拝啓、素浪人様
今でもそのアドレスは他の携帯電話にコピーして持ち歩いている。現在進行形で活用させてもらっている業者も多数居る。
美冴自身は自分が間違えているとは思っていない。自分が有るべき姿を探求する事こそが『自分の姿』だと思っている。
探し続け、求め続け、歩き続け、彷徨い続ける人生。停滞し、躊躇し、逡巡し、後退する姿を忌避する。
生まれた事自体が既に苦痛そのものであると解く宗教と人間は実存ゆえに自由であると云う概念の哲学が程よく譲歩しながら彼女の心の中で存在する。
それもこれも、立ち止まる事を何よりも嫌う彼女の性分だからこそ矛盾が生じないのだろう。
進む為には手段を選ばない。それが彼女のマキャベリズム。そのマキャベリズムの具現として脊髄反射での行動が有る。迷うだけ無駄。迷うだけ時間の無駄。迷うだけ時間と脳味噌のタスクが無駄。
考えるよりも早く体が動き実行する。
……そんな貴船美冴が表の……明るい世界で普通の市民として生きていけるわけが無かった。
「……寒い」
独りごちる。
定食屋【勝美屋】を出て直ぐにフィールドコートのハンドウォームから、やおらセロファンに包まれた葉巻を取り出す。
プリンシペ・ペティコロナ。ドミニカのショートフィラーで低価格帯葉巻。全長120mm直径17mmほどの葉巻を無造作に口に持っていき、犬歯でキャップ付近を噛んで千切る。
キャップ全体が捲れるような事は無く、細く横一文字に破れ目が出来る。犬歯に付着したキャップの葉を吐き捨てて、口に銜えて背中を丸めて風を防ぎながら使い捨てライターでフットを炙る。
大きく口に吸い込みながら炙る。加湿が必要なミディアムシガーの分類だが、長く熟成させる葉巻でもない。長く寝かせるほど、長くヒュミドールに入れて置くほどの価値も無い。
どんなに時間を掛けてもハバナシガーのように深く濃い熟成の色合いを見せる葉巻でもない。愛好家が毎日手軽に吸いたいが為に作られた低価格の葉巻だ。いつまでも愛着を持っているだけ野暮だ。
乾燥していようが加湿していようが、この葉巻に限っては大した差異は見られない。
尤も、放浪する彼女に一所で置いてこそ意味の有るヒュミドールは大きな荷物だ。
口の中に荒く苦々しい煙が充満する。
特有の青臭い苦味。草木が焦げた様な雑で硬い味。シンプルで浅く軽いテイスト。口から細く長く紫煙を吐く。昼時の寒空に鼻腔を擽る煙が舞い上がり掻き消される。
口中に残った動物性の脂と安葉巻の余韻が混じって心地よい。
無法を尽くす流れ者であっても聖域である食事処の空気を汚す真似はしたくない。マナーやモラルの話ではない。単純な感情論だ。禁煙の店内ではなかったが、そこは葉巻の香りとは無縁の場所だと思っただけで深い意味は無い。
美冴の爪先は自然と繁華街へと向かう。何処の街でも繁華街を眺めれば何処のどんな組織が街を仕切っているのか判別できる。
狙い目は大手ではなくナンバー2以降に雁首を揃える有象無象の組織だ。
大手は資金も人材も豊富なのが定番。ナンバー2以降の組織は必ずパラメーターがアンバランスだ。
資金は有るが人材が居ない。人材は居るが資金が無い。資金も人材も有るが闇社会の業者と伝が少なく大きな活動が出来ない等。更に勢力図の大きさイコールナンバー1の組織とも限らない。
猛禽類の狩場と同じで、シノギが期待できないから版図を広げ、広く薄く勢力を伸ばしている場合も多い。縄張りの境目が道路に書き込まれていたらどんなに楽な作業か。
繁華街の地下街へと通じる入り口までくる。
地上だけではなく、地下にも商店が並ぶ街なので期待が大きかった。この辺りは大型の駅に面しているので人通りも激しく、多数の路地裏への入り口が見受けられた。
短くなったプリンシペ・ペティコロナを吐き捨てて踵で蹂躙する。喫煙もポイ捨ても禁止されている区域だが路行く人は美冴の無礼に無頓着だった。
地下街。デパートを分解してそのテナントを地価に埋設したように賑やか。
地下街を一回りする前に女子トイレに入り、個室でフィールドコートを脱ぐ。便座の上に置いたボストンバッグを無造作に開く。油紙と新聞紙に包まれた『塊』。
それを手に取る。
ナイロンのショルダーホルスターが現れる。右利き用のシステムショルダーホルスターで、右脇には予備弾倉が2本差し込めるポーチが付属していた。それを手早く肩に掛ける。サスペンダーでズボンを吊る要領で装着するタイプだ。
次に取り出した油紙。
その中身はオモチャのガスガンよりもガスガンらしい風貌をした樹脂の自動拳銃だった。大型拳銃の部類なのにスライドが酷く痩せていてシャープと云うより不健康な印象を受ける。
