細い路に視える星

 死には到らないが、死に到るかもしれない恐怖と痛みに苦しむのみだ。
 最初に仕留めたはずの男が拳銃を構え直し、勇敢にも床に転がる琴美を捉えようと大きく揺れる銃口を定めんとして足を踏ん張る。
 無情にも、その彼の喉仏に射入孔が開き、頭部が衝撃で前方に直角に折れる。
「…………」
 琴美は硝煙が立ち昇るノリンコT―M1911A1を横倒しにして構えたまま動いていない。指先以外は。
 真正面で最初に被弾した男は防弾チョッキでも着ていたのだろう。
 残りの2人もそうかもしれない。残りの2人は防弾チョッキに守られていない部分に被弾して戦力を奪われ、最初の1人は防弾チョッキに守られた胸部の被弾の衝撃を全身に受けて倒れるか否かの瀬戸際で耐えていた。
 そこへ琴美が止めを刺した。
――――残弾14発……か。
 琴美の心にロスが生まれない。
 冷静に発砲した弾数を数えていた。
 頼もしい45口径を吐き出せば、それだけ弾倉が軽くなる。装弾数は多ければ多いほど制圧力は高くなるが、反比例して重心バランスが悪くなる。残弾2、3しかない25連発弾倉などただの錘でしかない。
 琴美は冷静と冷血の狭間で立つ人間になりきっていた。
 そうでなければ想いを伝え合う者同士の一抹の寂寞に押し潰されそうだったからだ。
 強敵であればあるほどそれは強い。
 それを拭うには自分は想いを伝えるだけの機械や歯車やシステムでしかないと念じるしかなかった。さもなければ職業意識が人情に流されてしまい、僅かな心の隙間を新手に切り込まれてしまう。
 想いを伝えた。それでいい。
 次の敵。次に倒すべき敵。次に控えているであろう敵。早く現れてくれないと自分が圧潰する。
 標的が1人で無抵抗ならば、このような複雑な防御行動は起こさない。
 辺りは鉄火場。辺りには命の遣り取り。辺りには誰もが死に物狂いで銃弾を撒き散らす。
 恰も、自分の銃声が轟いている間は自分の命が保障されると思い込んでいるように。
 琴美は頭を低くしてビルの更に奥へと進む。
 SPAS―12の銃声がまだ聞こえる。SPAS―12の銃声は依然として膠着。
 新しい部屋の前に飛び出る前にコンパクトを翳して室内を確認。雑然と折り畳みテーブルと椅子が並べられただけの部屋。テーブルの上には内線電話がぽつんと置かれている。倒れている折り畳み椅子が10席以下。
 即席の会議室を思わせる雰囲気。此処には誰も居ない。
 此処に居た人員は琴美達の襲撃に応戦すべく出払ったのだろう。
 途中、廊下の角や階段の踊り場付近などの遮蔽効果が高い場所で小口径高速弾を被弾して虫の息の男を3人見た。
 M4カービンの男が負傷させたのだろう。
 頭を一発で撃ち抜いて止めを刺す。これで合計9人。
 広いフロアではないが遮蔽が多いのでドアの陰や給湯室への入り口などを見ると即座に急ブレーキをかけてコンパクトで鏡越しに窺う。閉鎖的な空間の戦闘で一番怖く、一番頼もしいのはこの遮蔽なのだ。
 そこに人が1人潜む事が出来る陰があるだけで大きなプレッシャーになり、慎重な策を練る必要がランダムに発生する。
 此処が戦場なら更に爆薬や刃物などの罠も仕掛けられているだろう。遮蔽が有るから身を潜ませる事が出来る。遮蔽が有るからそこに居るかもしれない敵を警戒し時間を浪費する。
 鰻の寝床のように奥まった部分で漸くSPAS―12の銃声をはっきりと聞いた。
「!」
――――しまった!
