セロトニンを1ショット

 この界隈では逆に珍しい白黒のトカレフを使う女だった。
 年齢は自分と同じくらいだろうか? 然し、自分とは明らかに違う溌剌とした精気を感じる。気のせいではない。肌年齢も20代前半か10代後半のように艶やか。
 短く纏めたセミロングはややブラウン。猫科の動物を思わせる眼光だが、猛獣のような獰猛な危険は感じない。遊び盛りの若者がいまだに遊び続けているような生命力。
 自分とは住んでいる次元が違うと思い知らされる輝き。
 黙って佇んでいても腕利きだと分からない。これこそが闇社会の闇稼業に求められる姿だった。
 一瞥しただけで殺し屋や荒事師だと分かる風体容貌では、市井に紛れて日常生活を営むのが難しい。目の前の、左脇腹にチラチラとトカレフのグリップエンドが見える女性の姿形は、磨けば幾らでも輝きを放つ原石にさり気無く泥をかけて輝きを韜晦しているかのような印象を受けた。
 似た業者の麻衣子が観察した結果だ。
 表の明るい世界を歩く人間では、コニャックフレーバーのドライシガーを横銜えにしたこの女性が、深く暗い世界の住人だとは夢にも思わないだろう。
 互いに詳しい自己紹介は無い。
 斡旋された時点で必要な情報は提供されている。
 そのトカレフの女性と軽四トラックの幌が掛かった荷台で向かい合って座っている。尻にダイレクトに振動が伝わり不快。荷台の床にLEDのランタンが置かれている。
 この光源でお互いの姿を確認する事が出来た。
 蒸し暑い夜だが幌の隙間から入り込む風が頬に涼しい。目の前の女性は幌を締め切った荷台の中で突然、コニャックフレーバーのドライシガーを吸い始めたときは神経を疑ったが、注意深く観察しているうちに、女性の両手に自動拳銃使い特有のタコが出来ているのを見て、只者ではないと察した。
 その上で理想的なルックス。麻衣子は自分がこのような容姿に生まれていたら違う路に進んでいたと妬むほどに『美しい』。
 自分もこの仕事が終わって帰宅する事が出来たら、常喫にプチコロナサイズのドライシガーをポケットに忍ばせようかと真剣に検討した。
「……あんた」
「?」
 トカレフを使うであろう女性は口の端から着香の煙を吐きながら、少し横柄な口調で麻衣子に声を掛けた。
「歳の割りに『日が浅いね』。歳は30代前半。仕事用と生活用の切り換えが最低限できる程度の意識は有る。肩の張りと腰の重心からみて基礎体力は余り高くないね……」
 そこまで喋ると、やや視線を下に落とす。そして言葉を続ける。
「靴の爪先の減り方から軸足は左。利き手は右手で咄嗟に左手に得物をスイッチするのは苦手なのかな? 身長は私と同じくらいだから167cm以上170cm以下。体を緩く覆う衣装で態とキメているのなら……そこそこ戦力になると期待しても良いかな?」
 視線が全く観察をしている動きを見せていない。
 ほんの一瞬だけ眼球を走らせただけで、麻衣子の外見を捉えただけでそれだけを看破する。
 拳銃を遣う人間にとって、利き手や反対の手を用いた場合の習熟具合を悟られるのは不利益しかない。
 寒気がすると同時に無遠慮なその台詞に少しカチンときた。
 麻衣子も応戦してやろうとそのトカレフを懐に飲み込んだ女性の容貌を何度も睨むが、どこか軽妙軽佻な笑みを貼り付けた唇が印象的で、他の観察すべきポイントに注意が注げない。
「おっと、追加。咄嗟の反応は悪くないが、判断は怪しいな」
 更にカチンと麻衣子は血圧を上げるが、ふとこの初対面の女性は自分の心を覘くように次々と答えるのだろうと疑問に思った。
「な……何故?」
 漸く麻衣子が搾り出した台詞が、それ。
 間抜けにも程が有る。
 何の意図も抜いていない、射抜いていない頓珍漢な台詞。
