証明不可のⅩ=1
街で目が合ったとか、落し物を拾って追いかけてきた善良な人、と言う顔で、声で、雰囲気で、出会って突然、ゆかりは詩織にスナック菓子を買ってきて欲しいと言うニュアンスでそのような物騒な台詞を隠しもせず、躊躇もせず、悪びれもせずに言った。
その言葉は魔法の言葉だった。
詩織の心の奥底に響くほどの効果を持っていた。
眩暈。
意識が遠のく。
それはネガティブなイメージではなかった。
例えて言うのなら、ここに填めるべきパズルのピースが他のパズルの箱に入っていて、それを偶然に発見し、填め込んだ所、知らぬ間に完成していたという唐突な歓喜に似ていた。
詩織はゆかりの……出遭って1分も経過していない、得体の知れない、怪しい風貌の女の言葉に導かれるように乗った。
それからの付き合いだった。
ゆかりが最初に持って来た依頼は確かに遂行した。
この依頼と引き換えに死んでも良いとさえ……何故か思った。
充足感や達成感、多幸感を得られて死ねるのなら、ここで人生を終えても良いと思っていた。
目的や目標といった、自分が目指すべきマイルストーンやゴールすら見えなかった詩織に、ゆかりの一言「お金と控えに人を殺してみたいと思わない?」はそれを払拭するに充分な魅力があった。
全ての解決の糸口はそれしかないとさえ思い込む。
ゆかりは当時、駆け出しの情報屋で、大手の遣いっぱしりとしてアナログな伝達手段で情報交換をしたり、斡旋業者から引き受けた『頭数』を揃えるのに目ぼしい人物にコンタクトするのが仕事だった。
そんな仕事の一つでその日に限って、全くコロシの依頼で使えそうな人材が捉まらなかった。
納期まで時間が無く焦っている最中に出会ったのが詩織だ。
死んだ目をした、やつれた美少女。
鉄火場には全くの不向きだが、接近して気が緩んだところを命と引き換えに刺し殺させれば、依頼は遂行させるに充分だと狸の革算をしていた。
それに死んだとしても、どこの誰とも解らない家出娘か根無し草の不良だろう。
死体が埋められても、海に浮かんでいても誰も気にしない。使い捨てには充分……だからゆかりは詩織に声を掛けた。
お互いの損得勘定が一致した。
それだけだ。
それだけの事だが、互いが互いを深く詮索する事は無い。
今となっては、2人は人生を尺度とした場合、長い付き合いなのだ。2年しか付き合っていないのではない。2年も付き合っているのだ。
詩織は自分のハイツで……台所の換気扇の下でドライシガーを吸っていた。
仄かにバニラが香る、ハンデルスゴールドのバニラフレーバーだ。
1本100円の、本物の葉巻とは程遠い機械巻きの葉巻でバニラの香料で味付けされたドライシガー。薬指のように短く小指のように細い。
5本入りの紙箱で売られている安物。未成年の詩織が入手するには煩わしいハードルが沢山有った。
そこで、成人だが非喫煙者のゆかりに買ってもらい、届けてもらう。街中で1人の時にドライシガーが切れると不安になるので、外出時はいつも2箱、ポケットに突っ込んでいる。
100円均一で買ったブリキの灰皿。蓋が付いているので吸殻を放り込んでも臭いに悩まされない。
使っているライターは使い捨てライター。これらもまたゆかりに買って来てもらう。
『拳銃は簡単に手に入るのに、嗜好品は気軽に街角で購入できない面倒臭さ』。
唇を火傷しそうなほど短くなった吸い差し。それをブリキの四角い灰皿に押し込んで蓋を被せる。
消火は確認せずとも、二酸化炭素が充満して勝手に鎮火する。
それにしても……未成年でハイツを賃貸している手前、室内に酒や煙草の形跡を残さないのは実に面倒だ。
今でも換気扇のフードの内側に向かって愛着の有る紫煙を吹き付けていた。
ハイツは購入ではない。賃貸だ。
有力者に体を弄ばせた見返りに『保証人』になってもらったのだ。
購入すれば様々な書類や税が絡み、ボロが出易くなる。
そこで『保証人』と言う都合のいい存在になってもらい、面倒な欺瞞工作や賃貸諸々の支払いは任せている。
有力者の男は手元に詩織を置いている訳でないにしろ、美少女の姿をしたゴロツキを囲っているわけだから、所有欲を満たせる。
詩織はその有力者には、それ以上の見返りは求めなかった。
大きな力にまとめて庇護してもらうよりも、中程度の複数の有力者に各分野で体や恩を売り、金に換えられない価値を受け取る事にしている。
大きな一つの力に頼りっきりだと、その力が凋落したときに、巻き添えを食らって共倒れや、同じ一派だと看做されて敵対勢力に狙われるリスクが大きくなるからだ。
「ねえ、詩織」
唐突に洗面所からゆかりが顔を出す。
先ほど勝手に入ってきて手洗いと嗽をしていた。
