拝啓、素浪人様
「……抜き撃ちもイケるクチって聞いてなかったのになぁ。結構残酷だな」
男は口に銜えていた峰を吐き捨てた。
転がった峰の傍に人差し指が転がっている。
「……」
勝手に男を味方だと錯覚していた。
勝手に増援の用心棒だと錯覚していた。
そして勝手に危険を感じ取って咄嗟に撃った。
男の右手に握られているのはレミントンXP-100。
ボルトアクションでシングルショットのピストルだ。
その男の右手の人差し指が吹き飛んで欠損していた。
撃たれると思った。撃つと思った。撃たなければと思った。撃たなければ自分が死ぬと思った……それは後から湧いてきた感情で思考だ。
男とほぼ同時に発砲。
ほぼ同時に抜いて撃った。
7mの距離。
恐らく、互いに絶対に外さない距離。
22WMRの初速と男のレミントンXP-100で用いる実包を鑑みても、同時に発砲すれば男の方が早く着弾する。
なのに男の銃弾は美冴の左肩を浅く削り、美冴の銃弾は男の右手人差し指を吹き飛ばした。
手加減はしていない。
手加減できる相手とは思っていなかった。……そしてそれもまた後に湧いてきた思考と分析の結果だった。
兎に角、危険を察知したから撃った。
結果として、男の必中の銃弾は美冴の左肩に擦過傷を作っただけで、男は右手人差し指を失った。互いに死亡するには程遠い負傷。
それでも勝負は決まってしまった。
「これじゃあ、『廃業』だなぁ」
男は血が滴る右手の残り4本の指でグリップだけを握り、レミントンXP-100と云う、大型拳銃と云うには大型過ぎる拳銃を左懐に仕舞った。
狙撃手がこの男なのかどうかは判然としない。
ハーフコートの男は人差し指の欠損に大して表情を変えずに、構わず、背中を向けて今来た階段を静かに降りていく。その痕跡を誇示するかのように血の雫が続く。
背後から撃たれるかもしれないと云う恐怖を、その男の背中から感じなかった。
「…………」
長い間、ケルテックPMR-30を構えていた気がする。
長い間、葉巻の煙を吐き出すだけの機械に変貌していた気がする。
男が去って何時間経過したか……正確には15秒ほどの時間が経過して額に大粒汗が浮かび、その場にゆっくりと崩れ落ちる美冴。
眩暈。軽い吐き気。緊張の糸が切れた。被弾の衝撃で今頃、脳震盪の症状が出てきた。
あの男は恐らく、利き手の人差し指を失ったので拳銃を用いた仕事は廃業だ。
※ ※ ※
鉛筆ビルの攻防戦が終了し、レミントンXP-100の男が去ってから15分後に遅い騎兵隊が到着した。
どのビルの戦況も知らない。解らない。
増援で駆けつけた【谷野興業】の連中の仕事と言えば、生き残りの美冴と『拠点』で増援の要請を叫び続けた事務員の救出のみだった。足腰が立たない美冴が非常階段から運び出される間も散発的な銃撃戦が行われていたが、狙撃の銃弾は皆無だった。少なくとも小口径高速弾による狙撃は皆無だった。
鉛筆ビルの攻防戦……。
悪夢を見ていたような錯覚。
あれから1週間が経過した。
旅籠屋【澄み科】で左肩の負傷を癒していた美冴は日々変化する状況を見守るしかなかった。
怪我人が出しゃばっても……否、用心棒待遇の人間が顔を出しても解決しない案件しかなかった。
あの市街戦を呈する銃撃戦の首謀者は街の外部からやって来た巨大な組織だったが、その組織の蹂躙を見せ付けられた街の全組織は手打を行い、この街を乗っ取ろうとする新しい勢力を排除する事で意見が一致した。
今は、何処の組織が主導するのか? と云う会議で少し騒がしい。新しい勢力がこの街を狙っているのは前々から察知していた。
街中で『派手な花火』を挙げるのも予想の範囲内だった。