ケルテックPMR―30。22WMRを30発も装弾出来る火力の権化。所謂、プロが使う拳銃ではない。
美冴はケルテックPMR-30を左脇に滑り込ませてボストンバッグを漁って、予備弾倉を詰め込んだ小型のボストンバッグを引き抜き、其処から必要なだけの……3本の予備弾倉を抜く。
1本はケルテックPMR-30に差し込み、2本を右脇に差す。
薬室に実包を送り込まない。薬室は空のままだ。ケルテックPMR-30のセフティ関連を疑っているのではない。引き絞られたままでセフティをかけて内部のスプリング類に余計な負荷を長時間掛けたくないだけだ。
特に愛着の有る拳銃ではないが、使っている間は命を預ける相棒なのだからコンディションの管理も徹底したい。
油紙と新聞紙に包まれた中から出てきた物騒な代物。美冴はつまりはそう言う世界の住人なのだ。
女子トイレを出る。
首を左右に振り、現在地が記された地図を探す。現在午後2時45分。平日。左脇が重くなった体をフィールドコートに袖を通す事で覆い隠す。
平和な空気。不穏を感じない。唯の日常。つまり、自分の居場所ではない。
『今は自分の居場所ではない』。
まだ日が高い。日が暮れればこの状況も水面下で一転しているだろう。夜は誘惑が多い。夜は喧騒が止まない。観光協会の窓口で貰った観光案内や電車バスの路線図は頭の中に入っている。
今の内にカプセルホテルを確保しておくことにする。
幻惑のベールが濃すぎて、昼間は日常と非日常の狭間が判別し難い。もっと解り易くなる時間帯に活動すべきだと判断した。
午後9時。
カプセルホテルのコインランドリーで下着や衣服の洗濯を終える。フィールドコートとカーゴパンツと云う姿は相変わらず。女性専門のカプセルホテルで中々快適だった。所々に張られている【同性愛行為禁止】の張り紙を見て苦笑いをする。
荷物を自分の寝床に放り込んで街に繰り出す。
繁華街の真ん中。カプセルホテルの正面で入り口を出ると別の世界の空気に中てられる。
昼間も同じ風景を見たはずなのにカプセルホテルを確保して軽く仮眠して洗濯をしている間に世界は暗くも『明るかった』。
日本の時刻を信じるのなら今現在は午後8時30分。サイケデリックな色合いの発光看板が夜空を上回る。空を見上げればこの街の狭さを実感する。ムーンフェイズが正しければ今夜は月が見えるはずだ。聳え立つ商業ビルが競って背伸びしているので夜空は非常に狭かった。
美冴自身は自分が間違えているとは思っていない。自分が有るべき姿を探求する事こそが『自分の姿』だと思っている。
探し続け、求め続け、歩き続け、彷徨い続ける人生。停滞し、躊躇し、逡巡し、後退する姿を忌避する。
生まれた事自体が既に苦痛そのものであると解く宗教と人間は実存ゆえに自由であると云う概念の哲学が程よく譲歩しながら彼女の心の中で存在する。
それもこれも、立ち止まる事を何よりも嫌う彼女の性分だからこそ矛盾が生じないのだろう。
進む為には手段を選ばない。それが彼女のマキャベリズム。そのマキャベリズムの具現として脊髄反射での行動が有る。迷うだけ無駄。迷うだけ時間の無駄。迷うだけ時間と脳味噌のタスクが無駄。
考えるよりも早く体が動き実行する。
……そんな貴船美冴が表の……明るい世界で普通の市民として生きていけるわけが無かった。
「……寒い」
独りごちる。
定食屋【勝美屋】を出て直ぐにフィールドコートのハンドウォームから、やおらセロファンに包まれた葉巻を取り出す。
プリンシペ・ペティコロナ。ドミニカのショートフィラーで低価格帯葉巻。全長120mm直径17mmほどの葉巻を無造作に口に持っていき、犬歯でキャップ付近を噛んで千切る。
キャップ全体が捲れるような事は無く、細く横一文字に破れ目が出来る。犬歯に付着したキャップの葉を吐き捨てて、口に銜えて背中を丸めて風を防ぎながら使い捨てライターでフットを炙る。
大きく口に吸い込みながら炙る。加湿が必要なミディアムシガーの分類だが、長く熟成させる葉巻でもない。長く寝かせるほど、長くヒュミドールに入れて置くほどの価値も無い。
どんなに時間を掛けてもハバナシガーのように深く濃い熟成の色合いを見せる葉巻でもない。愛好家が毎日手軽に吸いたいが為に作られた低価格の葉巻だ。いつまでも愛着を持っているだけ野暮だ。
乾燥していようが加湿していようが、この葉巻に限っては大した差異は見られない。
尤も、放浪する彼女に一所で置いてこそ意味の有るヒュミドールは大きな荷物だ。
口の中に荒く苦々しい煙が充満する。
特有の青臭い苦味。草木が焦げた様な雑で硬い味。シンプルで浅く軽いテイスト。口から細く長く紫煙を吐く。昼時の寒空に鼻腔を擽る煙が舞い上がり掻き消される。
