拝啓、素浪人様

 残党狩りの男はその着弾に慄いて、一番近くのテナントに飛び込む。
 遮蔽としていた男がゆっくりと仰向けに倒れる。その間に残党狩りの男が飛び込んだテナントに飛び込む。美冴の手首を掴んだ男の体が邪魔で3人の銃弾は正確さを欠いていた。倒れ行く男の体に銃弾が数発命中して玩具のように震えながら床で息を引き取る。
「うるさい!」
 残党狩りの男とテナントので出入り口で直面するなり、その男より早くケルテックPMR-30の引き金を引く。
「!」
 残党狩りのバラクラバの男は戦闘力と判断力で劣るのか、手にしたCZ-75かそのコピーと思われる拳銃を構える前に1m前方に居た美冴に、左手で右下腕を押さえられてケルテックPMR-30の銃口を喉に押し付けられたまま引き金を引かれたものだから、首が不自然な方向に向きながら頭部をアッパーカットでも食らったように跳ねさせて大の字で仰向けに倒れた。
「……やばい!」
 思わず口に出る。咄嗟に伏せる。
 この部屋の窓はカーテンが開けっ放しで明るい。
 室内のこのテナントの社員らしき人間は全員死んでいるが、それ以外の気配と強い殺意を感じた。
 途端、着弾。窓ガラスに弾痕。その向うの壁に着弾。弾頭が塵埃を巻き上げる。
 向かいのビルに狙撃手が潜んでいるのを失念していた。頭を床にぶつける勢いで伏せる。この街に来てからゴキブリのような体勢に縁が有る。
 向かいのビルの狙撃手。向かいのビルは既に陥落したか。
 耳を出来るだけ研ぐ。室内の銃撃戦は苦手だ。銃声が大き過ぎて鼓膜が一時的に麻痺するような錯覚に陥る。鼓膜の損傷が激しいと場合によっては平衡感覚にも影響を与える。
「…………」
――――少し静か……かな?
――――このビルと同程度の戦力が辺りのビルにも投入された?
――――狙撃……気になる。
――――そもそもこの鉄火場の私にとっての勝利条件は何?
――――ビルの死守は当然として、その後は?
――――その後は逃げるか? ボーナスを貰ってから逃げようか?
――――非常階段が『まとも』な今の内に逃げるか?
 思考がグルグルと走り出す。
 危険な状態。現実逃避の入り口。
 喉が渇く。
 何もかもの迷い事や苦悩がたった1本の葉巻と缶コーヒーで解決する気がした。
 舌を奥歯で強く噛む。
 鉄火場で悩んだ時や困った時の癖。特に思考が閉鎖じみてきた場合の癖。
 血が滲む。
 痛みで一瞬だけ頭が晴れる。
 口中の血の味が現実を教えてくれる。
 弾倉を引き抜き残弾の確認。大容量の弾倉は撃てば撃つほど手元の重心バランスが崩れるので弾倉の交換時が解る。今はまだ10数発残っている。牽制程度にばら撒いて直ぐに弾倉を交換しようと目論む。
 這いながら、テナントを出る。勿論、リップミラーで廊下の向うを見る。
 3人。ジリジリと詰め寄っている。
 変わらぬフォーメーション。左右の壁付近に1人ずつ展開。廊下の真ん中に1人。真正面から見れば横一列に並んでいるがそれぞれの位置関係は5m以上離れている。
 1人を仕留めているうちに後の2人が反撃に出る。
 そもそも、互いをカバーしているので発砲の機会を与えてくれるか否か怪しい。
 頭を高くできない。向かいのビルに狙撃手が陣取っている。1人が場所を移動しているのか、複数の狙撃手が存在しているのかは不明。
 ビル全体が静か。両隣からも向かいや斜向かいも静かになる。制圧されたか……。残るは自分だけ。
 此処までの情報を整理。
 少なくとも向う三軒両隣の鉛筆ビルを縄張りにする組織は『敵』ではない。ライバルや競合や敵対組織では有るが、同時に鎮圧されるのは不自然だった。此方に増援が来る気配は無し。
「……」
 逃げた方が賢いか? そんな選択肢が脳裏を過ぎる。
