証明不可のⅩ=1

 薬室に1発。弾倉に6発。
 詩織は土壇場でなければフルロードは行わない。
 薬室に常に実包を装填したままセフティをかけて持ち歩くのがストレスに感じるからだ。
 どんなに信頼性の高いセフティに守られた拳銃であっても、発砲の直前まで薬室は空にしておきたい。
 輪胴式なら引き金を引くまでは安全だと言われるが、再装填のロスは少ない方がいい。
 そして9mmショートのエネルギーは欲しい。
 9mmショートを用いる複列弾倉の拳銃では、彼女の掌には合わない物が多い。
 有ったとしても、予想通りに重く嵩張り、肉体的負担が大きい。
 つまるところ、彼女の趣味性を加味して、普段は安全に携行できて必要とあらば直ぐに撃発できて、標的が近くて、狙う必要が無い状況が多いのなら、消去法でFN M1910しか今のところ、無い。
 何より、中古でも上々なコンディションのモデルがいつでも手に入る。
 弾薬もアクセサリーも目を剥くような値段ではない。難易度で言えば、街角でドライシガーを購入するよりも簡単に手に入る。
 6階。
 踊り場から見上げてFN M1910をアソセレススタンスで構えて階段を静かに昇る。
 足音を出来るだけ殺す。
 先ほど、ミネラルウオーターで冷やした胸元がエアコンの風に当てられて涼しい。
 体温が急激に上昇し始めるのを感じる。
 6階手前の部屋。目前3m。
 この部屋の……テナントビル全体の見取り図が自然と脳裏に浮かぶ。
 柱や非常階段や消火器の位置、スプリンクラーの配管まで事細かに描かれる。
 ゆかりの情報が正しければ、目前のドアの向こうに5人の構成員が居る。
 25平米ほどの事務室然とした部屋のはず。
 その5人を無力化させて代紋を奪う。
 ここのヤクザの敵対組織による明らかな挑発行為。
 都合のいい使い捨ての鉄砲玉として、自分はここに来た。
 それに文句は無い。
 命の安売りで生計を立てている。
 命の安売りに値打ちを見つけてしまった馬鹿者だ。
 ドア。
 マホガニの木製のドア。恐らく合板。縁はアルミ。
 蹴破ったり蝶番を9mmショートで破壊するのは難しい。
 スマートに強襲をかける。
 キャスケットを頭に押さえつけ、マスクの位置を直し、伊達眼鏡のフレームを正す為に押す。そして左手でドアノブに手をかけて大きく深呼吸。
――――いつもの仕事よ。
 心の中で自分に語りかける。
 ドアノブが放たれる。
 一気に部屋の中へ転がり込む。
 一回転だけの短い前転。
 すっくと立ち上がりながら、回転の最中に確認した人員の配置。
 回転する世界から立ち上がると、右手側に立つ1人の男に向かって発砲。
 呆気に取られた顔を貼り付けたまま、喉仏に9mmの弾頭を受け、首を後方に折りながら垂直に沈む。
 その男との距離は2m。壁際のウォーターサーバーで水を入れようとしていた。
 部屋の中で殺気が湧き上がる。情報どおりに5人の構成員が居た。今し方、1人を屠った。
 無造作に伸ばした右手を体に引き寄せる。
 両腋をしっかり締め、両手でFN M1910を保持。やや肩をいからせた小さな猫背を作る。
 両足は確実に床を踏みしめ、自分の体が砲塔に変化した姿をイメージする。
 頼り無いサイト。
 そのサイトを視線の直線に合わせる。片目は閉じない。
 上半身を捻って腰を背筋腹筋の力で制御し、銃口の前に立つ人影を顔も確認せずに撃つ。
 2発。9mmショートの弾頭が4m向こうのスチールデスクで、引き出しを漁っていた男の顔面と胸部に吸い込まれる。
 残り3人。
 気配を察知。移動する標的。
 この場に居る全員が移動を素早く始める。
 拳銃のコッキングが聞こえる。自動拳銃。……おそらく3挺。
 視界の端や正面で、夏物のスラックスを穿いた男達がろくな構えも見せずに、こちらに銃口を定めるのが気配で解る。
