セロトニンを1ショット
室内……12畳ほどの広い洋風の空間の真ん中で、横たわる死体が3つとそこに佇む人物の影。その背後にも1つの死体。
「……まさか」
右手に大型自動拳銃を下げた人物は、左手でジッポーを着火させて口に銜えていた太く短い葉巻の先端を雑に炙っていた。
死体は全て頭部を1発で射抜かれている。額や側頭部の射入孔から脳漿が圧力で吹き出た跡が有る。
室内のランタンと白熱球で葉巻を銜える人物の姿ははっきりと確認できた。
【トカレフの聡美】。
その人がそこに佇んでいた。
何故彼女が仕事を横取りしたのか分からない。
それとも依頼人は保険として依頼していた【トカレフの聡美】が先走ったのか。
何もかもが分からない。このまま反転して逃げれば報酬の支払いはどうなるのか? それ以前に【トカレフの聡美】は具体的に敵なのか味方なのか?
麻衣子はノリンコT―NCT90の銃口を【トカレフの聡美】に定めたままゆっくりと立ち上がり、悠々と部屋の中央でコニャックフレーバーのドライシガーをふかす彼女の前に出る。
彼我の距離、7m。
麻衣子が得意とする距離だ。
【トカレフの聡美】がどれほどの腕利きであっても、先にノリンコT―NCT90を構えている麻衣子が絶対に勝利する自信が有った。
麻衣子のパニック発作は忽然と消えている。
発作はピークが去ると嵐が去ったように沈静化する。ただ、パニック発作の最中に緊張した筋肉は、過度のストレスで強張って柔軟性を失っていた。瞬発力が有るアクションを求められると麻衣子は直ぐに対処できるかどうか怪しかった。
「聡美って……言ったっけ? 『何故、こんなことするの?』」
何も駆け引きせずに麻衣子はストレートに問う。
「スカウトしにきたの。それだけよ」
「は! スカウトしに来て皆殺し?」
「違うわ」
即答する【トカレフの聡美】は、唇の端から濃厚な着香の紫煙を吐いた。
「え?」
眉目を寄せて怪訝な視線を投げつける麻衣子。
「貴女を、よ」
全く分からない。
分からないことだけが、分かった。
「横取りしにきたのは貴女の仕事じゃないの。貴女をスカウトしに来たの。仕事場を荒らすような真似をしてごめんなさいね。此処で死体になっている『この案件』は私から話をつけておくから、先ずは私の話を聞いて欲しい」
「よくもまあ、ぬけぬけと」
麻衣子は強張る顎を開いて、噛み締めるように言い放つ。
「貴女が何処の誰かは詳しく知らないけど、他人の現場を荒らせばそこでどんな状況が発生するか知ってるでしょ? 殺し合いしか発生しないのよ!」
麻衣子はできるだけ抑揚を抑えたつもりだが、台詞の後ろ半分は怒りが充分に込められていた。
殺し屋同士が同じ現場でカチ合い、現場を荒らされたとあっては、依頼された麻衣子本人は【トカレフの聡美】の事情よりも、殺し屋としてのプライドを守るために引き金を引くしかない。
依頼不履行はあってはならない。
此処で死んでもプライドが優先される。
これは『望まない死』だ。
殺し屋として荒事師として自分のプライドを守るために勝利しなければならない。
「あー。随分頭にきてるね。分かるよ。その気持ち。でもね……貴女を『態と怒らせる手段を私が執ったら?』」
麻衣子は我慢ならなかった。
銃声が轟く。9mmパラベラムの空薬莢が弾き出される7mの距離の彼女に確かに命中した。
「……?!」
【トカレフの聡美】は僅かに右肩を後方にずらしただけだった。……そもそも、いつ、体を動かした?
