拝啓、素浪人様

 だから慌てて連絡を取ったのに無駄に終わる。
 通話終了。舌打ち。
 この様子では用心棒や『客人』の招集もスムーズに行えていないだろう。兎に角、この繁華街に有る『拠点』に向かう。
 【谷野興業】の組事務所で表向きは真っ当な金融会社の看板を掲げているが、実績皆無だ。下手に闇金融をシノギの足しにするよりも『事務所として使える店舗を確保した』方が有利な場合が有る。社員も本当に事務屋上がりの真っ黒で無い暴力団員で構成される。
 『拠点』の主な使用方法は別命有るまでの待機場所やアンダーグラウンドの業者の大規模な手配。美冴個人では動かせない規模の業者もこの事務所の電話番号なら動かせる。
 4階建ての鉛筆ビルの3階に有る【ハート金融】のドアを横柄に開けて視線を左右に振る。4人の事務員が目を白黒させていた。その物腰から暴力を生業にしない人種だと解る。不意に驚かせてしまったと直ぐに名乗りを挙げる。
「貴船美冴。ミカジメを狩りに行ったら機関銃で撃たれた。此処で待機させてもらう」
 貴船美冴と云う名前を聞いて、事務員達は安堵の表情を見せた。各組織の事務所が襲撃に遭っているので気が気ではなかったのだろう。美冴を敵襲だと慌てていたに違いない。
「他の『拠点』は? 被害は? 他の用心棒連中は?」
 本来なら事務員達はその詳細を一介の用心棒如きに教える立場には無かった。
 それでもペラペラと捲くし立てるように情報を融通してくれる。自分達が助かるのなら誰にでも何でも協力する口調だった。
 其処で得た情報は、市内で合計12ヶ所ある、『拠点』や『仮設組事務所』が襲撃されて情報が錯綜し被害状況は通達されていない事、用心棒は皆、要点の『拠点』に複数人配置されて次の襲撃に対して防御陣を敷いている事、アンダーグラウンドの業者と繋がりの有る『客人』は早くに逃がし屋経由で市外へと脱出させられている事など……。
 やってはいけない事だらけで頭を抱えたくなった。
 市街地で戦力の集中は各個撃破の対象だ。
 戦力をばらけさせてゲリラ戦で臨機応変に対応すべき。
 それに唯でさえ人的戦力が低下しそうなのに闇業者と繋がりの強い『客人』を『楯に使わないばかりかその利点も活用しない』のは愚かだった。『客人』の中には武器流通業者も含まれていたはずだ。継戦能力が試される展開なのに武器商人を疎開させるとは何事だ。
 最早、何処の組織の誰が指揮を取ってこのような展開に出たのかは如何でも良くなった。
 【谷野興業】の組織中央ではこの事を予見しているはずだから近いうちに反攻に出るだろう。然し、自分の組織以外全て敵と看做してしまうこの状況で多方面に全ての戦力を割かなければ対処できない事態は予測していただろうか?
