そして紫煙は香る
白雷美殊(はくらい みこと)がこの業界に入ったのは大した理由ではなかった。
強いて言うなら父親の跡継ぎだけでしかなかった。
父親はこの街の情報屋に顎で扱き使われる情報屋の情報収集要員でしかなく、そこそこの稼ぎしか弾き出していない。
それでも情報屋の総元締めとは古くから懇意の仲で大事にされている方だった。
情報屋は情報を売り買いする。
その情報を更に高い値段で売り買いする。
更に鮮度が求められる。
鮮度が落ちても有用な情報も存在するが、矢張り、値崩れが激しいので。鮮度の高い情報は高い値段で売り買いされる。
その情報を集める末端の構成員でしかないのが白雷美殊の父親だった。
集める情報は精度が高く、鮮度が高く、有用性が高い。一山幾らで売り捌いている情報の山でも、この街を何度も転覆させられるソースが盛られている事も多い。
ちやほやされる生活を何故か拒んだ父親は、街の情報屋に情報を売り捌いていたが、特別に取引している特定の情報屋は居ない。
情報屋の組合の実力者と仲が良かっただけで、特別な計らいは無かった。
情報屋の情報屋。
こう表現すれば、最先端の最前線で最新鋭の機器と伝を用いて情報を集める凄腕のように思えるが、実際はもっと泥臭く、きな臭く、煙臭い世界の住人だ。
情報を集める為だけに鉄火場に乗り込んで撮影や録画や筆記を行い、リアルタイムで情報屋に中継し、その情報はネット経由でオークションに似た形式で売買される。
最終的にどのような方式で自分が集めた情報が売買されるのかは父親は知ってはいない……はずだ。
少なくとも本人は情報屋の端末として働く事だけに価値を見出していた。
どこの世界にも職人気質な旧い世代の人間は存在するが、その中の1人が白雷美殊の父親だった。
そんな職人気質の父親が安い報酬ながらも多用された理由は、正にそこにある。
誰かが危険を犯して鉄火場や取引現場や潜入を行わなければならない高い労力を発揮する必要がある。
若手の情報屋は気が急いて、鮮度の高い情報を求めて何かと自ら危険な場所に赴く父親を頼った。
情報屋は、誰も自ら情報の収集要員を希望しないのだ。
探偵がバイト感覚で情報を横流ししてくれるが、それだけでは情報屋は生活できない。
もっとアクティブに情報を集める『使える駒』が必要だった。需要と供給の図式が成り立つはずだというのに、危険を忌避して自分から情報収集専門の情報屋に志願する若手が居ない。
なのに報酬は雀の涙。
故に父親は、多数の情報屋に多数の方向の情報を販売していた。
そう。『販売』なのだ。
父親にも古株の威厳がある。
末端で働く自分が居なければ、この世界は上手く廻らないという思い込みが必要だった。
だから少しばかりの上から目線で『販売』と宣う。
『取引』でも『納品』でもない。
『販売』なのだ。
一口当たりは雀の涙の報酬。然し、その一口が何十にも及べば大した額になる。
顎で扱き使っていると思っているのは、依頼を出す情報屋だけで実際は薄利多売で儲けていたのが、強かな父親。
白雷美殊はその父親の跡を継いだ。屋号も何も無い。
父親が残したフィーチャーホンのアドレスを全て、スマートフォンに吸い出して顧客を引き継いだだけだ。
美殊は最初は継ぐ気は無かった。父親に敬意も何も無かった。
しかし、自分が社会に出る前の段階で、世間に対して自分が何を出来るのか、何を為せるのか、何で過ごせるのかを全くビジョンとして捉えることも描くことも出来なかった。
成り行きで父親の跡を継いだ。
父親は家族には自分の職業と職掌をオープンにしていた。
後ろ暗い世界の住人でありながら、自分の身分を家族に偽らないクズっぷりは賞賛に値する。
今では両親は早々に溜め込んだ金を持って、南の島で終の棲家探しの旅を満喫している。美殊の2つ離れた弟はヤクザな父親の姿を視ていた所為か、ヤクザ以上のヤクザにならなければ自分の身が危ないとでも踏んだのか、高校を卒業すると同時に、地方の暴力団の傘下に収まりその筋では『調停屋』と呼ばれるほどに口八丁手八丁で和解案を提出する参謀として名を馳せている。
今のところ、弟の安否は問題無い。
どんなに離れていても、美殊が情報屋界隈で仕事をしている限り、弟の噂は風が運んでくれる。
白雷美殊。35歳。
情報屋の末端の端末として旗揚げして既に20年が経過した。
中学卒業と同時に父親の跡を継ぐべく、暫くは父親の背中を見て仕事の相棒として働いた。
頃合を見計らって、勝手に夜逃げして1人で生計を立てる予定だったが、二十歳になった時に父親より古ぼけたフィーチャーフォンを受け取った。
この時代遅れの影を見せる携帯電話が何を物語っているのか、一瞬で理解した。
この携帯電話の中には値千金と比較できるアドレスが詰まっている。その携帯電話を手に取った瞬間、皮肉にも美殊の生きるべき世界の、こうあるべき自分の姿が視得た。
