証明不可のⅩ=1

 グレネードランチャーが対人用擲弾を使い始めた。
 派手には程遠い爆発音が聞こえる。
 炸裂する砲弾が大きな爆竹のように聞こえる。映画のようなエフェクトは効いていない。
 軽トラックの荷物を次々と漁る。
 特徴的な印が付けられた、何重にもビニールで梱包された2kgの麻薬。
 それを探し出す為に、焦る心を鎮めながら出来るだけ細心の注意を払って荷物を漁る。
 どこの誰が【河川砲艦】と戦っているのかは知らない。
 今夜の商談に介入干渉妨害しようとした何れかの組織だろう。
 最早、組織Ⅹが果たしてどちら側でどこに居て、何をしているのかは遠くの出来事になっていた。
 【河川砲艦】と恐らく随伴するベレッタの少女。
 今直ぐにでも飛んで行きたい。
 だが、プロ意識がそれを阻害する。
 目前に有るであろう麻薬を探して、撤収する事しか考え無いように努力する。
 貴金属や高級腕時計、半導体、金塊に札束……どれもこれも集めれば一財産になる宝の山だったが、そんな物には目をくれない。
 興味が無いわけではない。今は不要なだけだ。
 依頼の遂行が最優先だ。
 ビクトリノックスのアーミーナイフで梱包や紐を解き、中身を確認する。
 軽トラックの荷台から荷台へと走り回って、山積するダンボール箱やバッグの中身を掻き出す。
「!」
――――有った!
 額から汗の珠を垂らしながら漸く見つけた。
 依頼人が言っていた通りの梱包だ。
 手に持った感触も2kgはある。
 レンガのように直方体で固められ、油紙で間接的に守られてビニールを撒きつけられた、それ。
 安堵する。
 思わず、尻ポケットに手が伸びてハンデルスゴールド・バニラの紙箱に触れる。
 まだ吸ってはダメだと自分を叱責して手を引っ込めて、踵を返す。
「…………」
 コンテナの山の向こうでは収まりつつある砲声。
 短機関銃の銃声の合間に聞こえる9mmショートの発砲音。……居る。あのベレッタの少女が確実に居る。
 今直ぐ駆けつけたい。
 ベレッタと思しき銃声が聞こえるたびに、反撃の銃声が少なくなっていく。
 目の前に置かれたご馳走を振り返る子犬のような顔で、詩織はその場から駆け出して港湾部の外れへ向かうルートに向かった。
 このルートを抜ければ予め隠しておいた原付バイクが置いてある。
 人気の無いルートで街灯も乏しく、夜陰に乗じるのに向いている逃走経路だった。
 右手にFN M1910。左手に2kgの麻薬。
 小脇を締めて小さく腕を振って走る。疲労を軽減させる走り方だ。
 両手に重さの違う荷物を持っている時は特に注意しなければならない。
 体幹を中心に左右がアンバランスのまま走っていると、必ずそのブレが体全体を振り回して疲労が倍増させる。
 ブレを少なくするには体に両手を寄せるのが基本だ。
 更に同手同足。右手と右足を同時に前に出し、左足と左手を後ろにする歩き方の応用。
 侍が腰に刀を佩いたままでも素早く走り、小回りの利く重心移動が出来るのはこの走り方のお陰だ。
 ……尤も、侍が往来を歩いていた時代はこの歩き方や走り方が普通で、明治時代に入ってから西洋式の歩き方や走り方が輸入されて今日に到る。
「!」
 急ブレーキ。静まり返る。
 潮風と海の匂いが少し薄れた辺り。
 グレネードランチャーの砲撃は遥か遠くに聞こえる。
 心臓が五月蝿い。呼吸が中々整わない。
 喉が渇く。
 急激にニコチンに対して渇望が湧く……だが、動けない。
 動いてはいけない気がした。
 呼吸すらも止めなければならない気がしてきた。
 無言。喋る相手が居ないからではない。それは無言というより、絶句と言った方が正しかったかもしれない。
 目前の辻の角……道幅4m。直線。前方15m。
 その位置にある、合流するための路地の入り口から、ベレッタの少女は唐突に現れた。
