拝啓、素浪人様

 夜の空を仰いでいた方が明るい。仰向けのまま、心許無い弾倉を交換する。
 左目から涙が流れるままにして、右目だけで戦闘を続行。相手に撤退の意思がまだ見えない。
 此方も撤退するタイミングが掴めない。
 美冴独りが逃げるのなら問題無いが生き残りの三下連中をここで全員、連中の生贄にするのは夢見が悪い。それにこれもボーナスの査定に含まれるのなら働かねば損だ。
 側溝からリップミラーを突き出してできるだけ月明かりをその中に捉えずに辺りを窺う。
 銃撃戦は続く。銃撃の趨勢は三下連中がやや不利。弾幕を張って辛うじて戦線を維持している。押し上げる影の集団に蹂躙されるのは時間の問題だ。
――――廻り込む……か。
 左右に延びる側溝を見ながら思案する。この側溝の延びる先に注目した。
――――行く……行ける!
 右手側へと……側溝の上流側へと頭を低くした状態で走り出す。
 側溝と云うより大きな水路といったそのルートはこのまま上流へ向かえば潅木が多い茂る林の中に入る。上流で堰き止められているのか、溝は乾いている。
 頭を出せば潜んでいる狙撃手に狙われる。この方向へ進むと村役場とは反対方向だが、この場に於ける最大の脅威の背後に廻り込む事が出来る。
 狙撃手。
 その背後にこの側溝は続く。
 狙撃手が大人しくその場で居てくれたのなら僥倖。狙撃手が場所を変えたとしても戦線を維持させる為に更に前進して村役場に近付いているので背後を取り易い。
 問題が有るとすれば、連中や狙撃手が美冴を重要視している場合だ。突然、発砲を止めた用心棒の存在は気になる事だろう。それを勘繰られる前にカタをつける。
 少し息を切らす。急な勾配に出くわしたのだ。
 更に左目が一時的に不自由なので三次元的な目測が難しく、頬を木々の小枝で引っ掻く。
 大きく湾曲する側溝。足音を少し落とす。会敵予想地点に近い。
 新しい弾倉を叩き込んだケルテックPMR-30は心強い。樹脂フレームの玩具の様な、永く愛用する拳銃ではないが、必要な時に必要なだけ銃弾をばら撒くのに適した拳銃と言える。今までに金属フレームや別の口径の拳銃を遍歴してきたが、今ではこのケルテックPMR-30が一番馴染んでいる。
「…………!」
 葉巻を吸いたい欲望が湧き始めた頃、目前20m辺りできらりと光る何かを視界に捉えたような気がしたので歩行を停止。
 息を呑む。
 音を立てたくない。
 見つけたか? 見つけられたか?
 光る、モノ。
 健常な右目を凝らす。
 銃口を視線の先に向ける。両手で保持。頭は低く、中途半端で正しくない体勢。長時間の構えには向かない構え。
 早く発砲したい。
 早く発砲してはいけない。
 呼吸を止めてから数秒間。遠くでの銃撃戦が別の世界のような感覚に捉える。右目を凝らす。眼球を上下にゆっくり動かして空と地面の幅から発見した、キラキラと光る小さな物体を観察する。
――――薬莢!
 実包が転がっていた。寒気が背中を撫でる。
 咄嗟に頭から前方に飛び出して側溝に滑り込む。直後に銃声。直後に頭の上を通過した銃弾が側溝の壁に当たって砕け散る。
 特徴的な銃声の正体が判明。狙撃手は小銃弾を使っている。キラキラと光る薬莢を見た瞬間に……そのシルエットだけで判別が可能だった。サイズからして5.56mmのライフル弾。銃声の正体と過去に聴いた事の有る銃声のデータベースが一致する。
――――単発の『長いヤツ』!