【トカレフの聡美】の胸部中央から右肩にかけて鞭で打ったような裂傷が衣服を裂く。
衣服の下で潜んでいたブラの肩紐が露出する。
雪のように白い肌。彼女のサマージャンパーが9mmで裂かれただけだ。
「銃口と視線は一致しているわね。解離性障害に不安障害に、酷い自律神経失調症もちでパニック発作もち……不利な条件が揃った健康状態で今まで生きてこられたのが不思議ね……だからこそ欲しい」
彼女の声は口調を変えれば、悉く苛つかせる台詞ばかりなのだが、何故か鼓膜の奥に深く浸透する、不思議な圧力を持っていた。
じっと聞いていたい声だ。
それが麻衣子に即座に次弾を撃つ機会を奪った。そして……。
「!」
「遅い。いや、『割と』早いか」
彼女は7mの距離を一気に詰めた。
走ったのか跳躍したのか何かを蹴飛ばしたのかは不明。気がつけば目前2mの距離まで彼女は迫っていた。
「く!」
麻衣子は緊張が解れていない右腕だけでノリンコT―NCT90を顔面に翳して咄嗟に左足裏を突き出すようなキックを繰り出す。
兎に角距離を稼がなければ。近接する白兵戦は正直に言って苦手だ。8m前後の距離でカタをつけると云う一点集中で技術を磨いてきた麻衣子は8mの距離ですら、『磨いている最中で極めたわけではない』。
殺し屋として遅いデビューを飾っている麻衣子にとっては、何もかも可能性が有る反面、何もかもが修行不足とも言えた。
「銃口は確か。視線も良い。だからこそ、引き金を引く前の駆け引きでイニシアティブをとられる事も有るわ。銃口と視線を合わせるのに精一杯で『辺りを見ていない』。私の腰から下は既に半身になっていた。それに、貴女の銃口……右腕は外側に『膨らみ』を見せているわ。ガク引きを読まれ易いし、何より……」
「? ……?」
麻衣子が繰り出したキックは、彼女の体に当たらないばかりか更に距離を詰められて足を手で掬い揚げられる。
「あ!」
靴裏が大きく天井を向く。
【トカレフの聡美】はニヤリと笑い、右手を滑らせるようにトカレフを構えようとする。
たった2mの距離で。
蹴り飛ばした方が早い距離で。
【トカレフの聡美】の真意は全く分からない。
分かるのは、今まさに麻衣子は派手に仰向けに転倒して無様に倒れることだ。
「……ふ」
「?」
麻衣子は仰向けに倒れながら、犬歯を少し見せながら哂った。不審に思う【トカレフの聡美】は、顔を氷で滑らせたような表情に変えながら『大きく仰向けに』転倒した。
「!」
「!」
2人同時に仰向けに大の字に転倒する。空薬莢を踏みつけてスリップした!
【トカレフの聡美】の足元で未使用の9mmの弾薬が転がっている。近くにはノリンコT―NCT90の予備弾倉が落ちていた。
予備弾倉なのに弾薬は詰まっていない。中身の弾薬は床に転がっていた。……山荘に突入する際に腹のベルトに差していた予備弾倉が無い。
転倒した2人は同時に上半身を跳ね起こす。
麻衣子は左手を支えにして右手でノリンコT―NCT90を定め、【トカレフの聡美】は太腿から伝わる膂力を、腰を経由させて腹筋だけで起き上がり、右手でトカレフを構える。
「!」
発砲。
そして一拍遅れた発砲。
麻衣子の右肩が浅くトカレフの弾頭に削られる。
銃口はほんの数mmほどずれただけだが、2mの距離からの発砲は絶対に外さない。
【トカレフの聡美】も同じ心境だろう。
……『心境だったのだろう』。
「…………あ」
【トカレフの聡美】の鳩尾に9mmパラベラムが叩き込まれて鮮血が拍動にあわせてドクドクと溢れ出ている。
互いは互いの銃火で前髪を焦がしていた。
2人とも頬にアバタのように灼熱の火薬滓が張り付く。火傷が出来るだろうが軟膏を塗れば問題ない。
それよりも……。
麻衣子は肩で息をしながら立ち上がる。
「……まさか」
右手に大型自動拳銃を下げた人物は、左手でジッポーを着火させて口に銜えていた太く短い葉巻の先端を雑に炙っていた。
死体は全て頭部を1発で射抜かれている。額や側頭部の射入孔から脳漿が圧力で吹き出た跡が有る。
室内のランタンと白熱球で葉巻を銜える人物の姿ははっきりと確認できた。
【トカレフの聡美】。
その人がそこに佇んでいた。
何故彼女が仕事を横取りしたのか分からない。
それとも依頼人は保険として依頼していた【トカレフの聡美】が先走ったのか。
何もかもが分からない。このまま反転して逃げれば報酬の支払いはどうなるのか? それ以前に【トカレフの聡美】は具体的に敵なのか味方なのか?