【谷野興業】他、組織の上層部の予想と違ったのは、組織の確固撃破が主軸として弱小組織から叩き潰されると予想していただけだ。その予想が外れた。街の外部の巨大組織は一気にこの街全ての組織に宣戦布告をした。
それまでの各組織の予想や目論見は大きく外れて今回のようにあわや壊滅と云う危機を招いた。
今回の市街戦での功労者は【谷野興業】でも美冴でもない。この街で顔を一番大きく利かせていた組織の全戦力投入だった。出し惜しみをして防げる相手ではないと悟ったのだろう。
その一番大きな組織が外部からの撃退に全面的に各組織を一時的にバックアップしたものだから、戦力の損失は大きかった。一番大きな組織の損耗率を比較すると、その他大勢の組織より頭一つ分だけ戦力が優れている程度に低下。
だからこそ、この街の主導権を誰が握るのかと云う議題で『平和的に会議が行われている』。
上層部の話し合いに下っ端の出る幕は皆無。
この街の混乱を鎮静する為の賄賂として警察やマスコミにどれだけの資金を投じたのか解らない。
外部の巨大組織を撤退させるに追い込むと今度はお決まりの内輪揉めが待っているだろう。
勿論、そうなれば【谷野興業】は『沈む船』だ。
最後まで義理を通す意味が無い。契約も切れる。
契約を更新して維持するだけの甲斐性は今のところ、何処の組織も持ち合わせていないだろう。人手が欲しいが金が無い。
もういっそのこと、全ての組織が共同出資して一つの組織を作り上げればいいと勝手に、無責任に美冴は思った。
「潮時ね……」
午前9時を経過した事を報せる壁掛け時計。
旅籠屋【澄み科】の窓に凭れ掛かりながらプリンシペ・ペティコロナを銜えながら美冴は独りごちた。
細く長く吐いた紫煙が春の空に吸い込まれる。
肩の傷が癒える前にこの街を去った方が良さそうだ。
契約更新の報せは受けていない。
『街が喧しくなる』案件は一応の解決を見た。
これ以上の逗留は無駄飯食いだろう。旅籠屋【澄み科】の他の部屋に滞在していた用心棒や『客人』は全員入れ替わった。命を落とした者も居るし、契約が切れただけの者も居る。逃げた奴と云うのも居た。美冴は逃げた奴を見習ってこの宿を後にする事を決めた。
そのためには先ず、新しいジャケットを新調しなければ。
フィールドコートは処分した。血の付いたコートなど事件性を匂わせるだけで厄介だ。街から街へ渡り鳥のように移る時は必ず衣服が替わっている。
さあ、街へ出よう。
ケルテックPMR-30を忍ばせた小型のボストンバッグを手に取る。
あの市街戦が行われた街で買い物をする為に出かける。
公の手が入って復興を目指すと云うほど大袈裟な被害は出ていない。カタギに対する人的被害も奇跡的に皆無。明るい世界では暴力団同士の抗争で片付けられている。
市街戦が展開されたからその付近に近付くまいと心に決めている人間は少数だ。
その街にも生活の一部が有る。人間が住んでいる。街を中核にする都市は街在っての意義なのだ。
葉巻を灰皿に押し付けて鎮火を確認すると重そうに腰を挙げた。
さあ、街へ出よう。
ケルテックPMR-30を忍ばせたボストンバッグを持って。
街へ出て白昼堂々狙撃されて再び【谷野興業】へ戻る。
逃亡する意思を自分で破り、再び、ケルテックPMR-30を手に取る。
そして自分を狙撃した、あの特徴的な銃声の狙撃銃の遣い手と勝負する事になる……。
……だが、それはもう少し後の話。
今は街で羽を伸ばしている素振りを見せて如何に、何時、街を抜け出すか考えている。
貴船美冴とはそんな無責任な渡り鳥だった。
今日も日常は平穏無事に回転する。
水面下での命の遣り取りが行われていた事実を知らぬままに……。
《拝啓 素浪人様・了》