 移動。大きなアクションで移動しない。
 右へ左へと2、3歩の小さな移動を繰り返し、自分が良いカモにならないように上級者向けの動体標的のような感覚で部屋の壁沿いを走る。
 背中は壁に任せる。
 左右と正面に神経を尖らせる。
 既に構成員の反撃が始まっていた。
 銃声が遠くに聞こえる。
 現実感を伴わない派手な銃声。
 喉が渇きだす。
 視界が狭窄する、一歩手前で引き金を2回引く。
 左手側に位置を取っていた男の腹部と胸部に命中。
 残りの2人は何かを汚く罵っているが、その内容が自分を指しているとは思えなかった。この場で居るのは、自分ではない誰かのような遊離感が酷い。
 自分を見失いそうな意識。
 だけど……掌と指先が覚えている。
 残弾は2発だと。
 正面8mの位置にある大型の木製デスクの陰から男が首を出し、拳銃を乱射している。
 未だに途切れない細かな移動が、サイティングを難しくさせ、その銃弾をあたかも避けるように躱す。
 背後の壁に9mmパラベラムと思しき弾痕が幾つも拵えられて細かな粉塵を撒き散らす。
 銃声が脳内を攪拌する。
 2発の短い連射。正面に2発。
 右手側の男……右手斜め前方に位置する男は、スチールデスクの下に潜り込んで銃撃を止めている。
 携帯電話で増援を要請しているのだろう。
 FN M1910は全弾撃ち尽くしてもスライドが後退して停止しない。
 外見から残弾の確認が難しいのが欠点の一つだが、このオリジナルが作られた時代では、残弾ゼロでスライドが後退したまま停止する機構を備えた拳銃は希少だ。
 掌の感覚が既に悟る。残弾はゼロだと。
 左手が左腰の後ろから新しい弾倉を引き抜き、コンチネンタル型マガジンキャッチを新しい弾倉の角で押し、右手のスナップで空弾倉を落とし、そのモーションが還るまでに新しい弾倉が叩き込まれる。
 流れるような手つきで、左手の小指薬指と掌がFN M1910のスライド後端を引き絞り、実包を薬室に装填する。
 目の前で自動拳銃の乱射を繰り返していた、木製デスクの陰の男に構わず、右斜め前方に向けてうつ伏せに倒れ、床からスチールデスクの僅かな隙間から見えている、携帯電話に向かって喚き散らしている男の膝頭を1発で撃つ。
 犬を縊り殺したような呻き声を挙げ、その男が携帯電話を落としてスチールデスクの脚から頭を覘かせた。瞬間、側頭部に1発叩き込んだ。 薄い側頭部の骨が嫌な音を立ててへしゃげるような感触が両掌の内側に広がった。
 自分があの男の頭部を握りつぶしたような嫌なイメージ。
 一層、鉄錆び臭くなる事務所内部。
 木製デスクの抽斗側に向かって威嚇のつもりで9mmショートを発砲。
 景気好く3発。
 その瞬間、男が玩具のように両手を挙げて飛び出した。
 30代後半の若い構成員。不寝番のリーダーを任されたのか。
 額に大粒の汗の珠を浮かべて、投降の意思を見せた。
 そのジェスチャーは詩織にとって全く意味が無い。
 詩織は、体を小さく見せる独特の構えのまま、その男の顔面に2発、銃弾を叩き込み、この場の制圧を完了させた。
 顔面を砕かれた男は仰向けに倒れ、椅子と共に床に転げる。
 その死体の上には彼らが背負うべき代紋が壁に掛かって、惨状の全てを見守っていた。
 埃や色褪せから守るために額縁に入れられた布切れに何の価値が有るのか解らないが、価値の有無よりも連中が寄り添う為の、実に巧妙に出来た口実の権化である事は理解できた。
 弾倉を交換。
 右腰のホルスターにFN M1910を差し、代紋の額縁に近寄る。今夜はこれを奪えば成功だ。
 依頼人としては恐らく、撤収の成功はどうでもいいのだろう。
 この事務所を荒らして、組織の顔とも言える代紋を汚される真似をしてくれればそれで満足だろう。
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