拝啓、素浪人様

 何処の店舗も渋る。
 ここで手ぶらで帰るわけには行かない。……そもそも、三下の仕事を、用心棒が出向いて遂行すること自体がおかしかった。理由は簡単だ。上層は用心棒たちの出番を増やしたいのだ。そしてボーナスを払う機会を増やしたい。
 少しでもボーナスを払う機会を与えて……詰まらぬ職掌で、楽な仕事で、命の危険が無い場所で仕事をさせて用心棒として忠誠を誓わせたいのだ。金の力で。
 テナントビルの入り口で銜え葉巻のまま立ちつくす。
 この場合は暴力は不要なので拳を振り上げるタイミングが見つからない。こんなつまらない仕事で小遣いを弾まなくとも裏切ったりしないのに……そんな寂しさが足元に纏わりつく。
 他の用心棒や『客人』連中も同じだ。
 金で主人を替えるほど尻の軽い奴は居ない。
 今、金で鞍替えをしてしまうと、この街では二度と仕事が出来ないばかりか噂が次の街まで這い寄ってきて、金次第で主人を替える尻の軽い信用の出来ない人間だと評価が落ちる。
 フィクションの世界なら、金で裏切るのは当たり前だが、実際にそれをしてしまうと二度と信用は戻ってこない。提示された金額は信用と信頼と実績を売りつける金額なのだ。
 女がドスを利かせて、店舗のオーナーを脅しても悪い冗談にしか映らないのが悲しい。ケルテックPMR-30の出番ではない。脅しすぎて夜逃げされるのなら兎も角、自殺でもされると隠蔽が難しくなる。
 さて困った。と、さほど困った顔を作らず近くの自動販売機で缶コーヒーを買う。
 口からプリンシペ・ペティコロナを剥がして缶コーヒーを啜る。この味だけはいつも裏切らない。特定のメーカーを贔屓にしているわけではないが、葉巻の残り味が混ざると贔屓目に見ても美味く感じるので不思議だ。
 このビルのミカジメは美冴の胸先三寸で何とかなる問題でも無い。
 取り立て屋に感情は不要。だが、専門の取り立て屋でないのが辛いところだった。
 携帯電話を取り出し、仕方なく、三下を1人、手配してもらう。『入社』半日目の素人でも構わない。女が独りで脅しに来ても絵にならない。飾りでもいいから先頭に立つ男が必要だ。
 性別による職業差別ではない。得意分野の分担で区別だ。適材適所を鑑みての判断だから【谷野興業】の連絡員に電話で、三下の手配を頼むのに心は痛まなかった。
 きっと携帯電話の向うでは筋金入りの用心棒が三下を手配するなど、どのような手強い事態なのだと勘繰っているだろう。
 三下の到着を待つ。
 短くなったプリンシペ・ペティコロナを吐き捨てて踵で蹂躙する。靴底から葉巻の悪臭が立ち上る。3分もしないうちに右手側の通りから此方に猛スピードで走ってくる黒い軽四ワゴン。
 やけに早い到着だと感心していると、そのワゴンの窓が開き、悪寒を感じた。
 直ぐに自動販売機の側面に取り付けられていた空き缶専用ゴミ箱を蹴り倒してその僅かな隙間に体を埋める。
 瞬間。銃撃。短機関銃。
 ワゴンが走りながら短機関銃を掃射する。
 銃弾は歩道を行く人間も巻き込んで無秩序にばら撒かれる。敵対組織の襲撃かと左脇に右手を突っ込んで銃撃が止むのを待つ。そのまま銃撃しながらワゴンは過ぎ去っていく。
「…………」
――――携帯電話まで盗聴されてるのか!