 喋ってから顔が赤面するのを覚える。自分の無学を言いふらしたも同然だ。
「名前は資料どおりなら坂巻麻衣子、か。面白い人だね。まあ、一服、どう?」
 目の前の赤いキャップに白いサマージャンパーの女性は左のハンドウォームから平たく白い紙箱を取りだしてコニャックフレーバーのドライシガーを麻衣子に勧める。
「いや、結構です」
「あ、そう。『その服からインドネシア系の葉巻の匂いがしたからご同輩かと思ったんだけど』」
 思わず、鼻を袖に押し付ける。体臭なら分からないでもないが煙草……それも原産国周辺を言い当てられるとは思っても居なかった。消臭にも充分に気を使っているのに……。
 急に軽トラが停車する。
「お、現場ね。まあ、頼むわね」
 結局、何もかもその女性について分からないまま仕事現場に到着した。
 この女性が自分の名前を知っていても不思議なことは何も無い。
 仕事を斡旋してもらう際に自分の名前を表記していたからだ。この業界では本名だろうと偽名だろうと深い意味を持たない。
 ふざけたハンドルネームで情報屋が活躍する世界だ。自分が仕事を依頼された際に組まされるこの女性の名前も聞いている。この女は【トカレフの聡美】と名乗っているらしい。
 二つ名なのだろう。その名の通りにトカレフを使うらしい。確かに懐にトカレフを差し込んでいた。
 麻衣子の事前のサーチ不足なのか【トカレフの聡美】が上手く情報から除けているのか彼女の情報は殆ど知らない。
 使用するエモノに自分の名前を付属させて二つ名とする拳銃使いは腐るほど居るので、探すのが嫌になったのも事実だ。トカレフ使いだけで一体、どれだけ居るのか!
 【トカレフの聡美】は軽トラから軽々と飛び降りると、少年のような筋骨で華麗に着地して軽く駆ける。
 打ち合わせでは現場はここから徒歩で3分。
 麻衣子も遅れて軽トラから飛び降りる。
 【トカレフの聡美】のように美しく着地は出来ずにベタリと足の裏が地面に『落ちる』。
 夜陰の中、彼女の尻を追う。
 街灯に照らされる中で伸び伸びと駆ける【トカレフの聡美】は背中を見ているだけでも『愉しそうだった』。
 一つの疑問が浮かんで解消。消える。
 【トカレフの聡美】は自分と同じ年齢かもしれないけど、自分とは比べ物にならない惨状を生き抜いてきた腕利きだ。自分など、本当は仕事を同じくしてはいけないほどに気高い人間に違いない……と。
 卑屈になっているのではない。そのように考えさせてしまう気品と品格を感じる。
 それも口ではなく、背中や雰囲気で語るタイプの……無言で多くを語るタイプの人間だ。
 麻衣子が早くその域に達したいと願っている理想の拳銃遣いの姿がそこに有る。目の前を走っている。
 その二つ名、必ず深く調べてみよう。
 自分で勝手に名乗った二つ名とは思えない。
 誰かが彼女の仕事振りを見て、いつしか名づけられて呼ばれてしまった名前なのだろう。
 仕事現場は繁華街の商業区画の間にある住宅地。
 住宅地と言っても、1Kマンションやハイツが並び、その隙間に鉛筆のようなテナントビルが建っている程度だ。交通の便は良好。ただそれだけに……この仕事が割がいい理由が判明した。防犯カメラだらけの表通りで充分に機動力が生かせないのだ。
 即ち、逃走ルートの確保が難しい。
 依頼どおりに鉄砲玉としてカチコミを敢行するのは難しくない。その直前と直後が問題だ。防犯カメラを除けながらだと威勢良く吶喊とはいかない。最初の勢いが消されるのは精神的に大きな障害だ。
「え……?」
 麻衣子は目の前で行われたそれが信じられなかった。
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