口中に残った動物性の脂と安葉巻の余韻が混じって心地よい。
無法を尽くす流れ者であっても聖域である食事処の空気を汚す真似はしたくない。マナーやモラルの話ではない。単純な感情論だ。禁煙の店内ではなかったが、そこは葉巻の香りとは無縁の場所だと思っただけで深い意味は無い。
美冴の爪先は自然と繁華街へと向かう。何処の街でも繁華街を眺めれば何処のどんな組織が街を仕切っているのか判別できる。
狙い目は大手ではなくナンバー2以降に雁首を揃える有象無象の組織だ。
大手は資金も人材も豊富なのが定番。ナンバー2以降の組織は必ずパラメーターがアンバランスだ。
資金は有るが人材が居ない。人材は居るが資金が無い。資金も人材も有るが闇社会の業者と伝が少なく大きな活動が出来ない等。更に勢力図の大きさイコールナンバー1の組織とも限らない。
猛禽類の狩場と同じで、シノギが期待できないから版図を広げ、広く薄く勢力を伸ばしている場合も多い。縄張りの境目が道路に書き込まれていたらどんなに楽な作業か。
繁華街の地下街へと通じる入り口までくる。
地上だけではなく、地下にも商店が並ぶ街なので期待が大きかった。この辺りは大型の駅に面しているので人通りも激しく、多数の路地裏への入り口が見受けられた。
短くなったプリンシペ・ペティコロナを吐き捨てて踵で蹂躙する。喫煙もポイ捨ても禁止されている区域だが路行く人は美冴の無礼に無頓着だった。
地下街。デパートを分解してそのテナントを地価に埋設したように賑やか。
地下街を一回りする前に女子トイレに入り、個室でフィールドコートを脱ぐ。便座の上に置いたボストンバッグを無造作に開く。油紙と新聞紙に包まれた『塊』。
それを手に取る。
ナイロンのショルダーホルスターが現れる。右利き用のシステムショルダーホルスターで、右脇には予備弾倉が2本差し込めるポーチが付属していた。それを手早く肩に掛ける。サスペンダーでズボンを吊る要領で装着するタイプだ。
次に取り出した油紙。
その中身はオモチャのガスガンよりもガスガンらしい風貌をした樹脂の自動拳銃だった。大型拳銃の部類なのにスライドが酷く痩せていてシャープと云うより不健康な印象を受ける。
ケルテックPMR―30。22WMRを30発も装弾出来る火力の権化。所謂、プロが使う拳銃ではない。
美冴はケルテックPMR-30を左脇に滑り込ませてボストンバッグを漁って、予備弾倉を詰め込んだ小型のボストンバッグを引き抜き、其処から必要なだけの……3本の予備弾倉を抜く。
1本はケルテックPMR-30に差し込み、2本を右脇に差す。
薬室に実包を送り込まない。薬室は空のままだ。ケルテックPMR-30のセフティ関連を疑っているのではない。引き絞られたままでセフティをかけて内部のスプリング類に余計な負荷を長時間掛けたくないだけだ。
特に愛着の有る拳銃ではないが、使っている間は命を預ける相棒なのだからコンディションの管理も徹底したい。
油紙と新聞紙に包まれた中から出てきた物騒な代物。美冴はつまりはそう言う世界の住人なのだ。
女子トイレを出る。
首を左右に振り、現在地が記された地図を探す。現在午後2時45分。平日。左脇が重くなった体をフィールドコートに袖を通す事で覆い隠す。
平和な空気。不穏を感じない。唯の日常。つまり、自分の居場所ではない。
『今は自分の居場所ではない』。
まだ日が高い。日が暮れればこの状況も水面下で一転しているだろう。夜は誘惑が多い。夜は喧騒が止まない。観光協会の窓口で貰った観光案内や電車バスの路線図は頭の中に入っている。
今の内にカプセルホテルを確保しておくことにする。
幻惑のベールが濃すぎて、昼間は日常と非日常の狭間が判別し難い。もっと解り易くなる時間帯に活動すべきだと判断した。
午後9時。
カプセルホテルのコインランドリーで下着や衣服の洗濯を終える。フィールドコートとカーゴパンツと云う姿は相変わらず。女性専門のカプセルホテルで中々快適だった。所々に張られている【同性愛行為禁止】の張り紙を見て苦笑いをする。
荷物を自分の寝床に放り込んで街に繰り出す。
繁華街の真ん中。カプセルホテルの正面で入り口を出ると別の世界の空気に中てられる。
昼間も同じ風景を見たはずなのにカプセルホテルを確保して軽く仮眠して洗濯をしている間に世界は暗くも『明るかった』。
日本の時刻を信じるのなら今現在は午後8時30分。サイケデリックな色合いの発光看板が夜空を上回る。空を見上げればこの街の狭さを実感する。ムーンフェイズが正しければ今夜は月が見えるはずだ。聳え立つ商業ビルが競って背伸びしているので夜空は非常に狭かった。