セロトニンを1ショット
何度も銃口をコメカミに押し当てた。
震える指先。
言う事を聞かない指先。
今までに一度とて為しえない命令。
軽く楽に早く死ねるのなら何でも良いと銃を買った。
スーサイドバイコップを目論んで交番の襲撃も計画した。薬物での自死は望まない。手に入る範囲での薬物の自殺は決まって苦しい最期だ。『あの形相は何度も見た』。
何でも良いからと、どうせ死ぬのだからと最後の思い出作りの感覚で『非合法な会社』から安い拳銃を売ってもらった。
世界中の軍隊が使うタマを使うので『信頼できる』。拳銃自体は名前が長く覚える気にはならなかった。
スライドと呼ばれる部分の刻印を読んで何度も名前を思い出す。名前を思い出したところでそれも直ぐにこの世から消えてしまう記憶だ。
自分の命に終止符を打つ道具の名前くらい覚えても良いじゃないかと脳内の片隅が反乱を起こしているが、今日も心がダウナーの極みに有るので静かに消える。
足を投げ出し、冷たいコンクリートの床にぺたんと座る。
夜。深夜。夜更け。寒い。頬を撫でる程度の風でも真冬の風のように凍てつきを覚える。
何度も何度もロケーションは変更。
もう動く気力が無い。体力は有っても気力がついてこない。生きるだけの虚無感に飲み込まれて半年。
漸く、誰の迷惑にもならずに死ねる。
死ねる……と思っていた。
何度も銃口をコメカミに押し当てた。
軽いはずの引き金が異様に重い。撃鉄はちゃんと起こしている。薬室と呼ばれる部分には9mmパラベラムと呼ばれている実弾が押し込められている。
予備の弾倉や弾薬は無い。グリップに差し込んだ弾倉には3発の実弾。
冷たい風が一薙ぎ。
更に体温が下がる感覚。指先の震えは寒さの所為だと言い訳が零れてしまう。
暗い広い寒い倉庫の片隅。
港湾部の廃棄された倉庫街では意外と無人の場所は少ない。
この場所を探すだけで足が鉛のように重くなった。
時折、浮浪者が此方を窺いに来る。早く自殺して欲しいのだ。私の体から衣服から何から何まで奪い去りたいのだろう。
生きる気力をなくし目標を見失い活力を奪われた原因が何だったのかも、もうどうでもいい。早く引き金を引け。
パーカーにTシャツ、ジーンズパンツでも6月の深夜は予想以上に冷える。生臭い潮風と鉄錆びの臭いが湿気混じりで更に不快。
もういいや。
銃口をコメカミに押し当てる。此処に来て3度目の挑戦。首を吊るよりも簡単なはず。
首吊り自殺は意外とハードルが高い。
首を吊るロープと『高い場所』を確保しようとする気力が湧かない。更に首吊りに適した縄の結わえ方を動画で検索して真似しているうちに思考が整理されて死ぬ勢いが消えてしまう。
ホームから列車に向かって飛び込もうとした時は、こんな時だけ人間の優しい微笑みに助けられるのかと臍をかんだ。
飛び込もうとした瞬間に自分の胸を制すように伸ばされた腕に押し留められた。年配の駅員に止められた。それも無言で優しい笑顔を此方に向けていた。
辺りの電車を待っている乗客は何が起きようとしていたのかも解らない間に、飛び込み自殺は防がれた。
あの笑顔は忘れない。死ぬまで忘れない。死ぬまであと数分かもしれないけれど……。
10tトラックが4台ほど余裕で格納できる広い倉庫に自分が独り、倉庫の真ん中で梁を支える柱に凭れて気力無く座る。
倉庫の窓や入り口では浮浪者の影がちらつく。早く命を断てと願っている様が手に取るように解る。
視界が霞む。
何故か湧き上がる涙だけが熱湯のように熱い。
