そして紫煙は香る

 鋭い悲鳴を挙げながらブルゾン姿の男は拳銃を放り出してその場に顔面から滑り込むように倒れる。
 後続するもう1人は放置された錆びだらけの室外機の陰に体を押し込もうとするが臀部が飛び出てしまう。
 その尻に向かって発砲。
 室外機を楯にしようとしていた男が蹴り飛ばされた犬のような悲鳴を挙げて蹲る。
 弾倉を交換。
 続け様に3発発砲。
 牽制。
 発砲の後、遮蔽に引っ込んで抜き放った弾倉にばら弾を補弾する。
 補弾し終えた弾倉と差し込んだばかりの弾倉を交換する。
 抜いたばかりの弾倉にもバラ弾を補弾。モーゼル・パラベラムの弾倉は予備が少ない。
 市場的に高価で余り出回っていないので、予備弾倉に余裕が余り無いのだ。だから、少々面倒でもこまめな補弾を繰り返す。
 時代遅れな拳銃であることは重々承知だが、掌と一番相性がいいのでこればかりはどうしようもなかった。
 握った際の重心バランスも申し分ない。
 初めて握った拳銃がルガーP-08のエコノミー版で構造を簡略化したエルマ・ルガーと俗称で呼ばれる拳銃だった。
 モデル名は覚えていない。そのインプレッションが忘れられずに記憶を頼りにエルマ・ルガーを探していたら武器屋に、もう少し停止力が有るモーゼル・パラベラムを紹介された。
 そして一目惚れ。
 9mmオートを遍歴した事もあったが、このグリップの握った感触だけは、どの自動拳銃も足元に及ばない。
 最新の自動拳銃であればあるほど、相性が悪い気がした。
 使ってみると異常な命中精度に驚いたものだ。
 一発必中を心掛けたい身分としては頼り甲斐があった。
 弾薬も弾倉もクリーニングリキッドもホルスターもポーチもあらゆるものは無料ではない。値段が付くのだから入荷の必要も出てくる。
 情報収集だけの仕事だからこそ、拳銃が必要だった。
 パソコンの前で椅子に座ってキーボードを打つだけの情報屋とは決定的に違うのは、自分の脚で情報を仕入れて売買するという点だった。
 情報屋に売りつける情報を集めるのだからリスクも大きい。
 それも命に直結するリスクが大きい。
 死のうが生きていようが情報屋には関係ない。
 情報屋に情報を届けてこその情報収集要員だ。
 だから護身の為の拳銃は必要だ。
 そんな訳で、仕事道具としての拳銃なので、維持するのに金が掛かる。
 金が掛かるのなら節約の余地も必要だということだ。その上で命中精度の高さは非常にアドバンテージが大きい。
 発砲。互いが発砲。
 たった8mほどの距離。
 混乱の極みであれば必中の距離など皆無。狙うつもりで撃っても当たらず、牽制のつもりで撃つと命中する。
 そんな混乱具合。
 疎らな牽制を何度も繰り返しながら美殊は距離を保つ。
 その場で動かずに牽制に専念する。牽制の銃弾は無駄ではない。
 牽制のために放たれた重要な銃弾だ。その銃弾の単価に見合った結果を出せば万事オーライ。
 連中も勿論、銃弾を浴びせてくる。
 先頭の2人を無力化させたが、後続の数人は角や室外機などの遮蔽と伝いながらこちらに来る。
 うつ伏せのままで銃撃を繰り返す美殊。
 弾倉を2本、空にしたところで立ち上がり、奥まった路地へと進む。
 このルートは、連中が万が一に備えて確保していた逃走経路だったようだ。
 この路地に対する執着が見て取れる。
 先頭が倒されても尚怯まない意気込み。
 その、ずっと背後には連中が警護すべき要人が控えているのだろう。美殊というアナグマがここに潜んでいた為にクリアリングが難しく渋滞を起こしている状態。
 美殊もこのままではジリ貧で、逃走するタイミングを失う一方だ。
 イニシアティブは美殊の手中に有るが、必ずしもそれは優位に立てることを保障されたわけではないのだ。
