咲かない華
温子は男に向かって頷く。
今頃になってパルタガス・セリークラブの香りが恋しくなった。
早く仕事を片付けて帰投する理由が増えた。
トラックが停止。
紙巻煙草を荷台に捨てて爪先で蹂躙した男が、慎重に外を窺う。
異常は見当たらないらしく温子を手招きする。温子の脳内ではトラックの停車したポイントが表示されている。
トラックを降車して徒歩5分以内の場所に襲撃地点が有る。
目標の古いだけの鉛筆ビル。辺りは閑散としている。この辺りは、今時流行らない地上げで買い取った店舗付きの土地ばかりだが、買い上げて売り捌く相手が撤退したので、手持ち無沙汰に宙に浮いている。
足元を見られて二束三文で売るのも癪に障るので、役所には商業利用目的で申請している。
書類上、まだ着手していないという体を見せている。
なるほど。自分の街を離れればどこもかしこも群雄割拠が続いているのだと思い知らされる。
温子が今の街に住み着いたのも、安定しているからという理由が大きい。
無法者や風来坊に仕事が廻ってこない街はいい街だ。
左脇と右腰に久しい重量感を覚えてトラックを降りる。
午後11時。
不況と地上げでシャッター街と化した商店街。
小走りを開始。
目標の鉛筆ビルが目に入る。
シャッターの下りた店舗の真ん中に在る。
嘗てはこの商店街の商工会議所が入っていたらしい。
光源が乏しい。目撃者の心配は無い。繁華街から離れている……それもこの商店街が廃れた原因だろう。
右手を左脇に滑り込ませる。
鉛筆ビル1階の奥にある一番広いテナント。今夜はただの鉄砲玉。
そして鉄砲玉として、都合よく利用されてきた生き方を棄てたはずなのに、またも鉄砲玉として相棒を懐に呑んでいる。
良乃は何と言うだろう。
思い切って過去を話せば、全てを受け入れてくれるかもしれない。
都合よく、理解の念を示してくれるかもしれない。
良乃の性格からすれば、頭ごなしに否定するなんて事は無い。……だからこそ頭ごなしに否定されるかもしれない言葉が怖い。
あらゆる雑念が脳内を渦巻く。
仕事を直前にしてこのようなメンタルでは先が思いやられる。これを払拭させる儀式として、いつものシガリロが恋しかった。
鉛筆ビル。正式名称は他に有るが今は大した意味を為さない。
奥まった部屋。入り口の管理人室には誰も居ない。
仕留めるのは6人。
6人、絶対に居る。
6人以上の可能性も有り。それ以下の可能性は低い。
表向きは寂れた組事務所で、箸にも棒にも掛からない末端組織だが、実際は武器庫と呼ばれる重要拠点だ。
武器庫とは2挺以上の銃火器が隠された組織の建物を差すが、今ではその定義も怪しくなっている。
ヤクザ個人が拳銃を複数、携行するのも珍しくない時代だ。自分からしてコルト・パイソンを2挺もぶら下げている。
リハビリには丁度いい仕事だった。
たった1人でカチ込んで、全員を無力化させる仕事などは日常茶飯事だった。
見せしめのために全員の頭を金属バットで叩き割れというオーダーを受けた事も有った。
ひょろりと細長い鉛筆ビルのテナントで待機しているのは、不寝番。全員が三下だが、漏れなく武装していると考える。
8インチのコルト・パイソンをずるりと抜く。
左脇から長い刀を引きずり出すの似たモーション。
鉛筆ビルの正面出口から踏み込む。
廊下から奥のテナントまで廊下が蛍光灯で照らされる。
目前に給湯室。右手側にトイレへ続く角。背後に管理人室。管理人室は電灯が消えていた。防犯カメラもセキュリティに関する設備も無い。
標的は6人以上。
脳内に展開したこのビルの、このフロアの図面では6人が限度だった。
