深淵からの咆哮

 結局、彼女に殺害されてしまった標的の青年は死体や死に顔を撮影し、依頼人に送信したが料金は半額でサービスしておいた。
 サービスという建前で、料金を安くしておかなければ自分が納得しなかった。
 コロシを生業とする人間がハイエナのような真似で金を稼ぐのは矜持に反したからだ。もらった料金の半分は弾薬と情報量に消えた。
   ※ ※ ※
 『レブナント』。
 最近、そのような噂が立つ。
 殺し屋稼業の人間の間で都市伝説になっている称号のようなものだ。それが独り歩きして、『レブナント』と呼称される殺し屋が現れたらしい。……この辺鄙な街に。
 報酬は高額でも小額でもない。気が向けば引き受ける。髪の毛一本の匙加減で丁寧なコロシを提供する職人とは程遠い。
 ただただ、殺害。虐殺。屠殺。確実に致命的な一撃を加えて姿を消す化け物。
 噂自体は戦後直ぐから流布されているし、同じ時間に同一人物だと思われる人間が複数現れていることから、『レブナント』とは継承される呼称では無いかと云う噂が強い。
 本物が生きていれば、かなりの高齢だ。
 レブナントの殺害に用いられる道具は様々。銃火器、爆発物、毒薬、車輌、ガス、炎、刃物、徒手空拳……噂の噂では集団自殺の陰にも『レブナント』が潜んでいるとされているが、真偽は全くの不明。
 そこまで調べて京はノートパソコンを閉じた。
 肩や首をコキコキと鳴らして凝りを解す。
 あの夜に出会った災害のような女の正体を探っているうちに、殺し屋を中心にした荒事稼業の間で広がっているフォークロアの掲示板やサイトを徘徊していただけで、有意義に時間が過ごせたとは思えなかった。
 いつの時代にも達人はいる。珍しいことじゃない。村が一つあれば必ず最強の力自慢が1人存在するように普通の話だ。
「……面倒臭いなぁ」
 仕事部屋を出てシガリロを銜える。
 廊下を歩きながら、固定電話台の横に置いてあった蓋付きのアルミの灰皿を掴んでキッチンの換気扇下に来る。そこでシガリロに火を点ける。いつもの安堵する紫煙が口腔一杯に流れ込んでくる。苦味の後にほんのり残る香ばしくて甘い香り。煙を優しく吐く。
 ちら、と、視線を右足に向ける。
 靴下に包まれた足の小指側が少し膨らんでいる。
 『あの時』、目を覚ますきっかけになった20番口径の暴発で自分の足に散弾の一部を被弾してしまった。全く大した負傷ではない。
 その負傷を生む結果になったイサカ・オート・バーグラーの暴発が無ければ意識は混濁したままで、今頃京は棺桶で冷たくなっていただろう。
 轟音と鈍い衝撃。
 鉄の甲が仕込まれた安全靴でなければ、足の一部は大きく削り取られて始末屋どころか荒事稼業は引退になるところだ。
 とにもかくにも、発砲音と打撃で目が覚めた京。
 目が覚めなければ……と何度考えても寒気がする。本当に気温すら操られている錯覚がしたのだ。
 凍てつくような寒さなのに、「どうして?」と囁かれるたびに体の芯が仄かに暖かくなり、安堵や安心や安息を感じてしまう。
 まるで、苦しい時に与えて欲しい言葉を与えてくれて報われたと感じてしまう……そんな肯定的な脱力にそっくり。
 幾ら、幾つも、幾つでも体験した事象を説明する語彙を捻っても何の解決には繋がらない。
 『あの女』は誰だ?
