セロトニンを1ショット
アドレナリンが痛みを抑えていたのか、体の表面が鞭で打たれたような痛みを訴える。
擦過傷を幾つか作ってしまったらしい。治療が必要な負傷では無い。軟膏を擦りこんで絆創膏を貼っていれば治る程度だ。
それを上回る興奮と快楽。下腹に熱を感じる。
脳内麻薬が報酬系神経と連動してどんどん製造されているのを実感する。
その興奮を最高に感じたのは振り向いたときに壁に叩き込まれた30発近い弾痕だ。警護の男達が放った銃弾の痕。
この何れもが自分を一発で致死足らしめる威力を持っていたと考えると尚一層、今生きている喜びに体が打ち震える。背中を羽で撫でられるような微電流を感じる。
このフロアが改装中で電源以外の様々なセンサーがオフになっていたのは幸いだ。
室内で銃撃戦を行った場合、硝煙で炎や煙を感知する防災センサーなどが稼動して警報が鳴り響くことが有る。
今直ぐにでも自慰に浸るか男娼を買って耽りたい思いを抱いたまま部屋をそっと出る。
目的は充分に果たした。
依頼は遂行。標的の脈も確認。生きている者はこの部屋には麻衣子以外に存在しない。
麻衣子はまだ弾薬が残る弾倉を引き抜き、新しい弾倉を差し込んでアソセレススタンスでフロアから階段へと向かい、階段の段数に辟易しながら改装中の高層ビルを地階から逃走した。
寄る年波には勝てない。
どんなに頑健で堅牢な体の持ち主でも年齢と云う壁には勝てない。
生きている限り病と死と老いからは絶対に逃げられないのだ。
先日の改装中の高層ビルでの一件から漸く筋肉痛が回復を見せ始めた。
麻衣子が荒事を生業にする殺し屋として成功していたのなら、筋肉痛などと云う個人的事情はお構い無しに依頼がどんどん舞い込んで動かない筋肉に鞭を打ち、ノリンコT―NCT90と一緒に仕事に臨んでいただろう。
こんな時はひっきりなしに依頼が舞い込む中堅以上の殺し屋や便利屋を羨ましいとは思わない。先日は性的な昂ぶりを覚えたまま帰宅して風呂に入りアイスコーヒーを呷って体を冷却させているうちに寝てしまった。心地よい肉体疲労に襲われて睡眠薬を飲んだように眠ってしまったのだ。
そして本日。
階段の昇降による太腿の疲労が回復を見せ始めたので漸く、仕事用のノートパソコンを開いて依頼を確認。
自分専用のサーバーを持っているのではなく、依頼を斡旋するサイトに有料で会員になり自分の私書箱を開設するシステムだ。
勿論、同業者同士が集うサーバーなのでこのサイトの利用者同士が知らぬ間に同士撃ちしている事も多い。
同じサイトに有料で登録しているから仲間とは限らない。逆に言えば、個人情報が徹底的に守られているから何処の誰がどのような用件でどんな仕事に取り掛かったのかは全くの不明だ。情報屋も大事だが、このように仕事を『安全に』斡旋してくれる窓口の確保も闇社会の人間には必須だった。
安全を買うには金が要る。
金を得るには働かなくてはならない。
それは表裏の社会でも同じ理屈だ。
値段の付いていない商品を商売人がショウウィンドウに並べるはずが無い。タダの品物を並べてもそれを客寄せに更なる集客が見込めるから平然と値札に0円と書く。
麻衣子はこの業界に足を突っ込む前はデザイナーとして朝8時から次の日の朝3時まで働くライフスタイルを2年も続けた。
完全週休二日制ではなく週休二日制の会社で、会社は徹底したコストダウンを図るためにデザイナーの麻衣子にキャッチコピーやフォント指定、レイアウト設計も押し付けた。
本来ならこれらはチームで行うべき職掌だが、麻衣子が所属していたデザイン会社では労基法を無視した上に書類を操作して定刻どおりに社員が働いて社内カレンダーどおりに休暇を与えていると審査を通過していた。
労働監督署の抜き打ち検査でも、社員の出勤時間と労働時間を把握すべき手段をこのご時世に紙のタイムレコーダーで刻印させていたので細工は簡単だった。
専門学校を卒業して、安い給料でデザイナーとして働かされたなりにデザインに関わる者としての矜持があった。
働き口が無いからと美術大学で留年してまで遊び倒した若いデザイナーが美大卒と云うだけで実力も大した事が無く自分よりも給料が上なのが悔しくて技術とセンスで上司に見せ付けてやろうと更に躍起になった。
結果として心身を患い、心身症が極まって体重がごっそりと落ちて全ての衣服のサイズが合わなくなった。
何も出来ない地獄の日々の始まり。
辺りには心を患う人間に対して理解の無い輩ばかりで自分が生きているのか死んでいるのかも解らない毎日が続いた。
精神安定剤に抗うつ剤に睡眠導入剤。精神障害者手帳を取得するのも直ぐだった。
やがて当たり前のように辞職させられ、無職に。
全ての活力を吸い取られた5年間。
