凍てつきが這い寄る!
羽場は着ていたウインドブレーカーの後ろ腰からSIG P226かそのコピーらしい大型自動拳銃を引き抜こうと素早く右手を伸ばす。その右手と右脇の間に向かって対峙する4mの距離から言子は左手に持ったコルトM1908を突然発砲。
9mmの弾頭は羽場の右脇に孔を開けてその向こうに居る遮蔽……僅かに開いたドアの向こうから手鏡で窺っていた人影の手元を弾く。手鏡が跳ねるように放り出されて鶏を縊り殺したような悲鳴が聞こえた。手鏡がリノリウムの床に派手に衝突して脆く砕ける。
左手のコルトM1908を両手で握り素早く体をスイッチ。右足を前に出し左半身を後ろに引く。目前で大型拳銃を抜き放つ羽場の体を右足爪先を軸に大きく踏み出してその場で半回転。
4mの距離を一瞬で詰めて、背中をぴったりと羽場の胸板に押し付ける。目前で人を象ったモッズコートの影が閃いたかと思うと自分の懐に眼鏡の女が入り込んで『自分の体を遮蔽物として利用』していたのだから、伸ばしきった腕に持った拳銃が役に立たないばかりか自分の体が同士撃ちで蜂の巣になる絵面が一瞬で脳内に浮かぶ。
呼吸一拍。羽場は待てと叫びたかった。
だが、女に軽く背中で胸を押されただけで重心バランスを崩して今にも転倒しそうな千鳥足で5歩6歩と後退する。
その度に眼鏡を掛けた黒尽くめの女は背中で胸をとんとんと押し、ロビーの奥へと押しやる。
「しまっ……」
思わず声が出た。羽場はその声を飲み込む事が出来なかったのだ。
この場で交渉人の真似事をする女と時間を稼いでいるうちにロビーより奥へ、右手側の2階へ上がる階段の踊り場付近に有る窓からクライアント――負債者――を縄梯子で下す手筈の最中が視界に入る。
ロビー奥の方の部屋に恰も誰かが潜んでいる工作をするために手鏡で窺わせる演技をさせていた。最初は手下のその演技に債権回収業者の女は引っ掛かったと思った。
実は違った。
その手に乗った素振りを見せただけだ。
それを見破られると直ぐ様実力行使で屠るつもりだったが、結果的にリーダーである羽場の体と命が人質になり楯になり邪魔になり、工作に絡んだ全ての手下の苦労を無駄にした。
言子は体を反転させ、今度は羽場の胸板に自分の胸を押し当てる。右手を伸ばして羽場の左上腕部の付け根を、その上腕部の筋肉が潰れそうな握力で握って右手側に見えた階段への昇り口を向いた羽場の背中が大きな遮蔽となる。
予想通り、何処の方向からも誰も反撃してこない。
人の気配はする。敵意を感じる。だが、リーダーが遮蔽として利用されているのであれば誰も手出しできない。そして予想通りに、『マニュアルを守って逃がし屋は行動していた』。
交渉人と交渉する演技を見せる羽場だった。
その影では誰も交渉人たる女と交渉する気は無い。時間を稼いでいる間に『裏口や非常階段を使わずに逃走する』計画を実行していた。
現れたのは交渉人1人とは限らない。どこかに潜む伏兵が裏口や非常階段を固めているかもしれない。だから予想外の……2階へと続く階段の踊り場に有る窓から梯子を垂らしてクライアントを逃がすことに始終する。
言子も交渉する素振りしか見せなかった。
まともに交渉すればそれこそ逃がし屋の術中に嵌る。
この建物に潜む逃がし屋の数とこの建物を拠点にする逃がし屋の数が同じだと判明した瞬間に、合計5人の役者がこれ見よがしに事務所から飛び出て逃げ出す演技を見せた時に見破った。
大きな人数で今夜の仕事を引き受けたわけではない。少数で、必要最低限の数で承った仕事を達成する心算だと。