 シルエット射的などで使われるシングルショットピストルだと直感した。
 それならばライフルの弾を発砲してもおかしくは無い。
 寧ろ、この近距離での狙撃なら適役だと言えた。
 美冴が背後に回りこんでくるのを予見した狙撃手は自分が潜んでいた地点に乱雑に数発の実包を置いて月明かりを反射させて、この場に美冴を停止させた。
 その美冴を更に背後から狙える位置で待機していた。
 美冴は地面に顔を擦り付けるような格好で側溝をゴキブリの様に這う。
 先ほどの着弾した高さから察するに頭を上げなければ直撃は免れる。左目の不快感が吹っ飛ぶ恐怖だった。
 ケルテックPMR-30が土塗れになる。こんな時は樹脂フレームの自動拳銃は助かる。濡れたところで『惜しくは無い』。
 銃声。シングルショットピストルからの発砲。追い立てるような銃撃。シングルショットゆえに再装填のロスは大きいのが助かる。
 間髪入れずに銃声の直後に立ち上がり、側溝沿いに走る。そして、そのまま潅木の茂みの中に飛び込んで仰向けに転がる。肩や腹で大きく呼吸を整える。全身に嫌な汗が吹き出る。
「…………」
 暫しの沈黙。自分の呼吸と心臓だけが五月蝿い。耳鳴りが聞こえそうなほど静か。
 村役場での銃撃戦が終了したようだ。三下連中が全滅したか、影の集団が撤収したか。
 自分を襲う気配や殺意や敵意が皆無。辺りには本当に誰も居ない。どんなに耳を済ませても何も聞こえない。風が通る度に枝が揺れる。
「……!」
 村役場の方で車2台分のエンジン音。ハイエース以外の車は2台だけ。ベンツだ。
 それから2時間。
 美冴は仰向けに転がったまま、地面を伝う冷たさとニコチンへの渇望と戦いながらケルテックPMR-30を胸に抱いてじっと耐えていた。


 先日の深夜に過疎地で展開された商談自体は偽の商談だった。
 本物の商談は別の場所で開催されて滞りなく終了。
 その話を聞いても別段、腹も立たなかった。
 水面下で動いていた調査専門の部門が内部のスパイの洗い出しに成功したのだ。自分達が……少なくとも美冴は捨て駒に使われた事実を何も留意しなかった。
 それもそのはずで、あの夜にハイエースを先に脱出させたのは美冴で、商談に立ち会った準幹部はベンツの中で待機させていた。敵襲があった時点で、準幹部には後方に下がり、ハイエースの停めてある駐車場で待機してハイエースは誰も乗せないまま出発させてそちらに気を逸らせる作戦をハイエースの運転手とその場の準幹部に予め聞かせていた。
 その策は的中し、ハイエースは途中で『地雷でも踏んだかのように』爆破された。
 ハイエースに準幹部を乗せていたら何もかもがお仕舞いだった。準幹部にはその場の機動力の助けを求めさせず、村役場の裏手……万が一が有ればこの村役場を遮蔽に先に足で逃走しろと命じていた。
 銃撃戦が止んで2台のベンツが動いたエンジン音。それもベンツの運転手と直衛の警護に任せた仕事だった。
 逃げるハイエースで気を逸らせた上にベンツで二手に分かれてどちらが本命か解らないように好き勝手に走れと命じていた。尤も、1台のベンツの運転手は早くも絶命したので直衛の警護要員が運転したのだろう。
 囮に使える物は殆ど囮に使った。
 その場に居合わせた三下連中にだけは事前に言い聞かせていない。1台でもベンツが発進したら一目散に走って逃げろ、と叫ばなかった。計らずも三下連中は全方位に放射状に逃げた。
 囮を全て追撃するのは困難だ。
 そのような意味では消極的な作戦だった。
 取引現場に現れた商談相手も実情は酷い話で、商談相手の上層部もこの取引に双方の内通者が第三者に情報を漏洩して絡んでいると云う疑いを掛けていたので、取引相手も内通者を炙り出す為に死んでも構わない準幹部を送り込んだと云う。
 それも警護も三下のみで、商談相手の警護は全員が射殺されると云う末路。
 商談相手側で生き残ったのは準幹部が1人だけ。
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