麻衣子はノリンコT―NCT90の銃口を【トカレフの聡美】に定めたままゆっくりと立ち上がり、悠々と部屋の中央でコニャックフレーバーのドライシガーをふかす彼女の前に出る。
彼我の距離、7m。
麻衣子が得意とする距離だ。
【トカレフの聡美】がどれほどの腕利きであっても、先にノリンコT―NCT90を構えている麻衣子が絶対に勝利する自信が有った。
麻衣子のパニック発作は忽然と消えている。
発作はピークが去ると嵐が去ったように沈静化する。ただ、パニック発作の最中に緊張した筋肉は、過度のストレスで強張って柔軟性を失っていた。瞬発力が有るアクションを求められると麻衣子は直ぐに対処できるかどうか怪しかった。
「聡美って……言ったっけ? 『何故、こんなことするの?』」
何も駆け引きせずに麻衣子はストレートに問う。
「スカウトしにきたの。それだけよ」
「は! スカウトしに来て皆殺し?」
「違うわ」
即答する【トカレフの聡美】は、唇の端から濃厚な着香の紫煙を吐いた。
「え?」
眉目を寄せて怪訝な視線を投げつける麻衣子。
「貴女を、よ」
全く分からない。
分からないことだけが、分かった。
「横取りしにきたのは貴女の仕事じゃないの。貴女をスカウトしに来たの。仕事場を荒らすような真似をしてごめんなさいね。此処で死体になっている『この案件』は私から話をつけておくから、先ずは私の話を聞いて欲しい」
「よくもまあ、ぬけぬけと」
麻衣子は強張る顎を開いて、噛み締めるように言い放つ。
「貴女が何処の誰かは詳しく知らないけど、他人の現場を荒らせばそこでどんな状況が発生するか知ってるでしょ? 殺し合いしか発生しないのよ!」
麻衣子はできるだけ抑揚を抑えたつもりだが、台詞の後ろ半分は怒りが充分に込められていた。
殺し屋同士が同じ現場でカチ合い、現場を荒らされたとあっては、依頼された麻衣子本人は【トカレフの聡美】の事情よりも、殺し屋としてのプライドを守るために引き金を引くしかない。
依頼不履行はあってはならない。
此処で死んでもプライドが優先される。
これは『望まない死』だ。
殺し屋として荒事師として自分のプライドを守るために勝利しなければならない。
「あー。随分頭にきてるね。分かるよ。その気持ち。でもね……貴女を『態と怒らせる手段を私が執ったら?』」
麻衣子は我慢ならなかった。
銃声が轟く。9mmパラベラムの空薬莢が弾き出される7mの距離の彼女に確かに命中した。
「……?!」
【トカレフの聡美】は僅かに右肩を後方にずらしただけだった。……そもそも、いつ、体を動かした?