携帯電話を受け取った次の日の朝には自宅に両親は居なかった。
夜逃げされたのは美殊の方だった。
全ての家財道具を置いて、表の世界の預金通帳も置いて、洗濯物も干したままで、鍋には昨夜の残り物がそのままの状態で両親は消えた。
だからと言って意気消沈として、悲嘆や絶望に暮れる美殊ではなかった。
あの父親がどこかで野垂れ死にしようが、殺されようが元から興味が無かった。その頃には父とは、職業訓練所の教官程度の認識だった。
この業界に飛び込んで数年後に、自分の家族が名前を変えて健在で息災だという噂を小耳に挟んでも、特に感動は無かった。
寧ろ、そんな遠くに離れていても手に取るように情報が流入する自分の棲む世界に驚きと、興味を益々隠せなくなり、父親以上に情報屋の使いっ走りの顔をして東奔西走、南船北馬と駆けずり回るモチベーションとなった。
この業界に身を置いている限り、全ての人間がガラスの家で住んでいるように丸裸に見えるのだ。それはささやかな優越感だった。
その白雷美殊という女性は、今日も今日とて日陰の世界を伝いながら情報を集める。
情報を収集する機材はレンタル。
機材なら……武器以外なら何でもござれの『レンタル屋』を使えば機材用の倉庫を確保する必要も無い。
『レンタル屋』というのは文字通り、機材をレンタルさせて収益を得るのだが、それ以上に『機材を破損して欲しい』連中だ。
機材に法外な保険をかけているのだ。法外。勿論、表の世界で言うところの善良な保険業者ではない。
アンダーグラウンドの世界にも保険屋は居る。
そうやって裏の世界も表の世界と同様に滞りなく3次産業以降の産業も成立している。
機材を破損して欲しいとは言うものの、実際に破損させれば示談屋と弁護士崩れが乗り込んで示談金を巻き上げられる。
この示談屋と弁護士崩れもワンセットで『レンタル屋』の職掌だ。
人が居て職が有るのなら、世界は循環する。生き馬の目を抜くしがらみは人間が居る限り不滅だ。
美殊は主にスマートフォンで情報を集めてその場でデータを送信する。
鮮度が優先される情報はこのようにして情報屋のパソコンに送信されて、即座にオークションじみた形式で売買が執り行われる。
送信するデータは画像や音声や動画。時には筆記、テキスト。情報屋同士の情報の遣り取りや情報屋が情報を、その他の職業に売買する時は『伝達屋』と呼ばれるメッセンジャーボーイを雇うことも多い。
強いて言うなら父親の跡継ぎだけでしかなかった。
父親はこの街の情報屋に顎で扱き使われる情報屋の情報収集要員でしかなく、そこそこの稼ぎしか弾き出していない。
それでも情報屋の総元締めとは古くから懇意の仲で大事にされている方だった。
情報屋は情報を売り買いする。
その情報を更に高い値段で売り買いする。
更に鮮度が求められる。
鮮度が落ちても有用な情報も存在するが、矢張り、値崩れが激しいので。鮮度の高い情報は高い値段で売り買いされる。
その情報を集める末端の構成員でしかないのが白雷美殊の父親だった。
集める情報は精度が高く、鮮度が高く、有用性が高い。一山幾らで売り捌いている情報の山でも、この街を何度も転覆させられるソースが盛られている事も多い。
ちやほやされる生活を何故か拒んだ父親は、街の情報屋に情報を売り捌いていたが、特別に取引している特定の情報屋は居ない。
情報屋の組合の実力者と仲が良かっただけで、特別な計らいは無かった。
情報屋の情報屋。
こう表現すれば、最先端の最前線で最新鋭の機器と伝を用いて情報を集める凄腕のように思えるが、実際はもっと泥臭く、きな臭く、煙臭い世界の住人だ。
情報を集める為だけに鉄火場に乗り込んで撮影や録画や筆記を行い、リアルタイムで情報屋に中継し、その情報はネット経由でオークションに似た形式で売買される。
最終的にどのような方式で自分が集めた情報が売買されるのかは父親は知ってはいない……はずだ。
少なくとも本人は情報屋の端末として働く事だけに価値を見出していた。
どこの世界にも職人気質な旧い世代の人間は存在するが、その中の1人が白雷美殊の父親だった。
そんな職人気質の父親が安い報酬ながらも多用された理由は、正にそこにある。
誰かが危険を犯して鉄火場や取引現場や潜入を行わなければならない高い労力を発揮する必要がある。
若手の情報屋は気が急いて、鮮度の高い情報を求めて何かと自ら危険な場所に赴く父親を頼った。
情報屋は、誰も自ら情報の収集要員を希望しないのだ。
探偵がバイト感覚で情報を横流ししてくれるが、それだけでは情報屋は生活できない。
もっとアクティブに情報を集める『使える駒』が必要だった。需要と供給の図式が成り立つはずだというのに、危険を忌避して自分から情報収集専門の情報屋に志願する若手が居ない。
なのに報酬は雀の涙。
故に父親は、多数の情報屋に多数の方向の情報を販売していた。