 正直に言うと、もっと後退したい。
 後退できない理由は、この細い路地の奥には大きな銃撃戦のフィールドが展開されている鉄火場に出てしまうからだ。
 連中はそれを知らないのか、あるいは、銃撃戦を展開している、いずれかの勢力と合流するつもりなのか、遠慮なく路地を進軍する。
 背後に控える地獄。
 前方にも地獄。
 面倒が少ない前方を掃討するか進軍を諦めさせるしかない。
 連中も似たような思考だろう。
 前方に居る小癪な影を片付けて逃走経路に就きたい。背後には同士打ちすら発生している地獄の鉄火場。
 辺りでは相変わらずの銃声が耳障りに轟く。
 前方に進むか後退するか。……美殊は後退を選んだ。
 ゆっくり後退しながら両手でモーゼル・パラベラムを保持する。
 予備弾倉は残り3本。空弾倉も3本。
 紙箱入りのバラ弾は50発以上。悠長にばら弾を補弾している暇を与えてくれるとは思えない。
 連中は数に恃んで怯まずライトで足元を照らす。
 その数を数える。
――――3人……。
 少なくとも3人がライトを持っている。その最後尾には幹部級の要人が控えていると思われる。
 少々訓練された警護要員なら、要人の脱出を最優先で考える。
 この場に居る……この狭い路地に居る全員が少々以上の訓練を積んでいるのか、路地のクリアリングを最優先にして力押しで路を開こうとしている。
 美殊は後退を続けながらダブルタップ。
 その2発は一番手前に居た、ライトを左手に持った男の腹の辺りに命中した。
 仲間が突然負傷して倒れた事に危機感を煽られた後続は、一瞬、足を止めた。
 今度はジリジリとした後退ではなく思い切って背中を見せて逃げる。ややジグザグ気味な走り方。
 路地の向こうの灯りを頼りに暗くなってきた時間帯の細い路地を走る。
 勿論、この先では別の銃撃戦が展開されている。そのど真ん中に飛び出た瞬間に撃ち殺される可能性が高い。それゆえ、馬鹿正直に走り出ない。
 路地が途切れる瞬間に地面に滑り込むように伏せ、無様な匍匐全身で路地の角からリップミラーを差し出して確認する。
 予想通りに銃撃戦が行われている。
 解り易く勢力が2つに分かれて撃ち合っているのではない。
 この場に居る全員が全員を敵と看做して、好き勝手に発砲している。練度が低いのか混乱しているだけなのか、全員がトリガーハッピー状態だ。
 逆にそれを視て、少し安心した美殊。
 この鉄火場に顔を揃える連中の半分は同業者だ。
 同業者は3人。警護要員は3人。
 同士打ちする危険性も考えずに勝手にパニックに陥っている。
 自分が引き金を引いているうちは自分の命だけは保障されるという心理が奥底に働くトリガーハッピーは面倒で弱点も大きい。『視界を認識する能力が極端に低下している』のだ。動く物なら何でも撃つ。動かない物は撃たない。
 動く物は敵と看做しているからこそのトリガーハッピーだ。
 10m四方の戦闘区域に6人。
 美殊を足せば7人。
 美殊は這いずる様に、体を地面に伏せさせたままジリジリと右手の壁側に沿って移動を始める。
 芋虫が這うような無様な移動。
 今し方潜んでいた路地の背後が騒がしい。後続の連中が追いつこうとしている。
 思わずにやける余裕が出る。
 体を、完全にトリガーハッピーの連中が撃ち合うフィールドの端に寄せ、頭を抱えてじっと息を殺す。
 心の中で路地の向こうから来る足音を数える。
 足音がどんどん大きくなる。
――――そのまま来て!
 叫ぶように願うように祈る。
 頭を伏せる。
 その頭を両手で覆い隠して防御する。体の前面と右側面がコンクリで冷える。
 数秒後。
 悲鳴が連なる。
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