男は口に銜えていた峰を吐き捨てた。
転がった峰の傍に人差し指が転がっている。
「……」
勝手に男を味方だと錯覚していた。
勝手に増援の用心棒だと錯覚していた。
そして勝手に危険を感じ取って咄嗟に撃った。
男の右手に握られているのはレミントンXP-100。
ボルトアクションでシングルショットのピストルだ。
その男の右手の人差し指が吹き飛んで欠損していた。
撃たれると思った。撃つと思った。撃たなければと思った。撃たなければ自分が死ぬと思った……それは後から湧いてきた感情で思考だ。
男とほぼ同時に発砲。
ほぼ同時に抜いて撃った。
7mの距離。
恐らく、互いに絶対に外さない距離。
22WMRの初速と男のレミントンXP-100で用いる実包を鑑みても、同時に発砲すれば男の方が早く着弾する。
なのに男の銃弾は美冴の左肩を浅く削り、美冴の銃弾は男の右手人差し指を吹き飛ばした。
手加減はしていない。
手加減できる相手とは思っていなかった。……そしてそれもまた後に湧いてきた思考と分析の結果だった。
兎に角、危険を察知したから撃った。
結果として、男の必中の銃弾は美冴の左肩に擦過傷を作っただけで、男は右手人差し指を失った。互いに死亡するには程遠い負傷。
それでも勝負は決まってしまった。
「これじゃあ、『廃業』だなぁ」
男は血が滴る右手の残り4本の指でグリップだけを握り、レミントンXP-100と云う、大型拳銃と云うには大型過ぎる拳銃を左懐に仕舞った。
狙撃手がこの男なのかどうかは判然としない。
ハーフコートの男は人差し指の欠損に大して表情を変えずに、構わず、背中を向けて今来た階段を静かに降りていく。その痕跡を誇示するかのように血の雫が続く。
背後から撃たれるかもしれないと云う恐怖を、その男の背中から感じなかった。
「…………」
長い間、ケルテックPMR-30を構えていた気がする。
長い間、葉巻の煙を吐き出すだけの機械に変貌していた気がする。
男が去って何時間経過したか……正確には15秒ほどの時間が経過して額に大粒汗が浮かび、その場にゆっくりと崩れ落ちる美冴。
眩暈。軽い吐き気。緊張の糸が切れた。被弾の衝撃で今頃、脳震盪の症状が出てきた。
あの男は恐らく、利き手の人差し指を失ったので拳銃を用いた仕事は廃業だ。
※ ※ ※
鉛筆ビルの攻防戦が終了し、レミントンXP-100の男が去ってから15分後に遅い騎兵隊が到着した。
どのビルの戦況も知らない。解らない。
増援で駆けつけた【谷野興業】の連中の仕事と言えば、生き残りの美冴と『拠点』で増援の要請を叫び続けた事務員の救出のみだった。足腰が立たない美冴が非常階段から運び出される間も散発的な銃撃戦が行われていたが、狙撃の銃弾は皆無だった。少なくとも小口径高速弾による狙撃は皆無だった。
鉛筆ビルの攻防戦……。
悪夢を見ていたような錯覚。
あれから1週間が経過した。
旅籠屋【澄み科】で左肩の負傷を癒していた美冴は日々変化する状況を見守るしかなかった。
怪我人が出しゃばっても……否、用心棒待遇の人間が顔を出しても解決しない案件しかなかった。
あの市街戦を呈する銃撃戦の首謀者は街の外部からやって来た巨大な組織だったが、その組織の蹂躙を見せ付けられた街の全組織は手打を行い、この街を乗っ取ろうとする新しい勢力を排除する事で意見が一致した。
今は、何処の組織が主導するのか? と云う会議で少し騒がしい。新しい勢力がこの街を狙っているのは前々から察知していた。
街中で『派手な花火』を挙げるのも予想の範囲内だった。
【谷野興業】他、組織の上層部の予想と違ったのは、組織の確固撃破が主軸として弱小組織から叩き潰されると予想していただけだ。その予想が外れた。街の外部の巨大組織は一気にこの街全ての組織に宣戦布告をした。
