そして紫煙は香る

 2人とも頭部を破砕されて絶命する。
 立ち上がり、遮蔽の反対側から、コルト・ピースキーパーの女が潜んだ辺りに向かって走る。
 途中で、あの女が放り出したコルト・ピースキーパーを蹴り飛ばす。
 銃弾が襲い掛かる。
 特徴的な銃声。
 不規則な指切り連射。
 体を掠める。
 捲れるフライトジャケットの裾に2、3発命中し、孔を穿つ。
 肝を冷やされているのか、本当に気温が低くて寒いのか解らない。
 グロックG18cの女が美殊の弾倉交換の隙を窺いながら、遮蔽を伝う。
 ボタ山の如くそびえる廃材の遮蔽物はさすがに9mmパラベラムを貫通するに到らない。
 反撃の機会は訪れない。焦ると負ける。
 常に言い聞かせている言葉。
 あれほどの遣い手がラッキーパンチを狙って無為に銃弾をバラ撒くはずが無い。 
トリガーハッピーに憑りつかれる程、心が脆いとも思えない。
 それに戦闘力を大幅に削ったとはいえ、コルト・ピースキーパーの女も健在だ。
 右上腕部にまともに9mmパラベラムのフルメタルジャケットが命中したのだ、その腕では輪胴式のコルト・ピースキーパーは扱い辛いだろう。
 反動も片手で抑制するのは骨が折れる。利き手の骨は文字通り折れている。
 三下以上の働きをする恐れがあるので、コルト・ピースキーパーの女の所在も確認しなければならない。
 辺りは作業用の水銀灯や外灯で明るく照らされている。人影が長く伸びる。まともに光源を直視すれば目に焼きが残りそうだ。
 まだ銜えたままのバスコダガマ・オロ。火が消えて何分くらい経過しただろう。
 遮蔽に滑り込むと、モーゼル・パラベラムを腹のベルトに押し込み、もう少しで半分に到る長さのバスコダガマ・オロに軸長マッチで再着火する。
 ニコチンが沈着して少し味が変貌してしまったが、吸えない事は無い。
 逆にこの嫌味な苦さが、今は脳味噌に心地よい。
 吸い口をいつの間にか噛み縛っている。
 煙が立ち昇る状態で派手に走っていれば危ないところだ。ヘビーなニコチンを吸収しながら、全速力は循環器と呼吸器に悪影響を即座に及ぼして咳き込むだけではすまない。
 息が上がり、酸欠状態に陥り、立ちくらみ、頭痛、眩暈、吐き気を急激に覚えて行動不能になる恐れが有る。
 いつの間にか銜えていた葉巻にはそんな危険が有った。
 何故今夜に限って、無意識に銜えていたのか解らない。無意識だからこそ銜えていたのかもしれない。
「……ん?」
 葉巻の火種に目を向ける。
 赤々と燃える火種。
 口の端からもうもうと立ち昇る紫煙。
 風下にリップミラーを差し出して遮蔽越しに確認。
――――そりゃそうよね。
 風下からの追撃を感じた。実際に追跡されていた。
 戦闘区域は段々と小さくなっている。
 その中にグロックG18cの女と伏兵の三下。
 何段構えにも伏兵を潜伏させていたのだろう。
 この調子だと今頃は、この区域外を三下の軍団が囲い込んでいるかもしれない。
 自分の葉巻の煙と臭いが潜伏する遮蔽を相手に報せているのを今更ながらに知って苦笑い。
 暗ければ、この大きな火種は絶好の標的だったろう。
 そっと唇からバスコダガマ・オロを離し、遮蔽の廃材の隙間に挟み込む。
 1分以内に鎮火するその前に行動を起こす。


 葉巻の臭いを目印に犬のように追跡してきた、グロックG18cの女は目標が潜む遮蔽を大きく迂回して反対側へと向かっていた。
 真正面からは最後の伏兵の三下が囮になって釘付けにする算段だ。
 悪臭を放つ煙。
 確かにこの遮蔽の向こうから漂ってくる。
 廃材の鉄錆びや有機溶剤の廃液とは違う臭い。
「!」
「!」
 遮蔽を回り込み、アソセレススタンスでグロックG18cの女は葉巻の悪臭が漂う地点に躍り出て軽く一連射した。
 その場に居たのは自分が回り込ませた三下だった。