頬を伝う。倉庫の冷たい柱に凭れかかり今まさに引き金を引こうとした。心で何度も唱えた言葉がぽつりと唇から零れる。今度は確実に引き金を引けそうな気がした。
「じゃあ、さよなら」
引き金を、引く。
「!」
引き金を、引いた。
確かに、引き金を、引いた。
撃鉄が話に聞く撃芯を叩く感触が、そして撃発すると云う弾薬の轟音が聞こえなかった。自分の身に何が起きたのか理解できなかった。不発の可能性を疑うほど……不発と云うものが存在する事を知らない彼女は『何が起きていたのか理解できなかった』。
「! ……え!」
右手にした大型自動拳銃が万力のような力で捻られる。
汗や体臭が混じった猛烈な悪臭。
途端に意識が判然とした。
背後から忍び寄っていた浮浪者が、血で汚れる前の自動拳銃を奪いにきた。
その浮浪者は少しは拳銃の構造を知っているのか、撃鉄が撃芯を叩く僅かな隙間に瓶ビールの王冠を挟み込んで撃鉄の打撃が撃芯に伝わらないように停止させていた。或る意味、安全装置を掛けるよりも確実な撃鉄の処理の仕方だ。
彼女は脊髄反射で足掻いた。
右手に全力を込めて、捻り挙げられようとする力に抗う。
男は中年くらいだろうか。
髭や髪が伸び放題で顔をはっきりと確認できない。この暗い空間では尚更判別がつきにくい。窓の外から差し込む光源だけが頼りの空間。寒々とした空気が肌を差すだけの虚無な空間。
彼女は悲鳴も唸りも呻きも挙げない。
歯を食い縛って自分の命を楽に絶つ唯一の道具にしがみついた。
今まで生きてきた28年で一番の全力だったかもしれない。
浮浪者の男はここまで全力で抵抗されるとは思っていなかったのか、黄色く濁った歯をむき出しにして彼女を殴る。蹴る。
2人は互いに睨む。
髪の間から浮浪者の黄色い眼球が光る。
彼女は整ったパーツが納まった輪郭を歪ませて自身の右手を掴む。彼女の上半身や頭部に拳や爪先の打撃が叩き込まれて鈍い音がする。
意識がはっきりしてきた彼女。
『自分は本気で抵抗しようとしている。生きるために、生き残って確実に死ぬ為に本気で抵抗しようとしている』。
浮浪者の元の色が何なのか解らない汚い袖口が撃鉄を塞いでいたビール瓶の王冠を引っ掛けて跳ね飛ばす。コンクリートの地面に当たって軽く冷たい金属音を奏でる。
その瞬間に彼女の生き方は決まっていた。
決めざるを得なかった。
選択肢が無い不幸な状況が幸いにも彼女に、生きる路を見つけさせてしまった。
カチリと左手親指の先端が音を聞く。
自分で銃口を押し付けるよりも自然な構え。自身のコメカミを感触で狙うのとは違った必然な状況。
右手の人差し指が引き金を引く。
浮浪者の男が掴む手を滑らせて彼女を手放した瞬間。
彼女が両手で自動拳銃を握り強烈な暴力から放たれた瞬間。
銃声が轟いた。
噂では9mmパラベラムは甲高く劈くような鋭い銃声だと聞いた。とんでもない話だ。実際には耳と腹の奥にくぐもるように響く力強い銃声だった。
勿論、それは後に懐古したときに思い出した印象だ。
目前で浮浪者の男の喉仏に黒い大きな深い孔が開き、首から上が後方へ不自然な角度で殴られたような勢いで仰け反る。
轟いた銃声の後に撒き散らされる血潮。
その飛沫が彼女の頬を汚す。
同じ赤い血。
涙と同じ温度を感じた。
熱い。
浮浪者の男は仰向けに大の字にゆっくり倒れた。
その銃弾は本当なら自分の頭部を穿つはずのものだった。
初めての殺人。
事故であったとしても正当防衛であったとしても、殺人。
たった3発のうちの1発。