それ以上の人数が寄るとなると可也窮屈だ。パーティを開くなら別の場所を使うだろう。
今日はなんでもない普通の日。普通の夜。
だからこそ襲撃に意味が有る。
クライアントは知らない。
水山が手配した依頼をこなすだけ。
目標の部屋の前に立つ。さあ、仕事だ。
右手にだらりと提げた8インチのコルト・パイソンの撃鉄を親指でカチリと起こす。
シリンダーが6分の1回転。
サイティングは微妙。まだ微調整は済んでいない。
今夜は絶好のサイティング日和だ。
狭い室内。室内の対角線は最大で直線距離17m。
感覚だけで当てられる距離。
その経験を活かす為に、改めて水山にサイティングの機会を貰うとする。
呼吸を整える。
目前の合板のドア。直ぐに潰れる弾頭で有名なシルバーチップホローポイントでも貫通できるほどに、脆いドア。
「…………」
左手を走らせる。
右腰から手首を返しながら2.55インチのコルト・パイソンを引き抜き、無造作に60cmの距離から、ドアの蝶番2箇所とドアノブに2発ずつ叩き込む。
357マグナムの初速で押し出されるスネークショットだ。安普請のドアは激しく撓んで、室内側に倒れかける。
いきなりの轟音の連続に肝を冷やされたのか、室内からの反撃はなかった。
左手首の反動に10年ぶりの感慨に浸っている暇は無かった。
6発のダブルアクションでの発砲。
短い銃身からの発砲ゆえに反動で大きく暴れる。
強靭な腕力だけでは抑えきれない。地面を踏ん張る足の裏から、足首、膝、股関節、腰、背筋と背筋、肩と腕の関節、腕から指先にかけての全ての筋骨を動員しなければこの反動を押さえ込むのは難しい。
それを一瞬で思い出し、一瞬で実行した。
2.5インチという極端に短い銃身から伸びた銃火がドアを舐める。その頃には既に3箇所の破壊箇所は脆くも穴だらけになっており、足で蹴破るだけで、簡単にドアが役目を果たせなくなっていた。
弾切れの2.5インチ銃身のコルト・パイソンを右腰に戻しながら、右足を軸足にして左足の膝蹴りでドアを蹴破り、サファリジャケットの裾を翻して、室内に踊り込んでいた。
この間、僅か数秒……ドアの前に立ち、急遽、右腰のホルスターから抜き、蝶番とドアノブを破壊して室内に転がり込むまでに数秒間。
強襲を掛ける時は持ちうる最大の火力で一気に制圧する。
それに限る。それを思い出した。
室内に踊り込むや、慌てふためく目前の安物のジャケットを着た2人の男を、右手で待機させていた8インチのコルト・パイソンで無造作に撃ち殺す。
ハエに向かって殺虫剤のスプレーを向けるような慈悲の無さだった。
右手だけで制御する8インチの重さ。引き金の重さ。
この重さ全てが人の命の重さだと改めて思い出す。
間違いなく自分は鉄火場に戻ってきた。
今度は自分が生き残るためではなく、大切な人を守るために大切な人を傷つけないように、大切な人に嘘をついて、この汚い命の遣り取りの現場に舞い戻ってきた。
知らなければいい世界。
知ってしまったからには戻れない世界。
知らなくとも生きていける世界。
そんな世界でしか生きて行けないと信じていたあの日々。
2発の357マグナムの銃声が空気を震わせる。
2.5インチの迫力に満ちた銃声とはまた違う。
8インチは腹にくぐもる迫力を帯びている。
耳を劈く。
2.5インチ銃身での発砲が四方八方へと暴れる爆発音なら、8インチ銃身は一方向へ鋭く突き進む勢いを持つ爆音だった。
反動も違う。
反動の大きさには差異は見つけられない。
それを押さえ込みやすいか否かだけだ。
これらは必ずしもイコールではない。発生するエネルギーが同じで、反動に差異が有るから押さえ込みやすいか否かは直結しない。
