細い路に視える星

 やがて……唇を火傷するほどに短くなったビリガーエクスポートを蓋付きの安っぽい灰皿に押し込むと、とっくの昔に冷たくなっているマグカップのコーヒーで口の中をリセットした。
 換気扇の直下でドライシガーを吸っていても、煙は完全に排煙されていない。この無礼が赦されるのは琴美が独り暮らしだからだ。
 ペットも含めて同居人と生活する状況は想像もしたく無い。
 息苦しくて死にそうだ。
   ※ ※ ※
 深夜。
 0時を少し経過。
 家屋。雑多な住宅街。嘗ての賑わいが消えて久しい区画。隣町との境目だが、似たような相を呈する隣町は予算が有るのか、早くも廃棄区画に指定して、住民の立ち退きの交渉に移っているという。 
 勿論、素直に立ち退きが完了するとは思えない。これから長い闘争が始まるのだろう。その未来を見越してか否か、この街外れの区画では派手な再開発は敬遠されている。
 揉め事を嫌う事勿れ主義の役所らしい判断だが、それも強ち間違いではない。問題の先送りも立派な方法だ。間違いではないし賢いとも言えないが。
 その寂れた区画。
 廃屋が疎らに放置されて街灯が物悲しく光源を提供してくれる。これから廃屋が一つ増えるごとに、悲しい灯りが一つ増えるような寂寞とした光景。
 人の通りも車の往来も少ない。昼間であっても喧騒とは程遠い。住民は確かに住んでいる。
 季節が秋から冬へ変わろうとしている、ただでさえメランコリックな感情に押し流されそうな時期に死に逝く町並みを見せられたのであっては……一思いに止めを刺したくなる。
 依頼人は表世界の住人。
 年金で悠々と老後を過ごす年代の婦人。
 息子家族を事故で失った。
 後は独りで人生の幕を引くだけの時間。その時間を共に過ごしていた愛猫が交通事故で死んだ……今回の依頼はその愛猫を轢き殺した暴走族に『想い』を伝える事。
 昨日の午前中にビリガーエクスポートを吸いながら脳内で作成したリストに記された中でも『一番安全だと察した』仕事だった。
 依頼人は金に糸目をつけず、背後関係も無し。表世界の住人で連絡諸々はアナログな伝達手段を生業とする『配達屋』経由で行った。
 見積を送ったが二つ返事……誰でも良いから憎い連中を殺して欲しいと云う強い想いが伝わる。この老婦人が健脚なら自分が縊り殺してやりたい気分だろう。
 想いを伝える道具は右手に既に握られた自動拳銃。ノリンコT―M1911A1。
 中国が外貨獲得の為に製造したコルトガバメントの寸分違わぬコピー。
 材質にも精度にも大きな違いは無い。
 違いが有るとすれば各所の刻印だろう。ノリンコのロゴが特徴的だが、シルエットは完全にコルトガバメントなので遠目に判別するのは不可能だ。
 口径も同じ。45口径。
 彼女がこのコピーを使う理由は至極簡単だ。……何処でも手に入る。故障しても交換が直ぐに利く。パーツや弾薬の入手も簡単。
 それだけオリジナルのコルトガバメントは世界中で愛されている。地下の武器を流通する非合法な会社でも常に余っているのがコルトガバメントのコピーだ。
 コルトガバメントのコピーは一般的に1911と呼ばれる。
 余程捻った機能を搭載していない限り、大部分のパーツが流用できるのでコストが抑えられる。
 琴美が使っているノリンコT―M1911A1も半分近くはパーツを交換してある。
 流石に強化する為のカスタムパーツは将来性が無いが、それでも世界中ではコルトガバメントとそのコピーに対して需要が有る。OEM製品でもコルト社が純正の刻印を打ち込めば数万円、価格が跳ね上がる。
 未だに以って本物のコルトガバメントは高価だ。故に世界中の様々な銃火器メーカーがコピーを作り販売する。ノリンコのようにあからさまにアウトラインの権利を侵害するレベルの模倣を製造しているメーカーは少ないが。
 暗い路地。
 街灯の光源は心許無いが皆無よりマシ。
 住民が入居している家屋は既に灯りが消えている。或いはカーテンがかかって、その隙間から細く灯りが漏れている。視界に入る生活の香りがする家屋は3件しかない。
 季節が変わろうとしている。
 空気が湿っている。僅かに埃が混じったような臭い。暑くも寒くも無い。過ごし易い気温だが、このシーズンももう直ぐ終わる。
 28年しか生きていない琴美だが、年々と気候の変動が慌しいように感じている。
 標的は4人。武装らしい武装は確認済み。安物の32口径の自動拳銃や単発410番口径の密造銃など雑多だ。4人とも携行している銃火器の口径に統一性は無い。
 少し指先をキーボードに這わせただけで、沢山の情報が手に入る。連中は全く連携していない。連携と云う概念も無い。無秩序に暴走を繰り返すだけの愚連隊。所持している拳銃も脅し以上の役目を働いた事が無いだろう。
 拳銃を携行する暴走族……今では全く珍しくない。
 半グレのラインに近い人間ほど拳銃を所持している。それを携行するのにそれ相当の覚悟が必要だと理解している人間と出会ったことは無い。
 拳銃を撃つと云う事は撃たれる覚悟もワンセットで心に携行しなければならない。
 標的となる連中は潜伏しているわけでは無い。
 屯する場所としてこの区画の廃屋に陣取っているだけだ。
 『配達屋』と情報屋を経由した割には想像以上に早く情報が手に入った。それもそのはずで、この暴走族の情報は二束三文の価値で取引されており、最終的に買われる事無くネットの海に埋没しても惜しくは無い情報なのだ。
 この界隈に存在する反社会的存在は、ピンからキリまで情報屋の情報収集要員に一通りマークされる。どんな情報がどこでどのように化けるか解らないからだ。
 勿論、全ての情報が有用で買われるはずが無く、誰にも価値が無い、このような小物の暴走像は直ぐに情報の価格が下げられて消えてしまう。
 それを偶々安く買い取ったのが……買い取るタイミングと必要とするタイミングが全て一致していたのが琴美だった。
 左手をジャケットの右脇に差し込んで予備弾倉をすらりと抜く。
 米国のサードパーティが拵えて販売している25連発ロングマガジンだ。
 銃剣の鞘のように長いそれ。
 右手の中でコンディションワンで待機しているノリンコT―M1911A1に挿している弾倉を使い切ったら今度はこの長い弾倉を差し込んで使う。
 ノリンコT―M1911A1に限らず、オリジナルを忠実にコピーした1911ほど装弾数も同じ。たったの7発しか撃てない。足りない火力はこのようにメーカー純正品でない弾倉を用いることでカバーする。
 標的たちが何も知らずに潜んでいる廃屋には灯りが点っている。勝手に電源を通したのではなく、勝手に発電機を持ち込んで稼動させているだけだ。
 馬鹿騒ぎする声が聞こえる。今夜のハシリに備えて彼らなりに英気を養っているのだ。
 築40年を悠に超える木造2階建て。4LDK。
 所々の壁が剥がれ落ちて風化の激しさを物語る。駐車場と庭が兼用になったスペースには3台のバイクが並んでいる。何れもマフラーを改造した、爆音を立てるために努力が積み重ねられたバイク。例外無く、ナンバープレートは外してある。
 正面から堂々と入る。立て付けの悪いドアを勢いよく開け放つ。
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