セロトニンを1ショット

 階段の角で待ち構えていたのは2人。
 構え方や物腰からしてプロの『護り屋』ではない。顔が若い。デビューして日が浅い『護り屋』だろう。
 『護り屋』は直ぐにでも駆けつけてくれるがその分、依頼人は『護り屋』のリサーチ不足が多く、しばしば素人に毛が生えた程度の……拳銃の撃ち方を知っている程度の鈍らを雇わされる。
 寧ろ、腕のいい『護り屋』ならば常に忙しく、もっと大口の案件で出動している。
 兎に角、脅威の度合いは低い。
 2階へと進むのに暫し逡巡。2階からの銃撃が思考を鈍くする。
 予想通り、麻衣子が潜む角を銃弾が削る。2階から弾き出された空薬莢が投げ捨てられた小石のように転がって落ちてくる。
――――自分なら……。
――――どうするかな?
 優雅に葉巻でも銜えながら思考と思索に沈みたいところだが、状況が許さない。『護り屋』の最大数が不明。標的の居場所も不明。この家屋の2階は……。
 脳内に『理想的な人員の配置』を仮説して計算。
 そこから数人の素人が1人の襲撃者から対象を守りつつ無事に脱出する方法を模索。脳内の見取り図で見落としていない場所と、記憶があやふやな部分をすり合わせる。
「……」
 麻衣子は遮蔽の角からノリンコT―NCT90を突き出し、反撃の意思を見せるように引き金を3回引く。
 相手を驚かせる程度でいい。
 脳内の見取り図がゆっくりと補完されていき、2階部分のベランダへと通じる6畳間相当の洋室が怪しいと直感する。ベランダの広さは3畳相等。
 ベランダの位置は隣家の1階への屋根に飛び降りて着地できる高さだ。
 標的の探偵は過去に鉄火場を経験しているのなら、『護り屋の意図を汲んだに違いない』。
 目の前で銃弾をばら撒く『護り屋』が専業でも日の浅い素人同然ならば、それでも矜持を守って依頼人を逃がすことに躍起になっているのなら……探偵は1人だ。孤立している。
 囮。それも二人も配置している。
 『護り屋』のセオリーはボディガードが主題の映画のように戦ってはいけないのだ。
 警護が銃を抜くときは時間稼ぎで、その隙に依頼人を脱出させる。
 襲撃者の心理から逆算してもそれは理に適う。
 無闇に足止め要員の囮と馬鹿正直に銃撃戦を行う襲撃者はいない。この場所に戦略的価値が無いと判断すれば、襲撃者は後退するか別ルートからの襲撃に切り替えるだろう。
 麻衣子の思考速度がもう少し速ければこの理屈に気がついていた。それを今更ながらに心の中で地団駄。
 目の前の囮に構っていられない!
 麻衣子は直ぐに踵を返して廊下を走り真っ直ぐ玄関を飛び出る。
 麻衣子の挙動を見て囮を務めていた2人の『護り屋』も自分達の算段がばれたと直感し、階段を転げるように降りてきて玄関から既に消えた襲撃者の麻衣子を追い始めた。
「…………」
――――バカにもバカなりのサーチの仕方があるのよ。
 思わずほくそえむ麻衣子。
 玄関から弾丸のように飛び出た『護り屋』が門扉を飛び出して直ぐに右手側の路地に折れた。
 麻衣子は玄関脇の駐車スペースの影からゆらりと姿を現して2人の男の後を追う。標的の探偵が何処の方向に逃げたのかは流石に判断できない。
 この廃屋から脱出することは読めても、その後のルートは全く見当もつかない。だからこそ、『気が付いた振りをして家屋を飛び出し、その後を追い、直ぐに標的の探偵と合流を果たそうとする護り屋の後を追うことにした』。
 麻衣子の目論見どおりに2人の『護り屋』は、脇目も振らずに廃屋の裏手にある無人の家屋に向かい、そこの小型普通車が停車できる駐車スペースに回りこみ、ようやく依頼人――麻衣子からすれば標的の探偵――と合流した。
 探偵を直接警護している『護り屋』の姿は無い。