 殺気や殺意や敵意は全く無い、澄んだ、涼しげな瞳。
 何も畏れない、何も悪びれない、何も怖がらない。
 そんな超然とした態度。
 右手にベレッM1934を携えている。
 銃口はこちらを向いていない。
「今度こそ『仲良くしよう』と思ってたのに……またこんな事になっちゃったね……」
 台詞とは裏腹に、少女の全く残念ではない声。口調や声までもが清涼を感じるほどに冷たい。
「具体的に訊くわ……貴女は何者? 貴女のような人間は『この街には居ない』。でも解る……貴女は只者じゃなくて、この機会だからこの街に現れた『誰か』ってこと……」
 詩織は呻くように言う。
 ベレッタの少女が現れたくらいからだ。……組織Ⅹの影がちらつき始めたのは。
 それまではこのような未成年の腕利きは聞いた事が無い。
 否、9mmの中型オートを使う『少女の姿をした使い手』自体聞いた事が無い。
 その『存在自体がⅩ』の少女が目前に居る。
「ここでぺらぺらと自分の正体を喋る使い手が居ると思うのかしら?」
「……だよね」
 少女の半袖のTシャツが風に靡く。
 白いシャツにショルダーホルスター。デニムの短パン。腰の周りに予備弾倉のポーチ。何も隠す気が無い出で立ち。
「で、『単刀直入に訊く』わ。貴女はどうして私の前に? 後ろから撃てばよかったんじゃない?」
 内心、会話のイニシアティブを握ったと早くも感じた詩織。
 自分が一番疑問だった事を、弱みを見せずに睥睨するようにぶつける事が出来た。
 一番、ベレッタの少女に会いたがっていたのは……理由が解らず、情緒不安定なまま、彼女を捜し求めていたのは詩織だったはずだ。
「それを私に言わせるの? 撃つ、撃たれるのに理由が必要なら今直ぐ理由を作るけど?」
 ベレッタの少女は左手でスマートフォンを取り出し、幾つかの操作をしてその画面を詩織に見せる。
 この距離だと小さくて解らない。
 『だが、不思議と理解できた』。
「『ゆかりは関係ないでしょ』」
 その台詞が詩織の口を衝く。
 ベレッタの少女は可憐な可愛らしい笑顔を唇に湛える。目は笑っていない。
 その笑顔で確信する。
 画面に映っているのがゆかりなのは確かだった。
「貴女達が【河川砲艦】と呼んでいるヒトには手出しはさせない。存分に愉しまない? それとも『強気に責めるのはベッドの上だけ? カメラが廻っていないとダメ?』」
 安い挑発。
 こちらが銃を向けるのを待っている。
 漸く、この少女のドグマが理解できた。
 このベレッタの少女は……『流れ者』だ。
 定住せずに街から街へ流れるゴロツキ。
 大きな仕事を名刺代わりに次の街で大きな組織に軒先を借りて仮住まいし、その組織に恩義を返すとまた、違う街へ移動する風来坊。
 この街に来た理由は恐らくそれだ。来たというのは正確ではない。流れ着いたのは、が正しい。
 そして軒先を借りたのが組織Ⅹだった。
 彼女がどこで組織Ⅹとコンタクトを取ったのかは不明。
 もしかしたら、風来坊ゆえに身元の洗いようが無い利点を買われ、組織Ⅹにスカウトされたのかもしれない。
「…………」
 左手の2kgの麻薬をその場に無造作に落とし、左足側面で左手側に軽く蹴り飛ばす。
 右手の親指が小さく動き、習慣で、走る時には掛けるセフティをカットした。
 薬室に1発入っている。
 今から銃撃戦が始まる。
 汗が顎先から滴る。
 ベレッタの少女も右手の親指が小さく動く気配を見せる。
 セフティをカットしたのだろう。
 2人の間を潮風が通り抜ける。
 不思議と、冷静だった。静かだった。冷ややかだった。心が水面のように平坦で心拍が心地よく聞こえる。
 例えようが無い幸福感。
 敢えて言うなら、殺せる幸せ。
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