その挙句に希死念慮に取り付かれて自分は死ぬべき人間だと譫妄にとりつかれる。
それが28歳当時。
ノリンコT―NCT90を手にした当時の話だ。
呆気無いほどに簡単に入手できたノリンコT―NCT90。
何でも良いからと楽に死ねるからと、死ぬのに難しく無い方法をと。『地下の業者』に何でも良いから拳銃が欲しいと頼んだら法外な値段でこのノリンコT―NCT90が寄越された。
札束を一つ用意した。
弾薬は1発1万円。
完全に足元を見られた値段。
それでも悔いは無いし如何でも良かった。
簡単に死ねるし、死ぬのだから預金の残高は惜しくは無い。
そして6年。
浮浪者を撃ち殺した夜から6年が経過した。
今ではノリンコT―NCT90と弾薬の相場も熟知している。運が良かったのは荒事の便利屋を旗揚げしたときに初めて舞い込んだ仕事がカタギの素人からの依頼で相場を知らず、幾らでも吹っかける事が出来て尚且つ従順に従ってくれたことだ。
カタギの客は対象を殺害する目的の為なら金に糸目をつけない心理を学んだ。恨みを晴らす方法は幾らでも思いつくが、それをなすのに必要なコストを計算する必要が有る事を全く知らない。
楽に軍資金を稼げた。
それで安い賃貸マンションを契約して弾倉1本分しかない弾薬で金欠と戦いながら軍資金を増やし、月末に出た『僅かな黒』は先物取引に投資して小銭を稼いでいる。
その差分で日常生活を送る生活費に当てて、仕事で得た報酬は主に武器弾薬を確保してくれる業者に定期的に支払い、情報屋や運び屋や闇医者と懇意にする為の袖の下に当てる。
見事なほどに経済を回す機械になっている。
真っ当に表の明るい世界を歩いているのと変わらない仕組みなのに裏の世界では活き活きと充足感を得る事が出来た。
麻衣子がもしも人並みにデザイナーを営んでいても此処まで着実に成功しただろうか?
手放せなかった抗うつ剤や睡眠導入剤や精神安定剤も徐々に減薬に成功している。
毎月一度通っている精神科の主治医からも「次にうちのクリニックから完治宣言の患者がでるのなら、それは君だよ」と頼もしい言葉も貰っている。服薬との兼ね合いでアルコールは一切口にしない。飲んでいる薬だと悪い作用を増幅させるので酒は飲まない。
その代わりに喫煙に心の酩酊を求める回数は多い。
今でも仕事用のノートパソコンを閉じるなり、仕事部屋に置いてある杉の木のヒュミドールからフィリピン産の葉巻を取り出して鼻の下を擽る。
擦過傷を幾つか作ってしまったらしい。治療が必要な負傷では無い。軟膏を擦りこんで絆創膏を貼っていれば治る程度だ。
それを上回る興奮と快楽。下腹に熱を感じる。
脳内麻薬が報酬系神経と連動してどんどん製造されているのを実感する。
その興奮を最高に感じたのは振り向いたときに壁に叩き込まれた30発近い弾痕だ。警護の男達が放った銃弾の痕。
この何れもが自分を一発で致死足らしめる威力を持っていたと考えると尚一層、今生きている喜びに体が打ち震える。背中を羽で撫でられるような微電流を感じる。
このフロアが改装中で電源以外の様々なセンサーがオフになっていたのは幸いだ。
室内で銃撃戦を行った場合、硝煙で炎や煙を感知する防災センサーなどが稼動して警報が鳴り響くことが有る。
今直ぐにでも自慰に浸るか男娼を買って耽りたい思いを抱いたまま部屋をそっと出る。
目的は充分に果たした。
依頼は遂行。標的の脈も確認。生きている者はこの部屋には麻衣子以外に存在しない。
麻衣子はまだ弾薬が残る弾倉を引き抜き、新しい弾倉を差し込んでアソセレススタンスでフロアから階段へと向かい、階段の段数に辟易しながら改装中の高層ビルを地階から逃走した。
寄る年波には勝てない。
どんなに頑健で堅牢な体の持ち主でも年齢と云う壁には勝てない。
生きている限り病と死と老いからは絶対に逃げられないのだ。
先日の改装中の高層ビルでの一件から漸く筋肉痛が回復を見せ始めた。
麻衣子が荒事を生業にする殺し屋として成功していたのなら、筋肉痛などと云う個人的事情はお構い無しに依頼がどんどん舞い込んで動かない筋肉に鞭を打ち、ノリンコT―NCT90と一緒に仕事に臨んでいただろう。
こんな時はひっきりなしに依頼が舞い込む中堅以上の殺し屋や便利屋を羨ましいとは思わない。先日は性的な昂ぶりを覚えたまま帰宅して風呂に入りアイスコーヒーを呷って体を冷却させているうちに寝てしまった。心地よい肉体疲労に襲われて睡眠薬を飲んだように眠ってしまったのだ。
そして本日。
階段の昇降による太腿の疲労が回復を見せ始めたので漸く、仕事用のノートパソコンを開いて依頼を確認。
自分専用のサーバーを持っているのではなく、依頼を斡旋するサイトに有料で会員になり自分の私書箱を開設するシステムだ。