 2人の『護り屋』は駐車スペースで依頼人の無事を確認すると、一人が携帯電話を取り出し何処かの電話番号を呼び出そうとする。
 勿論、始終を見ていて無視する麻衣子ではない。
 ノリンコT―NCT90が直ぐ様、吼える。
 9mmパラベラムの熱く焼けた弾頭が携帯電話を取り出した『護り屋』の腹部に命中し、低く短い呻き声を挙げて前のめりに地面に崩れた。
「!」
「……」
 麻衣子の顔に表情は無い。
 無上の悦びの瞬間に雄叫びを挙げたいが、今はその機会にはほんの少し早い。
 1人になった『護り屋』が健気にFNハイパワーかそのコピーと思しき大型自動拳銃を構え直すが、膠着する。
 否、膠着させる空間が出来上がっていた。
 気迫と気迫、殺意と敵意が真正面から衝突する、空間すら歪みかねない圧力に押されて標的の中年の探偵は無様に尻餅をついてしまうほどだ。
 引き金を引けば必ずどちらかが死ぬ。
 麻衣子か。
 『護り屋』か。
 先に引き金を引いた方が勝つ。
 距離はたったの5m。
 両者とも絶対に外さない距離。
 多少暗くとも確実にバイタルゾーンに必殺の9mmを叩き込める距離。
 その距離で対峙する。
 睨み合い。膠着。
 誰が先に撃っても必ずどちらかが死ぬ。
 細く長い緊張の糸を剃刀の刃が滑る。
 無言の時間だけが数秒間過ぎる。
 思わず腰を搗いた標的の探偵は、口をパクパクさせながら2人の顔を交互に見ていた。
 麻衣子も『護り屋』も互いに投げかける言葉は一致している。それを語らずに目で訴えているだけだ。
「早く銃をおろせ」
 彼女のその一言に尽きる。
 麻衣子はこの標的を仕留めなければ信用看板に瑕が付く。
 『護り屋』はこの標的を守らなければ信用看板に瑕が付く。
 更に数秒。
 その後、『護り屋』は銃口を1cmほど下げ、麻衣子は視線を1cmほど下げた。
 『会話は成立した』。
 麻衣子は左手側3m先で腰を抜かしている標的の探偵に、感情の無いモーションでノリンコT―NCT90の銃口を向けて引き金を4回引いた。頭に2発。心臓に2発。
 麻衣子と『護り屋』。
 折れたのは『護り屋』だった。
 『護り屋』は自分の命と、信用看板と報酬を比べてここで自分は死ぬべきではないと判断し、警護対象を麻衣子に譲った。
 麻衣子は無言で、今夜の出来事は無かったことにしてやると伝えていた……だから銃を降ろせと懇願。
 互いに此処で果てるべきではない。
 銃声が4回轟いた後、『護り屋』の青年は自動拳銃に安全装置を掛けて戦意が無い事をジェスチャーすると、踵を返して静かに夜陰に向かって歩きだした。
 これもまた形の違う、『生死の実感』だった。
 交渉や訴えが間違えれば、機会を見失えば即座に殺されていた。
 即座に殺していた。
 自分の人生で培った眼力だけで相手と交渉。此方の要求を概ね飲ませることに成功した。
 殺されなかったにせよ、折れていたのは麻衣子のほうだったかもしれない。
 今夜の仕事が終わって顔色を変えずに撤収ルートを伝い遠回りに帰宅し、朝方にバスタブに体を沈めた頃に緊張が一気に緩んで小便を漏らす。
 顔も体も弛緩しきって、水を吸った綿のように重い体を引き摺りながら経口補水液を喉を鳴らして飲んでベッドに倒れる。
 ぬるい温度の入浴で副交感神経が一気にリラックスして安心しきってしまった。
 今夜も生きていた。今回も死ねなかった。今度も殺した。
 自分は、今、確かに生きている。
   ※ ※ ※
 仕事部屋。
 ノートパソコンが乗ったデスクにはノリンコT―NCT90をメンテナンスするキット、予備弾薬、弾倉。指紋認証式の小型金庫。コーヒーメーカーとヒュミドールが乗った棚。日中はこの部屋が一番寛げる。
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