 慌てて引き金から指を離す。
 三下は真正面からのフルオート射撃に、気の抜けた顔でどさりと腰を抜かしてその場にへたり込んでしまう。
 一歩間違えれば現場指揮官に誤射で殺されていたのだ。
 指揮官に向かって罵声を浴びせる気も失うほどに驚いていた。
 余程の恐怖だったのか、小便でも漏らしたのか地面が大きく黒く濡れている。
「どこへ!?」
 グロックG18cの女は思わず口走る。
 銃口と一致する目を左右に大きく振る。
 シュッと何かを……紙か小さな木材片を擦るような音が聞こえた。
 その途端に先ほど、間違えて射殺しかけた男が青白い炎に包まれた。
 風が僅かな燐の臭いを運ぶ。
 遠い昔の臭い……それがマッチの臭いだと記憶が教えてくれた時、頭上から大きくはためく影が自分を覆い隠そうと『舞い降りてきた』。
 キャンバスシート! グロックG18cの女は頭上を見上げ、心で叫んだ。
 『これはブラフだ! あの女は別の場所に居る!』
 そう判断したグロックG18cの女は飛び退いた。
 キャンバスシートに向かって銃弾を叩き込むのは意味が無い。
 この場合のキャンバスシートは弾除けではない。
 多くの場合、視界を狭くする為の障害物として利用する物だ。
 2mほど一気に飛び退く。
 ジャリっとコンクリの地面を靴底が擦る。
「!」
 靴底から赤いオレンジ色を帯びた炎が……否、燐の臭いを吹き上げた火の山が一瞬だけ燃える。 
一瞬で燃え盛る。
――――削ったマッチ!
――――細かい擦り紙!
――――大鋸屑!
 視線を取られた。
 その間2秒にも満たない。
 またも頭上から覆い隠そうとするキャンバスシートの大きな影。
 反射神経が仇となる。
 またもバックステップ。
「! ……しまっ」
 その台詞を最後まで言えなかった。
 キャンバスシートの影に収まるまいと、素早く後退し、銃口を遮蔽の山の頂に向けた途端に視界が白く焼けた。
 水銀灯を直視してしまった。
 その白い輝きを背負うように、人の形を象った影を見た途端にグロックG18cの女の顔面は9mmパラベラムで砕かれて頚椎を骨折し、大の字に倒れた。
 右手の人差し指が瞬時の緊張で引き金を引き絞り、9mmパラベラムを全弾、撒き散らす。
 あたかも彼女の断末魔のように。
 美殊はゆらりと体の向きを変え、腰を抜かしたままの三下を睥睨して容赦なく引き金を引く。
 尻の下から昇る炎に驚いていた三下も思わず遮蔽の山を見上げていたのか、眩しそうに片目を瞑っていた。
 その三下は最期に美殊の姿を見る事が出来ただろうか?
 美殊はうずたかい遮蔽の山を降りた。
 7mの高さまでキャンバスシートを運んだわけではない。
 頂上に遮蔽をカバーするためにお情けのように掛けられていたキャンバスシートをアーミーナイフで切断して放り投げただけだ。
 三下を狙ったわけではないが、辺りに有機溶剤の廃液を撒き散らし、軸長マッチを放り投げた。
 グロックG18cの女の足元……コンクリの地面の辺りには軸長マッチを削った燐の火薬と、アーミーナイフのハサミで細かく切った擦り紙と埃が混じった大鋸屑を撒いていた。
 勢い良く踏みつけるなり、踏みつけて踵を擦るなりすれば簡単に火が点く。
 何れも目晦まし程度の火力だが、注意を存分に引いた。
 身体能力や反射神経が優れた人間ほど機敏に動く。
 考える前に体が反応する。
 その心理の一部を利用させてもらっただけだ。
「止めといたら?」
 遮蔽から降りた美殊は新しいバスコダガマ・オロを銜えたまま火を点けずに後ろの人物に向かって言い放つ。
 美殊の後ろ……10mの距離では、左手でコルト・ピースキーパーを握る女が立っている。
「…………」
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