「…………甘い」
火の点いていない葉巻を唇の端で噛みながら言子は呟く。
2階の踊り場付近に有る窓の傍で拳銃を抜いて牽制しようとする逃がし屋――確認される最後の1人になった逃がし屋――に向けて羽場の背中を見せる。階段の上方で拳銃を構える男の銃口が鈍る。
その男に発砲。男に命中させない。男の体の左右側に弾痕を拵える。
「!」
羽場は目を疑った。
この土壇場で目の前の、唇に唇を押し付けて自分を黙らせようとする女の挙動が信じられなかった。全く虚を衝かれて抵抗できず、羽場は言子の唇を受け入れた。
「……! がは!」
羽場はえずく。激しく咳き込む。
唇を押し付けられたわけではなかった。
羽場を更に自由に振り回す為に、大人しくさせる為に、言子は口に銜えっぱなしだったアジオ・ハーフコロナを羽場の口中に押し込んだのだ。その安葉巻が喉につっかえて呼吸も会話も苦しくなる羽場。涙を流しながら今にも吐瀉を始めそうな苦悶の顔を赤くする。
気管が派手に痛めつけられている羽場は、為す術も無く言子の左手側の壁に体を強打されてその衝撃で手にしていた大型自動拳銃を落としてしまう。
更にグルンと大きく羽場の体を振り回して階段の方向へと向く。羽場の背中が再び階段の昇り口に向く。
素早く移動する人影を見るなりそれに向けて発砲する。
この動きは違和感が有った。逃がし屋の挙動ではない。素早いが素人。即ち、今夜の標的だ。否、『お客様』だ。
コルトM908の弾倉はそろそろ空だ。
この乱戦で数は数えていない。弾倉の重心バランスで弾切れが近い事を悟る。コルトM1908は最近の自動拳銃と違い、全弾撃ち尽くしてもスライドが後退して弾切れを報せてくれない。
僅かに迫り出すインジケーターを目視で確かめるしか方法は無い。弾の数を数えるか危険を察知したら弾倉交換するか。その煩わしさも言子には魅力的だった。
コルトM1908を握る手の小指に挟んでいた羽場の使い捨てライターを勢い良く階段の上で逡巡を続ける男に向かって投げる。その男は突然視界を横切る小さな何かに一瞬だけ気を取られた。
その間に言子は弾倉を交換する。羽場に脚払いをかけてその場に転倒させると、再びこちらを向く銃口に向けて発砲する。
逃がし屋の左肩を浅く9mm口径の弾頭が削る。
血飛沫の飛び散り方からして骨に異常は無い。抗生物質の軟膏でも塗りたくって安静にしていれば二週間ほどで完治する。入浴の際に雑菌が入るのを防げば完璧だ。
左肩を負傷した男の一瞬の敗因は標的たる言子が近過ぎた事だ。
たったの4mの距離で咄嗟に引き金が引けなかった。彼女の背後に羽場の姿を確認したからだ。標的と絶対に傷つけてはならない羽場が重なる。
その瞬間に、先手を取ったはずなのに先手を奪われて左肩を負傷させられた。
「はい。そこまで」
尻餅を搗きながらズルズルと壁に背中を任せてへたり込む、左肩を負傷した若い男。
20代後半だろうか。どこにでも居る若者だった。着飾れば異性に持てそうな顔つきなのにそれを為さないとは良い心がけだった。『この世界』は目立った者は早死にする。
銃口を突きつけられて戦意を喪失した若者は銃口を下げてセフティを掛けて静かに1911を床に置いた。
言子はその若者の手元から1911を蹴り飛ばして階段の中ほどまで転がす。羽場が涙と涎で無様になった顔でこちらを見ている。負け戦を悟った顔だった。
階段の踊り場に有る窓枠に足を掛けたまま動けない背の低い男が居た。中年。首を右に大きく廻らせると直ぐ近くの給湯室で人影が蠢く。