【トカレフの聡美】の胸部中央から右肩にかけて鞭で打ったような裂傷が衣服を裂く。
衣服の下で潜んでいたブラの肩紐が露出する。
雪のように白い肌。彼女のサマージャンパーが9mmで裂かれただけだ。
「銃口と視線は一致しているわね。解離性障害に不安障害に、酷い自律神経失調症もちでパニック発作もち……不利な条件が揃った健康状態で今まで生きてこられたのが不思議ね……だからこそ欲しい」
彼女の声は口調を変えれば、悉く苛つかせる台詞ばかりなのだが、何故か鼓膜の奥に深く浸透する、不思議な圧力を持っていた。
じっと聞いていたい声だ。
それが麻衣子に即座に次弾を撃つ機会を奪った。そして……。
「!」
「遅い。いや、『割と』早いか」
彼女は7mの距離を一気に詰めた。
走ったのか跳躍したのか何かを蹴飛ばしたのかは不明。気がつけば目前2mの距離まで彼女は迫っていた。
「く!」
麻衣子は緊張が解れていない右腕だけでノリンコT―NCT90を顔面に翳して咄嗟に左足裏を突き出すようなキックを繰り出す。
兎に角距離を稼がなければ。近接する白兵戦は正直に言って苦手だ。8m前後の距離でカタをつけると云う一点集中で技術を磨いてきた麻衣子は8mの距離ですら、『磨いている最中で極めたわけではない』。
殺し屋として遅いデビューを飾っている麻衣子にとっては、何もかも可能性が有る反面、何もかもが修行不足とも言えた。
「銃口は確か。視線も良い。だからこそ、引き金を引く前の駆け引きでイニシアティブをとられる事も有るわ。銃口と視線を合わせるのに精一杯で『辺りを見ていない』。私の腰から下は既に半身になっていた。それに、貴女の銃口……右腕は外側に『膨らみ』を見せているわ。ガク引きを読まれ易いし、何より……」
「? ……?」
麻衣子が繰り出したキックは、彼女の体に当たらないばかりか更に距離を詰められて足を手で掬い揚げられる。
「あ!」
靴裏が大きく天井を向く。
【トカレフの聡美】はニヤリと笑い、右手を滑らせるようにトカレフを構えようとする。
たった2mの距離で。
蹴り飛ばした方が早い距離で。
【トカレフの聡美】の真意は全く分からない。
分かるのは、今まさに麻衣子は派手に仰向けに転倒して無様に倒れることだ。
「……ふ」
「?」
麻衣子は仰向けに倒れながら、犬歯を少し見せながら哂った。不審に思う【トカレフの聡美】は、顔を氷で滑らせたような表情に変えながら『大きく仰向けに』転倒した。
「!」
「!」
2人同時に仰向けに大の字に転倒する。空薬莢を踏みつけてスリップした!
【トカレフの聡美】の足元で未使用の9mmの弾薬が転がっている。近くにはノリンコT―NCT90の予備弾倉が落ちていた。
予備弾倉なのに弾薬は詰まっていない。中身の弾薬は床に転がっていた。……山荘に突入する際に腹のベルトに差していた予備弾倉が無い。
転倒した2人は同時に上半身を跳ね起こす。
麻衣子は左手を支えにして右手でノリンコT―NCT90を定め、【トカレフの聡美】は太腿から伝わる膂力を、腰を経由させて腹筋だけで起き上がり、右手でトカレフを構える。
「!」
発砲。
そして一拍遅れた発砲。
麻衣子の右肩が浅くトカレフの弾頭に削られる。
銃口はほんの数mmほどずれただけだが、2mの距離からの発砲は絶対に外さない。
【トカレフの聡美】も同じ心境だろう。
……『心境だったのだろう』。
「…………あ」
【トカレフの聡美】の鳩尾に9mmパラベラムが叩き込まれて鮮血が拍動にあわせてドクドクと溢れ出ている。
互いは互いの銃火で前髪を焦がしていた。
2人とも頬にアバタのように灼熱の火薬滓が張り付く。火傷が出来るだろうが軟膏を塗れば問題ない。
それよりも……。
麻衣子は肩で息をしながら立ち上がる。