勿論、同業者同士が集うサーバーなのでこのサイトの利用者同士が知らぬ間に同士撃ちしている事も多い。
同じサイトに有料で登録しているから仲間とは限らない。逆に言えば、個人情報が徹底的に守られているから何処の誰がどのような用件でどんな仕事に取り掛かったのかは全くの不明だ。情報屋も大事だが、このように仕事を『安全に』斡旋してくれる窓口の確保も闇社会の人間には必須だった。
安全を買うには金が要る。
金を得るには働かなくてはならない。
それは表裏の社会でも同じ理屈だ。
値段の付いていない商品を商売人がショウウィンドウに並べるはずが無い。タダの品物を並べてもそれを客寄せに更なる集客が見込めるから平然と値札に0円と書く。
麻衣子はこの業界に足を突っ込む前はデザイナーとして朝8時から次の日の朝3時まで働くライフスタイルを2年も続けた。
完全週休二日制ではなく週休二日制の会社で、会社は徹底したコストダウンを図るためにデザイナーの麻衣子にキャッチコピーやフォント指定、レイアウト設計も押し付けた。
本来ならこれらはチームで行うべき職掌だが、麻衣子が所属していたデザイン会社では労基法を無視した上に書類を操作して定刻どおりに社員が働いて社内カレンダーどおりに休暇を与えていると審査を通過していた。
労働監督署の抜き打ち検査でも、社員の出勤時間と労働時間を把握すべき手段をこのご時世に紙のタイムレコーダーで刻印させていたので細工は簡単だった。
専門学校を卒業して、安い給料でデザイナーとして働かされたなりにデザインに関わる者としての矜持があった。
働き口が無いからと美術大学で留年してまで遊び倒した若いデザイナーが美大卒と云うだけで実力も大した事が無く自分よりも給料が上なのが悔しくて技術とセンスで上司に見せ付けてやろうと更に躍起になった。
結果として心身を患い、心身症が極まって体重がごっそりと落ちて全ての衣服のサイズが合わなくなった。
何も出来ない地獄の日々の始まり。
辺りには心を患う人間に対して理解の無い輩ばかりで自分が生きているのか死んでいるのかも解らない毎日が続いた。
精神安定剤に抗うつ剤に睡眠導入剤。精神障害者手帳を取得するのも直ぐだった。
やがて当たり前のように辞職させられ、無職に。
全ての活力を吸い取られた5年間。
その挙句に希死念慮に取り付かれて自分は死ぬべき人間だと譫妄にとりつかれる。
それが28歳当時。
ノリンコT―NCT90を手にした当時の話だ。
呆気無いほどに簡単に入手できたノリンコT―NCT90。
何でも良いからと楽に死ねるからと、死ぬのに難しく無い方法をと。『地下の業者』に何でも良いから拳銃が欲しいと頼んだら法外な値段でこのノリンコT―NCT90が寄越された。
札束を一つ用意した。
弾薬は1発1万円。
完全に足元を見られた値段。
それでも悔いは無いし如何でも良かった。
簡単に死ねるし、死ぬのだから預金の残高は惜しくは無い。
そして6年。
浮浪者を撃ち殺した夜から6年が経過した。
今ではノリンコT―NCT90と弾薬の相場も熟知している。運が良かったのは荒事の便利屋を旗揚げしたときに初めて舞い込んだ仕事がカタギの素人からの依頼で相場を知らず、幾らでも吹っかける事が出来て尚且つ従順に従ってくれたことだ。
カタギの客は対象を殺害する目的の為なら金に糸目をつけない心理を学んだ。恨みを晴らす方法は幾らでも思いつくが、それをなすのに必要なコストを計算する必要が有る事を全く知らない。
楽に軍資金を稼げた。
それで安い賃貸マンションを契約して弾倉1本分しかない弾薬で金欠と戦いながら軍資金を増やし、月末に出た『僅かな黒』は先物取引に投資して小銭を稼いでいる。
その差分で日常生活を送る生活費に当てて、仕事で得た報酬は主に武器弾薬を確保してくれる業者に定期的に支払い、情報屋や運び屋や闇医者と懇意にする為の袖の下に当てる。
見事なほどに経済を回す機械になっている。
真っ当に表の明るい世界を歩いているのと変わらない仕組みなのに裏の世界では活き活きと充足感を得る事が出来た。
麻衣子がもしも人並みにデザイナーを営んでいても此処まで着実に成功しただろうか?
手放せなかった抗うつ剤や睡眠導入剤や精神安定剤も徐々に減薬に成功している。
毎月一度通っている精神科の主治医からも「次にうちのクリニックから完治宣言の患者がでるのなら、それは君だよ」と頼もしい言葉も貰っている。服薬との兼ね合いでアルコールは一切口にしない。飲んでいる薬だと悪い作用を増幅させるので酒は飲まない。
その代わりに喫煙に心の酩酊を求める回数は多い。
今でも仕事用のノートパソコンを閉じるなり、仕事部屋に置いてある杉の木のヒュミドールからフィリピン産の葉巻を取り出して鼻の下を擽る。