拝啓、素浪人様

 それもそのはずで、【谷野興業】は特に秀でたシノギを持っていなかった。よくよく観察すれば、この街では他の組織への嫌がらせ紛いで金品を奪った奪われたと云うのは日常茶飯事らしい。
 ナンバー1の勢力にしたところで、大手のマフィアや政界に強力なコネを確実に持っているとは限らないらしい。
 何処の組織も金の力のみで、警察の介入を遅らせるのが関の山だ。人間の屑同士が潰しあっているのが現状。
 つまり、何処もかしこも人材が常に不足で何処の組織も金と業者の伝は有っても使える駒が少なくて実働部隊の編成に困っている状態。
 殆どの組織が暗黒社会特有の業者に足元を見られているのだから良いカモになっている。有り体に云えば、『この街の暴力組織は商売をしないほうが良い』。
 お抱え弁護士や顧問も無能揃い。
 警察へ賄賂を渡す際に同席させてもらったが、交渉が今一つスムーズではない。
 警察の弱みを掴む工作も兼ねている賄賂が逆に、警察に此方の素性をばらす為の情報漏洩の場になっている。
 司法取引の様な格好の良いものではない。思わず頭を抱えた。自分ならもっと上手く渡り合う。何度、口出しをしようかと思ったが用心棒待遇がでしゃばるのは筋が違うと口を開けないでいた。


 旅籠屋【澄み科】に帰投し、丸1日、大きな鼾をかいた。
 空腹を覚えて起き上がると全身が痛みを訴えていた。
 ショルダーホルスターを装着したまま、衣服を着たまま布団に包まっていた結果、疲労が蓄積する眠り方をしたらしい。酷い失策だと思いながら、朝から風呂に入る。
 もう30歳だ。体力のピークが下がる頃だろう。今はまだ気力を使わなくとも若者と張り合えるだけの才覚は持ち合わせているつもりだが、体のメンテナンスも疎かに出来ない事を痛感する。
 ゆっくりと湯船で体の疲れを解す。
 足腰を大きく伸ばせる湯船に直ぐに飛び込める環境は助かる。温泉でなくとも全身を湯船で伸ばすだけで疲労の回復具合は違う。
 引き締まった筋骨。しなやかな四肢。バネを蓄えた腹筋と背筋。そして幾つもの銃創と刀傷が刻まれた肌。寒い季節になれば疼く傷も多い。筋肉質な体質なのか、肩幅は狭く、腰と胸と尻の女性的アピールは美しいと云うより魅力的。エロス的絵画よりも造詣を湛える彫刻を見るような美しさ。
 ……嘗て、初めて人を殺した時以来、男に体を任せた事は無い。
   ※ ※ ※
 これも前哨戦なのだろうと自分を納得させた。
 『街が喧しくなる』。
 それを掻き立てるだけの甲斐性の有る組織に雇われたと疑ったら負けだ。
 今夜も用心棒として出勤。山間部の過疎地。
 9人乗りのハイエースにむくつけき男達と一緒に押し込められて放り出される。運転手を含めて9人。後続に2台の車。有り触れた黒塗りのベンツ。車両に全く個性が無くて苦笑いも出ない。
 そのベンツに乗り込む準幹部を警護し、過疎地の真ん中で行われる取引を警護。9人のうち、自分以外は全員、20代前半のやんちゃなだけの若い三下。
 初めての桧舞台なのか、皆、顔に緊張が張り付いている。懐に手を差し込んで内ポケットに落とした拳銃を撫でている者が多い。果たして、これらは万が一の場合に戦力になるのか?
