、どちらがどうなるのかと云う将棋のような棋譜が脳内に広がる。
 逃走する男の背中に追いつく。
 乱立する違法建築の倉庫が多いが、その地理や地形は殆ど頭の中に入っている。
 併走しながらイングラムM11に対してイサカ・オート・バーグラーで対抗できたのも遮蔽を多用した結果だ。9mmパラベラムでは貫通しないコンクリのブロック塀を巧みに防弾板とした。
 京と男の距離は徐々に近付くが、15m以下まで縮めるのは流石に危ない。
 男の背中が闇夜に見える。
 闇夜……と、外灯が交互に男の背中を隠しては現れる。
 男の逃走先は恐らく国道へ通じる路地。倉庫街の隙間のような見通しの悪い折れ曲がった路地ではなく作業車が往来する事を前提に整備された道路。
 完全な直線に出られるとイサカ・オート・バーグラーのスラッグ弾でもまともに当てられるか自信が無い。今でも充分に呼吸が上がっている。鼓動を鎮めて狙撃するのには最低でも10回分の深呼吸が必要だった。
 それに前提としてイサカ・オート・バーグラーにとって狙撃はコンセプトに含まれない使用法だ。
 イサカ・オート・バーグラーは車上強盗に抵抗すべく生み出された至近距離に等しい距離でこそ真価を発揮するように、『全てが調整されている』。
 散弾を撃つ手前、精密な狙撃はお門違いな要求だ。
 京のイサカ・オート・バーグラーは銃身がフルチョークで拵えられている。歴代の持ち主や出会うまでの過去に誰かがオリジナルの銃身が磨耗したので交換した際にチョークを好みに変えたのかもしれない。作らせたのかもしれない。
 銃口を空に向けたまま京は走る。
 先ほどまでの寒さと戦う自分は今は居ない。全力疾走を繰り返したお陰で体が熱を帯びて喉が喘ぐように冷たい水を求める。体に貼り付けた使い捨てカイロが火傷しそうな熱を伝える。
 15m。乱射が止まる。
 イングラムM11の乱射は此方に一切銃口が向いていない。再装填のロスだが、それは見過ごすことにする。欲しいタイミングは次に訪れる。
 標的の男が振り向いた。
 口に銜えっぱなしだった20番口径のシェルを強く前歯で噛む。
 銃口が此方を向いて『必ず引き金を引く』はず。
 イングラムM11は基本的にサプレッサーとワンセットで運用する事を前提にしている。
 そのサプレッサーを装着して両手で保持してまともに構えなければ、短い銃身から迸る9mmパラベラムの反動で銃口は跳ね上がる。
 京はそれを読んでいた。
 標的の男の癖だ。
 再装填が終わると先ず、銃口を標的に向けて引き金を絞る。そして反動に任せるまま指切り連射を細かく繰り返し、ランダムに着弾するように9mmパラベラムをばら撒く。
 そうすれば、追いかける側としては、何処に着弾するか解らない心理的圧力に屈し易くなる。
 乱射というより連射。それがこの男のスタイルだと理解してから下した京の判断は……。
 イサカ・オート・バーグラーの引き金を『男の方向』に向けてから引く。深く引く。2本ある引き金を全て引く事となる。
 爆発。異音。否、爆発と異音が混じった破裂音がした。
 イサカ・オート・バーグラーの設計上、2.5インチ以下のシェルならば2発同時に発砲しても問題は無い。
 銃口から飛び出したのは散弾と『散弾と化したネジやシャフト』だった。
 2本の銃身一杯になるまで詰め込んだ、落ちていたネジやシャフト。それらを20番口径の爆圧で一斉に吐き出した。
 散弾としての散布面積は途轍もなく大きくなる。そして途轍もなく威力が低くなる。
 金魚の水槽に敷く小さな砂利を、豪腕投手が投げつけた程度の威力しかない。
 それで充分だった。
「!」
 男が何かを叫んだ。恐らく男は自分が先に引き金を引いたと思ったのだろう。
 此方を向いて正確に初弾を撃つのは読めていた。
 そのために追跡者の京に此方を向くと、何処に飛んでいくか解らない銃撃が来ると印象付けていた。その強い圧力の印象を耐えての京の発砲。
 散弾やネジ類は男の全身に叩きつけられた。
 男はイングラムM11を放り出して尻餅を搗く。見えない大きな掌で押し倒されたのに似たモーションだ。男は顔を両手で押さえながらよろよろと立ち上がると再び走り出した。
 走り出したが、全身に受けた衝撃から回復していないのと、顔面に強かにネジ類を浴びせられたのか視界がまともに確保できずに千鳥足気味に走る。
 呻き声を挙げながらの逃走。その背後から少しばかりの早歩き程度の速度で京が追いかけながら、左指に挟んでいたシェルを2発差し込んで、無造作に引き金を引く。
 今度は殺意の手前だ。
 発砲された散弾は男の両膝下の脹脛に万遍なく襲い掛かり、完全に機動力を奪った。
 悠々と男に近付く。4mの距離。もう一段、深く引き金を絞った。
 撃発したスラッグ弾が男の後頭部からスイカを叩き割るように破砕する。
「……手間、かけせさせて」
 唇から思わず感想が漏れる。
 肩で息をしながら、イサカ・オート・バーグラーを再装填。もう目標は殺害したのだから再装填の必要は感じなかったが、癖でそれを行ってしまう。
 唇の横銜えにしていた20番口径の散弾を腰に差す。
 スマートフォンで早速、撮影。
 顔面から飛び出したスラッグ弾のお陰で原形を留めていない。一応、その男が所持していた免許証なども並べて、脳漿を紛失した顔と撮影。最初の頃は無残な死体に吐き気を及ぼしていたが、今では仕事だからとプロ根性だけで吐き気を封じ込める事が出来るようになった。
 京も人並みの感性を持っていた。感性は慣れてしまう。慣れてしまえばグロテスクなホラー映画を見ながら食事が出来る程度に一定の認識が鈍くなる。
 京は自分の作り出した死体に関して何も思うところは無かった。
 イサカ・オート・バーグラーは既に左脇に収まっていたが急にズシリと重みを感じた。
 嫌な予感がする。
 スマートフォンをポケットに押し込み、辺りを警戒しながら疲労が纏わりつく右手をおもむろに愛用のフィールドコートの左脇に伸ばす。
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