「…………」
逃がし屋を制圧し、負債者を発見。顎先で窓枠にしがみつく男に下りるように指示する。
9mmの弾頭は羽場の右脇に孔を開けてその向こうに居る遮蔽……僅かに開いたドアの向こうから手鏡で窺っていた人影の手元を弾く。手鏡が跳ねるように放り出されて鶏を縊り殺したような悲鳴が聞こえた。手鏡がリノリウムの床に派手に衝突して脆く砕ける。
左手のコルトM1908を両手で握り素早く体をスイッチ。右足を前に出し左半身を後ろに引く。目前で大型拳銃を抜き放つ羽場の体を右足爪先を軸に大きく踏み出してその場で半回転。
4mの距離を一瞬で詰めて、背中をぴったりと羽場の胸板に押し付ける。目前で人を象ったモッズコートの影が閃いたかと思うと自分の懐に眼鏡の女が入り込んで『自分の体を遮蔽物として利用』していたのだから、伸ばしきった腕に持った拳銃が役に立たないばかりか自分の体が同士撃ちで蜂の巣になる絵面が一瞬で脳内に浮かぶ。
呼吸一拍。羽場は待てと叫びたかった。
だが、女に軽く背中で胸を押されただけで重心バランスを崩して今にも転倒しそうな千鳥足で5歩6歩と後退する。
その度に眼鏡を掛けた黒尽くめの女は背中で胸をとんとんと押し、ロビーの奥へと押しやる。
「しまっ……」
思わず声が出た。羽場はその声を飲み込む事が出来なかったのだ。
この場で交渉人の真似事をする女と時間を稼いでいるうちにロビーより奥へ、右手側の2階へ上がる階段の踊り場付近に有る窓からクライアント――負債者――を縄梯子で下す手筈の最中が視界に入る。
ロビー奥の方の部屋に恰も誰かが潜んでいる工作をするために手鏡で窺わせる演技をさせていた。最初は手下のその演技に債権回収業者の女は引っ掛かったと思った。
実は違った。
その手に乗った素振りを見せただけだ。
それを見破られると直ぐ様実力行使で屠るつもりだったが、結果的にリーダーである羽場の体と命が人質になり楯になり邪魔になり、工作に絡んだ全ての手下の苦労を無駄にした。
言子は体を反転させ、今度は羽場の胸板に自分の胸を押し当てる。右手を伸ばして羽場の左上腕部の付け根を、その上腕部の筋肉が潰れそうな握力で握って右手側に見えた階段への昇り口を向いた羽場の背中が大きな遮蔽となる。
予想通り、何処の方向からも誰も反撃してこない。
人の気配はする。敵意を感じる。だが、リーダーが遮蔽として利用されているのであれば誰も手出しできない。そして予想通りに、『マニュアルを守って逃がし屋は行動していた』。
交渉人と交渉する演技を見せる羽場だった。
その影では誰も交渉人たる女と交渉する気は無い。時間を稼いでいる間に『裏口や非常階段を使わずに逃走する』計画を実行していた。
現れたのは交渉人1人とは限らない。どこかに潜む伏兵が裏口や非常階段を固めているかもしれない。だから予想外の……2階へと続く階段の踊り場に有る窓から梯子を垂らしてクライアントを逃がすことに始終する。
言子も交渉する素振りしか見せなかった。
まともに交渉すればそれこそ逃がし屋の術中に嵌る。
この建物に潜む逃がし屋の数とこの建物を拠点にする逃がし屋の数が同じだと判明した瞬間に、合計5人の役者がこれ見よがしに事務所から飛び出て逃げ出す演技を見せた時に見破った。
大きな人数で今夜の仕事を引き受けたわけではない。少数で、必要最低限の数で承った仕事を達成する心算だと。
「…………甘い」
火の点いていない葉巻を唇の端で噛みながら言子は呟く。
