深淵からの咆哮

 残念ながら、散弾銃のパワーとしての勝負ならイサカ・オート・バーグラーは圧倒的に負けている。
 相手は2人。標的とその息子。2人の手には登録されている猟銃。命を守るためにハンター魂を棄てたようだ。
 法的には緊急避難として赦されるだろう。
 夜陰に乗じて侵入した先で素人に苦戦するとは意外だった。本当の予想外は想定しうる限りの予想の右斜め上からやっくる事を学んだ。
 2挺の猟銃は何れもOOB。直径約6mmの粒球が9個封入されたシェルで、文字通り短機関銃の掃射に近い火力だ。
 銃身を短く引き切っていないので取り回しに苦労しているのが銃火器として唯一の弱点だろう。
 取り回しが楽ならば再装填も幾らかは早い。それを如何に上手く突付くかで悩む。
 彼我の距離約7m。
 約7mの距離からの散弾銃の乱射でも、パニックに陥っていると命中精度は大きく落ちる。
 廊下の角を遮蔽として背中を壁に預ける京。
 その7m向こうの書斎から2挺の銃口が突き出ているのだ。
 散弾銃の散弾は銃口から飛び出した途端に大きく散布するのではない。銃身の長さや炸薬の量により銃口から飛び出ると、一定時間、一塊で飛翔する。そして散弾を包む殻が空気抵抗で落ちてやがて広く散布される。
 この一塊の状態をコローンと言う。
 コローンの長さや太さによって散弾の広がり方は大きく違ってくる。
 散弾の散布範囲をパターンと呼ぶ。一般的にはパターンの密度が濃い、……まり密集しているほど、散弾の粒、1粒当たりの威力が高いとされている。
 反撃している2人の散弾銃は、国内で法的に所持が可能なように銃身は短く切り落とされていない。ストックも勿論健在。
 京が用が有るのは老年の親の方だ。中年の息子の方には用は無い。殺したくはないが、この錯乱振りだと手加減は難しい。
 気を抜けば此方が蜂の巣になる可能性もある。
 極狭く、短い直線の廊下。7m。
 最も距離が長く感じるシチュエーションだ。
 戦闘区域はたったの7mなのに。距離を詰められない原因は廊下に遮蔽が皆無な点だった。素人に勘繰られて、応戦の機会を与えたのは今後の課題にしたい。
 今後があれば、だ。
 イサカ・オート・バーグラーにはスラッグ弾しか詰めていない。いつもの散弾だと大きく広がりすぎて殆どの粒弾が壁や床に無為にめり込み、相手には致命傷や負傷とはほど遠い打撃しか与えられないからだ。
 冷静になれ、と言い聞かせる。緊張で喉が渇く。
 素人の乱射も怖いが、付近の住民が騒ぎ出しているのも厄介だ。
 この家の外周の壁を越えればドブ川があるので、其処を伝う事が出来れば下水への入り口に繋がる。
 下水道の一部の空間は非合法な射撃場として勝手に改装されているので、裏社会の人間が常に屯している。そこまで逃げる前に目の前の標的を黙らせる。
 イサカ・オート・バーグラーを右手で保持して左手の指の間全てにスラッグ弾の黄色いシェルを挟む。
 連中は飽く迄素人だ。
 状況に応じて散弾を咄嗟に使い分ける事が出来るほど器用じゃない。若しも連中がスラッグを持っているのなら、即座にそれを用いて壁越しに遮蔽の角の向こうに居る京を撃ち抜くだろう。
 京は早々にスラッグに切り替えた。
 廊下は蛍光灯が健在なので光源は確保されている。この辺りも素人らしい判断だ。セオリー通りなら先ずは光源を全て急激に断ち、相手の視界を狭くするのが先だ。
 何から何まで素人の散弾銃に悩まされているのは、またも道の駅での甘い一時を思い出していて貴重なイニシアティブを奪われて反撃を許したからだ。
 あの一時の快楽はいつまでも思い出となる温かい交流だったが、その代わりに、京からプロとしての緊迫感を鈍らせるほどの『甘い瑕』を残した。
 建物2階。一般家屋。