 この街とは関係の無い外部の組織が漁夫の利を得るべくガソリンに火の点いたマッチを投じた可能性も有る。
 組織中央は何を以って近日中にこの『街が喧しくなる』事を予想していたのかが不明だ。少なくとも優秀なブレインには見えない。予想は出来るが受動的な防御しか考えていないのだろう。能動的に打って出るまで戦力が維持できればいいが。
 闇金融の顔をしていない【ハート金融】の窓のカーテンを閉めさせない。
 不審に思う事務員達。どいつもこいつも30代半ばのいい年齢だが、矢張り場数が不足だ。繁華街の混乱の最中に金融業者がカーテンを閉めるとそれだけで怪しまれる。間抜けな『拠点』で意識が低いと見せ付けたほうが重要度が下がり、攻撃対象から外れ易い。寧ろ、素人丸出しで窓に立って外を心配そうに眺める演技くらいしてほしい。
 プリンシペ・ペティコロナのキャップを噛み千切って銜える。無造作にフットを炙って大きく一息。
 事務所の片隅のコーヒーメーカーで勝手にコーヒーを淹れる。
 今は兎に角落ち着け。今後の事を考えろ。この混乱に乗じて逃げるか此処で踏ん張って戦うか。戦ってその恩を売り付けるか。逃げるか戦うか、その両方を天秤に掛ける。
 見過ごすと云う選択肢は捨てる。
 用心棒として雇われた限りは金に見合うだけの働きをするのが筋だ。だから両極端な選択ルートを思考する。
 泥沼は不可避。街中は騒然。収拾がつかない。警察が出てくる。逃げるのは難しい。
 市内に警官隊が展開するのは時間の問題。
 今でも組織とその繋がりが強い施設は警察の監視対象になっている。賄賂で何とかなる問題ではない。
 騒然。混乱。突然の非日常。白昼の惨劇。
 カタギに被害が出ないことを願うがそれは虫が良すぎるだろう。カタギの人間はビルや店舗から吐き出されるように逃げ惑う。或いはシャッターを閉めて閉じ篭る。
 此処からが正念場だ。
 街中に火の手は確認できない。平和な日常を一転させるのに短機関銃の一連射があれば事足りる事実を見せ付ける。
「!」
 コーヒーを淹れに来た事務員の肩が爆ぜる。
 事務員は悲鳴を挙げるが肩に被弾したわけではない。肩から逸れた銃弾が壁に当たって粉塵を撒き散らしただけだ。
 それを先途に残りの事務員も我先にと『拠点』のドアから逃走する。コーヒーカップを投げ捨てて火を点けたばかりの葉巻を吐き捨てる。
 左懐からスムーズにケルテックPMR-30を抜きながら、その場に頭を床に擦り付けるように低くして這う。
 開かれたままのドア。
 美冴の近くで居た、逃げ遅れた事務員。
 『拠点』を空にしようとする、組織者としてあるまじき意識の低さと矜持の無さ。腰を抜かした事務員はスチールデスクの影に泣き顔で這いながら隠れる。
 床掃除と勘違いされそうに這いながら移動を開始する美冴。
 窓ガラスを貫通した銃弾。
 この角度では向かいのビルが一番怪しい。それも同じ階だ。最初から美冴を狙っていたと判断。
 狙撃。
 あの夜の特徴的な銃声を思い出す。
 あの夜は撃たれる恐怖と寒さと戦いながら2時間も仰向けのまま硬直していた。
 膠着ではない。硬直だ。
 あの時の狙撃手か……。そう考えるのは早合点か。
 銃弾は『誰を、何を狙ったのか』判然としない。
 1発のみ。
 警告として壁を狙ったのか、美冴か事務員を狙ったがガラスで弾道が逸れたのか判断に困る。
 カーテンを閉めるのは愚行と云う自分の経験則を上書きする。カーテンを閉めるのは場合により有効。
 この角度では真向かいのビルからも何処の方向のビルからも死角になって狙撃は難しい。伏せながら怖気づいている事務員に言う。
「聞いて! この『拠点』を死守して! 必ず他の『拠点』から連絡が入る。連絡を求めるかもしれない。直ぐに状況を的確に伝えて! 今は何処もかしこも正確な情報が欲しいはず。スジの男ならそれくらいの意地を見せてよね!」
 その事務員は美冴の覇気に押されて首を立てに振るしかなかった。
 美冴はそれだけ言い放つと、解放されたままのドアから這いながら出る。
 この場は危険だからではない。自分がこのビルを死守する必要が有ると……給料分だけ働かねばと使命感に押されただけだ。
 薄暗いビルの廊下。ここは取りあえず安全。
 小口径高速弾でも鉄筋コンクリートを貫通するのは不可能だ。
 敵は向かいのビルを管理しているオーナーと繋がりの有る組織と早計しない。冷静に考える。論理だてて考える。憶測を交えず現実に起きている事象から答えを求めようと頭を切り替える。
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