2階の踊り場付近に有る窓の傍で拳銃を抜いて牽制しようとする逃がし屋――確認される最後の1人になった逃がし屋――に向けて羽場の背中を見せる。階段の上方で拳銃を構える男の銃口が鈍る。
その男に発砲。男に命中させない。男の体の左右側に弾痕を拵える。
「!」
羽場は目を疑った。
この土壇場で目の前の、唇に唇を押し付けて自分を黙らせようとする女の挙動が信じられなかった。全く虚を衝かれて抵抗できず、羽場は言子の唇を受け入れた。
「……! がは!」
羽場はえずく。激しく咳き込む。
唇を押し付けられたわけではなかった。
羽場を更に自由に振り回す為に、大人しくさせる為に、言子は口に銜えっぱなしだったアジオ・ハーフコロナを羽場の口中に押し込んだのだ。その安葉巻が喉につっかえて呼吸も会話も苦しくなる羽場。涙を流しながら今にも吐瀉を始めそうな苦悶の顔を赤くする。
気管が派手に痛めつけられている羽場は、為す術も無く言子の左手側の壁に体を強打されてその衝撃で手にしていた大型自動拳銃を落としてしまう。
更にグルンと大きく羽場の体を振り回して階段の方向へと向く。羽場の背中が再び階段の昇り口に向く。
素早く移動する人影を見るなりそれに向けて発砲する。
この動きは違和感が有った。逃がし屋の挙動ではない。素早いが素人。即ち、今夜の標的だ。否、『お客様』だ。
コルトM908の弾倉はそろそろ空だ。
この乱戦で数は数えていない。弾倉の重心バランスで弾切れが近い事を悟る。コルトM1908は最近の自動拳銃と違い、全弾撃ち尽くしてもスライドが後退して弾切れを報せてくれない。
僅かに迫り出すインジケーターを目視で確かめるしか方法は無い。弾の数を数えるか危険を察知したら弾倉交換するか。その煩わしさも言子には魅力的だった。
コルトM1908を握る手の小指に挟んでいた羽場の使い捨てライターを勢い良く階段の上で逡巡を続ける男に向かって投げる。その男は突然視界を横切る小さな何かに一瞬だけ気を取られた。
その間に言子は弾倉を交換する。羽場に脚払いをかけてその場に転倒させると、再びこちらを向く銃口に向けて発砲する。
逃がし屋の左肩を浅く9mm口径の弾頭が削る。
血飛沫の飛び散り方からして骨に異常は無い。抗生物質の軟膏でも塗りたくって安静にしていれば二週間ほどで完治する。入浴の際に雑菌が入るのを防げば完璧だ。
左肩を負傷した男の一瞬の敗因は標的たる言子が近過ぎた事だ。
たったの4mの距離で咄嗟に引き金が引けなかった。彼女の背後に羽場の姿を確認したからだ。標的と絶対に傷つけてはならない羽場が重なる。
その瞬間に、先手を取ったはずなのに先手を奪われて左肩を負傷させられた。
「はい。そこまで」
尻餅を搗きながらズルズルと壁に背中を任せてへたり込む、左肩を負傷した若い男。
20代後半だろうか。どこにでも居る若者だった。着飾れば異性に持てそうな顔つきなのにそれを為さないとは良い心がけだった。『この世界』は目立った者は早死にする。
銃口を突きつけられて戦意を喪失した若者は銃口を下げてセフティを掛けて静かに1911を床に置いた。
言子はその若者の手元から1911を蹴り飛ばして階段の中ほどまで転がす。羽場が涙と涎で無様になった顔でこちらを見ている。負け戦を悟った顔だった。
階段の踊り場に有る窓枠に足を掛けたまま動けない背の低い男が居た。中年。首を右に大きく廻らせると直ぐ近くの給湯室で人影が蠢く。
「…………」
逃がし屋を制圧し、負債者を発見。顎先で窓枠にしがみつく男に下りるように指示する。