 放り出された8人。
 運転手は運転席で座ったままエンジンの面倒を見る。
 午前1時。満月が明るい。ベンツも同じく運転席に運転手が張り付く。ベンツから降りた人数は合計で4人。
 取引の規模としては大きい。此方は金を用意し、商談相手は書類を用意する。それを交わせば終了。商談の相手も大人数を引き連れるかと思いきや、2人だけだった。
 何処に車を停めているのかも解らない。辺りは暗い。
 満月の明るさのみが頼り。各自は足元を照らせる程度のライトを持っていた。万が一を予想して美冴はライトを、早くも引き抜いたケルテックPMR-30のスライド下部に有るレールに取り付ける。……このライトは自前だ。
 警護要員は各自展開。取引の場には4人だけ。
 此方の2人と商談相手の2人。そしてベンツから降りた警護要員の2人は少し離れた位置で立っているだけ。
 双方とも背広を着ている。データではなく書類での取引と云うからには漏洩対策のつもりなのだろう。
 ハイエースから降ろされた美冴達はその商談の中心……過疎地にある村役場の駐車場を中心にそれぞれ約15mの間隔で離れる。
 一塊だと機関銃の一連射で複数人が負傷してしまう恐れがある。その基本を教えたのも美冴だ。
 全員、手に拳銃を持っている。与えられたばかりで、薄っすらと油が引いてある。まともな集弾調整もしていないのだろう。大型軍用拳銃の中国製コピーで9mmパラベラムを使うモデルばかり。予備弾倉も互換性が無いモデルが多い。
 自分が襲撃者なら……と考えながらプリンシペ・ペティコロナを銜える。火は点けない。
 辺りは暗い。風はやや強い。冷たい。山間部特有の青くて湿った匂い。過疎地だが、人口皆無ではない。数軒の民家が有るが、口止めの金を渡してある。
 空には明るい月。
 あちらこちらでライトが地面を舐める。
 ライトの数と位置を暗記。取引現場の中央を見る。早くも商談が始まっている。商談相手の退路までは保障できない。自分達が警護するのは【谷野興業】の準幹部だけだ。
 構成員は全体で50人程度。50人も居ながら、中規模組織に甘んじているとは逆に情けない話だ。そのうち5分の1に相当する人間がこの場に投入されている。
 各員15m間隔で円周。円外を警戒。若い三下連中にライトと拳銃を用いた構え方を事前にレクチャーしたが、銃口とライトの照射方向と視線がバラバラなのが解る。中には緊張を解す為に煙草に火を点ける奴も居る。フルオート火器で銃撃されれば一溜まりも無いだろう。
 美冴は銜えた葉巻に火を点けずに自分の担当するポイントで、遮蔽の無い開けた場所で全身の神経を研ぎ澄ませながら警戒する。真っ先に打ち倒されるのなら自分だろう。
 腕が確かでない三下を仕留めるよりも一番勘が冴えている『外注』の自分を狙った方が指揮系統も混乱し易い。
「!」
 伏せる。
 葉巻を吐き捨てる。
 銃声。
 レールの下のライトを消す。
 辺りは騒然とする。
 誰もが自分が銃撃されたと思い込む。恐怖に浮き足立つ三下連中。落ち着けと叫びたかった。今叫ぶと、自分が仕留められる気がする。銃声の方角から距離を割り出す。拳銃にしては長く尾を引く銃声。やや腹にくぐもる特徴的な銃声。何処かで聞いた事の有る銃声だった。
「……」
 銃声。
 今度は銃火を確認した。
 一人の三下が倒れた悲鳴を挙げる間もなかった。
 流石に今度は三下連中も黙っておらず……否、黙ってくれた方がマシだった。
 殆ど全員がトリガーハッピーに憑りつかれた様に乱射する。
 僅かに見えた銃火。距離からして50m以上。美冴は匍匐前進で商談を妨害された準幹部の元に進む。
 15m間隔の警戒網など簡単に崩壊するのは想像通りだったので美冴自身はパニックに陥らない。
 足音。
 複数。
 三下連中の乱射が次々と止む。
 弾倉が空になったのだろう。その隙を縫って此方に近付く足音が複数。地面に伏せたままだったので月明かりを頼りに人影を確認できた。商談相手の1人の頭部が吹き飛ばされる。
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