 このビルを守ると決めたからにはその意思を貫きたいが、沈むと解っている船と乗り合いになる必要は無い。
 今は目前の敵。逃げようが戦おうが、目前に迫る3人を倒さなければ進退極まる。
 3人の足音。伏せた状態からケルテックPMR-30を握る右手を突き出して乱射。大雑把に10発は撃った。細かくは覚えていない。
 直ぐに手首を引っ込めて隙を見せて誘う。走る静かな足音。直ぐに右手を突き出す。今度は左手でリップミラーも突き出す。その細長い、狭い、反転した世界を頼りに1発撃つ。
 右手側廊下の壁に寄り添うように走る男の腹部に命中し、急ブレーキを掛けて牽制を放つ2人。
 蹲り、頭を垂れるように前のめりに倒れる負傷者。その負傷者を助ける意思を見せずに、2人は激しい牽制射撃を繰り返しながらバックステップで後退。
 22口径の追撃。当てるだけで良い。当たってくれ。
 ランダムに蛇行する2人の先読みが不可能なので、『そのルートを通るであろうポイント』に向けて一拍以上の速さで引き金を何度も引く。先読みの射撃とは違う。……そのポイントを横切ってくれれば必ず当たる。まるで博打だ。
 吸い込まれるように着弾点に一人の足が横切る。
 その右脛に22口径の弾頭が命中し、右脛の中ほどから先が不自然な方向に折れて男の体が前のめりに倒れる。隙を見せずにその男に向けて追撃を加える。
 美冴の勢いは良かったが、1発撃っただけでケルテックPMR-30はスライドを後退させて沈黙した。
「!」
――――もう1発くらい保って欲しかった!
 リップミラーとケルテックPMR-30を引っ込めて口にリップミラーを銜え、空弾倉を予備弾倉と差し代える。
 スライドをリリースさせる。硝煙の鼻を突く臭いが廊下に充満する。風の通りが悪いフロアの廊下に硝煙と鉄錆びを思わせる血の臭いが立ち込める。たった7m程度での距離を維持する攻防。
 最後に放った11発が右脛を破壊された男の胸部に命中した辺りまでは確認した。
 若しかしたら鎖骨辺りに命中したかもしれない。その男はここで脱落だ。拳銃を構え直して継続して戦うだけの気力は無いだろう。この場を離脱する気力も無いに違いない。
 最後の1人……。訓練と云うよりも教育が行き届いた1人。
 自分の任務遂行の為に被害を顧みない根性は特筆に値する。
 その根性は認めるが、自分をカバーしてくれる存在が無くなった時点で撤退すべきだった。
 静かに這い寄る足音から焦りが感じられる。撤退する時期を窺っているか、此方の隙を窺っているか……アクティブに攻め込む気迫が薄い。
 今度はその1人を……最後の1人を仕留めるのに牽制は使わなかった。遮蔽にしていたテナントの入り口付近から廊下に勢いに任せて転がり出て体を滑らせながら膝立ちになり、惰性でスライドする体で3発、発砲。
 廊下の真ん中から3階へ通じる階段が有る遮蔽に飛び込もうとしていた影の目前の壁に着弾し、一瞬だけ足を止めた。
 更に2発。ダブルタップ。牽制でも足止めでもない。殺すつもりの2発。
 左脇腹に2発の22WMRの弾頭を叩き込まれた男は体を右に倒しながら断末魔のように右手にしていたCZ-75かそのコピーを乱射した。
 倒れても尚、上半身を起こそうとしながら自動拳銃を構える心意気に敬意を表して男の額に22口径で風穴を開けて止めを刺す。
「…………」
――――終わったか?
 耳を済ませる。
 少なくともこの鉛筆ビルの内部で銃声は聞こえない。
 遠くで銃声が聞こえる。両隣のビルではまだ銃撃戦が続いているらしい。その銃声は先ほどよりも散発的だ。
「…………!」
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