細い路に視える星

 火が点いていない新しいビリガーエクスポートを銜えたまま、仕事用の部屋を出て、耳にブルートゥースのレシーバーを填めて右手で然るべき番号を呼び出す。
 左手にした青い使い捨てライターでビリガーエクスポートの先端を炙りながらキッチンの換気扇直下へ向かう。
「『ノートの件で訊きたいんだけど』」
 子飼いにしている情報屋にいつもの合言葉を述べる。
 今度は若い成人女性を意識した合成音で情報屋は返答する。
 琴美は駆け引き無しで正直に今訊きたい事をぶつける。
 この街でこれから起こるであろう、新興勢力との衝突の時期を推測する為だ。
 街中の『遣い手』が動員されて総力戦になるのは避けられない。それは想像に難くない。問題は火種を警戒して街から逃げるか、恩義を売る目的も含めてこの街で残留し、何処かの組織で一時的に傘下として収まるか……。
 一匹狼を気取っていると自分の意志が表明できない風見鶏と判断されて、後々取引で面倒になりそうだ。
 従って孤独を満喫する選択肢は最初から除外。
「…………解ったわ。口止め料が必要? ……結構ね。その言葉に甘えさせてもらうわ」
 情報屋に軽口を叩く。
 内心は穏やかでない。
 ビリガーエクスポートの紫煙を乱暴に吐く。
 情報屋からのリークでは、既に戦力として琴美が組み込まれているとの事だ。
 逃げるか否か以前に先手を打たれた。
 それはどうやら琴美だけでなく他の荒事稼業の人間も様々な組織に『一山幾らの兵隊』として売買されているらしい。
 自分の与り知らぬ場所で自分の命が売り買いされるのに反発は覚えるが、大人しく従うのも『賢い選択の一つ』だと思っている。
 そう思えば異存は無い。
 理解も把握も納得もした。
 感情論で心を突き動かすべきではない。心の配達を旨とする『代行業』であっても多勢から見れば殺し屋の1人だ。
 駄々を捏ねる子どものような振る舞いではスマートとは言えない。
 それに、自分を一時的に買い取った業者はいつも贔屓にしている商店だ。知らない仲ではない。恩義を売る宛としては文句無し。商店はその背景に巨大な組織との強固なパイプも持っている。簡単には崩壊しないだろう。
 その背景を守るためではなく、商店に個人的な理由で助太刀すると考えれば割の合わない仕事ではない。
 既に何割かの荒事稼業の人間が街から逃げ出したが誰も彼や彼女らを責めはしない。……それも選択の一つとして成り立つからだ。
 ……その時まではそう思っていた。逃げるのも在りだ。逃げないのも在りだ、と。
 だが、実際にこうして鉄火場に巻き込まれると泣き言の一つも漏らしたくなる。
 子飼いの情報屋に訊ねて裏社会の世情を探ってから1週間後に静かに始まった『新旧後退の為の儀式』。
 新興勢力は露骨にこの街の中枢を握る複数の巨大組織に宣戦布告。
 その時間、深夜2時。
 琴美は夢の中に埋没したばかりだというのに、けたたましい着信音で叩き起こされる。
 プリペイド式のフィーチャーフォンに着信。仕事用のスマートフォンではない。このフィーチャーフォンの番号を知っている人間は5人しか居ない。
 そしてその5人は何れも情報屋で常に大金を払い、非常時の情報のリークを優先させている情報屋ばかりだった。そのうちの1人から電話。
 その着信音で目覚めて1時間後には街の路地裏……繁華街の裏手口が並ぶ細い路地でノリンコT―M1911A1を構えて敵勢力と交戦していた。
 敵戦力。不明。
 敵組織の規模。不明。
 密かに商店と琴美にパイプを持つ情報屋の確かなリークだった。『参加するのなら今しかない』と囁かれ深夜に叩き起こされたのだ。
 待ちに待っていた、そして回避できるのならそれに越したことは無いと願っていたⅩデイは今夜……深夜2時だった。
