セロトニンを1ショット

 【トカレフの聡美】は現場……マンションとマンションの隙間にひっそりと生える4階建ての鉛筆ビルの正面ドアに、自分の家に入るような物腰で入り込み、警備員室の窓に向かって素早く抜いたトカレフを向けて何事か喋ると2度引き金を引いた。
 トカレフ特有の突き抜けるような発砲音。
 深夜0時を経過した住宅街とはいえ突然すぎる。
 眠りに落ちようとしている住宅の住人が通報するのも時間の問題だ。
 事前の打ち合わせどおりなのだが……開始の合図をどちらが下すかの意見交換すらなく、いきなり【トカレフの聡美】が先制したので戸惑っているのだ。
 【トカレフの聡美】は警備員を射殺したのか、そのまま奥まった通路へと爪先を向ける。
 麻衣子も慌ててノリンコT―NCT90を抜きながら、彼女のあとを追う。
 【トカレフの聡美】の軌跡は簡単に分かる。
 いまだにコニャックフレーバーのドライシガーを銜えたままなのだ。火が消えてもジッポーで再び着火して大きく一服している。
 麻衣子はアドレナリンが沸騰して胃袋にドロドロに熱く融けた鉛を飲み込んだように緊張しているのを、構おうともせず目標のフロアを目指す。
 目標のフロアはこの鉛筆ビル全部だ。
 全てのテナントに灯りが点いている。全ての部屋に銃弾をばら撒き撤収する。鉄砲玉の仕事を請け負うと大体の場合、このような窮地しか待ち構えていない状況が待っている。
 ノリンコT―NCT90を両手で構えた麻衣子もまだ制圧されていないフロアへと向かう。
 【トカレフの聡美】の制圧手順は何と無く理解できた。
 最上階から制圧して階下へと降りるつもりだろう。
 麻衣子は先を行く【トカレフの聡美】を視界の端に捕らえると、いつまでも正体不明のカリスマ性に囚われていないように自分に活を入れた。
 麻衣子はこのフロア……1階のテナント全部を受け持つことにした。事前の大まかな打ち合わせでは突入して15分後に各々が撤収ルートに就いてピックアップポイントまで自力で辿り着く事になっている。
 この鉄砲玉を仕組んだ何処かの誰かは15分間だけ、警察からの出動を遅らせる事が出来る力を持っていると簡単に予想できた。
 ノリンコT―NCT90が突如吼える。反射神経だけの発砲。
 1階に有るテナントは全部で3つ。廊下左手側壁面に一直線に等間隔で並ぶドア。そのうちの一番手前のドアが開いた途端に発砲したのだ。ドアの向きからして9mmパラベラムの射入は阻害される。そこまで『先に理解した』。
 発砲音が廊下に轟いている間に体が右手前に崩れる。
 全くの直感だった。立ったまま前進すると確実に仕留められる。誰かが囁いたような気がしたのだ。
 その直感が偶々、的中したのか、ドアの向こうからマカロフや1911を右手に握った年齢がバラバラの3人の男が吐き出されるように飛び出してきた。
 動作は素人だったが、この狭い空間で一度に3人も同時に相手にするのは難しかっただろう。……その場で立っていたのならば。
「!」
 男達は威勢良く飛び出したものの、目の前の高さに襲撃者が居ないのに一瞬の虚を衝かれて逡巡の顔を見せた。
 麻衣子は体のバネだけ、で一瞬で体勢を仰向けに寝転がせて両手でノリンコT―NCT90を保持し、上下逆さの世界に映る3人の男の腹部に2発ずつ銃弾を叩き込んだ。
 適当に当たればいいと4m以下の距離から意表を突く先制。3人の男達は鈍い呻き声とともに尻餅を搗いて床に倒れてそのまま大の字に転がる。空薬莢が無機質に転がる音が聞こえる。生きてはいるが反撃も移動もできない状態に陥っている。
 直ぐに立ち上がり、開いたドアの縁からリップミラーを差し込んで部屋の中を確認。
 15m平米ほどの狭い事務所といった拵え。
 人の姿は確認できない。事務デスクの上にパソコンや札束が広げられていたがそれらには手を出さない。現場での火事場泥棒は違反でもなんでもないが、ネコババした札束の番号やパソコンのメーカーや型番から身元が割り出される話も良く聞く。
 自分の所持しているモノ以外は信じないほうがいい。
 悔いの無い仕事の中で死にたいのなら、殺したいのならそんな詰まらぬ事で寿命を縮める必要も無い。
 部屋の中に入り込み一周して、誰も居ない事を確認してから次の部屋に移る。
 階の上では騒々しい。此方に増援が降りてくるかと思って冷や汗をかく。息を殺して潜むのでは依頼の不履行だと捉えられかねないので自分から討って出る。
 次の部屋は鍵が開いていたが、入り込むなり銃弾の洗礼を受ける。
 銃声からして1人。短機関銃。回転数は僅かに早い。特徴的な発砲音。
――――ミニウージー!