 背筋が冷たい電流を流されたように引き攣る。
 SPAS―12の男が床に倒れていた……正確には床に倒れて血の海に沈んでいた。その右手首が見えた。SPAS―12の銃声はデコイだ。
 SPAS―12の遣い手がまだ残存し、1人で戦線を維持していると思わせてフロアの行き止まりまで誘き寄せる作戦だった。
 それを即座に判断した決め手は、SPAS―12の男が倒されて自分は誘われたと判断した材料は……SPAS-12を携えた見知らぬ男と7mの距離で同時に引き金を引いたからだ。
 最初に眼に入ったのは血溜まりに浮く手首。
 次に眼に入ったのはSPAS―12を構える角刈りの中年の白い歯。咄嗟の発砲。アソセレススタンスを維持していたとはいえ、コンマ数秒、琴美は遅かった。
「が!」
 悲鳴。
 腹の底から搾り出すような悲鳴。蛙を踏み潰したようなと言い換えても差し支えない。
 琴美は透明の張り手で胸を張り飛ばされたように大の字になって大きく吹っ飛ばされた。
 7mの距離から12番口径の九粒弾を胸部に被弾。
 殆ど全て命中。
 小口径短機関銃の一連射分に掃討するエネルギーを胸骨と鳩尾と肋骨で全て受け止める。その結果、琴美は無様に尻餅を搗き、更に余ったエネルギーで床を30cmほど滑る。
 そして崩れ落ちる湿った肉袋。
 奪ったSPAS―12を構えた男に咄嗟に放った1発はその中年男性の額に風穴を拵えて白い歯を見せたまま前のめりに倒れた。
「つっ……」
 呼吸をするだけで肺が破裂しそうに苦しい。
 BDUに仕込まれたセラミックプレートが散弾の威力を大きく削いだ。それでも衝撃は胸部を中心に全身に広がる。人間が地面に根を張る生き物ならばその衝撃の度合いは違うが今の人類では無理な相談だ。
――――退き時だ。
 仰向けから体を左手側に側転させながら左掌で床を大きく押して勢いだけで立ち上がる。
 そのまま体を再び額に風穴を作った男の死体方面に向けてノリンコT―M1911A1を乱射しながらジグザグにステップを踏み、後退。ここで留まるのも前進するのも危険。
 『本当の八方塞り』に陥る前に正面出入り口に到達しないと敵勢力の増援とカチ合う可能性も高い。
 BDUの防弾効果はもう期待できない。セラミックプレートはスチールプレートより軽量だが、文字通りセラミック(瀬戸物)なので一発でも被弾すれば皹が入り弾性限界を迎える。
 割れた瀬戸物を砕くのは容易なことだ。今のBDUは防弾効果を失った、嵩張る弾薬ポーチでしかない。背面のセラミックは健在だがそもそも背面から襲撃を受ける時点で琴美の敗北だ。
 無為に思える乱射。
 この場合は下手な弾幕を張るだけで効果が高い。あっという間に弾倉は空になる。
 スライドが後退する前、薬室に1発残っている状態で左手で通常弾倉を抜きながら、グリップ底部より長く伸びる弾倉を腹のベルトの隙間に差し込んでマガジンキャッチボタンを押し、ノリンコT―M1911A1自体を抜き放つ。それはサラシに差した短ドスを抜くような動作。
 通常弾倉を差込み、今度は的確な射撃に切り替える。
 ビルの奥から3人一組のチームが現れたがその進軍を抑えるべく発砲。
 連中は遮蔽の角で一時的に膠着し、それを目視した途端に琴美は踵を返して全力で侵入してきた正面出入り口から射出するように遁走した。
 今直ぐBDUを脱ぎ捨てたい。今直ぐ散弾の衝撃に悶えたい。今直ぐビリガーエクスポートを思いっきり吸いたい……何れも今直ぐには叶わぬ願いだった。
   ※ ※ ※
 先日の夜に贔屓にしている商店を襲撃した際に真正面から胸部に12番口径の九粒弾を全て胸部で受けた為に、胸骨と肋骨に皹が入っていた。
 あの距離からの発砲で皹程度の負傷で済んだのは幸いだ。そしてこの痛みは連中の排撃応戦する意志の強さなのだと実感する。
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