人の命がこれほどまでに呆気無く散ってしまう。
震える指先。
言う事を聞かない指先。
今までに一度とて為しえない命令。
軽く楽に早く死ねるのなら何でも良いと銃を買った。
スーサイドバイコップを目論んで交番の襲撃も計画した。薬物での自死は望まない。手に入る範囲での薬物の自殺は決まって苦しい最期だ。『あの形相は何度も見た』。
何でも良いからと、どうせ死ぬのだからと最後の思い出作りの感覚で『非合法な会社』から安い拳銃を売ってもらった。
世界中の軍隊が使うタマを使うので『信頼できる』。拳銃自体は名前が長く覚える気にはならなかった。
スライドと呼ばれる部分の刻印を読んで何度も名前を思い出す。名前を思い出したところでそれも直ぐにこの世から消えてしまう記憶だ。
自分の命に終止符を打つ道具の名前くらい覚えても良いじゃないかと脳内の片隅が反乱を起こしているが、今日も心がダウナーの極みに有るので静かに消える。
足を投げ出し、冷たいコンクリートの床にぺたんと座る。
夜。深夜。夜更け。寒い。頬を撫でる程度の風でも真冬の風のように凍てつきを覚える。
何度も何度もロケーションは変更。
もう動く気力が無い。体力は有っても気力がついてこない。生きるだけの虚無感に飲み込まれて半年。
漸く、誰の迷惑にもならずに死ねる。
死ねる……と思っていた。
何度も銃口をコメカミに押し当てた。
軽いはずの引き金が異様に重い。撃鉄はちゃんと起こしている。薬室と呼ばれる部分には9mmパラベラムと呼ばれている実弾が押し込められている。
予備の弾倉や弾薬は無い。グリップに差し込んだ弾倉には3発の実弾。
冷たい風が一薙ぎ。
更に体温が下がる感覚。指先の震えは寒さの所為だと言い訳が零れてしまう。
暗い広い寒い倉庫の片隅。
港湾部の廃棄された倉庫街では意外と無人の場所は少ない。
この場所を探すだけで足が鉛のように重くなった。
時折、浮浪者が此方を窺いに来る。早く自殺して欲しいのだ。私の体から衣服から何から何まで奪い去りたいのだろう。
生きる気力をなくし目標を見失い活力を奪われた原因が何だったのかも、もうどうでもいい。早く引き金を引け。
パーカーにTシャツ、ジーンズパンツでも6月の深夜は予想以上に冷える。生臭い潮風と鉄錆びの臭いが湿気混じりで更に不快。
もういいや。
銃口をコメカミに押し当てる。此処に来て3度目の挑戦。首を吊るよりも簡単なはず。
首吊り自殺は意外とハードルが高い。
首を吊るロープと『高い場所』を確保しようとする気力が湧かない。更に首吊りに適した縄の結わえ方を動画で検索して真似しているうちに思考が整理されて死ぬ勢いが消えてしまう。
ホームから列車に向かって飛び込もうとした時は、こんな時だけ人間の優しい微笑みに助けられるのかと臍をかんだ。
飛び込もうとした瞬間に自分の胸を制すように伸ばされた腕に押し留められた。年配の駅員に止められた。それも無言で優しい笑顔を此方に向けていた。
辺りの電車を待っている乗客は何が起きようとしていたのかも解らない間に、飛び込み自殺は防がれた。
あの笑顔は忘れない。死ぬまで忘れない。死ぬまであと数分かもしれないけれど……。
10tトラックが4台ほど余裕で格納できる広い倉庫に自分が独り、倉庫の真ん中で梁を支える柱に凭れて気力無く座る。
倉庫の窓や入り口では浮浪者の影がちらつく。早く命を断てと願っている様が手に取るように解る。
視界が霞む。
何故か湧き上がる涙だけが熱湯のように熱い。