 家族構成・父、母、息子1人。母は入院中。
 息子は暫く離れて暮らしていたのに、母親の入院を知って今夜、急遽帰宅。
 父が独りのところを襲撃し、いつも通りに抹殺するはずが、脳裏を過ぎった道の駅の彼女のお陰で物音を立ててしまい、無闇に警戒させて現在に至る。
 なんともお粗末。反省文100枚では済まない失態。
 相手が素人だからと手加減はしない。それはブレていない。
 窮鼠猫を噛む。今までに素人だからと甘く見ていた殺し屋稼業の人間が思わぬ反撃で命を落とした例を幾つも知っている。
 耳を聾する銃声が相変わらず廊下を席捲。
 3発と2発。レミントンは3発装填でミロクは2発装填。それぞれの再装填のタイミングが近付く。
 ペースが乱れずに乱射と再装填を続けてくれているお陰で、京にも心に余裕が出てきた。
 大きく息を吸う。
 肺に、廊下に渦巻く硝煙を含んだ空気が入り込む。
 息を止めて瞑目。1秒後、床に伏せてパラパラと落ちる壁や天井の木材の中に体を落として伏せる。
 右手と顔を右半分だけ晒して引き金を浅く引く。京のイサカ・オート・バーグラーは引き金が2つ付いているモデルだ。
 前方の引き金を引けば1発発射。更に深く引けば後方の引き金も続けて引いて2発目が発射される。
 殆ど連射に近い発砲。イサカ・オート・バーグラーから放たれた20番口径のスラッグ弾は中年の、頭髪が心配な息子の突き出ていた左足の太腿と左腹部に命中した。
 中年の息子はミロクの水平2連発を落として、その場に蹲って大声で喚き散らす。苦痛を訴える激しい慟哭。自分の息子が酷い負傷を負ったのを見て、標的の老人はレミントンのM870と思しき散弾銃を投げ捨て、息子を部屋の中へ引きずり込もうと必死だった。
 イサカ・オート・バーグラーに再装填しながら起き上がると京は、一気に距離を詰めて廊下に急ブレーキの跡を残し、停止すると右手を一杯に伸ばして老人男性の頭部に70cmの距離から照準を定めた。
 装填されているのはスラッグ弾。この距離なら散弾だろうがスラッグ弾だろうが関係ない。確実に命中させられる。
 引き金を引く。
 老人の頭部が爆ぜる。
 返り血を浴びても解り難いようにする為の黒いフィールドコートだ。遠慮は無かった。
 続いて依然、恐慌状態の息子の頭部にも銃口をすうっと向けて能面のような顔で引き金を絞る。
 発砲。同時に息子の頭部も父親と同じ末路となる。
 イサカ・オート・バーグラーの再装填は後回しにして、素早くスマートフォンで現場と死体の状況を撮影して家屋を後にする。
 予想通りに付近の住民が騒ぎ出している。フィールドコートのフードを目深に被って、万が一のために持ち歩いていた黒い使い捨てマスクで目から下を覆う。
 その姿のまま裏手の壁を越えて、暗いドブ川に膝まで浸かって凍え死にそうな思いをしながら下水を辿って下水道を歩く。
 フィールドコートやジーンズパンツがドブのヘドロで酷い悪臭を放っていた。濡れたジーンズパンツが膝下からどんどん体温を奪う。
 予定通りに裏の世界の人間が経営する下水道の射撃場に出てくる事が出来た。暗い下水道をうろ覚えのまま歩いたので、頭にクモの巣が纏わり付いている。
 全く、酷い様だ。
 心の中で小さく舌打ちしながら翌朝に帰宅。
 玄関に入った途端、小さなくしゃみをした。


 まさかそのくしゃみがそんな事態を引き起こす事になろうとは。
 風邪を引いた。
 普段から風邪には強いと自負していたが、着ていた物を兎に角洗濯機に放り込んで稼動させて、素っ裸の状態で冷え切っていた浴室に入って風呂を沸かしながら熱いシャワーを頭から浴びた。
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