 あれだけの手練ならこの街で自分が知らないわけが無い。
 誰かに雇われたか? 何処からか流れてきたか? 理由も存在も『あの夜、そこに現れた必要性』も解らない。
 もうあの夜から3日経過したが、何も解らない。時折、まさかと、『レブナント』のフォークロアと結び付けようかと思うが正体の見えない脅威に、勝手に化け物の形を与えるのは判断力を濁らせると諌めてかぶりを振る。
 足の負傷は打撲程度の負傷だ。痛みも引きつつある。散弾は一発も被弾していない。エネルギーだけが伝わっただけだ。その足を溜息交じりの長い吐息で見る。
 唇の両端からシガリロの濃厚な煙が少々荒く吐き出される。
――――何も解らないのがこんなに怖いなんてねぇ……。
 頭を掻く京。
   ※ ※ ※
「こいつを雇ったのですか? 敵も味方も見境無しに殺す狂犬ですよ。殺せるなら依頼人も報酬無しで殺す不義理のケモノです! 危険ですから今直ぐ解雇してください!」
 道川理沙(みちかわ りさ)は書類に目を通すなり、自分が仕える壮年の男性に向かって喚き散らした。
 彼女は【早田興業】の社長秘書と云う表向きの職を得ているが、実際は【早田興業】を隠れ蓑にするジャパニーズマフィア【レイオー.inc】の総裁・一之瀬武則(いちのせ たけのり)の側近の1人だ。
 彼女は外注での交渉を担当する、謂わば面接官だったが、その彼女の相談無しに一之瀬が勝手に危険人物をスカウトしたことに反駁していた。
 道川理沙は今年で27歳になる若手だが、人を見る目だけを買われてこの業界で働いているのではない。それなり以上の苦しい過去を持ち、悪運が少し強かった末に今生きて、闇社会の派閥の一つで働いている。しかも尊敬する総裁の直属として。
 だからこそ、組織の看板を汚さないための一心で進言した。
 60代に差しかかろうかと云う顔付きの割に、体躯が筋骨隆々でステゴロでは負ける姿が想像できない一之瀬武則は白髪交じりのオールバックが印象的な壮年。
 彼は執務デスクに収まったまま、ペンスタンドに立ててあった竹串を取って、それの先端で頭皮をぽりぽりと掻いた。
「私もねぇ……人間なんだよ」
 彼は抑揚の無い声で何と無くな雰囲気で天井を眺める。
「金を積んで何とかなるならそれに越したことは無いのはビジネスだけだよ。人情が絡むとねぇ、人は盲目的になる事を自分から望むんだ。そっちの方が楽だからね。私もそう。楽だから……だから、ね。どうしても使いたくないモノに頼ると成功裏に終わった時の心の負担が軽いと思うんだよね」
 彼は訥々と喋る。
 昔話を話すように優しい口調だ。
 実は、一之瀬の強面の笑顔が不覚にも大好きな理沙。そして彼が穏やかな心と口調の時は必ず、自分達が与り知らぬところで波乱が生まれている事が多い。
 それは確率なのか必然なのかは解らない。理沙が事の顛末しか知らないのはいつもそれが理由だ。
 彼は本当に何も喋らない。
 口数は多いが、様々なことを韜晦している。自分の表情すら欺瞞の道具に使う。それを知り、尚も彼に仕えて幸せを感じる。
 ……だからこそ、この野獣の一時雇い入れは猛反対だった。
   ※ ※ ※
 イサカ・オート・バーグラーがこの鉄火場で4発目を発砲。
 2回目の再装填。
 牽制しか発砲していない。
 素人からの依頼で素人を始末するだけの小銭稼ぎだと思っていた。
 午後11時の住宅街の家屋。辺りは一般的な住宅街。発砲するときは殺す時。そう誓っているが最近はその目論見が良く外れる。
 75平米の土地に建てられた5LDKの洋風住宅に忍び込み、標的を一発で殺害する予定が大幅に崩れる。
 標的を守る人間が1人、居た。否……『居てしまった』。
 素人が何故銃を? だが、直ぐに氷解。猟銃だ。
 レミントンのポンプアクション式散弾銃とミロクの水平2連発。銃声からして12番口径。
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