証明不可のⅩ=1

 切り捨てる『濾過』のような行為を繰り返した結果、生き残った中のある組織が天辺を盗っただけだ。
 勢力が一つに束ねられる。
 一つの大きな勢力が先導して、大きな潮流が出来上がろうとしている。
 今のこの街では鉄火場になる可能性は低い。『だから隣街から依頼が舞い込む』。
 近隣の街の勢力はまだ安定を見ていない。『危ない橋を渡る可能性』はゼロではない。
 それは詩織の望むところで、臨む事だった。
 リスクが付き纏う仕事。唯の汚れ仕事全般。
 自分から、強盗や窃盗や恐喝を行っても、この街の治安は一つの組織が執り行うので、詩織の被害に遭った弱者は警察に駆け込む事くらいしか出来ない。
 街中での突然の強盗も、この街では既に『届出と許可が下りた』イベントでしかない。
 リスクが殆ど無い。
 浸透の範囲や深浅は不明だが、警察内部にも多数の内通者を飼っているとみられる。
 情報の横流しも居れば、些細な事件の揉み消しも居る。
 調書の偽造を請け負う法の番人も居る。
 この街で強盗諸々を生業にしていると放言しても、裏の世界の人間からは誰にも睨まれない。
 自分が飼い主だと勘違いしている、体だけの関係でしか結ばれていない有力者の手に噛み付かない限りは……リスクが本当に低いのだ。
 スリルを求めて深々とこの世界の深みに嵌っていったのに、生き残れば生き残るほど、平定していく環境。
 そろそろ、血湧き肉踊る展開に埋没したい。全身でアドレナリンを感じたい。
 その機会が訪れた。
 ゆかりが仕事を斡旋してくれた。
 ゆかりの本業は情報屋だ。斡旋や手配は副業程度の考えだ。
 詩織が話に乗れば商売の話に切り替わる。
 依頼人との伝を取り、遂行に必要な情報を有料で引き受ける。
 暢気な顔で茹で卵を齧っているゆかりはビジネスパートナーとしては最高だ。
 金だけで右へも左へも動く。動ける立場に居る。動く事を生業とする。
 情報屋の情報網は、この街を支配した組織でさえ下手に手出しできない。
 情報屋の総数自体が不明でどの程度の情報を誰が管理してどこから入手するのかも不明だ。
 まるで、見た目は小さいが破壊力が絶大な爆弾を思わせる。
 過去に情報屋やそのグループを仲間に引き入れようとした組織が多方面にウイークポイントをばら撒かれ、あっという間に壊滅した事実がある。
 これは情報屋という個にして全、全にして個の存在の強さをアピールするのに充分なデモンストレーションだった。
 特に理由が無い。
 ただ一言、「いいよ」と詩織が応えただけで、ゆかりはスマートフォンを操作して、しかるべき情報を引き出し始めた。
 このスマートフォンには一体どれだけの価値が有るのか……門外漢の詩織には想像も付かない。


 隣街。所謂、鉛筆ビル。
 テナントビル群の隙間を埋めるように建設された6階建てのビル。
 テナントの最上階が目標だ。
「…………」
 夏用生地で拵えた半袖の灰色のパーカー。
 この時期、薄い生地の半袖パーカーはどこでも手に入る。
 それに、カーゴパンツを無理矢理短パンにしたような半ズボン。裾が広く通気性が良い。
 夏場は何かと衣服に困る。
 懐や腰に物騒な得物を呑み込んでいる手前、丈の長い上着を着る事が出来ないので隠す場所が少ない。
 このパーカーにしても裾が短い。
 レディースのコーナーで買ったものではなく、メンズ衣料の店で買った物だ。
 頭に黒いキャスケットを被る。
 ゆかりが使っているのと同じモデルの、黒ブチが印象的な伊達眼鏡を掛ける。
 季節外れの立体マスク。風邪が流行る季節でもないのにこのアンバランスな組み合わせは印象に残りやすい。
 冬場ならコートとバラクラバだけで済むのに、暑い季節ともなると毎年このような悩みに直面する。
