そして紫煙は香る

 路地を脱出しようと、血路を開く思いで飛び出してきた後続の警護要員達が勢い余って鉄火場の真ん中に飛び出たばかりに、銃弾が集中して蜂の巣になる。
 悲鳴はマッチの火を吹き消すような効果をもたらす。
 あれほど勢いよく乱射を続けていた連中が突然、沈黙したのだ。
 『自分の銃弾が命中したことによる』ショック。当たるとは、当てるとは、当たってしまうとは、思わなかった自分の弾が命中し、目前で死体が出来上がってしまった。
 その光景は正に、冷水を浴びせて正気に戻らせた効果を発揮したのだ。
 頭を伏せたまま耳を欹てて気配を窺う。
 互いが気まずい雰囲気。
 何かに憑依されたかのように、乱射していた自分を恥じる者達。
 ゆっくりと踵を返して気配を消しつつ消え去ろうとする者もいる。
 同業者や警護要員たちが声を出して確認しあって合流し、一塊になってこの場をすごすごと去る。
 先ほどまであれほど敵味方関係なく無為に銃弾を浴びせていたとは思えない呆気ない幕切れだった。しかも最後にはお互いが軽く会釈したり苦笑いを交わしたりする。
 喜劇というよりも、コントを見ているような間抜けな空間。……その空間の真ん中で撃ち殺された、美殊の後ろに付いてきた警護要員たち。
 間抜けで滑稽で阿呆な雰囲気が残留する戦闘区域の後には誰も残らなかった。
 遠くでの銃撃戦も散発的になっている。
 寝そべったまま、頭を上げてあたりを見廻して危険な気配を察知しなくなるまで動かなかった。
 体が冷たいコンクリでどんどん体力が奪われていく。
 無性に熱燗と風呂吹き大根が恋しくなる。
 散発的な銃撃戦が鳴りを潜めるまで待つ。……死体が起き上がるようにして美殊は立ち上がる。
 辺りは暗い。
 ビクトリノックスのクロノグラフは午後7時を差していた。
 計算した末の逃走ではなかったが、この5分後には無事に撤収用のルートに就いて帰宅することが出来た。
 残念ながら、この時に得た情報は何も無い。
 唯、偶発的な銃撃戦の模様が音声で記録されていただけだった。
 銃撃戦が始まる直前、早々に撤退した情報収集要員たちの方が一番、得をしたと思われる。 
 帰宅して24時間後には、情報屋界隈のサイトでは早くも24時間前の銃撃戦が事件として纏められ、詳細の情報を売買したり更なる情報を求める為に情報収集要員を集めるレスも付く。
 死亡した情報収集要員や警護要員の情報までもが、情報として売買されているところを見ると、あの後、静かになった鉄火場でハイエナのように死体と傷と顔をあらためて、情報として売買していた同業者が居たのだろう。
 その頃には美殊は既にコンビニで買った関東炊きを焼酎のだし割りで腹に収めていた。
 負けてしまった仕事をいかに有効に活用するか考えながら、仕事用のノートパソコンの前でバスコダガマ・オロを銜えながら腕を組んでいた。
  ※ ※ ※
 ユキと何度目かの性的交渉。
 1日で何度も、だ。
 朝からダラダラとベッドで肌を重ねてゆっくりとヒートアップするのが2人にとっては定番だが、今日は気分を変えようと美殊が提案して、互いに衣服を纏ったままで室内のあらゆる場所で違った気分で愉しむ。
 互いに恋愛感情を抱いていないはずなのに、話が以心伝心で伝わってしまうのだから体の相性だけは恋人以上だったのだろう。
 洗面所で立ったまま。
 玄関で立ったまま。
 台所で立ったまま。
 意外と持ち技が少なく、立ったままでのプレイしか臨めなかったのは今後の課題とするところ。
 今は、2人は肩を寄せ合って、上気した頬でソファに深く座っている。
 互いの体重を預け合ってミネラルウォーターのペットボトルを呷る。 気だるい体。この気だるさを感じるために今日一日を費やしたといってもいい。
 一つの労働を終えた達成感に似た満足感が加味される。
 今日は少し奮発して、ユキを1日契約で借りているのだ。
 ユキも仕事だからプロとして働く、と意気込んで朝から玄関で濃厚な前技だけのキスから始めた。
 それからは互いが互いを貪るのではなく、室内で顔を合わせる度にフレンチキスから始まる、ディープでないプレイの応酬。
 まるで、その場限りの恋愛をダイジェストで経験しているような錯覚。
 マンションの室内にはあらゆる場所で女の匂いがした。
 性欲を発散したいだけの理由でユキを呼ぶのなら、ホテルを借りて存分に愉しむ。
 愛液や潮でシーツが汚れてもホテルのスタッフが片付けてくれるから面倒が無い。
 今日は性欲を思いっ切り発散したいのではなく、あくまで、違った雰囲気を愉しみたかっただけだ。
 純粋に不純。
 明日の朝までユキを借り切った。
 今はその小休止だ。時間がゆっくりと過ぎている。体感時間はゆっくりだ。……非常にゆっくり。
 動作の一つ一つがスローモーションのようにゆっくりと感じられる。足腰が重い。関節に軽い違和感。もう若くは無い。
 美殊は優れた身体能力を維持した女性であるが、35歳だ。
 ピークはとっくに過ぎた。20代前半のユキとは比較にならないほどにスタミナが無い。
 体の衰えを感じるには早い。
 体が衰えて、現場で情報収集要員として能力を発揮できなくなっても、今度は情報屋として働くのも悪くは無いと思っている。
 寧ろ、これからは裏の世界限定で職業安定所じみた、就職の斡旋を生業とする情報屋を開いても面白いと思っている。
 時間がゆっくりと流れる。
 日が高いうちから何度、軽い絶頂を感じたのか分からない。
 今は夕食を作るのも億劫だ。
 昼食まではまだ体力が有った。
 今はもう早く寝たい。
 それも楽しみだ。気が置けない誰かがベッドの隣で寝ている満足感。今から想像しても楽しい。
 酒が欲しい。
 そういえば今日は一日、葉巻を吸っていない。
 夕食はどうしようか?
 自堕落。一気に生活力を喪ったような脱力感。
 ユキはうつらうつらと舟を漕ぎ始める。
 今日はもう食べて寝よう。
 バスルームでソーププレイもいいな……と考えが及んだ辺りまで美殊の意識は有ったが、そこから先は静かにフェイドアウトした。
 知らぬ間に寝落ちしてしまい、起きたのが午前11時。
 昨日朝8時半からユキを自宅に『軟禁』して、全く意味の無い時間を過ごした。
 寝落ちから覚めた時には、ユキは既にシャワーを浴びた後で、美殊は思わず苦笑いを浮かべた。
  ※ ※ ※
 先日、ユキを24時間軟禁状態にして獣よりは上品なプレイを散々愉しんだ。
 それだけで癒されたのか、ここのところ、気分が晴れる。
 マンネリなプレイは矢張り良くないと自覚する。
 変化が必要だ。色即是空とも言う。
 変化の無いものは存在しない。
 自分から変化を求める心が発生するのも『変化』だろう。それが良いか悪いかは知らない。万事塞翁が馬とも言う。
 人生と世の中は何がどの様に転ぶか分からない。
 先のことが分かっていれば、人間は博打などというものに手を出さない。
 もう帰りたい。
 早くユキの胸に飛び込んで頭を撫でてもらいたい。
 いきなりの鉄火場に飛び込んでしまったあの夜の損失を挽回するために、またも無茶な情報収集に手を出した。
 山間部。吐息が白い。
 寒い。冷たい雨。
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