今頃になってパルタガス・セリークラブの香りが恋しくなった。
早く仕事を片付けて帰投する理由が増えた。
トラックが停止。
紙巻煙草を荷台に捨てて爪先で蹂躙した男が、慎重に外を窺う。
異常は見当たらないらしく温子を手招きする。温子の脳内ではトラックの停車したポイントが表示されている。
トラックを降車して徒歩5分以内の場所に襲撃地点が有る。
目標の古いだけの鉛筆ビル。辺りは閑散としている。この辺りは、今時流行らない地上げで買い取った店舗付きの土地ばかりだが、買い上げて売り捌く相手が撤退したので、手持ち無沙汰に宙に浮いている。
足元を見られて二束三文で売るのも癪に障るので、役所には商業利用目的で申請している。
書類上、まだ着手していないという体を見せている。
なるほど。自分の街を離れればどこもかしこも群雄割拠が続いているのだと思い知らされる。
温子が今の街に住み着いたのも、安定しているからという理由が大きい。
無法者や風来坊に仕事が廻ってこない街はいい街だ。
左脇と右腰に久しい重量感を覚えてトラックを降りる。
午後11時。
不況と地上げでシャッター街と化した商店街。
小走りを開始。
目標の鉛筆ビルが目に入る。
シャッターの下りた店舗の真ん中に在る。
嘗てはこの商店街の商工会議所が入っていたらしい。
光源が乏しい。目撃者の心配は無い。繁華街から離れている……それもこの商店街が廃れた原因だろう。
右手を左脇に滑り込ませる。
鉛筆ビル1階の奥にある一番広いテナント。今夜はただの鉄砲玉。
そして鉄砲玉として、都合よく利用されてきた生き方を棄てたはずなのに、またも鉄砲玉として相棒を懐に呑んでいる。
良乃は何と言うだろう。
思い切って過去を話せば、全てを受け入れてくれるかもしれない。
都合よく、理解の念を示してくれるかもしれない。
良乃の性格からすれば、頭ごなしに否定するなんて事は無い。……だからこそ頭ごなしに否定されるかもしれない言葉が怖い。
あらゆる雑念が脳内を渦巻く。
仕事を直前にしてこのようなメンタルでは先が思いやられる。これを払拭させる儀式として、いつものシガリロが恋しかった。
鉛筆ビル。正式名称は他に有るが今は大した意味を為さない。
奥まった部屋。入り口の管理人室には誰も居ない。
仕留めるのは6人。
6人、絶対に居る。
6人以上の可能性も有り。それ以下の可能性は低い。
表向きは寂れた組事務所で、箸にも棒にも掛からない末端組織だが、実際は武器庫と呼ばれる重要拠点だ。
武器庫とは2挺以上の銃火器が隠された組織の建物を差すが、今ではその定義も怪しくなっている。
ヤクザ個人が拳銃を複数、携行するのも珍しくない時代だ。自分からしてコルト・パイソンを2挺もぶら下げている。
リハビリには丁度いい仕事だった。
たった1人でカチ込んで、全員を無力化させる仕事などは日常茶飯事だった。
見せしめのために全員の頭を金属バットで叩き割れというオーダーを受けた事も有った。
ひょろりと細長い鉛筆ビルのテナントで待機しているのは、不寝番。全員が三下だが、漏れなく武装していると考える。
8インチのコルト・パイソンをずるりと抜く。
左脇から長い刀を引きずり出すの似たモーション。
鉛筆ビルの正面出口から踏み込む。
廊下から奥のテナントまで廊下が蛍光灯で照らされる。
目前に給湯室。右手側にトイレへ続く角。背後に管理人室。管理人室は電灯が消えていた。防犯カメラもセキュリティに関する設備も無い。
標的は6人以上。
脳内に展開したこのビルの、このフロアの図面では6人が限度だった。