 既に琴美の腹は決まっていた。
 誰が敵で誰が味方か解らない。
 何処の業種の誰が何処の組織の傘下に収まっているのかすら解らない。
 良く見知った顔が敵である可能性のほうが大きい。それはこの鉄火場に放り込まれた、或いは自ら飛び込んだハジキを遣う人間全てに言える事だろう。
 玩具の銃を撃つサバイバルゲームのように赤と黄色のリボンを体のどこかに巻いている訳ではない。
 ではどうやって敵味方を判別するか? それは子飼いの情報屋経由の情報だけが頼みだ。
 この場に参戦しているハジキの遣い手は全員、確かな筋の情報を入手して先行した連中ばかりだ。だから初動が早い。初動が早いうちは参戦する人員も少ない。
 参戦した人員だけなら、今の混乱の一歩手前なら誰が敵で誰が味方で誰が中立であるかを纏めた情報屋がリークするリストが役に立つ。
 琴美もフィーチャーフォンから貼り付けられたURLを辿ってリストを入手した。
 誰も彼もが知った名前。
 敵にしたく無い奴。
 殺したくない奴。
 色んな名前が列記。
 知った顔。
 つい先日、会釈した程度の同業者が敵だったり、仕事の成り行き上、コロシに行く者と警護する者として銃火を交えた過去が有る人間が仲間だったりと、確かにこのリストが無ければ途端に背中から撃たれるだろう。
 そのリストを短時間で頭に叩き込んで、今。
 路地裏。ビルの隙間から入り込む冷たい風が頬を叩きつける。
 いつもの使い捨てカイロどころかハーフコートすら羽織っていない。ショルダーホルスター、右脇に25連発弾倉2本と後ろ腰に3連マグポーチを左右に1箇所ずつベルトに通すだけで精一杯だった。
 懐にいつものビリガーエクスポートすら忍ばせていない。ノリンコT―M1911A1がどこか重苦しく感じる。
 これだけの装備しかないと云う焦りが募る。
 手にしたノリンコT―M1911A1は既に4発撃った。
 コンディションワンではない。つまり残り3発の弾倉。万全で無い状況で現場入り。
 出来上がりつつある鉄火場。
 表通りの人間は誰一人としてこの銃撃戦に気が付いていないだろう。いつもの、無軌道な若者が何処かで爆竹でも鳴らしていると思っているに違いない。その影で確実に人間が負傷している。死傷している。死亡している。
 目前に現れた影を敵か味方か判別するロスは大きい。
 一瞬どころか、呼吸一回分も時間を無駄にする。
 同士打ちをしでかすと敵のスパイだと誤認されかねない。
 今し方、4発撃ち、2人に負傷を負わせたが、実に軽く虚しい発砲だった。
 これは組織同士の私闘だ。それに遣われているだけの、顎で使われているだけの機械だ。
 何千何万の銃弾をばら撒いても琴美の矜持は守られない。
 その中で、たった一つ、商店に恩義を売るために馳せ参じたと云う言葉で自分を欺瞞する。
 自分のスタイルでも自分の流儀でも自分の主義でもない。
 言うなれば配達人が自転車を漕いで郵便ポストに手紙を投函していた時代が突然、電子メールの登場で廃業に追い込まれたような寂寞。自分たちの存在意義は結局、原始的な暴力装置でしかない事を思い知らされる。
 風は強くなる。
 銃弾が飛び交う。
 ビルとビルの間で銃声が轟く。
 有象無象。
 拳銃に短機関銃。
 戦場は繁華街の路地裏から繁華街の外れに在るシャッター街の路地やその外郭に在る立ち退きを待つ無人の廃屋街まで拡大。今夜で全てが片付く保証は無い。血で血を争う展開の可能性も有る。戦況は全く解らない。
 目の前で自分が交戦する4人を倒す事だけに集中する。
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