証明不可のⅩ=1

 詩織はハンデルスゴールド・バニラを銜えたままそう呟いた。
 やけに美しい星空が恨めしく思えてきた。
 果たして、今回の仕事は成功したのか失敗したのか判然としない。
 敵も味方も損害が大きい。
 その為に雇われたのだ。使い捨ての辛いところだった。
 何よりも不可解なのは、あの少女はどうして自分の前に姿を現したのか。
 そのまま夜陰の紛れて消え去れば、負傷者を始末すればミッションコンプリートで好きな時期に撤退できたのに……。
 辺りから鉄錆びと硝煙の臭いが夜風に攫われる。ゆっくりと上半身を起こして、気怠そうにその場を立ち去った。
 この日の夜の報酬は提示された金額以上のボーナスは付かなかった。
   ※ ※ ※
「んー……詩織ー。あんたの言うベレッタを使う子供の鉄砲玉なんてどこにも引っ掛からないよ」
 ゆかりはタブレット端末を操作しながら、自分が張り巡らせた情報網を徘徊していた。
 午後9時。詩織のハイツ。リビングにて。
「……他にも検索の条件は?」
「変えてみたけど……殺し屋に守り屋、万屋、フリーランスの拳銃使い……もっと検索範囲を広げても、『ベレッタを使う少女』自体がヒットしない。中型拳銃を使う未成年なら詩織がヒットするけど。中型拳銃を使う未成年はそれ以上検索のしようが無いわね。他の情報屋の情報網を覘かせてもらうか……それとも……」
「…………」
 ゆかりがブツブツと独り言を言いながら、タブレット端末を操作する。
 その間、ずっと台所の換気扇の下でハンデルスゴールド・バニラを吸い続ける詩織。
 何かもっとワードとして相応しい語彙が有るはずだ。
 あの日の夜を思い出す。
 3日前の夜の出来事だというのに……夜なのに白昼夢を見ているような気分だった。
 直ぐに記憶を引き出せない。
 幽霊でも見ていた気分だ。
 頭を捻る。短くなった吸い指しをブリキの灰皿に捨てて蓋をする。
 あの日の夜のイニシアティブを握りっぱなしだった9mmショートの銃声が耳の奥に聞こえる。
 銃声。銃撃。銃撃戦。唸る。吼える。囀る。
 その中で何か一つ、ぽっかりと抜け落ちている記憶が有るような気がする。
「だーめだー。『銃』で検索してもあの夜に動きが有った『日雇い』を検索してもヒットしないよー。武器なら何でもござれの職業って多くないからそれも直ぐに検索できると思ったんだけど……」
 ゆかりが泣き言を並べる。
――――ん?
――――武器?
――――違う!
――――『戦闘要員ばかり』気にしていた!
 詩織は弾かれたように瞼を開ける。
「ゆかり、グレネードランチャーで検索。それも支援ばかり請け負う使い手! 多分、『殺した実績は少ない』と思う。あの夜……結局、照明弾しか上がらなかった……街中でグレネードランチャーって使えない。開けた場所だったのに照明弾しか撃たなかった。擲弾を撃たなかったんじゃない。撃つ機会が無かったんじゃない……近くに居たんだ……最初から……自分達を援護する役目しか負わなかったんだわ……」
 詩織の唇から、思い出しては零れ出す語彙を拾い、ゆかりは直ぐに自分の情報網で検索を駆ける。
 何人もの砲撃を得意とする殺し屋や使い手がヒットする。
 さらにあの日の夜に『出張中』だったその界隈の人間を検索する。
 クライアントが遡って調べられない『不自然な出張』で出払っていた闇社会の人間がヒットする。
 名前は不明。
 二つ名【河川砲艦】。
 プロフィールは一切不明。
 援護専門の使い手で6連発のダネルを得意武器とする。
「その【河川砲艦】……『いつから、どこから、どうやって、ここのデータベースに記載されたか解る?』」
「ちょっと待ってね……」
 ゆかりの指先が滑らかにタブレット端末の液晶を撫でる。数秒で結果が出る。