いつもの風景だ。いつもの風景だが、詩織はゆかりがどこで住んでいるのか知らない。
眼鏡を掛け直しながら、ゆかりが台所まで来て勝手に冷蔵庫を開けて話し出す。
詩織が聴いていても聴いていなくても構わない口調だった。
「今度の仕事。依頼人は明かせないけど、隣町で強盗して欲しいってさ。ヤクザの事務所を荒らしてくれって。組長室の額縁で飾って有る代紋を奪って欲しいんだって。どうする? これ、鉄砲玉案件だよ?」
ゆかりは冷蔵庫から野菜ジュースと、昼飯にするはずだった茹で卵を取り出すと勝手に飲み食いし出す。
そう言えば、もう直ぐ昼食の時間帯だ。
詩織は興味無さそうに……ゆかりの仕事話にも、冷蔵庫を漁る勝手な振る舞いにも、興味無さそうな顔でハンデルスゴールドのクリーム色の紙箱と、使い捨てライターを持ってリビングへ行く。
――――強盗。ねぇ……。
――――んー。『引き受けない理由が無い』なぁ。
最近の街の勢力図と近隣の勢力図を頭に思い浮かべる。
この街自体は今も尚、群雄割拠時代の残り火を抱えているとは言え、一応の決着を見た。
一つのある勢力が統一という名の支配を成功させ、反抗勢力狩りに躍起になっている。
それと同時に自分の勢力として使えるルートやコネを持っている組織は進んで取り込んでいる。
今、この街を100%の色で染める事が出来ないのは、それが原因だった。
敵対しているが、使える勢力や使えそうな勢力は壊滅させるよりも、そのルートやコネを奪うよりも、そのまま、窓口として利用した方が得策だと考えているからだ。
敵対組織と交流の有る外部の組織は、『その敵対する組織に何かしらの甘味を感じ、弱小に凋落しても尚も取引を続けている』と考えられるからだ。
もしかしたら、単純に義理人情の話かもしれない。
どちらにせよ、使える道具は傷が付かないように使いたい。
頂上作戦で決戦をしても、ローラー作戦で残党を全て片付けないのは、無用の恐怖政治を印象付けないためとも受けとれる。
『親藩大名』だった、詩織のコネや伝やルートは無傷だったのは偶然ではない。
ゆかりの情報のリークが手伝った功績が大きい。
風見鶏のように向きが変わる勢力の読み方では早死にすると、ゆかりにアドバイスしてもらっていたので、広く浅く全ての勢力の末端や上位組織に自分の体を売り込んで色香で篭絡し、表面だけの薄い付き合いを続け、その一方で敗北した勢力との関係はプッツリと切った。
詩織は特定の誰かの情婦ではない。
ベッドの上では愛を囁き囁かれるが、彼女にとっては社交辞令だ。
その言葉は魔法の言葉だった。
詩織の心の奥底に響くほどの効果を持っていた。
眩暈。
意識が遠のく。
それはネガティブなイメージではなかった。
例えて言うのなら、ここに填めるべきパズルのピースが他のパズルの箱に入っていて、それを偶然に発見し、填め込んだ所、知らぬ間に完成していたという唐突な歓喜に似ていた。
詩織はゆかりの……出遭って1分も経過していない、得体の知れない、怪しい風貌の女の言葉に導かれるように乗った。
それからの付き合いだった。
ゆかりが最初に持って来た依頼は確かに遂行した。
この依頼と引き換えに死んでも良いとさえ……何故か思った。
充足感や達成感、多幸感を得られて死ねるのなら、ここで人生を終えても良いと思っていた。
目的や目標といった、自分が目指すべきマイルストーンやゴールすら見えなかった詩織に、ゆかりの一言「お金と控えに人を殺してみたいと思わない?」はそれを払拭するに充分な魅力があった。
全ての解決の糸口はそれしかないとさえ思い込む。
ゆかりは当時、駆け出しの情報屋で、大手の遣いっぱしりとしてアナログな伝達手段で情報交換をしたり、斡旋業者から引き受けた『頭数』を揃えるのに目ぼしい人物にコンタクトするのが仕事だった。
そんな仕事の一つでその日に限って、全くコロシの依頼で使えそうな人材が捉まらなかった。
納期まで時間が無く焦っている最中に出会ったのが詩織だ。
死んだ目をした、やつれた美少女。
鉄火場には全くの不向きだが、接近して気が緩んだところを命と引き換えに刺し殺させれば、依頼は遂行させるに充分だと狸の革算をしていた。
それに死んだとしても、どこの誰とも解らない家出娘か根無し草の不良だろう。
死体が埋められても、海に浮かんでいても誰も気にしない。使い捨てには充分……だからゆかりは詩織に声を掛けた。
お互いの損得勘定が一致した。
それだけだ。
それだけの事だが、互いが互いを深く詮索する事は無い。
今となっては、2人は人生を尺度とした場合、長い付き合いなのだ。2年しか付き合っていないのではない。2年も付き合っているのだ。
詩織は自分のハイツで……台所の換気扇の下でドライシガーを吸っていた。