 まだこの世界に入って2年しか経過していないが、生きている限り、毎年この悩み頭を抱えると思うと地球の温暖化が恨めしい。
 鉛筆ビル……名前は【コウショウビルディング】という。
 1フロアに2つの店舗が入る。
 1階は管理人室や郵便受けが見られる。防犯カメラが1基、有る。
 その防犯カメラは、持参した高出力のレーザーポインターで画素を焼き殺すので問題は無い。
 辺りに人気は無い。
 深夜2時の繁華街の外れ。国道の近く。駅から徒歩20分。
 辺りは似たようなテナントビルが林立する。電灯が点いているビルは少ない。
 尤も、防犯のために一部の室内の蛍光灯を点けているのかもしれない。
 この場所に来るのに、複数の車輌を窃盗して遠回りに走ってやってきた。
 無免許運転。原付の免許は持っているが、車の免許は取得していない。2年前はまだその年齢ではなかった。
 走り易いいつもの水色の運動靴。
 運動靴の裏が擦れて、アスファルトに削り滓を残すほどの勢いで走り出した。
 目前6m。
 国内では違法の高出力のレーザーポインターを取り出し、防犯カメラのレンズに照射する。
 一瞬だけの照射。1秒にも満たない。それだけでこのカメラは役に立たなくなる。
 管理人室に人影。ここの部屋で待機している管理人の肩書きを持った人間は、事務所の不寝番だというのは調査済みだ。
 管理人室のドアが開くなり、駆け込んだままの勢いでドアの陰から覘いた人影を蹴り飛ばし、部屋に押し込んで、後ろ手にドアを閉める。
 押し倒されて目を白黒させる20代前半くらいの青年の胸に、パイプ椅子の上に有った座布団を二つ折りにして鳩尾に押し付ける。
 まだ何が起きたか把握していない青年の体に馬乗りになって右手を右腰に差し込み、素早くそれを抜く。
 FN M1910。
 今では骨董品の自動拳銃だ。
 護身用としてベストセラーを誇った華々しい過去を語るだけの性能が有る。
 嘗てのオリジナルモデルは、オーストリアの皇太子を暗殺して世界大戦を引き起こした拳銃として有名だ。
 詩織の手の中に在るFN M1910は9mmショートを用いる6連発モデルで、薬室の1発を含めると7発の実包を呑み込める。
 セフティをカット。
 薬室にあらかじめ送り込まれていた9mmショートがいつでも撃発できる。
 サイトを頼るのは野暮というものだ。
 とてもじゃないが精密な射撃には不向きなサイト。
 元は護身用で衣服の下に隠すのに適したデザインを目指した為に、丸みを帯びた中型拳銃として開発されたのだ。
 オリジナルモデルも32口径7+1発だ。
 詩織のモデルは装弾数が1発少ない代わりに停止力が上回る9mmショートを用いる。
 FN M1910を二つに折った座布団に押し付けて引き金を引く。発砲音は座布団が半分ほど吸収する。
 銃身は固定銃身なので大型オートのように作動不良を引き起こさない。
 空薬莢が弾き出される。
 9mmショートのフルメタルジャケットは、青年の鳩尾に深くめり込んで、たちまち、青年から抵抗力を奪った。
 腹腔に孔を開けられて呼吸もままならない青年の体から立ち上がった詩織は、管理人室から飛び出て階段を駆け上がる。
 エレベーターを使うのは悪手のような気がする。
 体力を温存するよりも、短期決戦でカタを付けたい。
 6階建ての鉛筆ビルの階段は急だった。
 全力で走って5階で息が上がり、給湯室脇の自動販売機でミネラルウオーターを買う。
 500mlの水を喉を鳴らしてがぶ飲みし、胸元から残りの水を注ぐ。体を早く冷やすためだ。
 温度湿度の高い夏場と言う悪条件は避けようが無い。
 冷水で体力の回復を図ってから再び駆ける。
 6階に到着する寸前に、弾倉を引き抜き、1発、9mmショートを補弾する。
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