「つい最近。半年前にこの街にやって来たわ。フリーランスで活動。集団を援護する専門の使い手で『街』での活躍は皆無。殆ど街の外や隣の県で活動してる。詩織の言う通りね。派手な砲撃の割にキルマークは少ない。照明弾とか信号弾を打つのに大活躍……だから『具体的な戦術』は不明。後方から援護しているだけだもの」
 その援護に苦しめられた。
「【河川砲艦】を中心に相関図を洗って。絶対にあの子がどこかで結びつく……」
 詩織は自分がなぜ、そこまであのベレッタM1934の少女に執着するのか理由が解らなかった。
 生きていればいつかどこかで必ず鉢合わせする可能性が高いのに。
 心の底にチクリと棘の様な物が刺さっている。
 勝敗の解らない戦は何度か有る。
 だが、勝ち負けではない、何か。
 あの子に会えば、氷解するような気がする。
 そればかりが気になってしまう。
 早く心の棘を抜くにはもう一度会うに限る。……視野狭窄に陥っている詩織はあの少女を追いかける事で、小さな自己満足に浸っていた。
「それは良いけど……料金は別で請求するからね」
「いいわ」
「他の情報網を使う?」
「使う」
「で、見つけ出してどうするの?」
「……さあ。解らない。お茶にでも誘ってみようかしら」
「そんな目的も無く情報屋をほいほいと使っていると痛い目を見るわよ」
「…………かもね」
そんな会話を遮断するように、タブレット端末が小さな電子音を発する。
「あら」
「?」
 ゆかりがそのメールを開いて読んだらしく、小さく声を挙げる。
「何か?」
「……ねえ、暫く撮影の仕事は休みでしょ?」
「そうだけど」
 詩織は肘や膝の擦り傷を見ながら苦笑いをする。
「気晴らしにこの仕事に行ってきなさいな。手頃な仕事が入ったわ。強盗……と云うよりも……奪還かな?」
「奪還?」
 詩織はタブレット端末を覗き込んだ。
 最近のタブレット端末の液晶は優秀だ。隣からの覗き見を防ぐ為に斜めからは画面を覘けない加工が施されている。
 自然と、ゆかりと顔をひっつけて画面を見てしまう。
 そのメール本文は、奪われた麻薬2kgを港湾部から船で輸送される前に奪い返して欲しいとの内容だった。
 ごく有り触れた仕事だ。運搬される直前に奪い返す。運ぶ側が一番気を使う場面だ。
 その隙間を縫って……あるいは盛大に場を掻き乱して、ドサクサに獲物を奪い返す。
「……ゆかり……この仕事、受ける。どうせ暇だし。こんな傷じゃ暫く撮影は無理だし……【河川砲艦】の情報はもう少し時間が掛かるんでしょ?」
「そう……だね。少し掛かるね。この仕事で『遊んでくれたら』良い時間潰しになるんじゃない? 【河川砲艦】って二つ名さあ、他の街を洗ったけど情報が攫えないのよ。突然、名乗り出したのかな……ま、いいか。奪還の仕事の詳細を斡旋してもらうように手配してそっちの携帯に送信させるから」
「頼んだわ」
 そう言うと再び台所に爪先を向ける。右手にしっかりとブリキの灰皿を持っていた。


 4日後の深夜1時。
 【河川砲艦】を中心とした、力や人物の相関図が全く描けないまま頓挫しているゆかりに、小出しに追加料金を払いながら情報の収集に専念させている。
 あのような外見に反してゆかりは優秀な情報屋だ。
 情報屋として請求する料金は目を剥く金額になる。それを少しでも穴埋めしなければならない。
 ゆかりがタイミングよく紹介してくれた奪還の仕事の報酬も、結局は大半がゆかりの懐に入る予定だ。
 今夜の仕事では大した金額は動かない。
 報酬も安い。
 少し実入りの良い小遣い稼ぎの一つと言えた。
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