仄かにバニラが香る、ハンデルスゴールドのバニラフレーバーだ。
1本100円の、本物の葉巻とは程遠い機械巻きの葉巻でバニラの香料で味付けされたドライシガー。薬指のように短く小指のように細い。
5本入りの紙箱で売られている安物。未成年の詩織が入手するには煩わしいハードルが沢山有った。
そこで、成人だが非喫煙者のゆかりに買ってもらい、届けてもらう。街中で1人の時にドライシガーが切れると不安になるので、外出時はいつも2箱、ポケットに突っ込んでいる。
100円均一で買ったブリキの灰皿。蓋が付いているので吸殻を放り込んでも臭いに悩まされない。
使っているライターは使い捨てライター。これらもまたゆかりに買って来てもらう。
『拳銃は簡単に手に入るのに、嗜好品は気軽に街角で購入できない面倒臭さ』。
唇を火傷しそうなほど短くなった吸い差し。それをブリキの四角い灰皿に押し込んで蓋を被せる。
消火は確認せずとも、二酸化炭素が充満して勝手に鎮火する。
それにしても……未成年でハイツを賃貸している手前、室内に酒や煙草の形跡を残さないのは実に面倒だ。
今でも換気扇のフードの内側に向かって愛着の有る紫煙を吹き付けていた。
ハイツは購入ではない。賃貸だ。
有力者に体を弄ばせた見返りに『保証人』になってもらったのだ。
購入すれば様々な書類や税が絡み、ボロが出易くなる。
そこで『保証人』と言う都合のいい存在になってもらい、面倒な欺瞞工作や賃貸諸々の支払いは任せている。
有力者の男は手元に詩織を置いている訳でないにしろ、美少女の姿をしたゴロツキを囲っているわけだから、所有欲を満たせる。
詩織はその有力者には、それ以上の見返りは求めなかった。
大きな力にまとめて庇護してもらうよりも、中程度の複数の有力者に各分野で体や恩を売り、金に換えられない価値を受け取る事にしている。
大きな一つの力に頼りっきりだと、その力が凋落したときに、巻き添えを食らって共倒れや、同じ一派だと看做されて敵対勢力に狙われるリスクが大きくなるからだ。
「ねえ、詩織」
唐突に洗面所からゆかりが顔を出す。
先ほど勝手に入ってきて手洗いと嗽をしていた。
いつもの風景だ。いつもの風景だが、詩織はゆかりがどこで住んでいるのか知らない。
眼鏡を掛け直しながら、ゆかりが台所まで来て勝手に冷蔵庫を開けて話し出す。
詩織が聴いていても聴いていなくても構わない口調だった。
「今度の仕事。依頼人は明かせないけど、隣町で強盗して欲しいってさ。ヤクザの事務所を荒らしてくれって。組長室の額縁で飾って有る代紋を奪って欲しいんだって。どうする? これ、鉄砲玉案件だよ?」
ゆかりは冷蔵庫から野菜ジュースと、昼飯にするはずだった茹で卵を取り出すと勝手に飲み食いし出す。
そう言えば、もう直ぐ昼食の時間帯だ。
詩織は興味無さそうに……ゆかりの仕事話にも、冷蔵庫を漁る勝手な振る舞いにも、興味無さそうな顔でハンデルスゴールドのクリーム色の紙箱と、使い捨てライターを持ってリビングへ行く。
――――強盗。ねぇ……。
――――んー。『引き受けない理由が無い』なぁ。
最近の街の勢力図と近隣の勢力図を頭に思い浮かべる。
この街自体は今も尚、群雄割拠時代の残り火を抱えているとは言え、一応の決着を見た。
一つのある勢力が統一という名の支配を成功させ、反抗勢力狩りに躍起になっている。
それと同時に自分の勢力として使えるルートやコネを持っている組織は進んで取り込んでいる。
今、この街を100%の色で染める事が出来ないのは、それが原因だった。
敵対しているが、使える勢力や使えそうな勢力は壊滅させるよりも、そのルートやコネを奪うよりも、そのまま、窓口として利用した方が得策だと考えているからだ。
敵対組織と交流の有る外部の組織は、『その敵対する組織に何かしらの甘味を感じ、弱小に凋落しても尚も取引を続けている』と考えられるからだ。
もしかしたら、単純に義理人情の話かもしれない。
どちらにせよ、使える道具は傷が付かないように使いたい。
頂上作戦で決戦をしても、ローラー作戦で残党を全て片付けないのは、無用の恐怖政治を印象付けないためとも受けとれる。
『親藩大名』だった、詩織のコネや伝やルートは無傷だったのは偶然ではない。
ゆかりの情報のリークが手伝った功績が大きい。
風見鶏のように向きが変わる勢力の読み方では早死にすると、ゆかりにアドバイスしてもらっていたので、広く浅く全ての勢力の末端や上位組織に自分の体を売り込んで色香で篭絡し、表面だけの薄い付き合いを続け、その一方で敗北した勢力との関係はプッツリと切った。
詩織は特定の誰かの情婦ではない。
ベッドの上では愛を囁き囁かれるが、彼女にとっては社交辞令だ。