証明不可のⅩ=1

 銃撃戦が始まるかもしれない。
 もしかすると銃撃かもしれない。
 弾倉分の実包が必要かどうか? ……弾が尽きる頃に勝負が決する予感がする。
 互いがジリジリと爪先を滑らせる。
 クイックドロウという上品な芸当で勝負は決まらない。泥臭く、どうしようもない結末で勝負が決まる気がする。
 ただ解る事は、双方が弾倉交換を考慮していない事だ。
 グリップ底部のコンチネンタル型マガジンキャッチ。
 これが大きな足枷になっていた。
 素早い弾倉交換が行えない。
 1発分、装弾数が多いベレッタの少女が使うベレッタM1934が辛うじて有利か。
 時間が流れる。
 少女の顔色に変化は無い。
 生まれた時から崩した事が無いと言わんばかりのクールな美貌。
 少女の顔がいつの間にか、勝負師の顔に変貌している。
 肩に痙攣に似た電撃が走る。
 発砲命令を指先に下した。
 同時。2人同時に同じモーションで発砲。
 中空で火花が爆ぜる。確率的にありえるが極めて低い現象が起きた。
「!」
「!」
 9mmショートの弾頭同士が互いの距離の中央で衝突した。
 それを合図に2人は海側とは反対側の……コンテナ群へ通じる路地や隙間に飛び込んで姿を隠す。
 しかし、詩織は影に飛び込んでも1mほど走って急ブレーキを掛けて踵を返し、先ほど立っていた通りへ飛び出す。
「……」
「……」
 またも息を呑む。
 先ほどと変わらぬ距離にベレッタの少女が居た。
 両者とも同じことを考えていた。
 遮蔽だらけの陰や路地の中で走り回って、無為に銃弾を撒き散らす事は最初から考えていなかった。背後からの強襲で仕留めようと考えていた。
「!」
「!」
 再び路地や陰に飛び込む。
 今度こそフェイントを掛けて背後を取ってやると、詩織は心の中で呻く。前に1m進み引き返し、更に踵を返し3m進んで再び通りに飛び出る。
「……」
「……」
 またも少女が居た。
 確かにベレッタの少女も路地に飛び込んだ。
 そして同じ事を考えていた。
 自分の思考イコール少女の思考。
 そんな錯覚。
 自分とジャンケンをするような感覚。
 脳内を電流が走るように思考が廻る。
 殆ど同時にダブルタップ。
 双方とも片手での腰の辺りで構えた拳銃からの2発の発砲。
 ブラフ。少なくとも詩織は2発でその少女を仕留めようとは思っていなかった。
 銃口を良く見ていれば……見えていれば解る、左右に僅かに振る銃口。『自分なら【この中央】を駆け出す』と。
 体が自然と動いていた。
 少女の発砲もダブルタップで2発とも、詩織の体の左右を無駄に穿つ。
 少女も発砲と同時に前方に駆け出す。
 詩織と衝突するまで10m。
 詩織もベレッタの少女も駆ける。
 助走を付けて殴りかからんとする勢いだ。
 2人とも同じアクション。両手で拳銃を保持。
 右斜め下に銃口を向けて左肩を突き出し、何もかもが同じだった。
 残弾3発。少女は4発。
 歩幅すらも同じ全力疾走。頬を風が梳く。キャスケットが飛ばされる。
 衝突するまで5m以下に迫った時、出来るだけトリッキーな動作タイミングであの少女の視界から消えてやろうと目論んでいた。
 その時が来る。
 足首を意識的に捻る。
 左足を軸に右足で地面を蹴って地面に滑り込む。
 魚雷が水面下を疾走するのに似た、鋭く速い『ジャンプ』。
 低く、低く。
 少女の膝よりも低く、僅かな距離でも地面と体が水平になるような位置で跳ぶ。
 詩織は驚かなかった。
 自分がこのような動きに出るのだから当然、少女も同じ考えだろうと……。その頃、ベレッタの少女は高くジャンプしていたのだ。
 体にパラシュートでも背負っているかのように、滞空時間が長いジャンプ。
 右太腿を体に引き寄せ、左足をすらりと伸ばしていた。
 両手はベレッタM1934を握っていた。
 詩織を狙っていた。