 憤慨を抑えられない。
 今は憤慨しなければ恐怖で胃袋がひっくり返りそうだ。美冴の予想は大きく外れる。
 銃撃されたのは美冴だけでは無かった。この通りに面する向う三軒両隣のビルの正面出入り口や1階の窓ガラスが銃弾で叩き割られている。通行人に被害は無いようだが、パニックは回避できない。
 『喧しくなる』。その言葉が脳裏を過ぎる。具体的に『喧しくなる』理由は聞いていない。
 いつそれが訪れるのかは聞いていない。聞く必要が無いと判断したからだ。深い詮索は不要だと思ったからだ。必要な時期が来れば自分の腕の出番だろうと受動的な意識だった。
 これが『喧しくなる』理由の一つだとすれば『本当に喧しくなる』。
 この場で……自動販売機のゴミ箱スペースで引き篭もっているのは危険だ。直ぐにこの場を離脱してパニック状態の歩道を早歩きで去る。
 逃げ惑う人々が多いのでそれに紛れる。
 向う三軒両隣のテナントビルは全て違う組織の縄張りだ。そのテナントビル全てに銃弾が叩き込まれたとなれば、それぞれの組織がこの縄張りを死守する為に鉄火場が形成される。
 この場で今直ぐにそれが形成されなくとも、手打を行うまでは街の各所で抗争が勃発する。
 誰が? 何処が? 何が? どの様にして? ……得をするのは何処の誰? 何処の組織? 何がどの様にして何処の誰が得をする? このような典型的古典的抗争の手口を、白昼堂々と敢行する威勢の良い勢力は何処なんだ? 疑問しか湧かない。
 此処に抗争の火種を突然放り込んで、利を得る組織や強力な一個人の心当たりが多過ぎる。
 誰がと云う問いは間違えなのかもしれない。
 何処の誰が先手を打ってきたのか? と思考するべきか。
 常に火種は燻っていた。その火種が埃に燃え移りジワジワと小火から火事へと発展すると想像していた。
 実際は違った。ガソリンに火の点いたマッチを放り込んだのと同じ効果だった。
 現場から立ち去りながらフィールドコートのハンドウォームから携帯電話を取り出して然るべきアドレスを呼び出して通話する。
「貴船。貴船美冴……手配した三下を呼び戻して。現場が襲撃されたわ……解らない。手当たり次第の襲撃……機関銃の乱射よ! この通りに有るビルなら何処に当たっても良かったって感じだね……今から近くの『拠点』に行く。あんたらが言ってた『街が喧しくなる』事案だろうね。戦力の集中と再分配を……違う! 『社長』には一番腕の立つ警護だけ付ければ良い。用心棒と『客人』連中をリーダーに据えて……だから! 残りの『会社の社員』の総数を用心棒と『客人』の数で割って、武器もそれに倣って戦力を平均するの! 戦力に偏りが有るとあちらこちらの『拠点』で『弱いところ』から潰されるわ! ……指揮系統が確立すれば『社長』の指示で状況に応じて再編成すれば良い。それまでの即応の為の手段を、私の指揮を聞いてくれって言ってるの! 何もあんたらの指揮だの指令系統だのに介入する心算は無いわよ! 現場が『熱い』うちに手を打たないともっと被害が大きくなる。できるだけ早く戦力を……戦力って『社員』の事よ! 頼むわ! 私だって命も金も惜しい。給料分だけは働く。その為の『陳情』よ。今は私の話を聞いて! ……ねえ? 聞いてるの?」
 通話の途中で一方的に途切れる。
 直ぐに通話は回復する。
 レシーバーを手で押さえていただけらしい。
 携帯電話の向うに居る連絡員の元に次々と情報が集まっている。
 そんな騒がしさがスピーカーから雑音として聞こえてくる。
――――遅かった……
 再び繋がった通話。会話の続き。
 話を総括すれば市内や街の各所で正体不明の銃撃が多発同時に発生して早とちりした敵対組織が早くも勘違いの報復を行って【谷野興業】の事務所や『社員寮』が襲撃されているらしい。
 美冴は多数居る【谷野興業】の用心棒の一人でしかない。大した権力は無い。
 それでも襲撃現場に直面した立場から『自分を守る為に少しでも早く【谷野興業】には行動を起こして欲しかった』。
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