そう。『販売』なのだ。
父親にも古株の威厳がある。
末端で働く自分が居なければ、この世界は上手く廻らないという思い込みが必要だった。
だから少しばかりの上から目線で『販売』と宣う。
『取引』でも『納品』でもない。
『販売』なのだ。
一口当たりは雀の涙の報酬。然し、その一口が何十にも及べば大した額になる。
顎で扱き使っていると思っているのは、依頼を出す情報屋だけで実際は薄利多売で儲けていたのが、強かな父親。
白雷美殊はその父親の跡を継いだ。屋号も何も無い。
父親が残したフィーチャーホンのアドレスを全て、スマートフォンに吸い出して顧客を引き継いだだけだ。
美殊は最初は継ぐ気は無かった。父親に敬意も何も無かった。
しかし、自分が社会に出る前の段階で、世間に対して自分が何を出来るのか、何を為せるのか、何で過ごせるのかを全くビジョンとして捉えることも描くことも出来なかった。
成り行きで父親の跡を継いだ。
父親は家族には自分の職業と職掌をオープンにしていた。
後ろ暗い世界の住人でありながら、自分の身分を家族に偽らないクズっぷりは賞賛に値する。
今では両親は早々に溜め込んだ金を持って、南の島で終の棲家探しの旅を満喫している。美殊の2つ離れた弟はヤクザな父親の姿を視ていた所為か、ヤクザ以上のヤクザにならなければ自分の身が危ないとでも踏んだのか、高校を卒業すると同時に、地方の暴力団の傘下に収まりその筋では『調停屋』と呼ばれるほどに口八丁手八丁で和解案を提出する参謀として名を馳せている。
今のところ、弟の安否は問題無い。
どんなに離れていても、美殊が情報屋界隈で仕事をしている限り、弟の噂は風が運んでくれる。
白雷美殊。35歳。
情報屋の末端の端末として旗揚げして既に20年が経過した。
中学卒業と同時に父親の跡を継ぐべく、暫くは父親の背中を見て仕事の相棒として働いた。
頃合を見計らって、勝手に夜逃げして1人で生計を立てる予定だったが、二十歳になった時に父親より古ぼけたフィーチャーフォンを受け取った。
この時代遅れの影を見せる携帯電話が何を物語っているのか、一瞬で理解した。
この携帯電話の中には値千金と比較できるアドレスが詰まっている。その携帯電話を手に取った瞬間、皮肉にも美殊の生きるべき世界の、こうあるべき自分の姿が視得た。
携帯電話を受け取った次の日の朝には自宅に両親は居なかった。
夜逃げされたのは美殊の方だった。
全ての家財道具を置いて、表の世界の預金通帳も置いて、洗濯物も干したままで、鍋には昨夜の残り物がそのままの状態で両親は消えた。
だからと言って意気消沈として、悲嘆や絶望に暮れる美殊ではなかった。
あの父親がどこかで野垂れ死にしようが、殺されようが元から興味が無かった。その頃には父とは、職業訓練所の教官程度の認識だった。
この業界に飛び込んで数年後に、自分の家族が名前を変えて健在で息災だという噂を小耳に挟んでも、特に感動は無かった。
寧ろ、そんな遠くに離れていても手に取るように情報が流入する自分の棲む世界に驚きと、興味を益々隠せなくなり、父親以上に情報屋の使いっ走りの顔をして東奔西走、南船北馬と駆けずり回るモチベーションとなった。
この業界に身を置いている限り、全ての人間がガラスの家で住んでいるように丸裸に見えるのだ。それはささやかな優越感だった。
その白雷美殊という女性は、今日も今日とて日陰の世界を伝いながら情報を集める。
情報を収集する機材はレンタル。
機材なら……武器以外なら何でもござれの『レンタル屋』を使えば機材用の倉庫を確保する必要も無い。
『レンタル屋』というのは文字通り、機材をレンタルさせて収益を得るのだが、それ以上に『機材を破損して欲しい』連中だ。
機材に法外な保険をかけているのだ。法外。勿論、表の世界で言うところの善良な保険業者ではない。
アンダーグラウンドの世界にも保険屋は居る。
そうやって裏の世界も表の世界と同様に滞りなく3次産業以降の産業も成立している。
機材を破損して欲しいとは言うものの、実際に破損させれば示談屋と弁護士崩れが乗り込んで示談金を巻き上げられる。
この示談屋と弁護士崩れもワンセットで『レンタル屋』の職掌だ。
人が居て職が有るのなら、世界は循環する。生き馬の目を抜くしがらみは人間が居る限り不滅だ。
美殊は主にスマートフォンで情報を集めてその場でデータを送信する。
鮮度が優先される情報はこのようにして情報屋のパソコンに送信されて、即座にオークションじみた形式で売買が執り行われる。
送信するデータは画像や音声や動画。時には筆記、テキスト。情報屋同士の情報の遣り取りや情報屋が情報を、その他の職業に売買する時は『伝達屋』と呼ばれるメッセンジャーボーイを雇うことも多い。
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