 詩織も少女を狙っていた。
 両者の銃口が交差する瞬間、発砲。
 銃口から伸びる銃火で顔を焼かれるかもしれない恐怖を堪えて発砲。
 弾き出された空薬莢までもが同じタイミングで地面に転がり、無秩序に跳ねる。
 詩織は超低空のジャンプを終え、無様に仰向けにコンクリの地面を滑る。
 少女は華麗に前転をして地面に降り立つ。
「!」
 ベレッタの少女は驚愕に……自分の失態に初めて表情を青褪めさせた。
 『ベレッタの少女が振り向いた瞬間』に詩織は撃った。
 詩織はこの機会『を』待っていた。
 少女はこの機会『の前』を待っていた。
 つまり、少女は空中で居る間に、発砲した銃弾で勝負が決まると思い込んでいた。
 着地しても『自分の銃弾が命中したのだから、振り向く必要が無い』と思い込んでいた。
 だが、詩織の発砲はブラフで、ベレッタの少女が着地した瞬間が機会だと最初から計算していた。
 計算通り、『少女はこちらに刹那の時間、背中を向けているからだ』。
「…………」
 延髄に銃弾が命中したベレッタの少女は、首を後方に不自然な角度で折った。
 全身が鋭く震えて、右手からベレッタM1934が滑り落ちる。
 瞬間的に意識も呼吸も停止した彼女は、倒れながら左手を握り、中指を立てて地面に前のめりに沈んだ。
 空中と地面。
 その境で、詩織が被弾する可能性は大きかった。
 彼女が被弾する可能性も大きかった。
 自分なら、彼女ならこの時はこうするだろうと博打を打っただけだ。 詩織は地面を這い、彼女は跳んだ。
 若しかしたら空中で、地面でお互いが衝突していた可能性も有った。 それこそ最大の博打だった。ほんの僅かで良い。ベレッタの少女が『絶対に当たると思い込む』距離を作りたかった。
 それを不発で終わらせれば、今度は詩織に『絶対に当たる』距離が『視える』。
 ……コンマ数秒の間に行われた幾重もの勝負で勝利して、ベレッタの少女を討ち取る事が出来た。
「…………」
 ベレッタの少女は頸の辺りから大量の生命の息吹を体外へ流出させている。
 地面に無機物のように転がり、血の池が広がる。
 もう死んでいる。
 数秒ほど、詩織の勝利を讃える左手の親指が痙攣していたが、今では肉袋さながらに転がっている。
 視線が徐々に足元に寄ってくる。
 コンクリの地面を浅く削った痕がある。
 彼女の9mmショートが作ったのだろう。
 視界にゴミが入っている。何度も目を擦るがゴミが取れない。
 鬱陶しくなって、伊達眼鏡を外すと途端に見えなくなったゴミ。
 伊達眼鏡の右側のレンズには直径1mmほどの火薬滓が2個、貼り付いていた。
 伊達眼鏡が無かったら確実に失明していた。
 キャスケットが飛んでいたので、前髪が銃火で軽く炙られて縮れている。
 早く帰ってゆかりにカットしてもらおう。
 何も感慨は無かった。勝負に勝った。それだけ。
 その場にぺたんと座り込んで、尻ポケットからハンデルスゴールド・バニラの紙箱を取り出して1本抜き出し、セロファンを剥いて口に銜える。
 FN M1910は無造作に右手側の地面に置きっぱなしだ。
 使い捨てライターを探るがどこのポケットにも入っていない。
 どこかで落としてしまったようだ。
 憎憎しげに眉を歪める。
「!」
 背後から火の点いたマッチが差し出される。
「……火をお探しですか? お嬢さん」
「…………」
 黙って火を貰う事で返答とした。
 振り向かなかった。
 特徴的な硝煙の臭いがした。
 一般的な銃火器で用いられる硝煙や炸薬の臭いではない。
「貴方は……」
 そこまで言って口を噤む。
 解っていた。
 誰なのか知っていた。
 【河川砲艦】が背後に居る。
 音も気配も消して近付いてマッチを擦った。
 この所作だけで解る。
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