それ以上の人数が寄るとなると可也窮屈だ。パーティを開くなら別の場所を使うだろう。
今日はなんでもない普通の日。普通の夜。
だからこそ襲撃に意味が有る。
クライアントは知らない。
水山が手配した依頼をこなすだけ。
目標の部屋の前に立つ。さあ、仕事だ。
右手にだらりと提げた8インチのコルト・パイソンの撃鉄を親指でカチリと起こす。
シリンダーが6分の1回転。
サイティングは微妙。まだ微調整は済んでいない。
今夜は絶好のサイティング日和だ。
狭い室内。室内の対角線は最大で直線距離17m。
感覚だけで当てられる距離。
その経験を活かす為に、改めて水山にサイティングの機会を貰うとする。
呼吸を整える。
目前の合板のドア。直ぐに潰れる弾頭で有名なシルバーチップホローポイントでも貫通できるほどに、脆いドア。
「…………」
左手を走らせる。
右腰から手首を返しながら2.55インチのコルト・パイソンを引き抜き、無造作に60cmの距離から、ドアの蝶番2箇所とドアノブに2発ずつ叩き込む。
357マグナムの初速で押し出されるスネークショットだ。安普請のドアは激しく撓んで、室内側に倒れかける。
いきなりの轟音の連続に肝を冷やされたのか、室内からの反撃はなかった。
左手首の反動に10年ぶりの感慨に浸っている暇は無かった。
6発のダブルアクションでの発砲。
短い銃身からの発砲ゆえに反動で大きく暴れる。
強靭な腕力だけでは抑えきれない。地面を踏ん張る足の裏から、足首、膝、股関節、腰、背筋と背筋、肩と腕の関節、腕から指先にかけての全ての筋骨を動員しなければこの反動を押さえ込むのは難しい。
それを一瞬で思い出し、一瞬で実行した。
2.5インチという極端に短い銃身から伸びた銃火がドアを舐める。その頃には既に3箇所の破壊箇所は脆くも穴だらけになっており、足で蹴破るだけで、簡単にドアが役目を果たせなくなっていた。
弾切れの2.5インチ銃身のコルト・パイソンを右腰に戻しながら、右足を軸足にして左足の膝蹴りでドアを蹴破り、サファリジャケットの裾を翻して、室内に踊り込んでいた。
この間、僅か数秒……ドアの前に立ち、急遽、右腰のホルスターから抜き、蝶番とドアノブを破壊して室内に転がり込むまでに数秒間。
強襲を掛ける時は持ちうる最大の火力で一気に制圧する。
それに限る。それを思い出した。
室内に踊り込むや、慌てふためく目前の安物のジャケットを着た2人の男を、右手で待機させていた8インチのコルト・パイソンで無造作に撃ち殺す。
ハエに向かって殺虫剤のスプレーを向けるような慈悲の無さだった。
右手だけで制御する8インチの重さ。引き金の重さ。
この重さ全てが人の命の重さだと改めて思い出す。
間違いなく自分は鉄火場に戻ってきた。
今度は自分が生き残るためではなく、大切な人を守るために大切な人を傷つけないように、大切な人に嘘をついて、この汚い命の遣り取りの現場に舞い戻ってきた。
知らなければいい世界。
知ってしまったからには戻れない世界。
知らなくとも生きていける世界。
そんな世界でしか生きて行けないと信じていたあの日々。
2発の357マグナムの銃声が空気を震わせる。
2.5インチの迫力に満ちた銃声とはまた違う。
8インチは腹にくぐもる迫力を帯びている。
耳を劈く。
2.5インチ銃身での発砲が四方八方へと暴れる爆発音なら、8インチ銃身は一方向へ鋭く突き進む勢いを持つ爆音だった。
反動も違う。
反動の大きさには差異は見つけられない。
それを押さえ込みやすいか否かだけだ。
これらは必ずしもイコールではない。発生するエネルギーが同じで、反動に差異が有るから押さえ込みやすいか否かは直結しない。