それまでの各組織の予想や目論見は大きく外れて今回のようにあわや壊滅と云う危機を招いた。
今回の市街戦での功労者は【谷野興業】でも美冴でもない。この街で顔を一番大きく利かせていた組織の全戦力投入だった。出し惜しみをして防げる相手ではないと悟ったのだろう。
その一番大きな組織が外部からの撃退に全面的に各組織を一時的にバックアップしたものだから、戦力の損失は大きかった。一番大きな組織の損耗率を比較すると、その他大勢の組織より頭一つ分だけ戦力が優れている程度に低下。
だからこそ、この街の主導権を誰が握るのかと云う議題で『平和的に会議が行われている』。
上層部の話し合いに下っ端の出る幕は皆無。
この街の混乱を鎮静する為の賄賂として警察やマスコミにどれだけの資金を投じたのか解らない。
外部の巨大組織を撤退させるに追い込むと今度はお決まりの内輪揉めが待っているだろう。
勿論、そうなれば【谷野興業】は『沈む船』だ。
最後まで義理を通す意味が無い。契約も切れる。
契約を更新して維持するだけの甲斐性は今のところ、何処の組織も持ち合わせていないだろう。人手が欲しいが金が無い。
もういっそのこと、全ての組織が共同出資して一つの組織を作り上げればいいと勝手に、無責任に美冴は思った。
「潮時ね……」
午前9時を経過した事を報せる壁掛け時計。
旅籠屋【澄み科】の窓に凭れ掛かりながらプリンシペ・ペティコロナを銜えながら美冴は独りごちた。
細く長く吐いた紫煙が春の空に吸い込まれる。
肩の傷が癒える前にこの街を去った方が良さそうだ。
契約更新の報せは受けていない。
『街が喧しくなる』案件は一応の解決を見た。
これ以上の逗留は無駄飯食いだろう。旅籠屋【澄み科】の他の部屋に滞在していた用心棒や『客人』は全員入れ替わった。命を落とした者も居るし、契約が切れただけの者も居る。逃げた奴と云うのも居た。美冴は逃げた奴を見習ってこの宿を後にする事を決めた。
そのためには先ず、新しいジャケットを新調しなければ。
フィールドコートは処分した。血の付いたコートなど事件性を匂わせるだけで厄介だ。街から街へ渡り鳥のように移る時は必ず衣服が替わっている。
さあ、街へ出よう。
ケルテックPMR-30を忍ばせた小型のボストンバッグを手に取る。
あの市街戦が行われた街で買い物をする為に出かける。
公の手が入って復興を目指すと云うほど大袈裟な被害は出ていない。カタギに対する人的被害も奇跡的に皆無。明るい世界では暴力団同士の抗争で片付けられている。
市街戦が展開されたからその付近に近付くまいと心に決めている人間は少数だ。
その街にも生活の一部が有る。人間が住んでいる。街を中核にする都市は街在っての意義なのだ。
葉巻を灰皿に押し付けて鎮火を確認すると重そうに腰を挙げた。
さあ、街へ出よう。
ケルテックPMR-30を忍ばせたボストンバッグを持って。
街へ出て白昼堂々狙撃されて再び【谷野興業】へ戻る。
逃亡する意思を自分で破り、再び、ケルテックPMR-30を手に取る。
そして自分を狙撃した、あの特徴的な銃声の狙撃銃の遣い手と勝負する事になる……。
……だが、それはもう少し後の話。
今は街で羽を伸ばしている素振りを見せて如何に、何時、街を抜け出すか考えている。
貴船美冴とはそんな無責任な渡り鳥だった。
今日も日常は平穏無事に回転する。
水面下での命の遣り取りが行われていた事実を知らぬままに……。
《拝啓 素浪人様・了》
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