頬を伝う。倉庫の冷たい柱に凭れかかり今まさに引き金を引こうとした。心で何度も唱えた言葉がぽつりと唇から零れる。今度は確実に引き金を引けそうな気がした。
「じゃあ、さよなら」
引き金を、引く。
「!」
引き金を、引いた。
確かに、引き金を、引いた。
撃鉄が話に聞く撃芯を叩く感触が、そして撃発すると云う弾薬の轟音が聞こえなかった。自分の身に何が起きたのか理解できなかった。不発の可能性を疑うほど……不発と云うものが存在する事を知らない彼女は『何が起きていたのか理解できなかった』。
「! ……え!」
右手にした大型自動拳銃が万力のような力で捻られる。
汗や体臭が混じった猛烈な悪臭。
途端に意識が判然とした。
背後から忍び寄っていた浮浪者が、血で汚れる前の自動拳銃を奪いにきた。
その浮浪者は少しは拳銃の構造を知っているのか、撃鉄が撃芯を叩く僅かな隙間に瓶ビールの王冠を挟み込んで撃鉄の打撃が撃芯に伝わらないように停止させていた。或る意味、安全装置を掛けるよりも確実な撃鉄の処理の仕方だ。
彼女は脊髄反射で足掻いた。
右手に全力を込めて、捻り挙げられようとする力に抗う。
男は中年くらいだろうか。
髭や髪が伸び放題で顔をはっきりと確認できない。この暗い空間では尚更判別がつきにくい。窓の外から差し込む光源だけが頼りの空間。寒々とした空気が肌を差すだけの虚無な空間。
彼女は悲鳴も唸りも呻きも挙げない。
歯を食い縛って自分の命を楽に絶つ唯一の道具にしがみついた。
今まで生きてきた28年で一番の全力だったかもしれない。
浮浪者の男はここまで全力で抵抗されるとは思っていなかったのか、黄色く濁った歯をむき出しにして彼女を殴る。蹴る。
2人は互いに睨む。
髪の間から浮浪者の黄色い眼球が光る。
彼女は整ったパーツが納まった輪郭を歪ませて自身の右手を掴む。彼女の上半身や頭部に拳や爪先の打撃が叩き込まれて鈍い音がする。
意識がはっきりしてきた彼女。
『自分は本気で抵抗しようとしている。生きるために、生き残って確実に死ぬ為に本気で抵抗しようとしている』。
浮浪者の元の色が何なのか解らない汚い袖口が撃鉄を塞いでいたビール瓶の王冠を引っ掛けて跳ね飛ばす。コンクリートの地面に当たって軽く冷たい金属音を奏でる。
その瞬間に彼女の生き方は決まっていた。
決めざるを得なかった。
選択肢が無い不幸な状況が幸いにも彼女に、生きる路を見つけさせてしまった。
カチリと左手親指の先端が音を聞く。
自分で銃口を押し付けるよりも自然な構え。自身のコメカミを感触で狙うのとは違った必然な状況。
右手の人差し指が引き金を引く。
浮浪者の男が掴む手を滑らせて彼女を手放した瞬間。
彼女が両手で自動拳銃を握り強烈な暴力から放たれた瞬間。
銃声が轟いた。
噂では9mmパラベラムは甲高く劈くような鋭い銃声だと聞いた。とんでもない話だ。実際には耳と腹の奥にくぐもるように響く力強い銃声だった。
勿論、それは後に懐古したときに思い出した印象だ。
目前で浮浪者の男の喉仏に黒い大きな深い孔が開き、首から上が後方へ不自然な角度で殴られたような勢いで仰け反る。
轟いた銃声の後に撒き散らされる血潮。
その飛沫が彼女の頬を汚す。
同じ赤い血。
涙と同じ温度を感じた。
熱い。
浮浪者の男は仰向けに大の字にゆっくり倒れた。
その銃弾は本当なら自分の頭部を穿つはずのものだった。
初めての殺人。
事故であったとしても正当防衛であったとしても、殺人。
たった3発のうちの1発。
人の命がこれほどまでに呆気無く散ってしまう。
1/19ページ