 部屋に入り込んだ麻衣子は素早く伏せながら右手側1mの位置にあったスチールデスクの陰に滑り込む。
 確かに1人しか確認しなかった。髪が後退を始めた中年。灰色の開襟シャツに黄土色のスラックス。腹が少し出始めた世代。そんな人間でも銃弾の威力は変わらない。
 況してや1分間に何百もの銃弾をばら撒く短機関銃ならば尚更だ。まともに銃弾を受けると軽く3回は死ねる。
 軍隊での短機関銃と犯罪の短機関銃ではポジションが違う。
 大量の負傷者を作ることではなく1挺で、隊を釘付けにするのが主な目的の軍隊と違い、反社会的な世界では単純に暴力を撒き散らす道具として扱われる。
 ミニウージーを使う目前の男がそれに命を賭けるガンマンなら話は少し違うだろうが、明らかに素人だ。手元にあった武器が偶々、ミニウージーだっただけだろう。
 イスラエル生まれの名銃は、使用者の感情を表現するように乱射を続ける。空薬莢が蛇のようにのたうち、壁に当たって乱雑に跳ねる。
 耳を劈く銃声も直ぐに止む。再装填のロスだ。素人が短機関銃を使うと殆どの場合、直ぐにトリガーハッピーに陥り、直ぐに弾切れを起こしてその隙に仕留められる。
 指切り連射や牽制射撃を知らないだけでこのような悲劇が起きる。
 だから、麻衣子は大して恐慌に陥っていなかった。構え方からして片手でミニウージーを構えていたのだ。32連発の長い弾倉を差し込んでいたが、それが仇となる。
 バランスが悪い。取り回しが楽でない。片手での射撃だと大きく銃口が跳ね上がる上に空いた手で予備弾倉を抜く動作が難儀になる。
 強力な武器には違いない。が、何より、コストが合わない。
 麻衣子1人に独りで無為に弾薬を消費しているだけでは当たるものも当たらない。連携してくれる相棒を作って習熟してから実戦で使うべきだった。
 無情。ミニウージーの男の胸部に9mmパラベラムが高速で叩き込まれる。スチールデスクの陰から充分に狙うだけの時間と隙間が有った。
「……!」
 麻衣子は虫の息の中年に近寄り、ミニウージーのグリップをハンドタオルで覆って握る。
 ノリンコT―NCT90は腹のベルトに差している。机の上のテープカッターから3cmほどセロテープを伸ばしてカットし、ミニウージーの引き金部分に覆う。
 左手の袖で左手首を覆ってミニウージーの予備弾倉を拾って交換。指紋の付着を出来るだけ防ぐ。
 使い捨てるのに充分で強力な武器が手に入った。予備弾倉もこれ一本しか見つからない。このまま長く使う銃ではない。狭い空間で一瞬だけの制圧力が欲しい時に役に立ってくれる。
 麻衣子は過去にミニウージーの大元のウージーなら扱った事が有る。ウージーは基本的に両手で保持する。ミニウージーも折り畳みストックを伸ばして両手で扱うのが本来の使い方に近い。
 さあ、と、部屋を出ようと背後を振り向く。
「……」
 冷や汗が吹き出る。
10/19ページ
スキ